野火 (新潮文庫)

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著者 : 大岡昇平
  • 新潮社 (1954年5月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101065038

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野火 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 塚本晋也版の映画を観て衝撃を受け、原作を読もうと思い手に取った。

    人間であることの意味を考えさせられる。極限状態でも生き抜こうとする動物としてのヒトと、それでも単なる動物になりきれない人間との境目にある葛藤が、俯瞰的に描かれている。

    この作品に触れる前と後では、自分の中で何かが変わってしまったように感じる。

  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

  • 戦争を取り扱った作品で本当に心に残るものは、過激な銃撃戦でも戦友の死でもなく、極限状態に人が何を考えていたか、日常に戻り、自分を振り返ってどうなるかを緻密に描いたものだと思う。

    本作は太平洋戦争中に、敗北が濃厚な戦況の元、フィリピンの島に置かれた男性が主人公となり、彼の生存が確定する描写は割と序盤で表れるが、ここで死んでおいた方が良かったのでは…と考えさせられる。

    飢えと極限状態、人間の倫理観が融合した壮絶な話が、僅か200ページしか無いのも凄い。一切無駄の無い、潔い大作と言っていいだろう。

  • 読み進めるのが辛い本だった。再読予定

    戦争の地獄を描いた小説。今の自分と 戦時中の自分を 切り離して 戦争を話している。自分と非自分を 分けたかったのでは ないかと思う

    生への執着や 死への恐怖は 小説からは感じなかったが、人間の尊厳は感じた。ヒトを食べなかったことで 人間の尊厳は守ったと思う。極限の状況でも 宗教心により 尊厳を守ることは できるのだと思う

  • 主人公の田村。比島での生と死の狭間。極限状態の中で他の兵士と協力したり争ったりしていてなんとか生きながらえる。しかしどうやって日本まで戻れたのか記憶はない。過酷な状況。そして、戦後の精神病院へ自ら望む。想像を絶する経験であったのであろう。

  • ネタバレ 1954年(底本1952年)刊。補給がままならない昭和19年末のフィリピン。戦死者よりも餓死者・戦病者の死が蔓延していた現実。田村一等兵はそのフィリピン戦線に駆り出される。そこで、見聞きし体験したことは、理性と善意を持ち合わせているはずの人間の所業とは思えぬ地獄絵図であった。自らのことなのに感傷と感情の伴わない表現、特に主人公田村のモノローグに顕著だが、そこから醸し出されるのは、臨死体験時の如き俯瞰絵図。十字架に架けられたキリストに準える地獄がどこか遠くの夢幻の世のよう。しかし、重ねられる情景はリアル。
    大本営に居たような高級将校・参謀、将官の大半が経験しない、想像もしない模様が、圧倒的に心を捉える。怪作の名に恥じぬ戦争文学作品である。

  • 大岡昇平氏による戦争文学の代表作。その文学性の高さは日本文学史においても名作といえよう。

    筒井道隆氏は「良質な小説には迫力が必要だ」と語っていた。本作品の迫力たるやなんたる物か。結核に冒され死を覚悟し荒涼とした敗戦間近の比島を彷徨う田村一等兵の渇望は読む者さえ息苦しくさせる。そして自ら殺めに給したときから生に執着する様は逆説的といえよう。後半、極限状態に至り禁断の果実に触れる描写の異常性、最後の白昼夢の如き狂気的描写は正気とは思えないほど鬼気迫るものがある。

  • 圧倒的。作中の田村の経験がフィクションかノンフィクションかはまだわからない(調べてない)が、圧倒的な描写、著者の経歴を鑑みると、完全なノンフィクションではなし得ないと思う。
    現代では想像すらできない環境が、生々しく描かれており、否応なく引き込まれる。
    時代背景も相まって、今後日本では生まれないであろう作品。

  •  読んでから気付いたが、太平洋戦争が関係する小説を自分で読んだのは『火垂るの墓』以来初めてかも。義務教育で戦争についての情報は一方的に与えられてきたので、食傷気味だったからかも。

