李陵・山月記 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101077017

作品紹介・あらすじ

中島敦は、幼時よりの漢学の教養と広範な読書から得た独自な近代的憂愁を加味して、知識人の宿命、孤独を唱えた作家で、三十四歳で歿した。彼の不幸な作家生活は太平洋戦争のさなかに重なり、疑惑と恐怖に陥った自我は、古伝説や歴史に人間関係の諸相を物語化しつつ、異常な緊張感をもって芸術の高貴性を現出させた。本書は中国の古典に取材した表題作ほか『名人伝』『弟子』を収録。

感想・レビュー・書評

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  • いずれも、中国の古典に着想を得た、中島敦の名作短編4編。中島の父方に漢学者の祖父、伯父がおり幼児期より多くの作品に触れていたらしい。中学一年で、四書五経を読破していたという天才肌。
    【山月記】
    口頭伝授の人虎伝・李景亮バージョンオマージュ
    中国・唐の時代 
    李徴は、科挙に合格し、前途有望な秀才であった。しかし、官吏として生きるのではなく、詩人としてその名声を得たいとし、創作の道を選ぶ。
    なかなか作品は認められず、遂に食べるために、下級官吏となるが、周囲からの嘲笑、自尊心と羞恥心から発狂してしまう。そして、彼は虎となっていく。その後、たった一人の友人に偶然に出会い、最後の自作の詩を託す。即興詩(この詩が古典と同じらしい)を読んだところで、虎となった理由を理解していく。
    中島の創作部分が、この変身理由となります。原典では、未亡人との恋に反対され、相手の家に放火殺人の罪となっているようです。中島敦は、本人の精神性、作中から取れば、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が彼を追い込んでいったというところでしょう。
    変身が何故虎なのか。官吏任用試験合格者掲示板みたいな物が、虎榜として登場しています。虎は、威厳や権力の象徴だった様です。結局、李徴が望んでいた物が因果として別の形となったのかもしれません。

    【名人伝】
    「列子」を素材 列子自体がわからないのですが、研究者さん達がそう言っているので。
    この物語は、分かりやすい。弓の一番になりたい男が、達人に弟子入りして修行を重ねる。ここで、射之射を得とくする。それ以上を目指して、仙人のごとき老師に教えてを乞うて、不射之射
    の域にまで達する。無為無我の境地に辿り着き、遂に弓という固有名詞さえ忘れる。
    白いスーツのショートカットの女性が、二番じゃ駄目なんですか?と、仕分けしそうな程。
    しかし、彼の修行の様子が、ユーモラスなんですよね。目を閉じない修行で、最後には、まつげに蜘蛛が巣を張るとか、しらみを髪の毛で結んで、大きく見えるまで2年見続けるとか。最後には、名称さえ必要なくなるところまでくる。
    そのまま、名人譚として読むのか、寓話と読むのか、3回読んで私は後者とすることにした。

    【弟子】ていし、と読みます。
    「論語」より出典
    孔子の弟子・子路(孔門十哲の一人)を主人公として、孔子の生き方・教えを、入門から、衛の政変で最期を迎えるまでを、偉大な思想家達というより、感情を持った人々として書かれていると思う。
    子路は、愚直で、ひたすら孔子の尊大さを愛している。だから、教えを全て理解しているわけではないのです。孔子は、弟子の実直さを愛しながらも、なかなか学ばない子路に手を焼いている様子。本来ならば、相性が悪そうな二人が、信頼厚く長く共にする。小説中に、論語からの言葉が巧みに入り(注解なくしては読めないけれど)思想家孔子一門を、人として描いた、短編の着ぐるみを着た「論語」入門書。

    【李陵】
    「漢書」「史記」「文選」より出典
    時代は、漢・武帝の時代。
    北東の国家、匈奴の捕虜となってしまった武将・李陵。彼は、苦しみながらも、手厚い庇護のもと、その地に馴染んでいく。武帝の理不尽な裁判の噂を聞き、その忠誠心は揺らいでいる。
    同じく、捕虜となっていた、友人の蘇武は、過酷な捕虜生活にも屈せず、あくまで武帝への忠誠心を貫く。
    二人は、19年後、武帝の死後、帰郷のチャンスが巡ります。李陵は、匈奴に残り、蘇武は、漢に戻っていきます。李陵の別れの歌に哀愁があります。
    この二人に加えて、司馬遷の生涯が描かれていきます。李陵を庇う発言の罪で宮刑となり、絶望の中、史記の編纂の為だけに、生き続ける事を選択し、史記130巻を書き上げます。
    2千年以上前の時代が生き生きと描かれています。

    • 土瓶さん
      難解と言いながらしっかり読んでるし。
      難解と言いながらしっかり読んでるし。
      2023/02/16
    • ちゃたさん
      おびのりさん、こんばんは。

      造詣の深さに夢中でレビューを読んでしまいました。そのまま本の解説ページに載せられそうなくらいです。
      どうしたら...
      おびのりさん、こんばんは。

      造詣の深さに夢中でレビューを読んでしまいました。そのまま本の解説ページに載せられそうなくらいです。
      どうしたらこんなに書くことが出来るのでしょうか。
      中島敦の完全な創作ではなかったんですね。
      「名人伝」などに至っては見所満載でまた読みたくなりました。「出世悟浄」「悟浄歎異」もかなり面白くてすきです。思うに万城目学さんに結構な影響を与えてる部分があると思います。
      2023/02/16
    • おびのりさん
      コメントありがとうございます。
      若い頃、途中放棄していたので、今回は理解してみよ!と思いました。中島敦さんは、20作品程しか無いので、全部読...
      コメントありがとうございます。
      若い頃、途中放棄していたので、今回は理解してみよ!と思いました。中島敦さんは、20作品程しか無いので、全部読みたくなりました。中国古典にも、ちょっと興味が出ましたけれど、日本の古典に手を出し始めているので、もうこれ以上は読めないなあと。
      ちゃたさん、キッカケをいただきありがとうございました。
      2023/02/16
  • 注)軽くネタバレしてます

