- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101065021
感想・レビュー・書評
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話の流れは好きだが、とにかく心理描写が読みづらいの一言。
この海外文学の手法を文学的に楽しめるか否かは分かれると思うが、まどろっこしさを感じてしまう人は一定数いそう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先日、国分寺の「はけ」を散策する機会に恵まれたため、その辺りが舞台となっているこの小説を再読しました。
自分の比較文学のM論に取り入れた作品ながら、「はけ」なる独特の土地がよくわからなかったため、想像をはたかせることしかできずにいましたが、実際に小説舞台を訪れて、再度読み起こすと、やはり世界の迫り方が違いました。
論文に引用した際には、この作品のフランス心理小説的手法に着目しましたが、
「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるかを知らない。」
という冒頭から始まるこの作品には、心理描写だけでなく、自然描写も大きな比率を占めています。
つまり、学生時代とは別の側面に着目しての再読となったわけですが、実際にこの地にある、水源の湧き出る神社も文中に登場するため、生き生きと色味を帯びて情景を思い起こすことができるようになりました。
この土地の人にしかよくわからないだろう「はけ」について、さまざまに言葉を尽くして表現している著者。
詳細な説明に、土地への愛着と情熱がにじみ出ています。
巻頭には、物語の舞台となる地形図が出ているのも嬉しい助けとなりました。
恋が窪とは、小説世界の中だけの効果的なロマンチックな地名かと思っていたら、実際にも存在する場所でした。
この地で著者は、この小説を構想し、育んでいったということがストレートに理解できます。
学生時代に読んだ時には、かなり大人の話で、自由に動く登場人物たちの動きを追うのに精いっぱいでしたが、今読み返すと、誰もがてんで勝手なことを考え、理解し合えずにそれぞれに動いて悲劇に向かっているのだと感じます。
そこに、自然豊かな土地で繰り広げられる、人間模様の不条理さや乾いたリアリティが表れているのです。
従軍体験を経た著者の視点を引くビルマ戦地帰りの青年が登場することで、荒廃した戦場と緑潤う武蔵野台地との対比も描かれます。
心理小説としてはかなりカッチリとしており、実験的な文章。
「彼の美貌と残酷には成功の機会が多かった。」など、完全に当時の翻訳調です。
それだけでは息詰まるような怜悧さがあるため、泰然とした自然描写を頻繁に差し込むことで、緩急のバランスを取っているようです。
恋愛が主体の仏文学をベースにしながら、恋愛を知らない空想家夫婦のずれを描いている点にひねりを感じました。
登場人物の誰もが、人とは違う恋愛観を持っていることで、幸せになれないということにも気づきました。
小説は、実に自分の心を写す鏡だと思います。
読む時々の自分を反映した感想を抱くためです。
かつて読んだことのある作品も、時間を置いて読み返してみると、新たな発見に出会えて新鮮な感動を得られることを、実感しました。
主人公の夫はスタンダールかぶれの研究者ですが、スタンダールっぽいロマン活劇はほとんどありません。
ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』『肉体の悪魔』、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』の影響が色濃く見える、端正な心理小説となっています。 -
スタンダールやラディゲのオタクによる,恋愛心理の分析の教科書。話の筋は通俗の域を出ないが,さまざまな自然描写や独白により上品な仕上がりとなっている。あまりに観念的で分析的な読み方を強要されるのが難ではあるが。
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戦後の時代背景に書かれている物語だが、変わらず現代でもある展開。
結局、人とのかかわりはなにかのことでこ
じれていってしまう。
それがいつの世もドラマや小説の種になる。
古い感じを乗り越えて、二組の夫婦を眺めてみて初めておもしろさがよりますと思う。 -
(01)
ハンパねえ,とも感嘆できそうな支離滅裂と,その分裂をパラノイア(*02)の様に論理的な心理描写で綴り,一歩一歩を綱渡りの様に慎重に繋げていく筆致には驚嘆もさせられる.
パンパンの時代ともいうべき敗戦直後のパンクした世相の中で,2組の夫婦が1人の復員兵によって壊されていく,その舞台が焼野原となった帝都の心部ではなく,リアルな野原と畑と雑木林の武蔵野であるというところに本書の壊れ方の凄まじさがある.
(02)
執拗な筆は,武蔵野の地誌に及ぶ.復員兵の眼を借りて,またその不倫相手の父の書籍を籍りて,盛るようなマニアックさで,地質,地形(*03),植生,動物相が記述され,心裡のレイヤに重ね合わせられる.
ところが,野川や水への固執に代表されるこの変態は,本書に触れられているとおりビルマでのサバイバルな戦争体験,今風に言えば従軍を契機とするPTSD,またその飢えや乾きに由来するが,人跡としての道(道子)や水路,鉄路や航路についても「眺め」は及び,その離人的(*04)パースペクティブが結語の「怪物」に帰ってくるという理窟になっている.
(03)
「はけ」に伴う身体の上昇と下降は,一章が与えられた蝶の飛翔とシンクロナイズされるが,これは「恋ヶ窪」や「狭山」の高いとも低いとも言い難い水源にも響く上下運動である.
その中で丹沢山系の上に見出される富士山も本書における重要な象徴をなしている.復員兵にとって破壊作戦上のベースキャンプ,滅裂心理上のベンチマークに位置付けられた富士山であったが,終盤で「蟹」と対比されるのが,興味深い.この蟹はいったいどこからやって来た蟹であろうか.怪物,水,海,湖とも連関する蟹の象徴はどこから来たのか.
「はけ」が入り組みである谷戸に住まう夫婦は,あるいは巣穴に巣食う蟹とも目されるのかもしれない.もちろん地質的には飛躍があるが,富士山の潰れとしての,丘陵や野の問題として印象されるマークである.
(04)
これは著者らしい自虐の史観(私観)にも関わる問題である. -
2017年7月6日読了
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大岡昇平の作品は実はこれが初めてだったが、意外や意外、すらすら読めた。
昼ドラのようだが、そうではない。
登場人物達の距離感が好きだなぁと思った
のは覚えているが、細部を大分忘れてしまった。
再読しよう。 -
1951年(昭和26年)第4位
請求記号:Fオオオ 資料番号:010672756