- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101094014
感想・レビュー・書評
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とてもよかった
もう遅いかもしれないけど、日本人は間違った方向に進んでしまったのだなぁと思った -
古き日本に魅せられた一人の外国人ラフカディオ・ハーン
彼が、彼の時代の全ての外国人、日本人が感じていたであろう新しい文化に触れ合う
まさに、かるちゃあしょっく
「停車場にて」という話で
人として当たり前であろう
子どもに対する想いが綴られ
「微笑み」という話では
日本人の争いを避ける笑顔について、日本独特であるという結論を出したり
違うなぁと思う点もあり、共通する点もあって
国や年代を超えているのに、理解に至れる感覚はすごいモンだ
人間っておもしろいなぁと思った -
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4101094012
── ハーン/上田 和夫・訳《小泉八雲集 19750315-19870730 新潮文庫》
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http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003224418
── ハーン/平井 呈一・訳《怪談 ~ 不思議なことの物語と研究 19401010-19650916-19981207 岩波文庫》
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先日、ある大学生から小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)についての質問を受けた。それはこういう内容である。
「小泉八雲は母親への思慕を強く持っていたと授業で習ったのですが、そういう母への思いが表れている作品はありますか?」
普段は質問など受け付けていないし、第一、ただの読書好きの域を出ない私だから、好きな作家の作品といえども全著作を読破しているわけでも、それに学問的な考察を加えているわけでもない。小泉八雲の作品もまた然りで、中学生時分から読んではいるが、彼の作品の全てを読んでもいなければ、たとえ読んだものでも、その内容をすっかり忘れているというのが私なのである。
しかし、その学生さんの質問を無下にするのも申し訳ないと思い、また、そのように問い合わせて下さるということは、勉強熱心な方なのだろうと嬉しくもあったので、以下のように回答させて貰った。
<まず、最初にお断りしておかなくてはならないのは、私は小泉八雲の作品が好きで時折読んではおりますが、彼の全著作を読んだわけではないということです。また、小泉八雲の研究家でも専門家でもありませんので、その作品内容を学術的に精査しながら読んでいるわけでもありません。その点をご理解下さい。
八雲の、母への想いが表れている作品との事ですが、私の手元にあります八雲の作品集や論文には、「この作品には八雲の、母に対する想いが込められている」といった明確な判断や記述は見受けられなかったように思います。
八雲のひ孫である小泉凡氏は、八雲研究に若い頃から着手しておられますが、彼の論文でも、はっきりと「母への想いが込められた作品」とされているものは、なかなか見出せません。そもそも、「母への想い」を込めて書いた作品であるかどうかは、八雲本人にしか確認できないことなのです。
ただ、私が考えますに、一八九四年刊行の『日本瞥見(べっけん)記・上』にある「大雄寺(だいおうじ)の話」などは、八雲の母性観とでも云うべきものが表れているのではないかと思います。もしくは、「大雄寺の話」に登場する母親の母性が、八雲が理想とする母性に合致した為、彼はその伝承に惹かれ採録したともいえます。
この「大雄寺の話」は、ご存知かと思いますが、いわゆる<子育て幽霊譚>のヴァリアントとして有名なものです。
「顔の青ざめた女が、毎夜、飴屋に水飴を買いに来る。飴屋は不思議がって、女の後をつけるが墓場に向かうので気味が悪くなり引き返す。次の晩も女がやって来て、手招きするので、他の者と連れ立って女に付いて行くと、墓場から赤ん坊の声がする。声の聞こえる墓を掘り返してみると、毎晩、水飴を買いに来ていた女が葬られており、傍らには生まれたばかりの赤ん坊がいた。女は死んで葬られた後に出産し、亡霊となってまで飴屋におもむき、そこで水飴を手に入れては子供を養っていた」という内容です。
推測でしかありませんが、八雲はもしかしたら、この女の幽霊の、死して尚、子供を何とか育てよう、養おうとする愛情に、自分の母・ローザの面影を見たかもしれません。母・ローザは、八雲が四歳の時に病気療養の為にギリシャに帰国し、その後、八雲の父との婚姻関係は解消していますが、彼女は八雲に会いたいという一念を捨て切れていませんでしたから、八雲もまた、自分に対する母の気持ちと、子に対する女の幽霊の気持ちとを重ねて見ていたということは考えられます。
