砂のように眠る―むかし「戦後」という時代があった (新潮文庫)

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著者 : 関川夏央
  • 新潮社 (1997年1月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101107141

砂のように眠る―むかし「戦後」という時代があった (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 新書文庫

  •  この本の著者関川夏央さんは、あまり読まれていないのだろうか。この『砂の様に眠る』を手に入れたくて本屋に行ったが、新潮文庫版は絶版になっていた。仕方ないのでアマゾンで注文した。それで届いた本はかなり傷んだ古いものだった。同じ時期に出された『ただの人の人生』にはブックオフで偶然出会って読んだ。漱石の旧宅を訪ねて、漱石が猫のために開けさせた小さな穴をまじまじ眺めて、世紀の文豪もただの猫好きとして描いていたりして「凄い名著だ」と思った。なにしろ「吾輩」がくぐった穴だからね、その穴。でもその1冊も「1冊百円」の棚にどうでもいいように置かれていた。
     声を大にして関川さんは凄いんだぞ、と叫びたい気分になったので、まだ関川さんの著作を読んだことがない人や、作品の魅力を知らない人向けに、以下の文を書こうと思う。

     まず、関川さんは「空気」を読む達人である。NHKBSの週刊ブックレビューは3人のゲストが持ち寄った本につい語り合う番組なのだが、年に何回かある関川さんがゲストの時の回がいつも面白い。普段の回だとまとまりのない言い合いに終始することが多いのだが、関川さんは必ず他の二人のゲストの「言いたいこと」を瞬時に汲み取って、司会者以上に話し合いの流れを上手く盛り上げてくれる。自分がリードするんじゃなくて、相手の発言を誘発するような、実に「巧い」合いの手の入れ方をする。見ていて本当に気分がいい。そして合間あいまに、いぶし銀のようなキメ台詞をポロリときめる。あるときは、「全ての歴史文学は追悼文なんですね」といった。「司馬遼太郎の歴史小説も吉村昭の記録文学も全ては追悼文なんですねえ」ともいった。名のある人も無名の主人公も、書き手が主人公の人生をあとづけ、その人生を悼み語るのが歴史文学なのだという意味の名言だ。
     あるいは関川さんが須賀敦子の『ヴェネチアの夜』の解説として書いた「彼女の、意志的なあの靴音」は、もっとも的確に深く広く須賀敦子の人と作品を捉えていて須賀敦子評の最高峰だと私は思う。
     「須賀さん」、「セキカワ」と呼び合うほど親しかった二人だが、関川さんは須賀さんが吐く息の息遣いばかりでなく、須賀さんが呼吸してきた「時代の空気」までも見事につかんで描写している。
     ある時期、朝日新聞の書評委員を二人は同時期につとめていた。帰りの出口で、朝日新聞社の赤い車旗のついた黒塗りの社用車が待っていたが須賀さんはそれに乗るのを拒んだ。その時吐いた須賀敦子のひとことを関川さんは聞き洩らさなかった。
     「ああいうものに平気で乗るセンスとずっと戦ってきたのよね」
     解説の中で彼はそれを紹介した。
     私は、関川さんが捉えて逃さなかったそのひとことほど、須賀敦子の人と作品とを的確に象徴する台詞はないと思う。
     須賀敦子を一面の真実からだけ「信仰に厚かった」、「左派の運動に与した」、「知的」とか評する文をよく見る。だが、聖職者にも負けぬと自負した信仰心はあっても権威と化した教会のことは認めなかった。カトリック左派と呼ばれる運動にミラノで加わったけれども、教条的な左翼とは常に一線を画していた。慶応で学位を得て上智大学で教鞭をとってはいたが、狭いフィールドの学問を諾々と守り生業としてだけの研究や授業に染まった瞬間は一瞬もなかった。信仰でも思想でも知性でも、名を遂げて権威と化してしまったものからは常に遠く離れて、清貧で真摯な人生を貫いたのが須賀敦子である。その対極にあり退廃した進歩主義と知性の象徴が「朝日の赤い車旗」である。関川さんは須賀敦子の吐露した「息」を見逃さなかっただけではなく、戦後民主主義のなかで進歩主義の旗頭として権威化し、瞬時に退廃化してしまった朝日をはじめとする日本の知識層が織りなす「時代の空気」を同時に活写してのけているのだ。そしてそれはひいては、清貧と真摯さとの対極にある権威と戦いつづけた須賀敦子をほかのどの評論よりも正確に言い尽くしている。
     須賀敦子に限らず、関川さんの手にかかればあらゆる人物は「吐く息」まで捉えられ、その人物が生きた「時代の空気」までがありありと描かれてしまう。こういう手練手管で関川夏央にかなう書き手は居ない。
     本書は石坂洋二郎や田中角栄や『二十歳の原点』の高野悦子の息遣いを伝え、戦後という時代の空気を見事に写し留めている。戦後・後の時期に生まれた世代の私にとり、目から鱗の胸のすく一冊であった。
     だがさて、戦後はおろか高度成長もバブルも知らぬロスジェネ世代はこの本をどう読むか、大いに興味のあるところだ。だが既に絶版の本書が、彼らの目に留まることはないかも知れない。はたしてそれで、いいのか。

  • 人が生きるのは、答をみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどでは、けっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向に向けて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。

  • 和24年から47年までに発行された十数冊の本の評論と6つの短編小説から成る。

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