草の花 (新潮文庫)

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著者 : 福永武彦
  • 新潮社 (1956年3月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101115016

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草の花 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 純粋な恋愛小説だと思って読み始めたら、全く違った。
    特に、茂思の(藤木)忍への想いは、恋愛という言葉ではあらわせないように思う。けれど、いわゆる同性愛という一言で片づけてしまうのではなく、彼の感情に本当の意味で共感できる人は、実際多くはないのではないだろうか。

    ―藤木、と、僕は心の中で呼び掛けた。藤木、君は僕を愛してはくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう……。―(p249)

    なんという寂しさだろう。茂思は潔癖なまでに愛を求めたが、自分の孤独を大事にするあまり、与えられる愛に気付かなった。
    茂思の絶対的な孤独や愛し方、彼の純粋ゆえのある種のエゴや過ちが我が身に重なり、苦しくなる。
    心を深く抉られる作品だった。

    巻末の本多氏の解説は、茂思の感情をセンチメンタリズムや同性愛的な恋愛感情と括ってしまわずに、茂思の孤独や潔癖さ、それゆえの寂しさといった、青年期ゆえの苦悩や葛藤に、静かに寄り添っている。
    この解説のおかげで、自分の心の言葉にならないいくつもの感情が腑に落ちたとさえ思う。
    もしかしたら私は、作品本編と同じくらい、巻末の解説に救われたのかも知れない。



    以下、巻末の解説より引用


    p268 なんという、ぞっとさせるような孤独だろうと、読者はお考えになるかもしれない。しかし、冷静な理智の眼には、人生の現実はそういう残酷なものだ。人は、ついに、お互いを完全には理解することができない。極言すれば、人間は、誰でも、ひとりぼっちなのだ。もしも、恋愛が完全な理解の上に築かれなければならないという潔癖さを持するとするならば、この世には、おそらく一つの恋愛も築かれないであろう。主人公汐見の悲劇は、そのような潔癖から起った。
    このような絶望的な孤独は、多分、作者のものであろう。その絶望の深淵の中から自分を見つめ、人生を見つめることは、さぞつらいことであろうと思う。しかし、そのような深淵の底でこそ、真物が作られる。波の間に間に浮ぶようなものから、われわれは何ものをも期待しはしない。

    レビュー
    http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-501.html

  •  世界観の違う存在を愛するということ。
     もうものすごく良かった。快いという気持ちも、その真心を達するためにどうするべきなのかという道筋も同じ理論を持っているのに、重たくて受け止められなかったり、真心の名前が違ったりして想いあうことが出来ない。
     愛だと名付けている物の姿がそれぞれほんの少しずつちがって、その少しの違いがそれぞれの世界観の決定的な楔になっていて、そこを曲げて愛するということは、自己存在をまとめている軸を手放すと言うことなんだよな……。
     藤木は一人で死ぬのが寂しくて誰かを求める気持ちがあるのなら、いつか死ぬことを思って汐見さんを受け入れてしまえば良かったし、千枝ちゃんは神を通さず理論は違うけど汐見さんには確かな愛があるんだって信じてしまえばよかった。汐見さんは自分の夢を現実に適用したら似た姿になるんだって妥協してしまえばよかった。でも誰一人だって、若い心でそれを選ぶわけにはいかなかったんだ。
     とにかく伝わらないもどかしさがあって、このもどかしさが描ききられているのを読めてとても有り難い気持ちだ。

     とても自然な、ありふれた思いやりある友達としての立花君が汐見さんにまるで認識されていないのが少し切ない。でもそれも含めたのが汐見さんという世界なのだろうなあ。

  • サナトリウムで入院中の汐見は、孤独の中にいて、周りの人々とも関わりを持とうとしない。医師からも反対されていた手術を自ら受けると申し出て、結局は亡くなってしまう。それは彼の自死だったのだろうか。彼が残した二つの手紙によって、彼が愛していた藤木という同性への愛とその妹である千枝子との関係が描き出される。

    汐見は藤木を愛していた、藤木も汐見のことを意識していたが、二人は結ばれず、藤木は敗血症により亡くなってしまう。生前から交流のあった妹の千枝子に藤木の面影を見つけることで彼は彼女を愛するようになる。千枝子はキリスト教信者で、孤独な状態にある汐見を教会に来るように誘うが。彼は当時の戦争へ突き進むキリスト教に対する批判、マタイ伝の「主人に見捨てられた僕(しもべ)」の箇所を引用して自らが教会に行くべきではないとして、千枝子の誘いを拒む。

