父・こんなこと (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101116013

感想・レビュー・書評

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  • 偉大な作家の娘が、父の事を書くという意味では現代の阿川佐和子と重なるけれど、またこれが本質的には随分と似ていることよ…片や出戻り、片や高齢結婚という事も何となく被る。

    作家であるからして、家にいて書き物をしているという事は、サラリーマンの父よりもよっぽど多くの時間を一緒に過ごしているし、作家という職業柄、知識豊富で、多少なりとも頭でっかちな所があり、一番言いやすい家族には色々な要求をしてくるという共通点が要因とも思える…

    それにしても、阿川家も幸田家もなんだかんだ言いながらも、父親を中心とした家庭における楽しい日常がしのばれる。

    さて、振り返って自分は子供達に楽しかった、タメになった思い出を残せてやれただろうかと思うと、甚だ心許ない…特に一緒に過ごせた時間が圧倒的に少なかったと反省するが、後悔先に立たずである…

    読後、当然のことながら、幸田露伴の作品を読んでみたくなってしまう。こんな感じで死ぬまでの読みたい本のリストが益々大きくなってしまう。欲のかたまりであっても、こればかりは今から達成不可能な目標と諦めざるを得ないな〜…



  • 父、幸田露伴の娘視点の話。
    家事を仕込んでくれたのは露伴だったのか・・・
    父の介護は大変だっただろう。父との思い出話面白かったです。
    身近な人が亡くなってしまうと色んなことを思い出しますね。

  •  幸田文さんの出発点です。「おとうと」、「みそっかす」と読み継いでくれば、これを読まないわけにはいかない、そういう作品です。
     驚異的なのは、お父さんの幸田露伴の死に際して、おそらく初めて、人前に出す文章をお書きになった幸田文さんの文章の落ち着きです。誰かわからない人に向けて書く文章のむずかしさというか、他人から見れば「それがどうした」という家族の話を書くのは、なかなか、素人の手にはあまりそうですが、そういう危惧を微塵も感じさせない、だからといって媚びたり開き直ったりしない文章だと思いました。
     読み始めて感じるのは初々しさとでもいうのがいいのでしょうか、ある種の緊張感なのですが、しかし、これは、ただ事ではないと編集者は思ったでしょうね。
     ブログにも書きました。よければどうぞ。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202201020000/

  • 父:恥ずかしさから父親と向き合って生きていくことをあまりしてこなかったが、これを読んでそれを少ししなければいけないと感じた。
    また、作者の表現に植物が多く用いられるところは作者らしくてとても好き。

  •  幸田文さんの父、幸田露伴氏は戦中の大空襲以来、寝たきりになってしまわれた。寝たきりでもそれ以前の規則正しい生活は変わらず、毎朝同じ時間に目覚められて、すぐに文さんと娘の玉子さんが、洗面の用意をし、煙草、ほうじ茶、朝食、搾りたての牛乳、新聞を決まった順番に用意するなど、厳しいお父上の看護はなかなか大変だった。
     いよいよ重篤になられたのは、戦後二年目の昭和22年の夏だった。ある朝血を吐かれ、それを見て文さんは、いよいよお父様に死が迫ってきたと確信した。
     急いで親しい人や、医者に知らせなければとあたふたとする。今のように携帯どころか、固定電話もないので、電車に乗って呼びに行く。猛暑の夏でただでさえ蚊が多いのに、蚊帳が切れていること、蚊取り線香がないことに気づき、そのことでも慌てる。氷をたべることを軽蔑していた父親が口のなかが気持ち悪く、氷を食べたいと言うので、猛暑の中、氷を求めて、あっちの氷屋、こっちの氷屋とうろうろする。やっと買い求めた氷を溶けないように持ち帰るのも大変。お父様が食べ物をこぼされた時に、着物や袷やお布団を洗うのも大変。お父様はそんなにきれいにしなくて良いというが、国宝のような父親なので、お見舞いに訪れる人の手前、粗末な格好はさせられない。
    そして亡くなる二日くらい前に、お父様が誕生日であることを思い出し、赤飯や尾頭付きを用意していなかったことに愕然とする。何とか、用意出来た赤ご飯と小さな鯛の載った、それまでで一番粗末な祝い膳を見せると、父親は食べられなかったがニッコリした。文さんは子供の中ではお父様に可愛がられなかった子供であったらしいが(可愛がられた姉と弟は早くに他界した)、その時のお父様のニッコリで、今まで積もってきた気持ちが和らいだそうである。
     こんなお父様の介護は大変だなあと思ったが、文さんは優しいなあとも思った。
     今なら、スマホも冷凍庫もあるし、(私の住んでる所は)病院だってドラッグストアだってあちこちにあるし、交通もかなり便利なのに、私は要介護の母にも、もう亡くなった父にもこんなに優しくしていない。文さんの時代と違って、女性が外で働くことを本人以上に理解してくれ、元気な時は孫をよく預かってくれたのに。
     以上はこの本の前半の「父」の感想。お父様の幸田露伴氏の介護から他界、お葬式までを書いたもの。感動しながらも、露伴氏は古い時代の固い、厳しい、わがままな男性で、女性に自分の世話をさせすぎだ。「男尊女卑」の時代の人だと思った。
     ところが、後半の「こんなこと」を読んで、誤解していたことが分かった。
    文さんに、掃除、料理、障子の張替えなど、ありとあらゆる家事を仕込んだのは、お父様の露伴氏だったのだ。露伴氏はその母親に徹底的に仕込まれたということで、掃除ならまず、ハタキの作り方、障子の張替えなら、ハサミなどの道具を研いだり、糊を煮る所から(少し凝り性だったらしいが)徹底的に丁寧に教えた。文さんは反抗心を持ったが、露伴氏がやってみせる見本はあまりにも手際がよく、無駄がなく、美しかったので、歯が立たなかったそうである。
     文さんはいわゆるお嬢様なのに、普通のお嬢様に習わせるようなお茶やお華のお稽古ではなく、家事の一つ一つを修行のように奥深く教え込まれた。
    「家事に追われるというのは何と惨めなことで、家事はこちらが先手になって追いまくるべきもの。自分を豊かにして楽しくするために女はもっと勉強しなくてはならない。能力と労力をあげて、本気で家事に集中すれば、勉強の時間は恐らく、必ず得られる。」というのが、幸田家の流儀だったそうだ。
    難しいなあと思うが、今のように家電製品もなかった時代の大先輩の言葉に励まされる。
     解説に文さんの文章は誠実さが魅力だと書いてあったが、私もそう思った。飾り気はないが、細々とした記憶、国宝のようなお父様の死に直面したときの迷い、幼いときからずっと父親に気に入られたいと思っていた心情など、具体的な事実も自分の心のうちも誠実に書かれていることで美しいものが美しいと分かり、共感出来る。
     露伴氏の本は読んだことがないが、文さんによって残された幸田家の記録は私にとっては、文化財のような一冊である。