    「山月記」

    唐の時代
    主人公の李徴(りちょう)は若くして官吏に合格するほど優秀
    しかしあまりにも自尊心が高く、サラリーマンなんかやってられるか!
    俺は詩人なんだ!
    と官職をやめ、執筆活動に勤しむが、うまく事は運ばず経済的な苦しむ
    やむ得ず地方で復職するも、誇り高き性格は変わることなく、他人とも交わらず、とうとう屈辱感から発狂して蒸発してしまう
    翌年、数少ない李徴の友人が旅の途中で人喰い虎に襲われかける
    これがなんと李徴であった
    今までの懺悔と共に事情を話す李徴
    同情する友人
    最後に自分の頼みを聞いてほしいと訴える李徴
    それは自分が作成した詩を世に送り出すことであった
    もはや人間の理性の大方が消えつつあり、虎の人格にほぼ乗っ取られ、人間であることの時間の残り少なさを切々と感じているこの期に及んで…
    家族の心配より詩の出版かいな…と思うも、著者の人生にかぶる部分があるようでそこを知るとこの執着心にも納得がいく
    しかし人間と虎の人格をさまよう様相が非常にリアルで身から出た錆とはいえ、何とも物悲しい…


    「名人伝」

    弓の名人になろうと志を持つ紀昌(きしょう)
    百発百中の名手・飛衛を師に選ぶ
    年単位に及ぶ地味な基礎訓練に真面目に取り組む紀昌
    ある時妻と諍いをし、激昂する妻のまつ毛3本を矢で射るが、妻は気づかず紀昌を罵り続けた!
    それほど矢は速く、狙いは精妙(ヒュー♪)

    腕を上げた紀昌はある時、師の飛衛がいなくなったら自分が天下第一の名人ではないか!と良からぬことを思いつく
    紀昌はその思いに取り憑かれ二人は矢を持って向かい合うハメに…
    どうなるこの闘い⁉︎
    さすが師に軍配が上がるのだが、ここで紀昌は同義的慚愧の念が…
    一方師の飛衛も安堵と満足感が…
    お互いは一瞬で憎しみを無くして、師弟愛が芽生え抱き合って涙にかくきれる(面白過ぎ!)
    とは言うもののまた弟子が悪巧みしないように、更なる目標を与える(師匠もなかなかである)
    険しい山にある仙人のような老師の元へ行けと…
    よぼよぼの爺さんの師は言う
    「矢をつがえずに射て…」
    9年間の修行を終え、山を降りた紀昌
    さてどんな凄技を身につけたのでしょう…
    というお話
    面白い!
    テンポ良くコミカルだ
    最後のオチは教訓じみているものの、ユーモアがあり悪くない


    「弟子」

    孔子の弟子である子路(しろ)を主人公にした師弟愛を描いた話
    偉大な思想家孔子の元に町の荒くれ野郎である子路がイチャモンをつけにやってくるが、尊大な孔子に圧倒され即弟子になる
    (これだけでも子路のキャラがわかる)
    荒っぽいが真っ直ぐで潔く感受性豊かな子路
    遠慮なく孔子に問いただす
    そして孔子によく叱られる(笑)

    子路ら弟子と孔子は各地で領地を奪い合う荒れた時代の中国を旅する

    お互いに良いところも悪いところも認め合う師弟
    他にも孔子の個性あふれる弟子が登場し、それぞれのキャラクターが興味深い
    そして孔子の素晴らしさ!
    孔子の素晴らしさがわかりやすく表現されたものが以下
    〜孔子の能力と弟子達の能力の差異は量的なものであって質的なそれではない
    孔子のもっているものは万人のもっているものだ
    ただその一つ一つを孔子は絶えざる刻苦によって今の大きさに仕上げただけのこと〜
    特別じゃない人間の不断の努力の賜物を集めたような人物が偉大な孔子なのだ
    そして荒くれ野郎だった子路がひとかどの人物となっていく…その姿がなんとも愛おしい
    孔子の予感通り悲しい最後に…


    「李陵」

    漢の武将、李陵を中心に、歴史家の司馬遷、漢の蘇武(そぶ)の3人が主な登場人物

    前半は敵国匈奴との闘い(省略)
    後半は李陵が匈奴に捕らえられてからの物語
    反逆者の扱いを受けた李陵は、漢に残る家族は全員死罪となる
    しかし匈奴では悪くない待遇を受けることに…
    複雑な思いを胸に、チャンスがあれば脱出しようと決意する

    そんな李陵をかばった、たった一人が司馬遷
    王に刃向かったとされ、屈辱的な宮刑(男性器を切り落とされる刑)を受けることに
    司馬遷の悲痛な心の叫びが聞こえる
    自殺を考えるも、絶望の中、何かが司馬遷を突き動かす
    そう父と約束した史記を仕上げることの使命感だ
    精力を傾け史記を仕上げたのち、魂が抜けたように暮らし、そして没する