     「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と文にあるが、戦争を知る人間は、半分は人間じゃなくなってるかも知れない。そのくらい、主人公はぶっ壊れてる。現地人打ち殺したり同胞が撃たれるのを見て滑稽だと笑ったり、人肉喰ったり。
     それから、神がどうだとか言い出したり。70年以上前なら、割と自然に超自然的なものに何かを求めるのも普通だったのか、それとも現代の日本人であっても戦地に赴いてぶっ壊れたら神がどうとか言い出すことになるのだろうか。その辺興味がわいた。

     押しつけがましさはさほど感じないので、あえて日本人が描いた戦争が読みたい、ということであれば読んでよいとは思うが、数多の戦争文学の中でこれを選ぶ理由というのは、まだ私には見えてこない。

  • 物語のちょうど半分(の、ちょっと手前あたり)で一つ目の山場を迎えるのだけれど、ここの前後での主人公の変化がとてもドラマチックだと思う。

    直接的な「教会」や「十字架」という象徴のみならず、鶏の鳴き声や「野火」という題名そのものや、文体の所々にも「神」の影が見え隠れしていた。主人公の田村一等兵は、飢え、渇き、水を求める人のように神を渇望し、ひかりかがやく十字架に導かれて歩き続けていた。それが物語の序盤である。

    しかし実際に教会で「神」に対面しみた時、「私」の中に起こった感情は意外なものだった。そして後に起きる「事件」を経て、同胞と再会すると、もう「神」は「私」には何も語らなくなっていた。そして、「人肉まで食って生き延びた」と噂される部隊と行動を共にするようになる。まるで悪魔との軍行である。

    この二つの対比がとても印象的だった。

    人が在ってこその神であり、人が居なければそもそも神は現れなかった。
    しかしその「神」によって、人は人で在らせられている。

    死者を弔い、そこに神を見るのも人であれば、
    死者を冒涜し、これを遠ざけるのもまた人だ。

    人と獣の絶対的な違いが2つ、この中に示されていた。

  • 無謀な作戦のために南方で野垂れ死にした数多くの若い兵士たちが、田村一等兵が見たような美しいもの見て死んでいったはずがなく、もっと惨めで、もっとあっけないものであったはずだ。
    史実を無視して、作者の経歴も無視して、これは完全なフィクションだと決めつけて読めば、案外面白く読み進められるのかもしれない。

  • 実際に多くの餓死者を出したレイテ島の戦場で問われる人間の尊厳。“生きること”の意味を改めて考えさせられる。

  • 展開があるようなないような、分かったような分からないような小説だった。かなりの極限状態で話が進んでいくのだが、こちらの創造力が、ついていかない。

  • 戦争と言ういじょうたいけん?

  • 日本軍は一体何と戦っていたのだ。

  • 敗戦色濃い大戦下、一負傷兵の生き残るための葛藤。戦争とは関係のないフィリピン市民や同僚を殺し、人肉ではないかと疑いながらも仲間から差し出された猿肉を食して生き延びる。先の見えない極限状態で下す一つ一つの判断が生死を分ける孤独で苦しい毎日。それでも人は必死に生きようとする。

    前評判ほどに強い衝撃を受けなかったのは、戦争映画に毒されているせいだろうか。

  • 異常な戦争体験なのだろうか、戦争という異常な状況にとっても普通ではないのか。なぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかではなく、どう生きたかを辿っている。文庫の説明に違和感。

  • 第二次世界大戦末期のレイテ島、田村一等兵は肺病を患い、部隊からも野戦病院からも追い出されてしまう。
    行く宛も無く彷っていた田村は日本兵が撤退のためパロンポンへ集まっている事を知り向かうが・・・。

