流れる (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101116020

感想・レビュー・書評

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  • 芸者の置屋に女中に出た人の話。
    ところどころにでてくる、女のこけかた?や起き方が男に見せる美しさっていうのが、女子会みたいですごくおもしろい。
    主人のおねえさんが姿がよくて所作もきれい、三味線も上手で一世を風靡した芸者さん。その周りにいる芸者たちもみんななんだかんだでかっこいい。花柳界はその狭さがすくえそうな狭さっていうのがおもしろかった。
    あと、みんな誰かをあてにして生きていて、それを歯がゆく主人公は思っているけど、いちばんちゃんとしている蔦次だって、主人公だって、結局流れてしか生きていけないんだなと思う。この時代の女だからっていうのではなくて、人は目の前にあるものでどうにか生きていくんだろう。

  • 花街のあるひとつの経営の傾いたお屋敷の話。
    主人公は女中の視点から人や金が出たり入ったりする様を一番冷静に見ている。
    主人とあまりこころの通じていない場合の「小さなおうち」という感じかな。
    このくらいの年代の小説は、人の虚勢や格好のつかなさダブルスタンダードなどを詳細に書き、その上で「まあこのくらいのことは可愛げがありますよね」と好感を持った描写がなされることが多くて、わたしにはあまり馴染まないなと思う。
    しかしこの一言では言い切れない複雑な心情はよく捉えられていて、幸田文さんに相対してしまったらわたしは一体何重の心の扉を見透かされてしまうのか…と恐ろしい気持ちになった。


    ーーーー
    なな子達→雪丸
    「静かなのは陰気、ことばのいいのがお高くとまっている、利口なのが腹のなかのわからない、実行力のあるのがずうずうしい、美貌がいやみ、」

  • 名作だった。名作ゆえに、読み終わった途端、もう一度じっくり読んでしまった。私の思う名作とは、味わいのある言葉遣いがあること、何度も読み返したくなること、人にすすめたくなること。美味しくて、足繁く通い、友達にも教えたくなる、名店と一緒だ。

    物語も、女中が見た没落しかかった芸者置き場という、下世話ながら惹かれる内容だ。そこには上流へ流れる者、下流へ流れる者、それぞれのストーリーがある。

    最後の著者の言葉、「水は流れるし、橋は通じるし、『流れる』とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。」という文章に、この物語の全てが凝縮されているように感じた。ふとためらう繊細な心を細やかに描写している。

  • 主人公の梨花が、傾きかけた芸者の置屋に住込みの女中として働き始めるところから話は始まる。
    「くろうと」の世界に初めて入った「しろうと」なのに、右も左もろくすっぽ説明されないうちにこき使われる。
    なんと初日は晩ご飯を用意されていなかったのだ。住込みなのに!

    梨花は目端が利いて、気働きができるので、次第に主人一家からも通いの芸者たちからも信頼されてくる。
    梨花の賢いところは大事なことを見逃さず、出過ぎた振る舞いをしないこと。
    誰に対しても公平であること。

    彼女の半生については多くを語られないので、戦前は女中を持つ側の奥さんであったこと、家族とは死別したことくらいしかわからない。
    多分戦後のどさくさで財産を失くしたうえに、家族の病気治療などで没落していったのかなと想像できる。
    先日読んだ『小さいおうち』の時子がもし戦後生き抜いていたら、このような境遇にならなかったとも限らない。

    置屋の主人とその娘、姪とその娘という女所帯のうえ、通いの芸者が3人。
    元は7人いた芸者が3人に減っているのだけれど、その減らし方もよろしくない。
    どうにもお金のやりくりが苦しくて、あちらにもこちらにも不義理を働いている様子である。
    けれども「しろうと」の梨花はこの世界に身を置こうと思い決めている。

    タイトルは『流れる』。
    流されるではなく流れるなのだから、彼女たちの生き様を非難しているわけではない。
    ただどうしようもなく時代は流れていき、人は低い方に流れるものなのだ。

