出家とその弟子 (新潮文庫)

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著者 : 倉田百三
  • 新潮社 (1986年11月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101059013

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出家とその弟子 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • なんとこの本が中国生活最後の読了本。なんとも自分は未熟なのである。悪者なのである。人生と誠実に向き合わなければならい。読みながらそんなことを思いました。

  • 宗教は、自らに罪悪感を抱かせるものでもある。親鸞臨終の際、息子善鸞があくまで信仰を肯んじなかったのは圧巻。若いうちは、他力本願という気持ちになかなかなれないものだ。2015.4.10

  • 思春期のまっただ中で読んだ、人生の中で一番印象に残っている本。親鸞上人の「さみしい」という言葉が忘れられない。

  • 期待以上に引き込まれました。戯曲ですが、親鸞という人のあり方を再認識しました。仏を信じるということは簡単そうに見えますが、一切の疑いもなく信じ、望む結果にならなくても怨まないのは非常に難しいことかもしれません。

  • 久々に仕事と関係無い本を読み非常に楽しめた。なぜ本書を読もうと思ったのかは忘れてしまったが(確か知人の勧めだったと思う)読んで良かったと思える一冊だった。
    物語は浄土真宗の開祖である親鸞とその弟子、息子の織りなすヒューマンドラマにある。そう、これはヒューマンドラマであって小難しい宗教論等は殆ど出てこない。そのヒューマンドラマは青臭く、青年期には誰もが一度は思い悩むようなテーマについて多く語られている。なんでまた宗教とこういうネタが組合わさったしまったのかと疑問に思っていたが巻末の解説を読んで納得した。作者の倉田百三は本書執筆時は26歳であり、病に苦しみながら本書を書き上げたのだという。だからであろうか、どことなく三島由紀夫的なニヒリズムとでも言えば伝わるだろうか、そういった青さが本書全編に漂っており、仏教と愛という普通にかけば眠くなりそうな話題を、しっかり躍動感を持って表現されているのがすばらしい。
    しかし、この分野ではやはり三島由紀夫はすばらしく、この分やでは忘れる事のできないほどインパクトのあった豊穣の海4部作には及ばない。所々でそれらしき輝きを感じさせるので著者に後世の著作があれば時間を見つけて読んでみたいところである。
    参考:豊穣の海、天人五衰のレビュー
    http://booklog.jp/users/yokozawa/archives/1/4101050244

    久々に参照したらレビューが適当なのでこちらもまた読みたい。

  • 「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の親鸞とその弟子たちを題材とした芸術的宗教小説。
    唯円とかえでの愛(恋?)や親鸞の臨終など、情熱と迫力を感じるシーンが多かった。ところでこれは戯曲なのだが、巻末の解説には「舞台の上では必ずしも成功しない」とある。読みながら想像したがなるほどそうかもしれない。

  • 初めて読んだ・・と思う~常陸を旅している親鸞と弟子の慈円と良寛は雪の中,山中に宿を求めて百姓家を訪れるが,酔った主人・日野左衛門はけんもほろろの扱い。困った一行は雪の中で深夜を迎えるが,酔いから醒めた左衛門は妻・兼に雪の中,坊主一行を捜すように求める。戸のすぐ外側にいた一行は炉端に迎えられ,語り明かす。15年後,左衛門の息子は出家し親鸞に仕える愛顧の弟子・唯円となっていた。稲田から父に会うために上洛してきた善鸞は,周囲の反対にあって父と会えず,木屋町の遊女屋に唯円を招いて語らう。唯円は親鸞を説得しようとするが,果たせず善鸞は帰国。善鸞は人妻に惚れ,周囲を不幸にした自分を責め,親鸞も自らを責めていた。善鸞が去って一年後,唯円は遊女であるかえでに恋をし,周囲の反対に遭う。周囲の僧は唯円を寺から追い出そうとするが,親鸞に寺を建てた時のことを思い出さされ,唯円に謝罪し,唯円は只々,仏に祈ることを求められる。親鸞が90歳となり,臨終が近付いた側には,元遊女のかえでが世話をし,穏やかな臨終を迎えられるように唯円は心を砕く。高弟が現れる中,善鸞も駆けつけ,親鸞に仏を信じていると云ってくれと云われても,遂に信心の言葉は出なかった~親鸞と弟子・唯円の物語。舞台は江戸時代の京都かと思わされる。話す内容はもっと大正の現代的。この本は丁度,高校生の頃に図書館向けに発行されたハードカバーの文庫本であるため残っているが,酸性紙のせいか,気を付けてめくらないとボロボロとページの端が剥がれ落ちそうだ。いままで四人の女子生徒が読んでいるようで,何年なのかは解らない。この小さな活字を読めると云うことは,いずれにしても若そうだ。倉田さんには,これ以外の代表作はなく,何と26歳の結核闘病中の読む戯曲小説だ。なるほど,キリスト教的な要素が入り混じっている。この頃まで岩波文庫は定価が書いてなくて,☆の数で値段を示していた。☆の単価が度々上がったなぁ。ダウンロードした青空文庫は良いのだが,古い書物に横書きは似合わない気がするのだ

