- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101057033
感想・レビュー・書評
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一度読めばもういいと思った。
展開に捻りがなく、序盤で話の流れが大方予見できてしまった。
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この記録は小生が高校2年の時に読んだ読書記録です。内容の幼さはご容赦ください。
題に『死』という字が使ってある。誰か死ぬのだなと思った。
しかしあまりにも突拍子のない時に死んでしまったではないか。
『死』それは村岡と野々村の妹の夏子が愛で結ばれている時に、大きく膨れあがった風船が、運命という針に刺されて『パーン』と大きな音を立てたごとく潰れてしまった。
あまりにも可哀想すぎる。
村岡は将来有望な作家だから結婚しても2人は幸せに暮らせたと思うのに可哀想すぎる。
だからもう感想などかけない。
読んだ時から48年経って、他の本を探していたときに、読書記録が眼に入り読んだら、
『大きく膨れあがった風船が、運命という針に刺されて『パーン』と大きな音を立てたごとく潰れてしまった。』なんて表現が本文にあったか気になりここに投稿しました。ご存知の方ご教示ください。
以上。 -
感染症で大切な人を亡くしてしまうという悲しみはコロナ禍の今なお一層重なるものがあるのかもしれない。
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武者小路実篤の文学と言うより、柳宗悦や、バーナードリーチと交友があったと言う事から興味を抱いたのをきっかけとして読んでみる事に。
この時代の空気感、恋愛表現、ひたむきな感じ、若者が苦悩する感じがどれも好きである。 -
収録内容は以下の通り。
本編
本多顕彰: 解説
背景に見える著者の生死観が参考になった。
カバーと題字は著者本人。 -
第5回(古典ビブリオバトル)
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夏子が死ぬ必然性や伏線じみたものがほとんどないところに一度は多少の違和感というか急展開だなという感想を持ったが、実際の人生もそんなもんだよなと思った。ある程度精神的にレベルが高い人から死んでいくという考えを持つことで、生きるということは死ぬために経験値を積んでいくことなのかもしれないと発想を転換できるのかもしれない。つまり自然死はアガリで、自殺はショートカットしようとして失敗、みたいなイメージ。これを持つことで、日々を強く生きていけるのではないか。
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友人の野々村の妹、夏子と恋仲になった小説家の村岡。叔父や野々村の勧めもあり村岡は半年程巴里へ行くことに。洋行から帰ってきたら結婚しようと夏子と約束を交わす。村岡と夏子との間に交わされる手紙は遠く隔たる故に情熱的で、結婚後の甘美な空想などは微笑ましく感じられるくらいだ。村岡が間もなく日本に着く頃になって知らされる夏子の急死。二人が深く愛し合っていただけに奈落の底に突き落とされたかのようだ。愛する者が突然いなくなることの悲しみと恐怖、そして絶望。打ちのめされた村岡の姿に過去の自分を見るようだ。そんな中で野々村の言葉がある種の救いとなる。「僕は妹が可哀そうで仕方がなかった。しかし死んでしまえば人間は実に楽なものだと僕は思って、心をなぐさめている。妹は本当に成仏したのだと思っている。いくら可哀そうに思っても、妹には通じないが、実に可哀そうなのは生き残った人間で、死んだものは、もうあらゆることから開放されたものだ(後略)」生きているものは死んだ者に対してあまりにも無力だと物語の終わりの方で語られているが、本当にその通りだと思う。
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時間を空けて読んでしまうと良くないと思います。
時間があるときに一気に読んだ方が良いです。途中に、相思相愛になった2人が文通で会える日までの日数を数えている時の、純粋なやり取りがあったので心が温まりました。戦争という厳しい時代的背景があった中で、この小説を泣きながら書いていた実篤の姿を想うと、愛しくなり、今当たり前のように感じている恋愛、家族愛などが当時はもっと尊いものだったのだろうのと感じる事が出来ました。
心が寂しいときに、栄養になるそんな物語。