    物語の最後、女たちはそれぞれに身の振り方を考えていく。
    そして梨花にもそれなりの話が来るところで終わる。
    いちおうはハッピーエンドなのかもしれないけれど、梨花のこれからがハッピーである保証はない。

    タイトルは『流れる』だけれど、流されていくのでも、流されまいと気張るのでもなく、流れを見据えながらそこに根を張ろうとする梨花が主人公というところに納得した。

  • 和三盆のような一冊。出来事ひとつひとつの背景にある女性特有の繊細な心理描写が丁寧に細かく散りばめられている。4,5人以上の個性ある女性が思い思いにとる行動と心理を余すところなく的確に写し撮りつつ、キャラを埋没させずにストーリーを進めていく技術ってとても難しい芸当だと思うんだけど、女中でありながら大変に有能な梨花を一段上の視座に立たせて解説を入れることによって、その手ブレを補正してるんだろう。

    満員電車でなくカフェでゆっくり読んだ方がいいなと感じた。これは二度味わうべき本だ。もったいない読み方をしたな。

  • 幸田文『流れる』新潮文庫。

    林芙美子の『放浪記』と河上肇の『貧乏物語』を足したような、日本がまだ繁栄を見せぬ、経済的に未完成の頃を舞台にした女の物語。暗く、じめりとした閉塞感の中に描かれる人間模様は余り好みではない。

    四十過ぎの未亡人・梨花は没落しかかった芸者置屋に住み込みとして女中を始める。花柳界の風習や芸者たちの生態に戸惑いながらも、梨花はそこに起きる事件を極めて冷静な目で観察していく。

  • 久しぶりに再読~

    大まかに分けて、本には、

    最初に読んだ時、ある種の衝撃があり、
    それを再確認するために読み返す本と、

    淡々とした印象だったが、
    不思議と読み返すたびに新たな気付きがあり、
    いっそう深まっていく本があり、

    この本は後者。

    私の大好きな廓ものの一種、
    置屋文学(?)です。

    舞台は、かつて売れっ妓だった芸者が経営する
    没落しかけた芸者置屋。

    ここに住み込みの女中として働くことになった、
    40代の女が主人公。
    本名は梨花だけれど、前の女中が春さんだったため、
    その名を引き継いで呼ばれることに…。

    ストーリーが進むにつれ、
    この主人公の過去も徐々に明かされ…

    この置屋の女将はこの街きっての人気芸者、つた奴、
    ただし、今や人気の前に「かつて」がついてしまう凋落ぶり。

    艶やかに美貌を誇っても、どんなに芸者として人気があっても、
    経営手腕はまた別物なんですね。

    他所には見栄をはる、
    最後まで強気に出られない、
    弱いところにつけ入られる…

    やっぱり、「主人」になるような人柄ではないのだが、
    なぜか惹かれる。
    お人好しなところに感情移入し、
    読んでいてついつい同情し贔屓にしてしまう。

    抱えている芸者は現代っ子(当時)のなな子ちゃんと
    年増で色々と空回りの染香さん。
    頼りになる蔦次さん。

    女将の姪の米子と、その全然可愛いと思えない娘!
    (この娘の見た目は可愛いのですが、またその部分で一波乱)

    また、女将の実の娘の勝代、
    年齢は二十歳そこそこなんだけれど、
    この子が母親に似ても似つかぬ容貌で、
    そんなこんなで性格がひねくれてしまっている。
    この子がしゃしゃり出てくるおかげで
    まとまる話もまとまらない。
    「可愛げが無い」とはこの子のことで、
    口を開けば愚痴と言い訳と、誰かの悪口めいた批判と…
    という訳で、うんざりなんだけれど、
    この辺の描写が絶妙。

    まず、最初にこの置屋に面接に行ったところ、
    その家の中の汚さを
    あっという間にパッパッと見つけてしまうところがまず面白い。
    これでこの女の人が来てからこの家は
    さっと片付いて、綺麗になったというのがもうわかる。