    昔の友人でもある漢の武将、蘇武(そぶ)と李陵は再会する
    蘇武は李陵と同じく匈奴に捕らえら、自殺を図るも助かる
    しかし匈奴に屈することなく、北方の地で極貧の生活をしていた
    彼の生きる姿と自分を比較し複雑な気持ちになる李陵
    蘇武は19年ぶりに漢へ帰る機会を得る
    結果的に李陵は国に戻れず、蘇武は国へ帰ることができたのだ

    この3人の比較が興味深いのだが、とにかく各人が壮絶すぎる
    司馬遷の曲げられないまっすぐな性格と強い使命感
    蘇武の愛国心からくる強い意志と決意
    どちらも人の心を震えさせる強い力を持っている
    そして李陵
    勝手に裏切り者にされ、家族を皆殺しにされ、自害するのは簡単だが、よく考慮した上で、機をみて脱出を試みることにする
    待遇の良さに複雑な気持ちを持ちながらも匈奴の首長である単于(ぜんう)の息子に尊敬され、いつしか友情のようなものが芽生える
    しかし漢を攻める作戦だけにはやはり参加できない気持ちが捨てきれない
    やがて漢の武帝が亡くなり、帰国のチャンスがあったものの…
    戻って何になる、裏切り者とされ、どの面下げて戻れるのか…
    匈奴の単于の娘を娶り子供も生まれている 元々裏切ったわけでもないのに、もはや裏切ったも同然の環境になってしまったのだ…
    本心は帰りたいのであろう
    蘇武は帰れるが自分は帰れない
    漢にはもう家族もいなければ、ざんざん匈奴に馴染んでしまった…
    もはや漢は自分の本当の故郷なのか?
    李陵の揺れる心が切なく、何か手に取るように身近に感じてしまった
    重厚で心揺さぶられる物語であった



    4つの短編からなり、書籍としては薄いのだが、中身は濃ゆい濃ゆい!
    個人的には「李陵」が沁みて、味わい深く後を引いた…(しんみり)
    著者中島敦の複雑で短い人生を知るとさらに心に迫るものが増える

    しかしこの時代の中国のえげつない刑罰の数々がおぞましい!
    塩漬け(遺体を塩漬け)、宮刑(男性器を切り落とす)、他にも入れ墨、鼻を切る、足を切る
    うーん、よくぞここまで悲惨な求刑を思いつくなぁ…

    • ハイジさん
      アテナイエさん こんにちは(^ ^)
      コメントありがとうございます!

      初中島敦なのですが、良いですねぇ
      後からジワジワきます(笑)
      人間の...
      アテナイエさん こんにちは(^ ^)
      コメントありがとうございます!

      初中島敦なのですが、良いですねぇ
      後からジワジワきます(笑)
      人間の本質を突く鋭さと、押し押しじゃない知性が光りますね

      アテナイエさんは高校生の時に読まれたそうで…さすがです
      ええ、ぜひ虎と戯れてください!
      2022/06/23
    • アテナイエさん
      ハイジさん

      それがですね、この本の最後の「李陵」が、どうにも記憶にないのですよね……もしかすると今まで虎とばかり遊んで、「李陵」の前で...
      ハイジさん

      それがですね、この本の最後の「李陵」が、どうにも記憶にないのですよね……もしかすると今まで虎とばかり遊んで、「李陵」の前で力尽きたかもしれません。

      今回は虎と遊ぶのは後回しにして、「李陵」を先に読んでみようと思います。ハイジさんがしんみりお気に入りのようなので、きっとおもしろいでしょう。ちょっと変わり者の司馬遷も出てきますし。でも大著書をものした人ですから、展開が楽しみです。
      レビューありがとうございます!
      2022/06/23
    • ハイジさん
      アテナイエさん

      ぜひぜひ李陵読んでください
      後半地味ながら考えさせられます…
      李陵の司馬遷に対する気持ちもなんだかクスリとしてしまいます!...
      アテナイエさん

      ぜひぜひ李陵読んでください
      後半地味ながら考えさせられます…
      李陵の司馬遷に対する気持ちもなんだかクスリとしてしまいます!

      アテナイエさんのレビューを読んでみたいです‼︎
      2022/06/23
  •  明晰にして、流麗。中島敦の文章は漢詩のように格調高く、かつ律動的だ。漢学者の一族に生まれ、若くして漢籍に親しんだ中島敦は、その素養を活かした独自の作風で注目を浴び、寡作ではあるが完成度の高い作品を残した。本書には表題作を含め、計4篇の短篇と中篇が収録されている。

    『山月記』は、教科書にも載っている中島敦の代表作。詩人として名を挙げようとしてエリートコースから外れ、挫折してしまった青年の苦悩を、変身譚として寓話的に描いた短編だ。プライドの高さと社会的評価の低さとのギャップに苦しむ主人公の姿は、自意識ばかりが肥大しがちな現代人の姿に重なる。晩秋の月光を思わせる冴えざえとした筆致が、美しさの中に限りない寂寥を感じさせる名作である。

    『名人伝』は、硬質な文体にも関わらず、かなりユーモラスな短編だ。ある男が弓術を極めるべく修行して名人の境地に達する話だが、その展開の奇想天外さは少年ジャンプのバトル漫画に近い。ラスボスの老師がエア弓で鳥を射落とすシーンで、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』の〈念〉を連想したのは、私だけではないはずだ。老荘思想とか難しい話を抜きにして、素直に物語を楽しんでいい作品だと思う。

    『李陵』は、漢の時代に生きた悲運の武将、李陵の半生を描いた中篇。歴史に翻弄される男達の内面の苦悩がメインテーマだが、漢軍と匈奴軍の戦闘シーンだけでも、戦記物として通用するだけの読みごたえを誇っている。ストーリーテラーとしての力量が存分に発揮された作品だ。

     その他、孔子の弟子、子路の半生を描いた「弟子」という中篇が収録されているが、長くなるので詳細は省く。ともあれ、その主題が本来含む憂いの深さとは裏腹に、旋律さえ感じさせる流麗な筆致によって、極上の美酒のような味わいが醸し出されているのが、中島敦の作品の特徴と言えるだろう。グローバル化の波とは対極にいるような作家だけれども、読み継がれてほしいと願わずにはいられない。

  • 先日、この版の素敵なレビューを目にして、はて? うちの「虎」はどうなったかな、久しぶりに書架を漁っていると……心なしか痩せて黄ばんだ虎が出てきた。これはいかん、たまには虎を干して遊ばねば!