  • 父の病臥、逝去の前後とその後。
    娘・幸田文による幸田露伴の記録と想い出の記。
    ・父ーその死ー
        菅野の記 葬送の記  あとがき
    ・こんなこと
        あとみよそわか このよがくもん ずぼんぼ 著物
        正月記 そつ(口偏に卒)啄 おもいで二ツ  あとがき
    巻末の解説は塩谷 賛。文中に登場する露伴の助手、土橋さん。
    「父ーその死ー」では、病で死への道を辿る父と
    それを目の当たりにする娘。死、そして葬送、火葬、葬儀。
    愚痴、怒り、悲しみ、戸惑い、後悔、迷い等々、
    愛憎入り混じった想いが赤裸々に綴られています。
    「こんなこと」では父との思い出。
    14~17,8歳の頃に家事一般を露伴から習う話。
    そこに垣間見えるのは、露伴の年少の頃の生い立ち。
    正月、猥談、俳諧等、日常の出来事に交えての、
    弟や継母、娘との関わりと感情についても綴られています。
    小説家露伴は、私には露伴なるちちおやである。
    だからこその感情をむき出しにした記録は、忘れることも
    捨てることも出来ない、大切な記録なのでしょう。

  • 父と娘

    本当は別の一冊を読みたいと思っていたけど
    自分も父を亡くしていることもあって
    こちらを先に読んでみたくなった。


    父、露伴の病と葬儀の記録。
    そして父娘の思い出。


    作家である露伴の娘だった幸田文にとって
    書くことは無意識のうちに彼女自身の中に
    すでにあり、ごく自然なことだったんだと思う。



    そして作者はメモ魔だったのでは…
    それを示すような一節が度々出てくる。


    父、露伴から教えられたことや出来事について
    いくつか書いているけど、
    それもその当時の湧き出した
    思いが原動力となり一気に書かれている気がした。
    休みなく呼吸することすら忘れてひたすら書き続けた、そんな印象だった。


    解説では「誠実」という言葉が使われていたけど、
    描写の細かさは作者のまっすぐな気持ちの表れのようにわたしも思う。


    単なる「文字」でしかないけど、
    思いは文字に表れるから。


    わたしも父が入院していたおよそ一年間、
    日記をつけていればよかった。


    毎日病院通いしていたから、
    一番近くに父を感じていたし
    振り返れば大事な父娘の時間だった。



    わたしのメモ魔は父譲りだ。
    父母ともにその節はあれど、父の手帳の書き方や細かさはわたしのそれと同じである。



    こうやって親と子は、本人たちが気づく
    ずっとずっと前からすでに繋がっている。


    父と娘のつながりを改めて感じた一冊。

  • 父露伴の死にゆく姿と、続く葬儀の模様を綴り、刻々の死を記録した

  • 父の死を受けて、遺された家族としての感情を 素直に表現し、故人の生きた事実を 確かめるように 忠実に再現し 回想している。親から自分か受け継ぎ、次へつなげるべき命の尊さを感じた

  • 誠実はこの著者の修正である。
    のあとがきが残る?

    死にゆく人をみつて感じたまま、向き合った言葉で綴られて、こちらは息をひそめて読み進めるしかなかった。

    薪を割ることも父からこってり習い、
    その斧、その木を手で感じきっちりとしたためるほどだから、「木」で反りもがく「アテ」に心揺さぶられていたのかと納得した。

    物事や己の心をしっとりみつめる文章、正直な文章を書きたいと思う。あらためて。

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著者プロフィール

1904年東京向島生まれ。文豪幸田露伴の次女。女子学院卒。’28年結婚。10年間の結婚生活の後、娘玉を連れて離婚、幸田家に戻る。’47年父との思い出の記「雑記」「終焉」「葬送の記」を執筆。’56年『黒い裾』で読売文学賞、’57年『流れる』で日本藝術院賞、新潮社文学賞を受賞。他の作品に『おとうと』『闘』(女流文学賞)、没後刊行された『崩れ』『木』『台所のおと』(本書)『きもの』『季節のかたみ』等多数。1990年、86歳で逝去。


「2021年 『台所のおと 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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