行きつけの店 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101111292

作品紹介・あらすじ

小樽、金沢、由布院、倉敷、銀座、浅草…津々浦々に「行きつけの店」はある。もちろん、地元・国立の店も。しかし、著者が愛したのは、名店の味だけではない。それは、店の雰囲気であり、従業員の気働きであり、女将や主人の人柄である。「行きつけの店」を持つためには、なによりも人間がわからなくてはいけない。店とのつきあい方に学ぶ、山口ブンガクの極上のエッセンス。

感想・レビュー・書評

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  • 【概略】
     全国を飛び回る作家・エッセイストが、その土地その土地で愛したお店は、味だけではなく人であり空気感であった。「ただの店」から「行きつけの店」に昇華する文脈を大いに盛り込んだ一冊。

    2023年02月24日 読了
    【書評】
     まず2つ、前提で書いておかないといけない。1つ目は、自分は「グルメ」ではない。むしろ食文化レベルは、低い。2つ目は、この本は美味しいお店を紹介する本ではないということ。提供されている料理がオススメだ、ということではなく、その背景にある文脈を紹介しているのだよね。そこを誤解せずにしないといけない。
     会議と会議の合間(特に平日の昼間のような時間帯)はともかく、そうではないタイミングでは極力チェーン店を避けたい感覚がある。食事に限らず、選択肢が複数あった場合、よほどの金額格差がない限り、チェーン店よりも個人経営の形態の方にお願いしようとしている。顔がわかるやりとりがしたいからなんだよね。そのマインドで読み続けると、文脈に対して凄く共感できる。店主への、職人への、スタッフへのリスペクトが行間からにじみ出てるのだよね。羨ましいと感じたね。高級料理を食べていることではなく、歴史という文脈を創り上げたことに対して。今よりも「お客様は神様です」度合いが高かったり、著者のお客様としてもってる背景の優位性があるとはいえ、それだけではないはずだからね。
     料理そのものではなく、文脈にスポットライトが当たった作品という点、実は「食事とは?なぜ、わざわざお店で高いお酒を飲むのか?」という原点だよね。高い料理でも、誰と食べるか?どんな文脈で食べるか?で、美味しさは全然違う。美味しい・美味しくないだけが絶対的な判断基準ならば、(わざわざお店に行くのでなく)無機質に自宅に配膳される料理を味わえばいい。味としてはイマイチでも、自身で作った・仲間と作った料理が美味しいのは、文脈というスパイスが入ってるからだよね。人間が生き物である限り、「無駄」という言葉は二面性を有するよね。
     この本、描写がいいよね。めちゃめちゃ叙情的という訳じゃないけれど、行きつけの店が持っている(著者の側から見た)空気感がすごくわかりやすい。当たり前なのだけど、著者が本当にそのお店が好きだということが伝わってくる。そういう意味では、この描写は相対的なのかも。仮に自分がそれぞれのお店にお邪魔する機会を得たとして、(表現力はともかく)このような描写ができるかどうか、なのだよね。
     そうはいっても素敵な表現も、沢山ある。たとえば八十八の鰻丼を紹介する描写で、「なんというか、奥行きが深く、鰻丼のほうで美味という優しさを力一杯に提供しようとしている感じを受けた」というものがある。いいよねぇ、こういう表現。
     1995年(平成7年)に他界された著者のこの作品、2000年に発行されてる(Amazon では1999年だけど本書内では2000年)。23年経ち、コロナ禍という飲食店にとって大変な時期を過ごした今、この行きつけの店達はどうなっているだろう。自分が生きている間に、実際にお邪魔すること、できるだろうか?受け入れてもらえるような人間に、なることができるだろうか?まぁ、そういったことを考えるよりも、自身の「行きつけの店」を作ることの方が大事なのだけどね。
     しかしまぁ・・・本当に不勉強でいけない。著者の山口瞳さんという方がどういう方で、どういった作品を残しているということを全くわからない状態で読み進めていて。この書評を書くにあたり、どんな方を知ったという。知らないということは、強みであり、弱みだなぁ。