    中島敦といえば、その重厚な漢文体が美しい。この本には『山月記』『名人伝』『弟子』『李陵』が掲載されている。それぞれの分量は少ないものの、その中身たるや、押し鮨のようにぎっしり詰まって読みごたえ満載だ。しかも中島敦の漢籍の知識は容赦ない。ふつうの人なら注釈がなければ読み通すことは難しいけれど、親切な新潮社のそれを参考にしながらゆっくり読めば、なんと豊かな作品たち! なんど読んでも読み尽くせない面白さがぎゅっと詰まっている。

    ***
    頭脳明晰で才走る官吏の李徴。後世に名を残そうと出世コースを降りて詩作の道に進むも、芽はでない。己の才を認めない世間を恨み、憤怒と妄執にとらわれた李徴は、ついに異形のものに姿を変えてしまう(『山月記』)。

    こういう変身譚は、ギリシャ神話やオウディウス『変身物語』、カフカの『変身』などなど、古今東西にもたくさんあると思うけれど、『山月記』は、かなり深遠な作品だと思う。社会的地位や身分、自尊心や克己心を容赦なく引き剥がして、あらわになった虚栄心やおごり、無知に怠惰、憐れな人間の性や業をさらけだす。結局のところ、人間という存在の最後に残るのものはなんなのか? そんなすさまじい気を放ちながら、異形のものは躍動し、慟哭する。

    ***
    うってかわって『名人伝』は軽妙だ。弓の名人を自負する男がさらなる名人を求めて旅に出る。果たして至高の名人と称される老に巡り合うのだが……。
    無知の知を心に留めておけば、おのずと真の知の道(タオ)に至るということか……笑? どこか昔話や寓話のような雰囲気が漂っていて、くすっと笑える可笑しみが埋め込まれて楽しい。

    ***
    孔子の伝記をもとにした『弟子』。孔子が率いた多くの弟子の中から「子路」が選ばれているのは興味深い。もし才気煥発で政治力に長け、人格も優れた弟子「願回」あたりが主人公だったら、間違いなくおもしろくないものになっただろう。かといって、切れ者でそつのない「子貢」では、読み手はうんざりしてしまうかも。それゆえに猪突猛進で義侠心にあふれ、ズレているけれど憎めない「子路」という人間臭いキャラクターが活きてくる。暑苦しい子路とクールな孔子をやりとりさせたからこそ、彼の人間性や仁愛、とりわけ子路への憂愁や思慕があざやかに映しだされる。

    ***
    『李陵』の舞台は漢の武帝の時代。匈奴との戦いに敗れて俘虜になった武人李陵の葛藤と半生を、さらに大著『史記』をものした歴史家司馬遷の辛苦を絡めたオムニバスの大河ドラマ。

    今回読みながら、この4つの物語にちょっとした特徴を感じつつ――作品の分量にこだわらず――独断と偏見で切り分けてみた。『山月記』と『名人伝』は短編で、『弟子』と『李陵』は長編という具合で。

    ちょうど大木を根元ですぱんと切ると――ときどき行政が公園の大木を容赦なく切って、悲しく憤るが――その切り口から放たれた生なましい匂い、ギョッとするような面の白さ、ときに樹液が垂れて、おどろおどろしい血を連想させる。短編はそんな一つの切り口に迫り、さまざまフォーカスしていくわけだけど、おそろしく気を張り詰め、言葉が凝縮されて行間を読むのも難解なので、すこし苦手意識がある。でも中島敦の『山月記』と『名人伝』は、鮮やかな切り口にシンプルにフォーカスしながら、滑稽な笑いもあって楽しいのだ。

    それに対して、大木を切らず根元から頂上まで、枝葉をフォーカスしたり、引いたりしながら木の全体像を描写していく長編は、登場人物に寄り添いやすい。だから道のりは長く、たとえ剣呑でも、ちょっとしたピクニック気分になるから楽しい。

    そして中島敦はどちらも巧いな~と感じる。あえていえば短編の筆が冴えている気がするけれど、いずれにしても、流れるような文体は怜悧で美しい……なんて余韻を残しながら、表紙の黄ばんだ虎をなでて本棚に返した。また近いうち遊ぶ約束をした。そのときにはどんな発見があるのか楽しみだな(2022.7.5)。

    • アテナイエさん
      地球っこさん ハイジさん

      地球っこさん、こんにちは! 

      レビューをお読みいただき、またコメントもありがとうございます!
      ちょ...
      地球っこさん ハイジさん

      地球っこさん、こんにちは! 