    本文中に言葉にはされてないが、汐見は同性であえる藤木への愛が聖書によって拒絶されているのではないかと感じたのかもしれない。彼が本当に愛していたには妹の千枝子ではなく、その兄である藤木なんだと感じた。最後に汐見の死後、千枝子からの手紙がくるのだが、その内容から彼女は汐見のそんな気持ちを見抜いていたように思える。だから教会に行くことを勧めていたんだろうなあと。

    同性愛をテーマにした文学(特に当時は)は決して結ばれない、孤独な愛というパターンが多く、だから美しいとなってしまうのだが、これは決して美しくはないと思う。いろんな意味でマイノリティであった汐見は当時のキリスト教や大日本帝国と闘っていたんだと思う。そういう力強い作品だと感じたなあ。

  • 愛と孤独と信仰に関する瑞々しい苦悩という表現がいいかな。
    真面目に悩むのが恥ずかしいという理由のもとに押しやっていたテーマたちが詰め込まれている。
    愛すること、愛されること、信頼、信仰を起点とした価値観の相違、馬鹿馬鹿しい戦争、潔癖、など。

    汐見は世間知、そして見て見ぬふりというものを身につけることがなかった。
    そのまま30歳まで歳を重ね、自殺とも判断できる手術死を迎える。
    それは若くして死んだ藤木忍も、また。
    千枝子も優しく可愛い女の子だが、汐見という男を経て、女性になる。
    その過渡期だったために結び付けなかったのではないだろうか。

    千枝子の
    「汐見さんはこのわたくしを愛したのではなくて、わたくしを通して或る永遠なものを、或る純潔なものを、或る女性的なものを、愛したのではないかという疑いでございます」
    という言葉は、大人にならないと吐けない台詞だ。

    第一の手記と第二の手記の違いは、相手の違いもあるが、
    汐見の孤独がより強まったことにある。
    そのため死という観念にとりつかれてしまう。

    誰もが一度は汐見だったことがあるのではないか。
    忘れてしまった感情への共感があるからこそ、風景描写も輝く。

    高校生くらいの年代に読んでおきたかった。

  • いまから6、70年前、第2次大戦前後の時代を舞台にした、孤独感にさいなまれる若者を描いた作品です。

    結核の療養所に身を置く"私"と同室の汐見茂思は、成功率の低い手術を積極的に希望します。

    汐見が手術直前に"私"に託した2冊のノオトにつづられていたのは、汐見の同級生の男子学生藤木忍への思い、その後の藤木の妹千枝子への思い。
    孤独を訴える文章です。

    藤木忍、千枝子に自分の思いが通じさえすれば、あとは何も要らないかのような突き詰めた思いは、汐見自身を追いこんでいきます。

    ふたりの思いを結晶させるには、はじまりはどちらか一方の思いからであったとしても、もう一方の気持ちが育まれるまで"待つ"時間が必要です。

    思いをよせる相手さえよく見えなくなるのが、若い恋なのでしょう。ましてや、命の行方がおぼつかなかった時代の若者は、いまより急いでいたのかもしれません。

  • 孤独孤独孤独。
    私自身の中にある"孤独"が、
    汐見の"孤独"と重なってなんだか苦しくなった。
    孤独は弱いものじゃない。自分を靭くするもの。
    私も孤独を抱えて生きています。
    きっと誰しもそうなんだろうね。

    汐見はそれが強かっただけなんじゃないかな。

  • オリオンの星座が、その時、水に溶けたように、僕の目蓋から滴り落ちた。

  • 道尾さんおすすめ。

    比喩の美しさ。肉眼よりも肉眼に近い情景描写。死を真っ直ぐに捉えた冷徹な視線があったかと思えば、直後、この上なく切ない書き様で愛情を描いてみせる。その間涙が流れた。
    著者の文章はとても硬質なのだが、ロックグラスに入れられた丸い氷のように、読者が流した涙をやわらかく薄めてくれる優しさも秘めている。だからこそ、読み手は安心して新しい涙を流す。それもまた丸い氷が、冷たく優しく薄めてくれる。

