- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101115023
感想・レビュー・書評
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人は人が亡くなった時に、思い出すようにして愛を確かめる。人類の死は繰り返されてきたけど、愛する人の死は個人的に確かな「死」また「愛」として訪れる。そんなメッセージを僕は受け取りました。
生きるとは何か、愛とは何か、このありきたりな問いを新しい形で投げかけてくれる一冊です。
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あまりにも好きすぎて、読んでいる途中は一生読み終わらなければいいと思った。そのくらい小説世界に没頭し、心酔した。そんな小説。
福永武彦本人の人生観であるか、はたまた完璧なフィクションであるかは分かりませんが、全ての登場人物が抱えるそれぞれの孤独に共感する。愛の挫折ゆえに魂が死んでしまった人間が苦しむ様子はまるで作者自身の人生がそうであったかのように思わせる何かがあって、怖くなった。
お涙頂戴でも何でもないのに、涙がこぼれる。こんな読書体験、はじめて。ありがとう。 -
草の花から続けて読んだ、福永武彦作品。
藤代家の主人である「私」の独白に物語は始まり、語り口は彼の家族へ移りながら、ゆっくりと進行してゆく。
愛するということと、愛されていると感じること、其々に家族は苦悩を抱いており、日常と過去がシームレスに展開する中で、いつでも彼らは自分の心を探している。
福永武彦の巧みで独特のテンポ持つ文章はとても心地良く、酔いしれながらも読み進めてゆくと、作品を通して深い意識の中に潜っていってしまうような感覚があった。
綿密に練られた全七章からなるその構成は、これ以上無いくらいに読み易く、読後はとても爽やかな気分になれる。無人島に一冊もっていくなら、僕は迷わずこの一冊を選ぶ。現時点で、今まで読んだ本の中での最高傑作。 -
几帳面で端正なたたずまいで、神経質で理屈っぽくて、あきらめているつもりなのに、絶望にしがみついているのに、譲れない希望も持ちあわせていて。そんな甘ったるさがとても福永武彦らしい小説でした。
小説、とは、ストーリーだけ、構成だけ、設定だけ、描写だけ…では成立しない。物語性も構成も設定も描写も…他のどんな要素も捨てることなく、かつ、哲学が存在する。作者の持つ哲学が小説に息を吹き込み、そのとき物語に命が宿るのだろう、そう思う。
「忘却の河」は紛れもなくそんな生きた小説だ。
福永武彦、好きだなぁ…と今回も思い知らされました。
感傷的なのに、論理的。人の罪は誰が赦すのだろう、どう赦されるのだろう。日本という風土で罪に相対して、導かれる答え。
鋭利な切っ先で深く斬りこんでくる物語に、BAD ENDも覚悟していた私は、優しい空気に包まれたラストでやっと詰めていた息をほどきました。
優しい読後感を感じながら、でもこの物語の重いテーマから解放されたのではないと知りながら。
福永武彦は好きすぎてうまく読後感も表現できないですが…。
個人的に、呉さんとゆきさんのロマンスに泣きましたが、次女からそのロマンスの存在を伝えられたときの父親の安堵にちょっとほっとしました。 -
静かで端正な文章が美しい。父親の、現代と過去の交錯する描写が秀逸です。意外にもハッピーエンド……(と私は思った)。一章の冒頭に引用されたギリシャ神話辞典の言葉「レーテー」の説明文から引き込まれる。あと、福永武彦と池澤夏樹って親子だったんだ……。
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初めて福永武彦を読んだ。
この時代ならではの奥ゆかしい日本の家族が描かれていて美しい。
中年の男、その長女と次女、そして病気で寝込んでいる妻の視点で章が展開される。
中年の男が終盤の長女に対して言う台詞が好き。
