木 (新潮文庫)

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著者 : 幸田文
  • 新潮社 (1995年11月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101116075

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木 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 木にまつわる短編集。
    初出から足掛け十三年、飛び飛びに書かれ続けて、遺著となった。
    解説の、「自分の命の完了を以て、新たなものを差し出す。さしずめ、刈られた木が、材となるように。」
    という一文に、深く納得した。

    木にまつわるエッセイと言っても、軽いものではない。
    木は誰の身近にもあるものだが、動いたり声を上げたりするわけではないので、動物のようには注目されない。
    どちらかと言えば、空や水と共に、景色、背景として見られているところがあるかも知れない。

    だが、幸田さんは、この本で木を、背景ではなく主役として綴った。
    初めは、子供の頃、父・露伴に、兄弟三人それぞれに木を与えられて、世話をするように、木への興味を促されたことから。
    すでに若くはない年齢になっても、屋久島に杉を見に行ったり、「材」には向かない、捨てられるべき木をわざわざ製材して見せてもらって、こんなにも暴れるものなのか、と驚いたり。
    読み手も一緒に驚く。

    そして、木は、伸び、葉を茂らせ、または花を咲かせるといった一生の後、材(材木)として生きる、第二の人生があること、材になった後も生きているのだという事を気付かされる。

    一本だけぽつりと立つ木にはそんな事情があるのか、とか、驚きと発見の連続だった。

    「木」の、命を見つめる想いが静かにここにある。
    そっと息をしているような本だ。

  • 前半では「屋久杉見に行きたいな」「北海道のえぞ松いいな」などと思っていたが、後半に入り、そんな考えはほとんど消えてしまった。
    恐らく、この本の描写は、木と触れ合い、教えられること、助けられることを真っ直ぐにありがたく思える作者だからこそのもので、その文に惹かれて現地に行ってみたところで、家の木さえ疎かになっているうちは同じ経験はできないだろうと気づいた。
    もちろん、そんな時にも木から感じられるものはあるのだろうが、決して近くはない場所に行くのなら、せめてもう少し木に目を向けられるようになってからにしたい。
    そういうわけで、まずは家や道行きの木を、その木肌を、材をよくよく見るようにしようと思う。

  • 早速図書館で借りて読んだ。定年後関心のあるものとして樹木の名前を知るために、デジカメであちこちの樹木を撮りながら1年間掛けて調べた結果、どうにか日常目にする樹木の名前が判るようになるとともに、樹木の良さが少し判るようになった。そんなところでこのエッセイを読んでみて、年齢も関係するかも知れないが、木を愛する幸田文という著者に、非常に共感するところがあり、嬉しくなってしまった。

  • まあ、言ってしまえば、御歳70歳を過ぎた著者がですね、北海道へ屋久島へと、日本全国に木を見に行った記録、なんだけど。
    この人の文章の素晴らしさは、行間に潜む想いの深さとか、鋭い考察力とか、対象への共感力とか、流れるように流暢な筆運びとか、表現が喚起するイメージの豊かさとか、そういう格好いいことじゃなくて、ただ並んでる文字列を転がして目が楽しんでいるというか喜んでいるというか。名画を愛でる感じに近い。まさに眼福。
    父・露伴がチョイと顔出す、「藤」が個人的にはお気に入り。

  • いい文章。
    品を感じて心地よい。

  • 170Pほどの薄い文庫本に収められた、1971年から1984年に書かれた15のエッセイ集は、藤、杉、ひのきなどの木にまつわる作品集、木の成長や衰退などが人の生業とも交錯して読みでがありました。

  • 再読。梨木香歩さんの『エストニア紀行』を読んで、なぜかこれが読みたくなった。植物の名前をきちんと知っている人に純粋な憧れがある。幸田さんの木に対する知識だけでなく、人生と重ね合わせる視点がとても自然体でうらやましい。1971年から1984年にわたって発表された文章は、選び取る単語のひとつひとつが「今」とは異なり、美しい言葉の連なりに心が震える。「目がぬれた」なんて使いそうで使えないんだよなあ。

