放浪記 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101061016

感想・レビュー・書評

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  • これも、ヤマザキマリさんの本棚にあったので読みました。
    明治36年に生まれ昭和26年まで生きた林芙美子の三部からなる日記と詩です。


    (P530より)
    死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。
    何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ?
    生きていたい。死にたくはござらぬぞ…。
    少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに
    食いたいのです。


    十二、三歳のころから下女、女中、カフェーの女給として働き女学校には自分の稼ぎで通い、十七、八歳のころから、義父と母に仕送りをしなければならず、毎日の食べる者にも困窮する生活を送りながら詩と日記を書いています。

    まだ、二十歳にしてはずいぶんと大人びていると思いました。大人にならざるを得なかったのでしょうね。

    いくら貧しくても本は読みたい、詩や小説は書きたいという貪欲な、向上心には撃たれました。

    私が同じ立場だったらとっくの昔に野垂れ死んでいると思いました。

    林芙美子には強靭な精神力、生きる力があったからこそ、この作品は出版され日の目をみて読み継がれているのだろうなと思いました。

    十七歳で独りイタリアに留学されたヤマザキマリさんもその姿をおそらく御自身に重ねて読まれたのだろうと思いました。


    (ページ数不明)
    私には本当は古里なんて、どこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが古里なんですもの。
    だから、この『放浪記』も旅の古里をなつかしがっているところが非常に多い。

  •  故 森光子さんが2000回以上も公演を行った舞台の原作。たまたま実家の本棚で見つけ、読んでみたいと積読したまま約20年も経ってしまった。
     一頁目「放浪記以前」という章。
     「私は宿命的に放浪者である。私は古里というものを持たない。・・・故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。・・・今の私の父は養父である。・・・人生の半分は苦労で埋もれていた人だ。私は母の連れ子となって、この父と一緒になると、ほとんど住家というものを持たないで暮らして来た。どこへ行っても木賃宿ばかりの生活だった。・・・」
     この悲しく苦労続きだった人生を、しかし詩情豊かに書いていくこの人の文章を私は「好きだ」と思って読み始めた。
     子供のころの思い出「放浪記以前」を経て、東京に来てからの日記が始まる。もともとは愛人を追って上京し、彼の学費を稼いであげたりしたそうなのだが、卒業すると彼は尾道に帰って結婚してしまった。芙美子さんは絶望するが親元は帰る気にもなれず、下女や女中やカフェーの女給などの職を転々としたり出版社に売れない詩や童話を持っていったり、時々上京してくる両親と一緒に行商をしたりして、食べていくだけのお金を稼げたり稼げなかったりの生活を送っていた。
     第一部、第二部は貧しい生活を書きながらも情緒豊かな表現が散らばっている。

    「私は毎日セルロイドの色塗りに通っている。・・・私が色塗りをした蝶々のおさげ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃は何処へ散乱して行っていることだろう・・・朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々やキューピーでいっぱいだ。」 
     芙美子さんは意図していなかったかもしれないが、“スヴニール”、“セルロイド”、“おさげ止め”といった具体的な単語一つ一つでさえ、現代の読者がぼんやりとした輪郭しか知らない大正時代に色を付けていく。
     
    (自分を捨てて尾道の因島に帰った愛人を訪ねて島へ行ったとき)「牛二匹。腐れた藁屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも霧のように美しい光芒を散らしていた。」

     びっくりするような波乱万丈の人生を送る女性たちが身近に何人も登場する。十二歳の時、満州にさらわれ、その後女芸者屋に売られた初ちゃん。三十歳も年上の亭主の子供を十三歳の時に産み、いつも妾を家に連れてくる亭主と養母のために働き続けている、お君さん。
    アパートの隣の部屋の住人“ベニ”は、不良パパと同居する女学生なのだが、ある日突然そのパパが詐欺横領罪で警察に連行されてしまう。似たような境遇の人達が集まってしまうのか、芙美子さんはその女性たちと姉妹のような絆を感じている。救ってあげることは出来ないが、彼女たちのことを書く時、愛情が感じられる。
    「・・・時ちゃんが自転車で出前を持っていく。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出るほどおかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているから面白い。・・・」

     芙美子さんのような才女なら、もう少し要領良く生きればそんなに苦労しなくてもよかったのではないかと思いながら第一部、第二部を読んだ。情が深くて、少しお金を貯めると両親に仕送りしたり、本を買ったり、仕事を辞めてふらっと旅に出てしまったりして、その結果何日も食べることが出来ずにいる。