  • ひとつ気に入ると、毎回毎回、何年でも同じ店の同じメニューを頼む著者。
    旅先では滞在中毎日同じホテルに泊まり、同じ店で食事をし、同じ飲み屋で飲む。
    これはお店からすると結構厄介なお客さんになるのではないか…と思ったら、店主や女将とは親戚のように深く付き合う。
    「行きつけの店」とは、そういう場所のことだそうだ。

    私はいろんな場所を知りたいし、いろんな味を味わいたいので、そういうことはできない。
    数カ月に一度は訪れたくなるようなお店は札幌にも東京にもあるけれど、親戚づきあいをするかといえば…無理だな。

    この中で紹介されている九段下の「寿司政」。
    いつも九段下で仕事をするときにその前を通って、気になっていた店だ。
    創業が江戸時代で、令和の今でも、何の由来も知らない私がつい目を止めてしまうほどのたたずまいを見せる店。
    一度行ってみたいけれど、一生私には縁のない世界なんだろうなあ。

  • 一冊入魂。そのおかげで山口さんの行きつけの店にずいぶん連れて行ってもらうことができました。やっぱり人が大事。
    http://www.ne.jp/asahi/behere/now/newpage201.htm

  • 祇園サンボア(ポルトガル語・ザボン):日本最古の酒場、マティーニがgood!/九段下・寿司政のシンコ(8月の末が良い.4月の10日頃も良い)、ワカレ:チラシ寿司で肴と飯を別々にすること/コウバコ蟹:北陸のみの呼び名でタラバのメス.11~1月が漁期でオスより安く卵とミソが両方味わえる/倉敷:木犀の街。木犀は空気の澄んでいる所しか花が咲かない。天橋立の文殊荘別館:上原謙・高峰秀子のJRフルムーンCM撮影に使われた

  • 池波正太郎のすごさをあらためて知る。題名からして嫌みだ。この表紙もないだろう。功なり遂げたと自覚した表現者から味わいは感じない。列記された店に行って見たいと思わないのが健全な庶民だと思う。ここに絵分利用満氏はいない。あ-あっ。

  • 載っている全ての店に行ってみたくなる。
    身近にも探せばあるのかもしれないが、気持ち良く過ごせるかどうかは、自分の人間性にもよるのだろうな。

  • この本のロージナに関する記述は、改めて国立のすばらしさを認識させられます。学生の頃とは違った国立の楽しみ方があるのだなと最近感じます。

  • 山口瞳の『行きつけの店』を読んで、わたしもそんな店があればと思うのでした。何度も読み返しているのは失われた世界へのノスタルジーでしょうか。

  • なぜだか山口瞳氏を「二十四の瞳」を書いた人と勘違いしてました…。なんでだろう?瞳つながりだからか?
    成人式の時に新聞で諸君、から始まるお酒のことを書いてらした方、とようやく思いだしました。

    行きつけという何気ない言葉ですが実にハードルが高い。
    ここ、と決めたら浮気はしない。一途に通い詰める。凄いなあ~と思いましたが何が凄いって人との付き合い方が凄いです。考えてみれば人と交わると言うことはどんな場であれ勉強の場なのだなあと思いました。
    他の本も是非読んでみたいなあと思いました。

  •  実は最初にいいなと思ったのは表紙の絵である。誰もいないカウンターにグラスがひとつ伏せられていて、その前にきれいに箸が置いてある。柱には花が生けてある。何とも雰囲気の良さそうな、奥からきれいな女将さんが出てきそうな小料理屋である。
     このエッセイ集に描かれているのも、みんなそんなステキな店である。鉢巻岡田や八十八などは、この手のエッセイではすでに有名であるけど、足を運ぶことのできない僕としては、そのおいしそうな料理と、いかにも粋な作者と店の方々のやりとりにうっとりしているしかない。僕は、9時を過ぎるとお客と飲み始めて勘定を取らなくなるマスターの話が好きである。映画「居酒屋兆次」のモデルだそうだ。この映画も観たくなった。
     こういうエッセイは、確かな幸せと、ちょっとした嫉妬を運んできてくれる。いいもんだ。

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著者プロフィール

1926年東京生まれ。小説家、随筆家。『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞受賞。おもな著作に31年間連載したコラムをまとめた「男性自身」シリーズ、『血族』『居酒屋兆治』など。1995年没。

「2014年 『ぐつぐつ、お鍋 おいしい文藝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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