      レビューをお読みいただき、またコメントもありがとうございます!
      ちょっとよれよれのうちの「虎」を陰干ししたら、少しさっぱりしたようです(笑)。 

      それにしても、娘さんと『山月記』を話せるとは、なんと楽しいこと!
      彼の文体に惚れこんだのでしょうかね。わずか10ページほどの短編ですが、躍動感があって、妖しくておもしろいですものね。この本のカバーも切ない虎が……なんだか猫にも熊にも見えるけど。

      もっとおもしろいのは、地球っこさんが、中島敦の顔が好みだということです。ハイジさん同様に大笑いしました。さすが韓流イケメンファンです。たしかに端正なお顔で、ちょっと暗そうなところもいいかも。一体どんな声をしているのでしょうね。あの顔で漢詩を朗々と詠んだりしたら、相当いけてますよね、そんな授業を受けてみたい!

      ハイジさん、こんにちは~。

      はい、わたしはビール党ですね。ほっとったらカバみたいにのみます。ちょっと走ったくらいではとても消化しきれません。なので普段はカバのようにお水で我慢してます。ウソです!  

      先日、ハイジさんも芥川を読まれていたようなので、いつか「河童」とも遊んでみてください。彼が逝くちょっと前の作品で、意味深長で滑稽で哀しくておもしろいです。

      あっ、地球っこさん!
      たしかノーベル賞を受賞した方ですよね、オルガ・トカルチュク。いいですね! わたしはまだその方の作品を読んだことはありません。またどんな感じだったか教えてもらえると嬉しいです(^^♪


       



      2022/07/06
    • 地球っこさん
      アテナイエさん
      ハイジさん

      娘と盛り上がったのは何だったのか、ちょっと忘れてしまったのですが、そういえば芥川の『羅生門』も、母娘で好みが珍...
      アテナイエさん
      ハイジさん

      娘と盛り上がったのは何だったのか、ちょっと忘れてしまったのですが、そういえば芥川の『羅生門』も、母娘で好みが珍しく一致しました。最後の一文の余韻がね、痺れたんですよ。

      本のカバーの虎さん、うふふ、今度じっくり実物を眺めてみますね。

      で、アテナイエさんからの中島敦と韓流スター☆
      なるほど!自分では気づきませんでしたが、そこか!
      そこが無意識に気になっていたポイントだったのかーo(>∀<*)o
      それにハイジさん、「好き」という気持ちを貴いと言ってくださって、なんか嬉しい~♡

      そして、オルガ・トカルチュク。そうです、帯に2018ノーベル文学賞受賞となってました。
      そうだアテナイエさん、図書館で『大統領の最後の恋』を見つけたのですが、その分厚さにびっくりしました。

      でもこの本は手元に置いて、ゆっくり読みたい本なので、天の邪鬼な私は、図書館で借りて簡単に読めるのが、何だか悔しくてまだ借りることができてません 笑
      でも絶版で中古本もびっくりのお値段ですものね。
      運命の出会いを待ちたいんだけどなぁ~(^o^;
      2022/07/06
    • アテナイエさん
      地球っこさん

      こんばんは~。『大統領の最後の恋』を見つけたのですね。
      レンガみたいに分厚くて楽しそうでしょう。でも中は余白が多くて読...
      地球っこさん

      こんばんは~。『大統領の最後の恋』を見つけたのですね。
      レンガみたいに分厚くて楽しそうでしょう。でも中は余白が多くて読みやすいですよ。いつかながめてみてください。

      この小説では、ウクライナとロシアの間には不穏な描写はいくつかありますが、実際の戦争の描写はありません。でも現実のウクライナ情勢はもっとシビアで悲惨です。はやく平和を取り戻してほしいと願うばかりです。
      2022/07/06
  • 齋藤孝先生の本を読んだら、名作を声に出して読みたくなり、本棚から迷わず取り出した本書。
    「山月記」は高校時代に教科書で出会って衝撃を受けて以来、何度も読み返しています。
    声に出すことで、虎となった李徴の告白が己の身に迫って感じられました。
    特に「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のくだりは、読むたびに傷口に塩をもみこまれたようなじんじんとした痛みを呼び起こすのです。

    子路の、素直で真っ直ぐな、自分に嘘をつかない生き方。
    司馬遷の、宮刑という恥に打ちのめされてもなお、歴史を綴り続ける姿。
    無駄のないシュッとした文章なのに、そこから溢れ出る人間の生き様に圧倒されます。
    生きる力が凝縮された1冊だと、改めて思いました。

  • 急にどうしても読み返したくなった本。端正な文章に浸りたくなったのだと思います。
    山月記、虎になる人生。虎になってしまうこと。今、読み返してみると、虎になってしまう、虎にならざるを得なかった主人公の性癖・運命を思うのだけれども、どこかで虎になることができた主人公を認めたたえる自分がいることに気付きました。主人公は欠けていることも大きければ大きな欠損が生じるほどの力もある。私の身にみに同様の異変が生じたとしても、子猫ほどにしかなれないだろうと思った次第です。
    そして、交錯しそうでしていない二人の人生が、しかし、綾なす布のように描かれた李陵。描写の緻密と整った表現に圧倒されながら読みました。表現だけでもこの上ない楽しみを感じるのに、「話」の確かさがある。
    端正と言えば芥川龍之介と中島敦かな、と思います。前者は「話らしい話のない小説」にすすみ、若くして亡くなってしまい、後者は「話のある小説」を突き詰めて亡くなってしまった。もっともっと読みたかった二人です。