     しかし、第三部を読むと第一部・第二部は比較的きれいなところばかりの抜粋だったと分かる。なぜなら、第一部と第二部は戦前に出版され、検閲を恐れて発表しなかった部分が多く、第三部は戦後に出版され、第一部・第二部で発表しなかった部分を発表しているからだ。
    (第一部・第二部・第三部は時系列ではなく、大正11年から大正15年までの放浪時代の日記を最初に抜粋して「女人芸術」に連載したものが第一部、その後同じ時期の日記から再度抜粋して出版したのが第二部、戦後にもう一度抜粋したのが第三部である。)
     第三部ではすさまじく彼女の極貧生活、思いが吐露されている。犬のように汚い生活。(当時の)夫から振るわれた暴力の実態。第一部、第二部ではあれほど「ああ、愛しいお母さん」と書いていた母親のことを「何をしても下手な人だ」「死んでしまえばいいのに」「あんな義父と別れさえしてくれれば、母と私はまともな生活ができるのに」などと書いている。
     本当に大変だったのだなあと第三部では思った。“私生児”ということも書かれ、複雑すぎる家庭環境から「古里を持たない」ということの本当の意味も分かった(第二部の最後にも詳しく書かれているが)。
     文学に対する彼女の見解も述べられている。「・・・捨身で書くのだ。西洋の詩人きどりではいかものなり。きどりはおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、惚れているときは惚れましたと書く。それでよいではございませんか。」
     林芙美子さんは当時の文壇のようなところからは認められなかったようだが、人のまねをせず、“捨身”で自分の生活や思いを吐露した結果、独自のスタイルを築きあげたのだと思う。
     戦前は「貧乏を売りにする作家」や「半年間のパリ滞在をネタにする作家」、戦中は「政府お抱え作家(従軍作家)」など、常にボロカスに言われてきた作家らしいが、47歳で亡くなるまで、売れっ子作家として寝る間も惜しんでフル稼働で書き続け、母親や義父や親族一同の面倒を見ていたそうである。夢がかなった後も、“放浪”と“働き続けること”は変わらなかったらしい。
     本当は自分の赤裸々な日記など誰も人目に晒したくないと思う。林芙美子さん自身も「自分の死後は『放浪記』も絶版にするように」と言っておられたそうであるが、「読まして下さって有難うございました」という気持ちである。

    • Macomi55さん
      再びのコメント有難うございます。
      自分が苦手だと思っていた作家さんの本でも他の方のレビューを読んで「そういう見方もあるのか!」と発見したり、...
      再びのコメント有難うございます。
      自分が苦手だと思っていた作家さんの本でも他の方のレビューを読んで「そういう見方もあるのか!」と発見したり、自分と同じように★5を付けている人でも感じる角度が全く異なっていたり、深くて広い発見がありますね。
      今後ともよろしくお願いいたします。
      また、地球っ子さんのレビューにもコメントさせて頂くと思います。
      2020/10/10
    • 5552さん
      Macomi55さん、おはようございます。
      フォローと拙い感想にたくさんのいいね!ありがとうございました。
      『放浪記』。前から興味があっ...
      Macomi55さん、おはようございます。
      フォローと拙い感想にたくさんのいいね!ありがとうございました。
      『放浪記』。前から興味があったのですが、Macomi55さんのレビューを拝見してますます読みたくなってきてしまいました。
      ブクログを始めて三年目に入ったくらいなのですが、前より確実に読書の幅が広がってきています。
      Macomi55さんのレビューも選書の参考にさせていただきますね。
      2020/10/17
    • Macomi55さん
      5552さん、はじめまして。
      こちらこそ、フォローと沢山の「いいね」とコメントを有難うございました。
      5552さんの本棚を拝見するのは、とて...
      5552さん、はじめまして。
      こちらこそ、フォローと沢山の「いいね」とコメントを有難うございました。
      5552さんの本棚を拝見するのは、とても楽しかったです。読みたくなる本やDVDを沢山紹介して頂き、有難うございました。
      私は最近ブクログを始めましたが、5552さんと同じで、他の読書家さんの本棚を参考にして読書の幅が広がったり、レビューを書きたいので、前より考えながら読むようになったりしました。
      今後も色々な本やDVDを紹介して下さるのをたのしみにしております。よろしくお願いいたします。
      2020/10/17
  • 読書会 課題図書
    あまりにも著名な「林芙美子」
    でも、じっくり読んだのは初めて
    イマサラですね

    三部の構成 重複するので???
    だったけれど、検閲とかいろいろな事情で
    後からつけられたとのこと

    『私は宿命的に放浪者である』
    極貧の中、それでも上を向き貪欲に本を読み、そして書いた彼女
    生活主義というか、食欲・性欲にのたうち回りながらの
    若い日々