そして何よりも、日本において八雲が民話や伝承、伝説といったものを見出し、文章として書き留め、西洋社会や当時の日本に対しても紹介したという、その活動そのものが、母・ローザを慕う気持ちの表れと見ることも出来るかもしれません。何故なら、ローザは文盲ではあったようですが、幼い頃の八雲に、ギリシャのレフカダ島やキシラ島の神話や口承文学を語って聞かせていたからです。母からの、この教育があったからこそ、小泉八雲は日本においても、母との語らいをなぞるように、伝承の数々を拾い上げる作業に従事できたのかもしれません。>
私の回答は、小泉八雲という人物のほんの一部分を切り取ったものであり、決して十分なものではないわけだが、私なりの小泉八雲に対する見方やイメージといったものは、多少なりとも伝わるのではないかと思い、ここに改めて引用させてもらった。
実は、今回の新潮文庫『小泉八雲集』には、上記回答の中で挙げた「大雄寺の話」は収録されていない。しかしながら、本書には実に四十八篇もの日本の伝承や、八雲が見聞した事件・出来事などが編集されており、こんなにも豊かな日本的な倫理観、道徳観、愛と情緒、内にダイナミズムを含む美、日本人としての矜持(きょうじ)、それらをひっくるめて文化的魅力とか文学的土壌と云ってもいいかもしれないが、そういったものが、この日本にあったのかと感嘆してしまうのである。
いうまでもなく、八雲の著作は広汎で膨大な量にのぼるため、この四十八篇でさえも彼の精力的な著述活動のほんの一端にすぎないことは云うまでもない。しかしながら本書を読むと、欧米列強に囲まれた上に、西洋人の優れた体格と合理的な西洋文化に圧倒され、日本人が自らの文化について自信を失いかけていた明治時代、我々日本人でさえも忘れ去ろうとしていた伝承や習慣といったものを、よくぞここまで拾い集め、採録し、西洋に紹介してくれたと思うのである。それも、西洋人から見た奇妙な国としてではなく、日本の精神をも持つ西洋人が、愛し慈しんだ国として紹介してくれたことが、何にも増して嬉しい。
小泉八雲のこの事績がなければ、日本人が自分達の国の佳(よ)さを再認識できる機会は、もしかしたら、なかなか得られなかったかもしれないのだ。実際、八雲の著作を通じて、その原型となった民話や伝説、あるいは書物に改めて目が向き、研究されるということもあったろうし、私自身、彼の作品の中で、例えば「守られた約束(Of a Promise Kept)」「果心居士のはなし(The Story of Kwashin Koji)」「安芸之助の夢(The Dream of Akinosuke)」などは、それぞれ、『雨月物語』に入っていたあの話だなとか、果心居士については、司馬遼太郎も何か作品を遺していたなとか、「安芸之助の夢」は『唐宋伝奇集』の「南柯太守伝」が元になっているようだなとか、つらつら考えながら読み、実際、関連する本まで派生的に読んでしまうことがあるのである。小泉八雲の作品は、それ単独でも十分すぎるほど魅力的なものとなっている上に、原話にまで読者を惹きつける力を持っているのである。
この『小泉八雲集』は収録されている物語が多いので、一つ一つを取り上げることが難しいが「耳なし芳一のはなし(The Story of Mimi-Nashi-Hoichi)」や「むじな(Mujina)」「雪おんな(Yuki-Onna)」など、誰もは一度は聞いたことのある話も取り入れられているので、取っ付き易いほうだろうと思う。
また、私が中学生のときに読んでいた『怪談・奇談』(ラフカディオ・ハーン著 森亮・奥田裕子訳、新学社文庫)という本の内容は、今回の新潮文庫『小泉八雲集』に全て含まれており、おそらく書評を書くことはないだろうと思われるので、ここで記すに留めたい。作家・佐藤春夫が推薦している、中学生に読んでもらうには良い本なんだけどね。 -
●2009年8月読了
小泉八雲の48編の短編集。
「日本人の微笑」や「耳なし芳一」などの有名なものから、エッセイなど多様な作品を収録。
八雲の愛する日本の心が、今は失われているような気がしてならない・・・
この中で特に印象に残っているのはなぜか鮫人の話。
鮫人って人魚なのかなぁ。涙が宝玉になるなんてすごいなぁ。
いくら好きな人にあげたいからって鮫人に泣けって強制するなんて、なんて現金な主だ。 -
ラフカディオ・ハーンによる東方奇譚。
イギリス人が見た日本美の世界。 -
小学生のころの愛読書
日本、日本、日本・・・
とにかく「日本」が詰まってます
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文章の書き方が面白い。
ラフカディオハーンと知りつつ、ギリシャ人だとは知りませんでした。
意外とグロい感じでありつつ、
見聞きしたものだから、理由はしらねー的なフェイドアウトもなかなかおつ。
とても日本に誠実な文章の書き方をする人。
つか頭相当いいんだろうなっつー感じで。
かっこいいっす。八雲はん。 -
まーほとんど民話が基になってるんで、ぶっちゃけそんなに面白い話があったわけではないと思うし、あんまり覚えてない(笑)のですが、ハーンの感性が日本人的だったのかなぁ、なんて思いました。『草ひばり』と漱石の『文鳥』なんかを比較してみても楽しいかも、です。