  • 34歳で歿した中島敦の短編四作を収録。
    山月記・・・優秀だが狷介な男のその後を描く変身譚。
    名人伝・・・弓矢の名人を目指した男がその域に達したとき・・・。
    弟子・・・孔子と子路。出逢いから死別まで、師弟の心の交錯。
    李陵・・・李陵、司馬遷、蘇武。同時期、三者三様の生き様。
    注解、年譜有り。
    中国古典の作品を昇華し、高雅な日本語で書かれた短編集です。
    顧みれば、高校時代に短編小説の魅力を教えてくれた、作品集。
    人間であること故の、感情や行動等、人としての有り様、
    人間らしさを、簡潔ながら奥の深い文章で描いています。
    「山月記」は挫折し虎に変身してしまっても、人の心と詩作への
    想いを捨てきれない、最後の段階で妻子を案ずる痛ましいこと。
    「名人伝」は極致に達した人間の姿が人ならざる者に見えてしまう。
    「弟子」は子路の孔子を慕う理由と彼らしさを捨てきれない故の
    運命に、孔子の弟子たちの人間関係が良い味を醸し出し、
    所々に「論語」が散りばめられているのが良かった。
    「李陵」は短編ながらも大河小説の如くで、中国大陸の広大さ、
    漢の武帝時代と匈奴との戦乱、その双方の人々が翻弄される
    歴史の流れを感じさせられました。
    やはり名作。十代の頃も良かったけれど、歳を経た今の再読で、
    味わいは更に増したように思われました。

  • 美しい文章、定期的に読みたくなる。綺麗。

  • 中島敦を初めて読む。

    まず言葉が難しい。というのが第一印象。

    山月記と李陵から感じたのは、世間に認められたいという想いで生きることは、かたや人の姿を捨て人虎として生きることになり、かたや祖国に認められたいと思うばかりに祖国を捨て生きることになるといったように、自分自身の生き様をかくも乱してしまうことになるのかと感じた。

    自分は何を大切にしたいのか、何をなすべきなのか、世間の目との距離を置き、自分自身に問いかけること。愚直に貫くことが大切だと感じた。

    自分を貫きやり遂げた後、そこに何が残るか。誰が評価するか。そんなことは関係ない。ただそこにあり、その瞬間に真摯に向き合うこと。司馬遷のごとく、ただ編纂に邁進し、蘇武のごとく信念に従いただ生きること。

    そのようなメッセージを感じることができた。自分の人生に生かしたい。

  • 高校の授業で、山月記を知り、虎になった李陵は自分だと思った。その後、外見は虎にはならなかったが、本当に発狂、李陵と同じ顚末になってしまったと思っていたら、うつ病だった。良くなったと思ったら、今度は双極性障害になってしまい、今度は衝動性、欲望の権化という虎が心に住みついてしまっている。今は衝動性との闘い。人形からの暴走したアンドロイドになった気分。李陵にならないよう、理性でコントロール頑張り中。

  • 歴史小説の個人的な楽しみ方は、歴史的人物の表に出てこない一面を見つけるきっかけをつかむことだったりする。
    史実からは除けられてしまった、弱者(あるいは史実に残す側に立てなかった敗者)から見た歴史の真実が、物語の中になら隠されているんじゃないか、そう思うからだ。
    私が李陵から得たものは正にそれで、かの猛将に蘇武への劣等感があったかもしれないなんて、思いもよらなかった。
    拠る古典があるとはいえ、創作としての性質が多分にある以上、それを事実と見なすのはまずいことは分かっている。
    でも、人の心の複雑さを思えば、それもまた真実なのかもしれない。

    それにしても、子路の何て愛おしいことか。

  • 「山月記」
    虎だね。
    「名人伝」
    主人公の紀昌が天下一の弓の名人を目指す話。往年の少年漫画のような展開が多く、思わずニヤリとしてしまう。特に、紀昌が山奥の老名人のもとへ赴く件が面白い。
    長年の研鑽により師匠と同等の腕になった紀昌は、師匠から山奥に住む老名人の話を聞く。「老師の技に比べれば、我々の射の如きは殆ど児戯に類する。」自分の技量に自信を持つ紀昌は、これを聞いてすぐに老師の住む山へ赴く。やはり、真の名人は山奥に住む老人でなければならない。老師に出会った紀昌は、自分の弓の技量を見せつけるため、挨拶も早々に、空高く飛んでいる鳥を打ち落とす。これを見た老師の発言が秀逸。「一通りできるようじゃな、・・・だが、それは所詮射之射というもの。好漢未だ不射之射を知らぬと見える。」老名人には、こういうことを言ってほしいと思っていることそのままのセリフ。素晴らしい。
    紀昌はこの老名人のもとで修業を行う。長年の修業により遂に天下の名人となった紀昌は、表情のないでくの坊のような容貌になって、街に帰ってくる。「枯淡虚静の域」に入った彼は一向に弓を手に取ろうとしない。彼は言う。「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし。」遂には弓という道具の存在すらも忘れてしまう。「ああ、夫子が、-古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てたとや?ああ、弓という名も、その使い途も!」こういう展開がたまらない。

    「弟子」
    孔子の弟子のひとり、子路の視点から、孔子との関係を描いた話。
    師と弟子という関係は、人間関係の中でも、特異なもののように感じる。血でもなく、友情でもなく、親愛でもなく、ビジネスでもなく、信仰でもなく、ただ、人格によって繋がっている関係。この作品内では、そんな不思議な関係の雰囲気を感じ取ることができる挿話が多数語られている。なかでも、特に印象に残っている話がある。
    世間からなかなか認められず放浪の旅をしている途中、孔子達一行から遅れて歩いていた子路が、ひとりの隠者に出会う。子路は隠者に招かれ、彼の家で隠者の生活を体験する。「明らかに貧しい生活なのにも拘わらず、眞に融々たる裕かさが家中に溢れている。」また、隠者は子路を孔子の弟子と知ったうえでこのように言う。「楽しみ全くして始めて志を得たといえる。志を得るとは軒冕の謂ではない。」子路は初めて経験する隠者の生活に幾分かの羨望を感じた。翌朝、隠者の家を出た子路は、昨夜のことを振り返る。欲を捨て道のため放浪の旅を続ける孔子のことを思うと、隠者に対して憎悪の感情が湧いてくる。昼下がり、ようやく孔子の集団の影が見え始めた。「その中で特に際立って丈の高い孔子の姿を認め得た時、子路は突然、何か胸を締め付けられるような苦しさを感じた。」
    師弟関係とは一体なんぞや。