「私たちはそういうふうに躾られてきたのだ。それに私は自分の感情を殺すことも覚えていた。それでもどうにもならない時がある。心の中が溢れて来て抑えることの出来ない時がある。私にしたってお前が可愛くないわけではなかった。そういう時に私はこっそりお前のそばへ行って、小さな声でこの子守唄を歌ったものだ」【332頁】 -
セピア色の、どこか寂しくて、だから純潔な心の在り方が、さらさらと水のように流れていく。確かに人の記憶は沈殿そのものだと思う。次第にそれ自体がその重みに耐えかねて、静かに沈んで忘れられてゆく。水面の震えに応じて、時々浮いてはまた沈んで。
心に残るフレーズも時折。大好きな小説。
蒼くて、深くて、涯がなくて。 -
4.09/604
内容(「BOOK」データベースより)
『「忘却」。それは「死」と「眠り」の姉妹。また、冥府の河の名前で、死者はこの水を飲んで現世の記憶を忘れるという―。過去の事件に深くとらわれる中年男、彼の長女、次女、病床にある妻、若い男、それぞれの独白。愛の挫折とその不在に悩み、孤独な魂を抱えて救いを希求する彼らの葛藤を描いて、『草の花』とともに読み継がれてきた傑作長編。池澤夏樹氏の解説エッセイを収録。』
【目次】
一章 忘却の河
二章 煙塵
三章 舞台
四章 夢の通い路
五章 硝子の城
六章 喪中の人
七章 賽の河原
初版後記
解説:篠田一士
今、『忘却の河』を読む:池澤夏樹
冒頭
『私がこれを書くのは私がこの部屋にいるからであり、ここにいて私が何かを発見したからである。その発見したものが何であるか、私の過去であるか、私の生きかたであるか、私の運命であるか、それは私には分からない。』
『忘却の河』
著者:福永 武彦(ふくなが たけひこ)
出版社 : 新潮社
文庫 : 368ページ -
絶版になったと聞いて、散々捜し求め、やっと入手した本。
以前「草の花」を読んだ時、ひどく落ち込んだ気分になったので
恐る恐る最初のページをめくった。
前作からなんと10年の月日を隔てた288pに及ぶ長編とあって、
文体もかなり現代に近く、読みやすかった。(しかも回りくどくなくね(笑))
著者の想いが伝わってきて、不思議とすらすらと一気に読めた。
藤代家の四人の家族と、周囲の人々のそれぞれの心の動きが
一編ずつ綴られていて、そのあまりにも切ない感情が、読んでいて
ひどく辛かった。
主となる登場人物に、「彼」と「僕」、「彼女」と「私」
という微妙な隔たりがあるが、それを行き来するうちに、だんだんとそれらが融合されて
違和感なく一体化する。そんな不思議な文章だった。
藤代氏は過去の罪の深さに押しつぶされながら、生きてきた、いや、
生きながら死んでいたんじゃないかな。
そして妻の死後、自分の子供を身篭ったまま何も言わずに自殺した
最愛の彼女の古里へ行き、そこで冷たい河原の石を拾う。
彼はそして、彼の罪を捨てるため、彼女の許しを得るため、過去と別れを告げるために
その石を、掘割へ捨てたんじゃないかと私は思う。
誰の心にもある、誰にもいえない罪。
彼らの幸せはどこにあったんだろう。
おそらく、日々の何気ないところに「幸せ」はあったのかもしれない。
ただ、それを彼らは幸せと感じていたかどうか・・・。
過去のどこで、どうしていれば幸せになっていたのだろう。
著者は後に、クリスチャンとなり、洗礼を受けたらしいが、
人はやはり、「許し」を得たいものなのだろう。
三浦綾子とよく似ている人のようだ。(2003.1.22) -
「草の花」よりもこちらの方が好き。この文体は本当に懐かしい。最近はこういう古い文体の作品が失われてしまった。登場人物がみな苦悩、悩み、孤独、暗い過去を抱え、どこにも出口が無く哀しい気持ちになるが、それまでバラバラだった歯車がぴたりとはまって回りだすように、最後に心温まる結末で結ばれる。読了後の幸せな気分と言ったら。登場人物同士の会話に「 」をつけないので読みづらいという声もあるようだが、その技法がまた想像力を刺激し、読者をより深く物語へ入り込ませる。共感できる部分が多々。著者の人間に対する優しい眼差しを感じるこの作品に出合えてよかった。おすすめして下さった方に多謝。