    大正11年から15年の日記風の雑記帳からまとめられた自叙伝

    「読書会」では全く違う観点を知って興味深い

    ずっと改変されてきたが
    最初の改造社からのものが一番いいとか
    岩波版との比較とか

    ≪ 放浪の 日々の苦悩を ただ書いて ≫

  • 放浪記といえば、森光子さんのでんぐり返しが思い出されるが、原作を読むのは初めてだった。 大正11年から5年間、日記をもとに昭和5年に刊行された放浪記「第一部・第二部」と、敗戦後に発表された「第三部」を収めてある。

    これはおもしろい。言葉の運びがとても斬新で読みやすい!
    第一部(放浪記以前)
    「私は宿命的に放浪者である。」で始まり、「今の私の父は養父である。実直過ぎるほどの小心さと、アブノーマルな山ッ気とで、人生の半分は苦労で埋れていた人だ。母の連れ子の私は、この父と木賃宿ばかりの生活だった。」と続く。
    見知らぬ土地を転々としながらの行商生活。芙美子が見聞きした事柄が生々しく伝わってくる。
    「烈々とした空の下には、掘りかえした土が口を開けて、雷のように遠くではトロッコの流れる音が聞こえている。昼食時になると、蟻の塔のように材木を組みわたした暗い坑道口から、泡のように湧いて出る坑夫達を待って、幼い私はあっちこっち扇子を売りに歩いた。」

    第一部・二部
    下女、女中、カフェの女給と、次々に仕事を変えて、困窮すれば友人宅に食べに行き、生活に疲れたら借りた金で旅に出る。
    「不運な職業にばかりあさりつく私だが、これ以上落ちたくはない。何くそという気持ちで生きている。」
    "芙美子は強し" だが身内には甘く、惚れて捨てられた男への未練は断ちがたい。貧困にあえぐ女性の暗い話なのに、人間味があり滑稽にも思えてつい笑ってしまう。意地っ張りな芙美子を応援したくなった。

    芙美子の書いた詩が良い。
    特に『朱帆は海へ出た』と『黍畑(きびばたけ)』は好みの詩。
    〈注解〉を見ると、日本の作家の本に限らず、外国のものも数多く読んでいたことに驚く。読むこと、書くことは彼女の生きる支え。しかし作家となり食べていくには大変な時代であったこともわかった。

    第三部は発禁を恐れて発表されなかった部分を後にまとめたものだと〈解説〉で知り、当時の検閲の凄まじさを思った。
    吹き荒ぶ嵐の中で生きた芙美子。
    彼女に関わった人にもそれぞれの人生があったことを考えると胸にグッときた。
    次は尾道にいた少女の頃の暮らしが書かれた『風琴と魚の町』を読んでみたい。

  • 少し前の時代を読むと男性作家が男女関係を書いたものが目立つ気がして、女性作家は何を書くのか気になって手に取った。
    読んでみると題の通り、小説ではなく日記だった。ひたすらに飢えていた。読むうちに、当初知りたかった男女観よりも制作の実際に興味が湧いた。

    「食事のあと、静かに腹這い童話を書く。いくつでも出来そうな気がして仲々書けない」

    「詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている」

    そして、音楽。

    「私は風呂の中であこまでつかって口笛を吹く。知っているうたをみんな吹いてみる。しまいには出たら目な節で吹く。出たら目な節の方がよっぽど感じが出て、しみじみと哀しくなって来る」

    「自由に作曲が出来たら、こんな意味をうたいたい」

    その作曲を、およそ100年後の見知らぬ人間がしました。だいぶ遅くなってしまったけど、もしこの譜面がそこから見えるなら筆者にうたってほしい。

  • ずっと読みたいと思っていて、やっと読んだんだけど、
    読み初めて数ページで挫折。

    数年後デモなんとか読了。

    よくわからない。
    まず解説を読み「若い女性の日記」である認識を持つも、どーも、若い女性には思えない。
    それだけ苦労がにじみ出ているのか?