    「李陵」
    李陵、司馬遷、蘇武の人生の話。
    運命、というと少々陳腐な表現になってしまうが、この作品を読むと、人生には運命としか称しようのないことが部分があるということを強く感じる。
    李陵は漢の武将。匈奴を討つため辺境に派遣されるが、敗北し捕虜となってしまう。単于に従いつつ、すきを見て討ち取る機会を窺うも、匈奴の生活に触れ、溶け込んでいく。ある時、漢の武帝から匈奴に寝返ったと疑われ、家族を皆殺しにされる。李陵は漢に対して憤怒を抱き、漢へ帰る意思を完全に失くしてしまう。
    李陵の苦悩は、蘇武の存在によってさらに深まる。李陵が匈奴に下るより先に、匈奴の国に引き留められていた蘇武は降伏することを肯ぜず、へき地で孤独と困窮の中生きていた。
    忠節を守り続けたところで、誰にも知られなければ意味はないではないかと李陵は思っていたが、偶然にも蘇武の存在が漢に知られ、遂に蘇武は帰国することになる。
    そんな蘇武と匈奴に降伏した自分を比較し、李陵は煩悶する。
    一方、司馬遷は李陵を非難する宮廷の中で彼を擁護したことによって、宮刑に処される。絶望し自殺しようとするが、父から引き継いだ史記を完成させるという使命を果たすため、死人のように生き続ける。
    憤怒と煩悶と諦観が混じった、李陵の複雑な心中。運命を笑殺しつづけた蘇武。絶望するも使命という一点にのみ生き続けた司馬遷。
    3者3様の苦悩と運命を前に茫然としてしまう。この感覚を捉えて言語化できるようになるまで、何度も読みたい。

  • 「山月記」
     …「如何にも自分は隴西の李徴である」虎が身の上を語る
     〇「山月記」は絵の無い文章だけのものがいい。
      慟哭。

    「名人伝」
     …趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。
     〇道を究めると、仙境にいたるのだろうか。究めるという言葉もふさわしくない気がする。

    「弟子」
     …魯の卞の游俠の徒、仲由、名は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱めてくれようものと思い立った。
     〇おちょくってやろうと勇んで孔子のところにやってきたものの、やわらかに教え諭されてしまう子路。
     「とにかく、この人は何処へ持っていっても大丈夫な人だ。」との、師への評がよい。
     孔子も形をなかなか身に付けない弟子を叱りながらも、その愚直さを愛した。
     師と弟子、古代中国戦国の時代を渡り歩く。
     孔子門下ながら、敬して染まらない人だった。
     〇短編だけど、長編大河小説の読後感。

    「李陵」
     …漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。
     ・漢軍:李陵 VS  胡軍:単于 軍記物
     ・一時追い返せそうだったが、部下の裏切りにより戦局が反転する。
     ・疑心暗鬼にかられる武帝と佞臣たちの前でただ1人李陵を庇った男が司馬遷。
      司馬遷の文筆家としての思索と宮刑を賜ったことからの懊悩。
     ・単于にとらえられたが賓客として過ごす李陵。
     ・漢の礼儀とは?
     ・李陵と蘇武
     〇どうしようもない非運に翻弄された三人の孤独、流されたもの、静かに抗ったもの、ただ専心したもの。

  • 詩人を志した男が深夜発狂して宿を飛び出し、虎になる物語。
    高校時代に、古文の課題として出逢い、解釈したこの山月記という話を、私はどうしても忘れられない。

    男のどうしようもない虚しさ、苦しさ、憤り。駆けても駆け抜いても振り切れない感情に酷く共感してしまった記憶がある。
    ふとした時に、自分の中に虎の慟哭が聴こえるような気もしてくる。山月記という話は、昔の話でありながら、どうも今の時代や現代を生きる私の中にも、その記しが在りそうに思えるのである。

    一つに、男の虚栄心に共感する。
    自分の才を信じ、何かを成し遂げたく、詩の道に進むため官の座を退いたけれど、結局花は開くことなく、かつての同胞は遥か高みまで行ってしまう。

    自分には自分にしか成し得ない何かがきっとある、本当の自分探しをしよう、というような言葉は、思ったことも聞いたり見たりしたことも、ある。よくある。
    一歩踏み出すのか、今の座に居続けるか。一歩踏み出したらどうなってしまうのかという不安もありながら、自分の才能として「何か」があることは信じたい気持ちも拭えない。
    燻る男の思いに、共感する。

    また、ふとした時に発狂する男を思い出しては、「ああ、私もいつか虎になる日が来るかもしれない。」なんて思ったことは、恥ずかしながら一度や二度ではない。

    深夜に発狂し虎になる。人外のモノになる。
    燻る思いの行き場がなく、その混沌とした思いが自分に染み込んでいったある日、人としての一歩を踏み間違えるのかもしれない。
    悲しいけれど、世の中に残酷な事件が起きていることも、もしかすると、行き場のない燻った思い、適切に昇華できなかった思いなのかもしれないと感じることがある。(きっとそれだけではないが。)


