李陵・山月記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101077017

感想・レビュー・書評

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  • 有名な「山月記」、弓の名人の話「名人」、孔子とその弟子たちの話「弟子」、古代中国の武将李陵と司馬遷、蘇武を中心にした話「李陵」の4話収録。
    見慣れない熟語や注釈が多いので、最初は読みにくいかと思ったけど、実際に読んでみたら意外と没頭して読めた。どれも短編だけど、山月記は10ページしかないのに驚いた。教科書で読んだ記憶はあるんだけど、こんなに短かったっけ。短いけど濃い。「弟子」「李陵」も良かった。

  • 万城目学さんの「悟浄出立」にインスパイヤされて読みました。
    古い時代の作品なので、かなづかいの読みにくさはありますが、じっくり読んでいくと奥が深いです。
    脚注が充実しているので、そちらと見比べ、ネットでいろいろしらべつつ、ゆっくり噛みながら読むといいでしょう。
    20170228

  • 教科書で読んだ山月記を思い出して読みたくなるという、ありふれたきっかけで読んだ。

    文体等を細かく評価できるような審美眼は持ち合わせていないが、静謐で無駄がない文章であったように思う。そして、その内容は決して軽くない。

    過剰な表現で感動を押しつけてくるような作品群と正反対に、頭に入った文字や文が自分の中から心を動かしてくるような感覚を覚えた。紛れもない名作中の名作。

  • 山月記も名人伝も弟子も皆おもしろい!ただ李陵だけは北方謙三版・史記とは少し違った展開に少々驚いた。李陵の運命の苛酷さは涙なしには読めない。

  • 表題2作を読了。

    【李陵】
    武帝の命令や味方軍の寝返りに翻弄され一族を失うことになった李陵、武帝への反感によって取り返しのつかない屈辱を受けつつ自分の生を『史記』編纂に注ぎ込むこととなる司馬遷、自分の信念を貫き孤高に生きようとした蘇武。
    自分の力ではどうすることも出来ない局面に陥った時、人はどう振る舞うべきか。大きな選択を迫られた男たちの生き様、儚さ、散り際を描いた硬派な1編。
    旧仮名文で冒頭数行は読みにくさを感じましたが、途中からはこの堅さが合う作品だなと気付きます。

    【山月記】
    言わずもがな、教科書にも登場する名作。
    「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が原因で「獣に身を堕す」―虎となった李徴。
    教訓めいた要素はありますが、何より日本語が綺麗。月夜の下、叢(くさむら)の影でぽつりぽつりと自分の身に起こった悲劇を語る李徴と、虎となった友人に寄り添い耳を傾ける袁さんの姿が鮮やかに浮かびます。
    たった10頁ほど、内容は十分知っていても繰り返し読みたくなる味わいがあります。

  • 何度か読み返すたびに、こういう巧みな文体を楽しむ余裕がほしいなと思う。日本語を駆使してこんなふうに表現するということが、爽快。

  • 簡素であり無駄のない文章。声に出して読みたい文章であった。

  • 高校生のときに教科書で読んだ「山月記」を含む短編4作。
    漢文調の文体で描かれる孤独や自嘲には、初めて読んだ頃より今の方が胸を締めつけられる思いがする。かといって暗いばかりでもなく、ユーモアや微笑ましさのある作品も。修練の末に不射之射に至った弓の名手がついには弓が何であるかを忘れてしまう「名人伝」は、荘子外物篇「筌蹄」の一節やオイゲン・ヘリゲル「日本の弓術」を思い起こさせる。

  • 【山月記】
    才のある李徴という人間が、官職についていたのを下りかねてからの夢であった詩業に就くが、全く泣かず飛ばず。家庭も持つ身ゆえに、苦渋の末官職に戻るが、同期の愚にもつかぬ輩は己の上司であり、自尊心の傷つく日々に、結局耐え兼ね気が狂い、藪をかける中でいつしか虎になってしまったという話。官職時代に友であった袁惨という者が、ある折明け方の山道に差し掛かった時、一匹の虎が踊りで袁惨に襲い掛かろうとするところを翻り叢に隠れた。「危なかった」というつぶやきが聞こえたその声が旧交のあった李徴であることに気づき、呼びかける。その虎こそ李徴であった。
     虎に変わってしまった李徴は自嘲するように、自らの醜さを吐き、半生を振り返りながら、袁惨に願いを託す。自らの詩が日の目を見ぬことの口惜しさ、そして妻子の安否。すべては自身の傲慢から人として必要なことを見過ごし、欠け落ち、このようになってしまった。この期に及んで妻子の安否以上に、自らの詩作のことを思う愚劣さ。嘆きつつ受け入れつつ、自嘲しながら思いを託し袁惨を見送る。丘に上がった袁惨の遠目に、一匹の虎が姿を現す。既に白み光を失った月を見つめ、ひと声二声虎は吠えると、叢の中に姿を消してしまった。

     中国の昔話のような体を取りつつ、人としての機微、見過ごしてしまうような弱さ、過ちに目を向ける。ごく短い作品でありながら、訴える強さを持つ。まぎれもない名作。

    【李陵】
     なんとも深い、胸の底から塊のような溜息が転がる感覚がある。司馬遷の記録をもとに、漢の武将、李陵における人生とロイヤリティーの葛藤を巧みに描く。
     漢の武帝より匈奴の撃退を命ぜられた李陵は、数の劣も跳ね返し、激戦を繰り広げる。しかし次第に劣勢になる戦況に、とうとう討死の覚悟で臨むが、結果捕虜となってしまう。捕虜になるも、敵軍の王、単于は義に篤きものであり、強者を尊び、李陵を賓客として迎え入れる。故国へのロイヤリティーを貫く李陵を、脅すことも強いることもせず残す。その間幾度も自陣に降ることを勧められるが、いかなる厚遇も跳ね除けその信条を貫き通す。
     しかし一方漢においては、李陵は寝返り余すことか敵に戦術も教えているとのうわさが流れ、漢に残る李陵の一族、母親、妻、弟、息子に至るまですべてが謀反のかどで戮せられてしまう。そしてしばらくし、その事実が匈奴にいる李陵に伝わると、今まで守っていたすべての信条は崩れ、忠誠も失せ、恨み骨髄完全に匈奴に身を寄せるようになってしまった。
     誰が聞いても忍びない、李陵の事由は自身の背信も正当化した。しかし一人、同じ漢から捕虜の実となった、蘇武なるものがいた。漢にいたころは友人としても心通わせる所あった二人であり、李陵が匈奴に降るまでは、捕虜同士やはり心近く感じる中であった。この蘇武の稀なるは、いかに自身の事情が悲惨に満ちても決して祖国、君主への忠義を曲げることがなかった。匈奴に降ってからの李陵は、この蘇武との関係に複雑なものを感じ始める。降ったことは自身の決めたことでそれだけの理由がある、しかしそこにいくら正当があったとしても、国に背するということ自体にいくらかのうしろめたさがないでもなかった。それは蘇武との関わりの中で

  • 懐かしい。
    中学校の国語の教科書にあったような。
    これも、再読。

    久々に、難しい単語が出てくる本を読んだなぁ。
    とか。
    昔、もっと怖かったりまじめすぎたりするイメージだったけど、なんか、今なら意外と普通に読めてしまう、カフカの変身的位付。
    年を取るというのもなかなか恐ろしいことである。

    ただ、逆に、普通すぎて、「面白さ」が、精神的面白さと言うより普通のドラマ的面白さに変わったような気もする。

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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