    なぜこの話が舞台で何十年も上映されるのか、この物語をどう描いているのか、非情に興味を持ったし、
    もっともっと林芙美子を知るために林芙美子の本を読みたいと思った。

  • 「下駄で歩いた巴里」を読んだとき、林芙美子って貧乏の印象しかなかったけど流行作家になって旅行してるじゃん、と思ったんだけど、これを読んだら、ああやっぱりすごく貧乏ですごく苦労したんだね、と申しわけない気分になった。こんなふうにずっと食べるにもことかくほど貧乏で孤独でみじめな気持ちだったのかなと思うと胸が痛むくらい。

    何月×日、って日記風になっているけれども、年度はわからないし、とびとびで何年もあいだがあいているようだったりするし、一部~三部とあっても時代順なわけではないし、いったいどういう状況なの?と思うこともあった。作家になったいきさつなどもまったくわからない。
    で、巻末の解説を読んだり、ネットで調べたりして状況を推測したりしてるうち、林芙美子、したたかとか意地悪とかやけに評判悪いなと思ったんだけど、放浪記を読んでいるぶんにはそういうイメージはなく、もちろんたくましくはあるけれど、寂しがりやで繊細で優しいという印象をもった。文章やたくさんの詩も抒情的な感じ。どうしても森光子の舞台みたいな、でんぐり返ししているようなイメージはわかないんだけどなあ……。

    この時代、やっぱり女が職を得るのは難しかったんだろうか。カフェの女給とか女中とかしかなかったのかな。ときどき事務員とかまともそうな職についていることもあるんだけど、続かなかったらしい。地味で単調な仕事はいやになってしまうんだろうか。もし林芙美子に書く才能がなくて、これほどの気力体力、情熱もなかったら、平凡な仕事についてここまで苦労はしなかったのかもしれないなーとか思った。
    なんだかもっと林芙美子を知りたくなった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん

      「群ようこさんが林芙美子について書いた」
      現在品切れ中みたいで残念。
      何故か群ようこは信頼出来ると思っている(著作はそれほど読んでませんが...

      「群ようこさんが林芙美子について書いた」
      現在品切れ中みたいで残念。
      何故か群ようこは信頼出来ると思っている(著作はそれほど読んでませんが)。なので図書館で借りようかと、、、他に川本三郎「林芙美子の昭和」新書館、関川夏央「女流 林芙美子と有吉佐和子」集英社文庫。この二人も信頼度が高いので、「下駄巴里」の後で借りて読みます。
      2012/08/04
    • niwatokoさん
      「飢え」はしかたなくブック○フで買いました。川本氏と関川氏のものもよさそうですね、わたしも読みたいです。
      「飢え」はしかたなくブック○フで買いました。川本氏と関川氏のものもよさそうですね、わたしも読みたいです。
      2012/08/05
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「下駄巴里」と「放浪記」購入。。。
      「ブック○フで買いました。」
      最近使い過ぎてるので、考えないといけないかなぁ~古書店利用。。。
      「下駄巴里」と「放浪記」購入。。。
      「ブック○フで買いました。」
      最近使い過ぎてるので、考えないといけないかなぁ~古書店利用。。。
      2012/08/09
  • 詩を読む、または気分の星屑のような記述だと感じた。時系列を気にすると読みにくいと思う。林芙美子の詩だと捉えればすんなり入ってくる。わたしはそうして読みました

  • 続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』

     書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。

     作者の生い立ち、経験を文学に昇華している
     日記風
     尋常な家庭、両親ではない
     そんななかで親思いの強さがすごい
     芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に
     雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に
     貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう
     芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに)
     雅也は武蔵野美術大学(母の献身的な働きのおかげで)
     実質ひとりっこ、甘えん坊のどうしょうもないわがまま
     いったんは親を棄てたような本人達のハチャメチャな人生
     しかし、ことあるごとに篤い熱い母親への思いをあふれさす、行動する
     本人の行状を記しているようで、その底には母という1人の女性が浮かび上がる
     芙美子の母の奔放的な男遍歴とみえるも正直な情熱
     雅也の母の激しくも秘めた女性の生き方
     つまり現代の女性にとって好もしく見える姿のよう
     両方ともおいしいものがいっぱい、いいものがいっぱいでてくる
     引越し、移動がはなはだしい、多い(放浪癖)
     地方と東京(芙美子は尾道、雅也は小倉、筑豊)
     あげくに東京の魔力にはまっているよう
     東京がやたら詳しい、もの(笑)
     アンバランスな裏打ちのない文化(今の日本人がそうなのじゃないか)
     わたしとしては両方とも好きだなー

  • 天才だなと思った文章。ストっと胸に刺さる言葉選び、文章の間。

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著者プロフィール

1903(明治36)年生まれ、1951(昭和26)年6月28日没。
詩集『蒼馬を見たり』(南宋書院、1929年)、『放浪記』『続放浪記』(改造社、1930年)など、生前の単行本170冊。

「2021年 『新選 林芙美子童話集 第3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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