    読み慣れない古文に時間がかかり、まだ途中であるが、
    弓の名人になりたかった男の話も印象的であった。
    対象を見つめ続ければ、それが物凄く大きく射易い的に見えてくる。
    物事をどう捉えるか、そして、行き過ぎたらどうなるのかを、まさにストーリーテラーの如く教訓として伝え、そして普通の人の道を外れたという意味で少しだけ怖く語られているように思えるのである。

    新しい本も手に取るが、大人になった今、こうして解釈しながら読み返してみるのも良いかもしれないと思えた読書時間であった。

  • 【概略】
     博学で才能豊かな李徴は若くして官職から離れ、詩家を志した。しかし文才の花が思うほど咲かず失敗、官職に復職するも友人の出世を手放しで喜ぶことができない。そんな苦しみから妻子をも差し置いて山中に逃げ込み、虎となった李徴と偶然、友人で出世した袁傪が出会う。「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を原因と語る虎・李徴の独白。

    2021年07月27日 読了
    【書評】
     青空文庫で済むものを「なんかちゃんと購入したい」と李陵といった短編も入った文庫を購入。訳あってこの山月記を読む必要があって。高校生(?)の頃かに授業で読んでるハズなのだけど・・・記憶が、ない。あぁ、いかに劣等生だったか。「虎になった人」は覚えてた。
     「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」・・・もうホント、このネットの時代にピッタリ。今やネットを逃げ場とは言わない・言えないけれど、色んなコトから逃げ出してネット上で「虎」になってる人、いるんじゃないかな?自分も含めて(苦笑)自身の才能・無限の可能性を信じつつ、でも外部からの批判に晒されることが辛くて辛くて・・・切らなくてよい見栄を切ってしまう、そんなこと、あるんじゃないかな?もちろん、自分を含めて(苦笑)
     なったのが「虎」ってのも、また自尊心と羞恥心が反映されてるじゃないの。猫でも犬でも蛇でもない、虎。中国の故事が元になっているから「虎」が持っている意味とかあると思う(調べてないからわからない)けれど、やっぱり虎って、哺乳類の中では上位種、食物連鎖の中では上位種だと思うのだよね。カフカは主人公を虫にさせたけど、虎だよ。雄々しい、気高いイメージの虎。でもジャングルに身を隠し、ひっそり・・・という意味では、李徴の心境を表しているのかな?
     このストーリー、学校の授業で採用されたのには、どういった意図があるのかな?変な冒険などせずに官職についていればよいものを・・・人生、カタくいこうよって意味(友人の袁傪の聞き役上手が際立ってるもの)なのか、はたまた表現者たるもの批判を気にせず、その批判を自身の成長の糧とすべき(詩を詠んだ袁傪は「なにか足りない」的な評価してたものね)、研鑽の後に名作は生まれるのだ、ということなのか、自身の心持ち(臆病な自尊心と尊大な羞恥心)を見返すよい機会と捉えたか。国語の先生に聞いてみたいものだ。
     最後の虎としての咆哮は、人間との決別なのか、はたまた「友よ、危険だから二度とここを通らないように」という優しさからの警告なのか。
     山月記の他「名人伝」「弟子」「李陵」という短編も収録されてた。この文体は、いかに昭和49年生まれの自分でも、大変だ(=学の低さ露呈)と感じた。逆に言えば、他短編と比較して、圧倒的に「山月記」がグッときた。文体は同じなハズなのに。

  • そんなに文学読まないんですが、この作者の文章は格別。読んでて心地よい。
    歴史に興味ある方は特にいいと思います。

  • あまりにも有名な山月記。
    教科書に載っていたので、深く学びました。

    人間の欲望は凄いと実感。

    他の作品も、素晴らしい。

  • 自分はその辺の人よりはすごい人間だっていう自信があって、でも上には上があるから本気になったら自分のダメなところを晒してしまうんじゃないかって不安もあって、2つの感情に挟まれた結果人との関わりを避ける。

    切磋琢磨すること、時には失敗することがどれほど大切だったか後悔している虎を見て、これから始まる新生活では純粋に成長するために分からないことも分からないと言える人になりたいなあと思った。

    新しい目標ができた時に見返したい本。

  • 初めて読んだ中島敦の作品は、「山月記」だったか「名人伝」だったか、既に定かではない。いずれにしても、国語の教科書で読んだような気がする。メモによれば高校1年生のときに買ったらしいこの本を、久しぶりに取り出して読んでみると、やはりその2作が印象深い。それにしても、当時の文庫本は、なんと活字が小さいことか。昭和四十四年九月二十日発行、昭和五十三年六月十五日十八刷改版、144ページ、定価140円。
    収録作品:「山月記」、「名人伝」、「弟子」、「李陵」、注解(吉田精一)、解説(瀬沼茂樹)、年譜

  • 山月記が残るなあ

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著者プロフィール

東京都生まれ。1926年、第一高等学校へ入学し、校友会雑誌に「下田の女」他習作を発表。1930年に東京帝国大学国文科に入学。卒業後、横浜高等女学校勤務を経て、南洋庁国語編修書記の職に就き、現地パラオへ赴く。1942年3月に日本へ帰国。その年の『文學界2月号』に「山月記」「文字禍」が掲載。そして、5月号に掲載された「光と風と夢」が芥川賞候補になる。同年、喘息発作が激しくなり、11月入院。12月に逝去。

「2021年 『かめれおん日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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