    この家では次々に、厄介なことが起こる、面倒なことを耳にする、
    そんな中ある程度距離をおいて、うまい具合に働く梨花。

    もうあちこちでつた屋に良い女中が入った、と評判になる。

    おしまいはちょっとシンデレラストーリーのような…、
    幸田文はこの梨花さんが、好きだったんだろうな、と
    思わせるラストシーン。

    例えばこの本に出てこないシーン、
    登場人物がどう行動するか、と想像しても
    ちゃんと色々思いつける、
    つまりそれだけそれぞれのキャラクターが
    生き生きと存在感があるところが素晴らしい。

  • 零落してゆく置屋の景色と時間を、女中 梨花の視点で華麗に切り取った小説。書かれたのは1956年だが、すでに古典と呼んでも違和感のない風雅さがあり(恥ずかしながら、幸田文はもっと前の時代の作家だと思い込んでいたこともあり…)、現代エンタメ小説が失なってしまった純朴な読書の時間を与えてくれる佳品。

    朧げな記憶に「おとうと」を読んだことがある気がするほかは、幸田文はほとんど読んだことがないので、ちくま日本文学ででも読んでみるかな。

  • 2013.3.17読了。

    女の愉しさ、辛さ、おかしさ、哀しさ、面白さ。深さ、切なさ、馬鹿馬鹿しさ。

  • 芸者置屋で働くことになった梨花という女性のお話です。華々しい世界の裏側の描写も面白かったし、梨花の心理描写も小気味良いテンポで描かれていて、読んでいて飽きなかったです。筆者の流れるような美しい文章に圧倒されました。とにかく物語の世界に没入できましたし、読んだあとの余韻が凄くて中々現実世界に帰って来れなかったです(笑)

  • 文章が独特で、調子が悪い時は頭に入って来ず苦労した。でも、面白い部分は面白かったし、今の職場に似ている場面がたくさんあった。女が集まるとどこもこうなるのかな。仕事のできる梨花さんかっこいい。

  • めっちゃ面白い。
    それからすごく不思議。
    1955年に書かれた小説なのに、すごく今風っていうか、
    なんかね、すんごい面白いお姉さんのツイッター見てる感じ。
    何十年も昔の小説だなんて思えない。

    ……って考えてたら、高橋義孝先生の巻末の解説でちゃんとした文章で説明されてた笑
    「文字によって構成される文章というもののロジックではなしに、話される生きたことばのロジックに従って文章となったというのが幸田さんの文章である。」
    それそれ!!!

    多分ね、生のことばで書いてあるから、古い感じがしないの。
    すっごく新しいの。
    今も昔も、人間の思考回路なんてそう変わんないんだなって感じする。

    しろうとの主人公の目で語られる花柳界の雰囲気がすごくリアルで面白い。
    私は冒頭の「猫だわよ!」と、
    駐在さんに出す志那そばをとんでもないところから手渡しするシーンが好き。
    声上げて笑っちゃった。

    作者の分析的な視点も効いてる。
    ま~~~~~芸者衆の性格が良かったり悪かったりするんだけど、
    そのキャラクターデザインが優れてて、
    「確かにそういう人生を歩んでたらこういう性格になって、こういうことも言うだろうな」
    って納得しちゃう。

  • 女の話。
    女が女を見る目は鋭い。見逃さない。

    夫を亡くして自分の食い扶持を自分で稼がなければならなくなった時、今までの生活とは全く重ならない芸者の置屋での女中を選ぶとは、それまでの人生、いったいなにがあったのか?と気を揉ませる主人公の来し方。

    足元すくわれないよう、でも出過ぎぬよう、能ある鷹は爪隠すのスタンスで新しい生活の場でうまくやっていく。
    作者は本当に芸者置屋の女中をやったことがあるということだから、内容もリアル。

    それにしても女主人が床に倒される場面(熱のある子供がぐずって抱きついてきて)の丁寧な、そして悪意のある、一コマ一コマを切り取るような説明。

    また別の女主人の床から起き上がる仕草にも、皮肉でクールな目は一切を隠さず、説明の手を緩めない。

    こんな女がそばにいたら、味方につければいいけれど、決して敵には回したくないね。

    最後、才覚が見込まれ、新しい職場で、さぁてどう生き凌いでいくか、乞うご期待といったところか。

  • 住み込みの女中である梨花の目を通して描かれる芸者たちの世界。はかなく浮き沈みの激しいその人生を、ぞんざいで愛情ある口調で語りながら、いつのまにか梨花自身の生き様が見え隠れします。