  • 痛々しいほどに純粋な孤独を描いた作品。愛、戦争、宗教など、他にもこの作品を構成する要素は沢山あるけど、第一の手帳に書かれている若かりし頃の汐見の孤独が何より引き込まれる。藤木と千枝子、両者を愛した汐見だけど、わたしはやはり18歳の汐見の持つ孤独こそがこの作品で1番美しいと思う。

  • 文章に透明感と繊細さがあって本当に綺麗でした。
    もちろん波長の合う人、合わない人がいるだろうけど私は素敵だと思います。

  • この年になって読み返すと、何をぐだぐだ言ってるんだこの男は、と、シオミさんを怒鳴りたくなってしまうけれど、多感な中学生時には夢中になって読んだ。シオミさんの懊悩が分かるような気になったりもした。
    愛するということになんだかんだ理屈をこねていたシオミさんは、結局は自分が大事なひとだったのかなと思うようになったのは、自分が結婚してからだった。
    愛を夢見ることと、愛を生きることは違うものね。
    ちなみに、愛する亡父が初めて薦めてくれた本ということでも、私の中での宝もの。
    父も、誰か同性に淡い気持ちを抱いたことがあるのかな、と、ふと思ったり。

  • 自己陶酔的で自己完結でしかなかった思春期の幻のような恋。生涯、本気で信じ続けた清璧な哲学人間の汐見と、かれが愛した二人の人間について書き残した遺稿。情景描写や言葉が本当に細やかで清潔な作品です。こんな風に生き、恋をすることが可能なのかと、作中の人物たちの痛々しいほど可憐な姿に切なくなりました。正確にいうならばこの話は究極のプラトニックラブに至るまでの話だと私は思います。というのは汐見は生きている間、愛すだけでかまわないといいながら、彼等にもそして神様にさえ愛されたいと叫ぶ様に思えた。一番純粋なのは薄汚れたといいながら汐見だったのではないでしょうか。そして、彼のその姿に彼が愛する人や友人達はまた、自分たちではない高次元の誰かに、無しか返してくれない相手を思い心ばかりか体も預けてしまいそうな汐見を恐れ哀れんでいたように感じた。汐見は神様に片思いをしていたんではないでしょうかね。

  • 役名:汐見茂志

    成功率が限りなく低い手術をわざわざ受けるのは、自分を死刑にするため。理知と繊細ゆえに友人との友人を超えた愛も実らず女性との恋も実らず、病に倒れる。超絶知的デリケートな美しい小説。主人公の名前も好き。

  • 昔、哲学に進む人は自殺する人が多いから怖いと思ったことがある。また興味を覚えたこともある。青年期には、生について思索し、自我を覚え、孤独を感じる。汐見はその思いの強い覚めた男性だった。また千枝子は感受性の強い女性だった。二人が結ばれていたら幸福だったか不幸だったかわからないが、大きな転機になったかもしれないと思うと、汐見の最期はやはり残念だ。2017.4.14

  • 忘我の境地で、とまでは言わなくとも、多少はバカにならないと人を愛し通す事は出来ないんだな、と感じた作品。
    藤木も千枝子も僕を愛さなかった、と汐見が述懐するのですが、もう見当違いの絶望がやるせなくてやるせなくて…。

    そんな物悲しい話の中で、夜船でのひとときは涙が出るほど美しかったです。あそこが間違いなく汐見達のターニングポイントだったのに。

  • 叶わなかった2つの愛の記録。
    弱くて、繊細に理想を求めてあがきつづける青年の心がいたいたしい。

    p.112
    「愛していれば苦しくもなるよ。」
    「でも僕にはそれが重荷なんです。(略)
    僕の孤独と汐見さんの孤独と重ね合わせたところで、何が出来るでしょう?」
    「孤独だからこそ愛が必要なのじゃないだろうか?」
    「僕はそっとしておいてほしいんです。」
    「僕は厭だ。」