  • 素晴らしい。親鸞上人のエッセンスが凝縮されています。葛藤はあるよ。誰にでもある。苦しんでいる、苦しんだ人だからこそ味わい深い。

  • 歎異抄を読んだことがないから,その教えがどう具現化されているのかはわからない。だけど,戯曲だからできる場面構成で人間の生と死,信仰をうまく物語っていると思う。特に,青年期に多くの人が思いをはせる「自分の力の過信と失望,人の運命,人生の歩み方」についてはひねくれた青年でもなるほどと思わせるかも知れない。

    若い頃読んでいたらどんな風に思ったのか。変に悩める哲学者風を気取っていたかな。

    “人間の長いと運命は互いに見知らぬ人の様に無関係なのでしょうか。いや。それは多くの場合寧ろ暴君と犠牲者とのような残酷な関係なのでしょうか。「かくありたし」との希望を,「かく定められている」との運命が蹂躙してしまうのでしょうか。どのような純な,人間らしい,願いでも。(p.231)”

  • これも若いうちに読んでおいて良かった作品。
    病のうちから迸る倉田の叫びが、私に強い共感を呼び起こす。

  • 浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の話。
    歎異抄の教へを戯曲化したものださうです。
    我が家も元来浄土真宗ですが、私は全くお祈りはしてゐません。

    ある吹雪の夜、親鸞と弟子二人が一夜の宿を求めて、一軒の屋敷を訪れます。
    しかし屋敷の主、日野左衛門はにべもなく断るのです。わしは坊さんが嫌ひだでよー、と。
    その夜、左衛門は恐ろしい夢にうなされ、目が覚めます。反省して、まだ外にゐた3人に非礼を詫び、改めて家で泊つてもらふのでした。左衛門は、本来善良な心の持ち主なのであります。
    左衛門の息子が当時11歳の松若といひ、これが後年出家して、親鸞の弟子となります。

    第三幕で、親鸞の息子善鸞が登場します。この人は南無阿弥陀仏の祈りを信用せず、遊女と遊び呆けてゐます。父親の親鸞からは勘当されてゐる身でございます。本当は純な人なのですが、周囲の目は冷たい。
    唯円は数少ない理解者で、何かと彼を擁護しますが、唯円自身もかえでといふ遊女と心を通はせるやうになるのです。
    恋は盲目と申しますが、唯円は周囲が見えなくなり、先輩僧たちから吊るし上げられるのです。
    そして遂に親鸞聖人からも...唯円とかえでに将来はあるのか?

    戯曲といふ形式をとつてゐるので、親鸞聖人の教へがよく分かります。
    「人間は善くなりきる事は出来ません。絶対に他の生命を損じない事は出来ません」
    「善くならなくては極楽に行けないのならもう望みはありません。しかし私は悪くても、別な法則で極楽参りがさせて戴けると信じているのです。それは愛です。赦しです」
    「これまでの出家は善行で極楽参りが出来ると教えました。私はもはやそれを信じません。それなら私は地獄です。しかし仏様は私たちを悪いままで助けて下さいます。罪を赦して下さいます。それが仏様の愛です」

    若さが迸る一冊。
    青春文学と呼ばれてゐますが、もちろんどの世代が読んでも得られる感動は同じでせう。
    抹香臭いこともありません。直球で我々の心にズドン!と来ますよ。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-102.html

  • 神も仏も人を救いはしない。人だけが人を救うのだ。

  • 偉大な師であるのに、自分を欲深い人間と認める親鸞の人間の大きさと、弟子唯円の葛藤。

  • 親鸞と唯円の物語。背景にあるのは歎異抄の教えか。あんまり宗教のこと知らないのでコメント控えますが。。

    「なきゃいけない」と「自然な自分」のギャップを感じる、青年期に読んで共感を持ったことを思い出す。(本書では、宗教と性のギャップ)
    「いいじゃないか、幸せならば」。私の好きな人がよく言う言葉。こんなんでも素敵だと思います。

  • 五木寛之「大河の一滴」で紹介されていた本

  • 親鸞の考え方が好きです。人間の弱さ、欲深さを認めつつ、かといって他者へのやさしさをきっちり持っている感じが気に入りました。

  • キリスト教意識しすぎだから。

  • 親鸞の法語集の歎異抄の教えを戯曲したものですが、後書きにも書かれていたけれど、基本的なテーマは原罪であって、キリスト教の影響が強いように感じました。とても読みやすいです。

  • 『愛と認識との出発』という本がある。この倉田百三さんの書かれた本である。恩師に薦められた本だが、ほとんど未読のままである。こちらの『出家とその弟子』のほうは学生の頃に一度読んだ気がする。もうほとんど忘れてしまっている、ごめんなさい。

  • 一生の間でぶつかる壁に向かう心構えみたいなものが書かれてました。 なるほど〜って思ったところもあれば、よく分からないことも。 正しいか、誤っているかで人を判断してはいけないっていうのはズシッと来た・・

  • 何故か倉田百三の名前が頭から離れなくて。
    親鸞の話でした。
    南無阿弥陀仏。

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出家とその弟子 (新潮文庫)の作品紹介

恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。

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