  • この時代の女性の生き方、考え方にほれぼれ。特に作者の観察眼の鋭さには恐れさえ感じた。

  • 再読

    未亡人の梨花が斜陽な芸者置屋で女中として働き始める、
    その様子。それだけと言えばそれだけの話。
    それがこんな風に1つの世界になる、女はやはり面白い。

    芸者の試験のくだり、
    >容貌はもとよりだが、柄とか品格が第一、
    入ってくるときにいやでも当人そのものが決定させている。
    とりつくろうとも人間の柄は一目で明らか。
    「昔はまず顔のこと言ったけど
    いまは要するにその人物の持つ内容如何が大きなパートなのよ」
    「もとは器量にしても気象にしても癖をあるのを嫌がったけど、
    いまは個性的な強さがあったって悪くはなかろう。
    人形じゃないんだ、魅力はそうした特徴から出発する。なんていう。
    でも結局はその特徴が美しいかどうかで決まるわけね。
    だから器量のいい悪いなんか、試験管が十人いようと二十人いようと大抵みんな公平無私に
    日本ふうも西洋ふうもいいものはいいとぴたりなのよ。
    だけど、いいが上にもの選抜試験になればそれは好きずきになるわ」

    このあともと令嬢芸者の難しさ。
    なるほどなー。

    ・花街の商売のものの単位は1つから、そこに気兼ねも引け目もない。
    頼りどころがないならないではじめから感傷もないし結構1人でやっていく。
    ・頼りどころのあるうちは実は頼れるだけの弱さをもってるのとおなじだし、
    頼るところないのは情けなそうで実は強さである。
    ・男を替えれば替えただけ女は情が深くなって、いいものなんだよ

    私がかなり引き込まれたのは女将の娘、不器量な勝代の独白。
    「おかあちゃんは綺麗で、人に好かれてちやほやされるけど、
    何かあると置いてけぼりされる。
    私はふだん嫌われてても、なにかあったときおかあちゃんのために闘っちゃう。
    だからいよいよきつくなる」
    わかる……わかるよ勝代ーーーーーー!!(号泣)

    >怒りの顔が美しいのは美人ばかりと限らない。
    不器量も溢れるほどの哀しさを湛えてるとき不器量ではない。
    愚痴も感傷も一夜漬けでなければ浅くない味がある。

    ハードボイルド…。圧倒的成熟……

    そして女として感銘を受けたのはなんどり女将の美しい寝起き。
    >長年浸みてもう取れることない技巧のなごりだとすれば、
    一生を通してのこの附味とはまたみごとなものだった。
    おそらくこれまでいつの朝、どこで起きても誰がいなくても
    こうしてそこにもう一人人がいるように、そしてその人を好いてでもいるようなしぐさで、
    二人の床からしなやかに身体を引き抜き、音もなくまず第一に髪を揃えて来続けたのだろう。

    ぼえーーーー。技巧!!私もそうなりたい、
    もっと早く気付きたかった!w
    それを受けての眼がいい、眼が新しい。というのも
    すごくよくわかる。眼が新しいうちの気付きって本当稀少なんだよね…

    結びの
    >ここに来た時主人は梨花という名を面倒がって春という名をくれたが、
    も見事に(あ、そういえば)と思い出し、まさに「流れる」だなぁ
    と題名が深く印象付く。

  • 和製ハードボイルドの金字塔。
    『放浪記』の芙美子と『流れる』の梨花はコーデリア(『女には向かない職業』)やヴィク(『サマータイム・ブルース』)の先輩です。

    夫も子も亡くした梨花は藝者置屋で女中を始める。ところがそこでは恐喝騒ぎが起っていた。
    以前いた藝者の親類と名乗る男が押しかけ、むりやり客をとらされた、金を出さないと警察を呼ぶぞといきまいているのだ。
    主人はうまく言いくるめようとするが話はもつれにもつれ、とうとう警察沙汰に。はたして事件の行方は?