    大岡昇平の野火 読了。
    塚本晋也版の映画、市川崑版の映画と比べて読む/観ると“野火”が示すものの違いもあって興味深い。
    宗教的という話を聞いていたがそれよりも、
    左右で暗示される知性と感性について、
    カニバニズムに限らない“食べる”ということ自体についての問いかけが原作小説では描かれているのではないかと思う。

  • 戦地で結核を患い、わずかな食料のみで隊から追放された男。
    あてなくさまよい、飢えに襲われ食べられそうなものなら手当たり次第に口に入れる状況での物語。

    人間は生きるためには、死んだ人間の身体でも食べてしまえるのか。

    戦争を扱う作品で、実際戦争を体験された作者の言葉は読者に突き刺さってくる。

    宗教めいた描写もあり、危機的状況にあると心理として神や仏といったものが近く感じられるものなのかもしれない。
    特定の信仰を持たないひとの多い日本人であっても、そう思うものなのだなと思いながら読む。

    映画にもなっている作品らしいが、映画はまだ観ていない。
    いつか映画も観てみたいと思わせる一冊だった。

  • 大岡昇平が、自らの戦争体験を基に極限状態に追い詰められた人間を描いた、戦争文学の代表作。終戦間もない1951年に発表されている。
    舞台は第二次大戦末期のフィリピンのレイテ島。主人公は、結核を患って所属部隊を追われ、ジャングルを彷徨うが、途中で出会った敗残兵は空爆、飢餓、病気で次々と倒れていく。そして、食料欲しさに現地人の女を撃ち殺し、遂に、再会した戦友から与えられた「猿の肉」を食べることになる。。。
    記憶喪失の状態で復員した主人公が、精神病院で次第に識別と記憶を取り戻していき、医師から療法のひとつとして勧められて綴った戦地での体験は壮絶なものであった。
    そして、レイテでの体験を書き終えた主人公は、家族と普通の生活を送ることを拒否し、「朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。(中略)戦争を知らない人間は、半分は子供である。」と語る。
    ロラン・バルトは、「文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる」と説いたが、私は本作品のメッセージを、極限状態に置かれた人間の生に執着する逞しさとして捉えることはしない。
    先の戦争が生んだ悲劇・惨劇は、南方や沖縄での地上戦、広島・長崎への原爆投下、終戦間際の特攻隊、戦後のシベリア抑留など、最前線における敵との殺し合いに留まらないものであるが、その極限状態のひとつとも言える地獄絵図を描き出した本作品は、多くの人に読まれるべきものと思う。
    (2008年7月了)

  • 2016.1.10
    戦争が起こったら人間はこうなるんだ。
    壮絶な体験。人が人を殺す、それが戦争。そこには理性なんて存在しないんだろう。
    大西鉄之助はだから、ラグビーをしなさいと言った。ここを越えたらいかんという、難しい判断を鍛えるのがラグビーだと。
    大岡昇平と大西鉄之助が繋がっている。
    とても、重い本です。

  • 2015年に読むべき本の一つかと思い立ち再読。
    小説としては復員後のくだりを入れるのはどうかと思う、折角の冷徹さが消えてしまったなぁ。
    ただ今の時代から読み返すという観点では極めて意味ある構成かもしれない。
    『戦争を知らない人間は、半分は子供である。』
    本作、人肉嗜食にまで筆が及ぶ異常性が描き出されていて、その辺りにスポットも当たるんだろうが、究極この一文に尽きる気が。重いです。

  • 鮮やかなフィリピンの密林の様子と血肉のコントラストが、私の脳内で忠実に再現されて、読み進めなければならない気持ちを駆り立てられた。主人公の語り口の冷静さが、凄惨な戦争末期の兵士達の過酷でむなしいサバイバルの様子をリアルに伝えてきて、胸が苦しくなった。映画が見られなかったので、せめて本で読みたいと思い手にとったが、おそらく映像で観るのはかなり苦痛を感じることが容易に想像できた。

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野火 (新潮文庫)の作品紹介

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。

野火 (新潮文庫)のKindle版

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