後白河院 (新潮文庫)

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著者 : 井上靖
  • 新潮社 (1975年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101063201

後白河院 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 四人(平信範・建春門院中納言・吉田経房・九条兼実)の同時代人を語り手に
    保元・平治の乱から晩年にいたる後白河院の姿を浮かび上がらせていく。
    文章生出身の蔵人、院の女御の女房(俊成の娘にして定家の姉)、硬骨な近臣、
    院に疎まれていた右大臣のそれぞれの立場に即した語りの内容や口吻も巧み。

    話者の一人はこれまで陰気にくすぶっていた皇室や公卿たちの対立が、
    武士たちの合戦であっという間に片が付いてしまうことに素直に驚き、
    世人の心に小気味よさが萌したと付け加える。
    その武士たちも歯が立たない信西入道さえその自害の原因を院の心が離れたからと推測する。

    このような時代に実力者の器量を確かめ使い方を考えてでもいるように凝視する後白河院。
    そこにひんやりとしたものを覚えるが、それは冷酷さというよりも、
    むしろ誰にも心の内を打ち明けることが出来ない帝王の孤独といったものだろうか。
    院は公卿朝臣が日和見で役には立たないこと、そして自身も武家の力を借りなければ
    ならないことを十分に承知している。だからといって屈服するわけではない。

    四人が語り終えても何か得体の知れない不気味さが残りはする。

  • 井上靖は10代のときから好きな作家である。「あすなろ物語」「しろばんば」に始まり、「淀どの日記」「楊貴妃伝」「敦煌」「天平の甍」「蒼き狼」「本覚房遺文」など、むさぼり読んだ。特に「楊貴妃伝」と「淀どの日記」は好きで何度も何度も読み返し、これは今でも文庫本を手元に置いている。

    渡米して日本の本をあまり買えなくなってから少し遠ざかっていたが、先日日本食料品店の古本コーナーで彼の「孔子」を見つけて買い、読んだ。ひさしぶりに読む彼の文体は美しく、ああ、私がこの人の作品を好きなのは、内容もさることながら、文体が好きだからなんだ、と痛感したものである。

    そして日本から取り寄せた「後白河院」。昨年の大河ドラマ「平清盛」で、それまであまり詳しくなかった平安末期も人の名前や出来事が身近に感じられるようになったので、やっと、この時代を舞台にした作品を楽しめるようになったからこそ、この作品をじっくり味わうことが出来たようだ。

    もっとも、後白河院を想像すると松田翔太さんの大河ドラマの顔が浮かぶのは避けられないのだが(笑)。

    この辺りの歴史があまりわかっていないで読むと、それほど楽しめないかもしれない本ではあるが、井上靖の醍醐味はその日本語の美しさ。特に敬語が美しい。だから、私が好きな彼の作品は、高貴な地位にある人を描いたものや、カリスマ性があった人間をその弟子などが回想する形で描いた小説などになってしまうんだろうなあ、と思う。

    彼の作品はまだ未読のものが多数あるので、これからまた読んで見たい、という気持ちがふつふつとわきあがっている。

  • 凋落していく貴族社会の頂点に君臨し、平家の台頭から源氏の天下取りへと目まぐるしく移り変わる時代を生き抜き、源頼朝に「当代随一の天狗」と言わしめた後白河院の半生を描いた作品です。
    平家台頭以前、平家台頭以後、源氏台頭時、源氏天下の時代のそれぞれの院の姿が、四人の人物の視点から語られています。
    四者四様の立場と価値観でそれぞれに語られているのに誰一人として院の実像はつかめていないし、読者もつかめないまま終わるというのが、院の不気味さを見事に強調しています。しかも、語り部四人は皆宮廷人なので、院にとっては味方のはずなのに。
    これは、敵方であった平氏や源氏にとってはさぞ厄介だっただろうな、とじわじわ怖くなります。

  •  保元から建久までの政局の流れを、四人の語り手の叙述で綴る、四部構成のオムニバス式歴史小説。
     平信範(「兵範記」)・建春門院中納言(=健御前「たまきはる」)・吉田経房(「吉記」)・九条兼実(「玉葉」)といずれも当代の重要資料を遺した人々が、各々の視点から局地的な分析を施す。
     宮廷争乱において人々の命吹き荒れる嵐の中心にあるかの如く鎮座する後白河法皇の為人(ひととなり)を、四人の人物は憶測し、慄き、弁護し、批判する。
     彼らの回想の背景に、憑きものにも等しい、時代の巨人が浮かび上がる。
     愚帝とも天才とも大天狗とも数々の評を受けた法皇の、不可解な心中を紐解きつつも得体の知れなさを保たせる。
     その崩御は、一つの時代の終焉と必然の推移であったのだと。
     法皇の施政に対し常に厳しい目を向け、不遇を囲ってきた兼実が末筆に記した、遺詔の所領処分の感想が、懐かしささえ窺える余韻を残している。