    梨花は女中らしく自分の気持ちを表に出さず、終始傍観者としてふるまう。しかしその奥底には冷静で意地悪な観察眼がひそんでいます。
    ぽんぽんぽんっとはじき出される悪態の、なんと心地よいこと!
    梨花のこの冷酷な観察眼が実にハードボイルドなのです。

    しかし周りの人間を突き放していたかと思えば急に好意を持ったりもする。梨花の心のうちは、描写されているのに読めない。読者は梨花の感情のうねりに翻弄されるばかりです。

    この小説が見事なプロレタリア文学であるという点も見逃せません。かつかつの暮しを送る梨花の孤独な労働の様子を、幸田文は流れるようなリズミカルな文章で描きます。話の中身はとにかく金、金、金。みながみな、どう金の工面をするか腐心しています。明日着ていく着物にもこと欠くかと思えばどこからか謎の大金が転がりこんでくる。没落しつつある花柳界のみみっちさと底知れなさ、両方を活写しています。このあたり、溝口健二監督の映画「赤線地帯」と比べても面白いかもしれません。

    映画といえば『流れる』は成瀬巳喜男監督によって映画化されています。こちらも名作ですが、肌合いはかなり違う。
    映画については小林信彦「「流れる」――架空世界の方位学」(『映画を夢みて』所収) が示唆に富む名文ですが、成瀬巳喜男は梨花の心の内側を見せず、昭和三十年ごろの柳橋という場所を完璧に映像に残しました。感嘆するほかないのは、小説は梨花に対して一種のハッピーエンドとも言うべき明確な終りを用意しているのに、映画はなんとなくもやもやとしたままぼんやりと終り、それが非常に効果的だということです。
    小林信彦は別の文章で、映画は小説よりもっと直線的なものだからはっきりした終り方をしがちだ、「だから、映画で〈結論を出さなかった〉小津や成瀬が、海外の映画人にはとても新鮮に見えるのだろう 」と述べています。(「映画と小説のあいだ」『小説探検』(文庫版は『読書中毒』)所収)

    不敵なハードボイルドを書いた幸田文と緻密なやるせなさを見せた成瀬巳喜男。
    小説と映画の両方を味わい、二人の天才の腕くらべを楽しんでみてはいかがでしょうか。

  • 冒頭から一気に引き込まれる、あのがちゃがちゃした活気とだらしなさ。梨花も梨花でものすごく仕事ができるちゃきちゃきした感じじゃなく育ちがいいのかどこかのんびりとした感覚がありつつも、くろうとさんの生活習慣や価値観にどんどんなじんで欠かせない存在になっていく。
    おうちには芸者屋ならではの問題が多々起こるんだけど、梨花はその流れを眺めるしかできない。
    ずっと眺めて最後の最後で流れに乗ってまた別の流れを見に行く。

  • 凛とした女性の強さが心地いい。幸田文さんの小説には一本筋が通って少しの緊張感と独特の涼やかさが感じられます。

  • 綺麗な文章で頭にすいすい入ってくる。読みやすいです。
    内容も、主人公と同じ目線で知らない世界を垣間見れて楽しかったです。結末のつけ方も主人公の性格が感じられて良いなと思いました。少し寂しくても生活が続いていく感じが好きです。

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著者プロフィール

1904年東京向島生まれ。文豪幸田露伴の次女。女子学院卒。’28年結婚。10年間の結婚生活の後、娘玉を連れて離婚、幸田家に戻る。’47年父との思い出の記「雑記」「終焉」「葬送の記」を執筆。’56年『黒い裾』で読売文学賞、’57年『流れる』で日本藝術院賞、新潮社文学賞を受賞。他の作品に『おとうと』『闘』(女流文学賞)、没後刊行された『崩れ』『木』『台所のおと』(本書)『きもの』『季節のかたみ』等多数。1990年、86歳で逝去。


「2021年 『台所のおと 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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