    全然かみ合わない、現実を見ていない汐見。それでも運命の方向が変わらないけれどちょっとした偶然が、煌めいて感じる。

    上引用からの

    p.150「だって一人きりで死ぬのはあんまり寂しいもの。」

    との落差に心を打たれる。

  • 相手の姿そのものを見ず、自分の理想を重ねてしまうと評される汐見。彼の記憶として2冊のノオトを辿るとき、春日や立花など、その傍らを通り過ぎた人々が与えた影響が見え隠れしていく。
    また、しがらみに囚われ、汐見の理想のような愛に疲れて拒絶を続けていた藤木忍が、一瞬間のみにおいてその愛を許容しようとしたときに見せたエゴイズムがある。この小説の中で最も美しい箇所だと思う。ヒトは誰でも、相手に理想の姿を見出す。第二の手帳における千恵子のように幻滅を恐れもする。汐見が孤独に美を見出したのは明らかに春日の影響だろうが、彼が、若さの潔癖のままに美を求めなければ、人生の中では納得するわうな「幸福」は存在しただろう。戒めとして何度か読み返したい。

  • 大学時代の友人の紹介で読む。紹介がなければ読まなかった作家。

  • 偶然知っている手に取った本だったが、この出会いに感謝する。孤独と愛という、人間の永遠のテーマについて扱った傑作だと思う。
    人間は孤独だからこそ愛することができるというのはよく言われていることだけれど、主人公茂思は孤独であるがゆえに愛していながらも肉体的な意味での愛を達成することができなかった。これは彼がおかしいという話ではない。彼があまりにも孤独を確固なものとしていて、そしてそれゆえ
    に純潔であったからだ。
    難しいことなど考えずにただ愛すればいいともどかしくもなるが、理解不能というわけでもないから切ないやら悲しいやら…。
    茂思と藤木兄妹2人は思い合っていたのにすれ違った。そのことにもより一層悲しくさせられる。
    結局のところ真には分かり合えないということなのか、それとも。

  • 『地獄』に似てる。

  • サナトリウム話

  • 汐見茂思は孤独を自ら選びながら、人を巻き込もうとする困った人なんだけど、誰もがそんな身勝手な純粋さを持っているわけで、この人はその傾向が強かったんだよね。
    感情移入しすぎずに、少し距離をとってこの人の言動を見ると、少しばかり考えがひとりよがり。
    「私は孤独だ」と言ってひとりよがりな妄執で周りを振り回す。あまりにも純度の高い思いと、頭の良さはとても好感が持てるから頑張ってもらいたかった。誰かを支えたり、誰かを思うことで自分が心強くなるような経験をしたりすることで、自分が誰かの隣にいることの意味を問えるようになってもらいたかった。せっかくの頭の良さがもったいなかった。
    それでも、愛さむなくば死という考えにはある種のロマンはあるわけで、なんとなく高尚な気分になってしまいもする。生きていかねば。

  • 人はみな草のごとく、その
    光栄はみな草の花の如し。
    ペトロ前書、第一章、二四

    サナトリウムで死んだ汐見茂思から遺された二冊のノート。そこに書かれた藤木とその妹、千枝子との恋愛。或いは恋愛以前の想い。或いは恋愛以上の。
    愛することは責任で、それが怖いと藤木は言った。
    汐見は、ただ愛するだけで、見返りは求めないと言う。
    神を愛さない以上、人を愛せないと千枝子は言った。
    汐見は、ただ一人聖書を読んでその通り生きるなら、洗礼も教会もいらないはずだと考える。
    汐見はあまりに孤独だ。だから誰を愛しても、それが受け入れられない。
    主人公が自殺とも疑う汐見の手術死の前に託されたノート、主人公なら己の想いを理解し得るのかもしれないと思ったのだろうか。しかし、それでも、汐見は頑として危険な手術に臨み、帰らぬ人となった。冒頭汐見は冬の百日紅を見て言っていた。「こんな惨めな恰好をして、それて生きていたって何になるものか、死んでる方がよっぽどましだ」
    花のない草は、その光栄のない人は、死んだ方がよっぽどましなんだろうか。

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草の花 (新潮文庫)の作品紹介

研ぎ澄まされた理知ゆえに、青春の途上でめぐりあった藤木忍との純粋な愛に破れ、藤木の妹千枝子との恋にも挫折した汐見茂思。彼は、そのはかなく崩れ易い青春の墓標を、二冊のノートに記したまま、純白の雪が地上をおおった冬の日に、自殺行為にも似た手術を受けて、帰らぬ人となった。まだ熟れきらぬ孤独な魂の愛と死を、透明な時間の中に昇華させた、青春の鎮魂歌である。

草の花 (新潮文庫)のKindle版

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