  • 「若しもこの世に変らない人があるとすれば、それは後白河院であらせられるかも知れない。左様、後白河院だけは六十六年の生涯、ただ一度もおかわりにならなかったと申し上げてよさそうである。」
    「院はご即位の日から崩御の日まで、ご自分の前に現れて来る公卿も武人も、例外なくすべての者を己が敵としてごらんにならなければならなかったのである。誰にも気をお許しになることはできなかった。」
    (本文、第四部より、各々一部引用)
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    朝廷内の不和、摂関家の内部争い、武士の台頭、平家滅亡と源氏台頭...平安末期の動乱の時代に、まるで一本の太い幹のようにひたすらそこにあり続けた存在、雅仁親王(後白河院)。大天狗とまで称された後白河院の生き様を、院の周囲の4人の人物の語りによって描くという手法が、非常に効果的に機能している。おそらく院自らがその生涯の上で何かを働きかけたわけではなく、周囲の皇族たちが、摂関家の人間たちが、平家の思惑が、源氏の思惑が、後白河院という人物に対して幾重もの光を当て続け、そのことで背後に幾重もの大きな影を造り出していたのではないか。本書を読んでいると、後白河院自身は一度も語らないものの、いつのまにか院の姿が立体的に浮かび上がってくる心持ちがする。それこそが、後白河院という人物の本質なのかもしれない。
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    永井路子の「王朝序曲」(藤原冬嗣の視点を通して、桓武帝・平城帝・嵯峨帝の生き様を描いた小説)と系統は似ていますが、客観的な視点(語り手である4人の人物の主観的な視点を、外から読み進めることで、読み手は常に批判的な立場をもって後白河院の姿を客観視することが可能となる)の積み重ねで立体的な人物像を生み出す、井上靖の綿密に構築された見事な構成による、渋い味わいのある作品。
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  • 時代は平安末期から鎌倉幕府の始まるくらいまで、公家の衰退が進む中、公家のトップとして武家の勃興と渡り合う後白河院の生涯を四人の語り手が読み解く。日本史でも、あるいは時代劇時代小説でも影の薄い時代かなと思うが、藤原摂関家、平清盛、木曽義仲、源義経、源頼朝など顔ぶれは豪華。もっと掘り下げたい欲求と、南北朝時代の本も読みたくなった。

  • 歴史書だけでは分からなかった、源平の戦いの原因が少しは理解できた。後白河法皇が裏で暗躍していたと言われているが、井上靖はそれを否定している。暗躍ではなく法皇自身の考えで政をした。しかも、その政の精神は少しもぶれていない。武士や公家がその時々の状況で烏合集合したに過ぎないと。
    この本も旅行には持ってくるのには不向きだった。
    チャイナタウン2ホテルに寄付する。

  • 平信範、建春門院中納言、吉田経房、九条兼実の4人の人物の目から見られた、後白河法王の人物を描いた歴史小説です。

    平清盛をさんざんにてこずらせるほどの政治力を発揮し、今様に熱中し『梁塵秘抄』をものした文化人でもある後白河法王ですが、本作は4つの視点から後白河法王の姿が語られているとはいえ、彼のさまざまな側面を順に映していくのではなく、あくまでその人間像に注目していると言えるように思います。その点では、著者の人間中心的な歴史小説の特色が強く出ているように思うのですが、同時代人の視点を借りることで、大岡昇平の批判する「借景小説」という批判を寄せ付けないところに、本作の構成の上手さがあると言えそうです。

    吉川英治の『新・平家物語』などの小説を読んだことがある程度で、この時代についての十分な背景的知識を持ち合わせていないため、本作の魅力を十分に味わうことはできなかったのですが、それでも理解できる範囲でおもしろく読みました。

  • 2015年、始まりの一冊。

    新年という時だからか、昨年もこの辺りで『平家物語』に触れた気がする。
    様々な人からの交信がある時節、だからこそ自分が今立っている場所を振り返りたくなったり、ふと流れに立ち止まることがあるのだった。

    後白河院を見つめるは四人。平信範、建春門院中納言、吉田経房、九条兼実。章ごとに変化する語り手と視点が面白い構成になっている。
    が、四人に共通して食えぬ施政者、後白河院の存在が非常に大きく、そして不敵過ぎる。

    保元、平治の乱から平家の隆盛と義仲、義経の行く末までを見つめてきた後白河院の胸中とは如何なるものか。
    騒然とした世の中で、ただ生きたことそのものの凄味を感じる。

    また、兼実の章で、兼実が「ふと日夜日録の筆を執っている己が所行に言い知れぬ虚しさを覚えたのであった」と語る。
    その、ふとした虚しさに共感を覚えた。
    なんのために、だれのために。立ち止まり、歩めなくなるような刹那。

    一つの時代に想いを馳せるには、とても良い一冊だった。

  • 頼朝に『日本第一の大天狗』と言わしめた後白河院のことが知りたくて本書を手に取った。
    平信範、建春門院中納言、吉田経房、九条兼実の四人がそれぞれ院について語っていく形式だったが、読めば読むほど後白河院の本意や本質がわからなくなった。
    ただ、稀有な存在であったことだけは確かだ。

    本書を読む前は、後白河院といえば掴みどころが無く、平氏と源氏の両方を翻弄する印象が強かったが、読んだあとは、翻弄していたというよりもそうする以外に選択肢が無かったのだという印象に変わった。
    それは、後白河院の類稀なる"人を見抜く目"がそうさせるのであり、人の本質を見抜き、情報を正確に処理し、どうすれば最良の結果が得られるかを常に考えているからだ。
    だからこそ、常に自身の胸中のみで結論を出した上で周囲の人々へ根回しをし、事を思う通りに運ぶしかなかったのだし、帝から上皇、法皇と立場が変化する中で、実はずっと孤高で孤独な方だったのだと納得した。

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