  • 16/05/14、ブックオフで購入。

  • はじめて読んだのは確か2005年ころかと思います。紹介してくれたのはマウイ島在住の方で、確か、朝風呂に入りながら現地の陽の光のなかで、この、幸田さんの木を読むのが心地よいとのこと。
    そのシチュエーションにも惹かれて出会った本が、こんなにも、お気に入りの本になるとは思いませんでした。
    お気に入り、という言葉ではしっくりきません。
    お守り、とか、精神安定剤、喉乾いたときに飲む清らかな小川の水、といったほうがよいか、、、

    木を愛でることで、木に寄り添うことで、とても私は癒されるのだと気づかせてくれました、この本が。

    旅に一冊だけもってっていいよ、といわれたらこの本を選ぶと思います。

    ええ、ハワイにも。(さすがにハワイの木の章はありませんよ、、、)

  • 【読書中のライブ感想文です。】
    読みやすい 自身が見た事実は短文(約10文字以内)に、人の発した言葉や思い・感覚は長文(約10文字以上)で書かれていて、メリハリがあって、読んでいて心地よかった。
    [エゾ松野の更新] 最後に希望が見えた
    [藤] 3人兄弟の躾け方が面白い。淡い愁いに、萌えました。P24の緑を生かした生活!この世界に生きたいと思う。”心の養い”、”この責任は自分にある”に心締め付けられる。”籐でチャンスを失った”で私は文と同じ環境に育ったことを父母に感謝した。”収支計算”に笑ってしまう。この文が読める私は成長したなと思った。
    [ヒノキ] ”要心” と言う言葉を初めてしった。”一年ぐらいたたないと確かではない、ということである” この点よくわかる。若いころは感情や情動に振り回され、端的な事にケチをつけたり、ほめたたえたり、一瞬一瞬を表現するのに対し、老人は悠久のサイクルをじっと見守っている。そんなことを思わずにはいられなかった。また、日本の代表的な木「松竹梅」を若者が知らないことにさびしがる作者に対し、本を読まない人の寂しさを重ねてしまった。 ここで聖書の文言が出てくるとは。たしか マタイの13章12節だったと思う。後で確認してみよう。 一木材をこれだけの言葉で表すのは本当にすごいと思う。私の家は、ヒノキの和室を、祖父の方針でカーテンを開けず、日焼けしないようにしており、大変美しい。 ”賤しい心” にドキッとした。そうそう、その後が困るのだよ(笑)・・・”はぁと感じ入ったことは~” そうか、そこで緑とつながっていたのか!!新見地ありがとう!。賤しい、よくわかる言葉だ。ほんとによくわかる。 P40 ”相隣って” の段落に人の人生を連想させられた。私も、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩のような人になりたい。また、この人生を連想させる感じはその後の文章にも感じられた。私の思考の癖なのだろうか?と考えさせられた。

    以下文字制限のため省略。

  • 美しい言葉がたくさん使われている本だった。
    奇をてらう文ではなく自分の言葉で伝える分、生活の作法や心遣いがとても良く伝わる。滅多に聞かない言葉や昔の言葉でも、しっかり馴染んでぴたっとくる言葉が綴られている。
    紛れもなく『木』の話だけれども、文の勉強にもなると思った。

  • しなやかな日本語が快い

  • 題名の潔さに惹かれて手に取った一冊。上品さの滲み出る、中身の濃いエッセイ。

  • 「木」 人として眺める木がこのように心を揺さぶるのは比較する双方の寿命なのだと感じたる。屋久杉など人間の100倍も生きているのだ。一生を同じ場所で。感傷だろうか

  • 幸田文という人は、その生い立ちのせいか相当な劣等感を抱いていたのではないでしょうか。本人はそれを気にしていたのかもしれませんが、そこから生まれる独自の視点と、その中にある細やかさと優しさに私は魅了されます。「ひのき」のエピソードの中で、まっすぐ伸びた檜よりも、曲がって木材としてはまったく評価されない個体へ向けられる慈しみの目に、強く心を動かされました。植物園や近所の公園など、木の存在を近くに感じられる場所で読めばより強く木の生命力、息吹に身を包まれた気持ちになる。そんな15本の随筆でした。

  • 高校の時にお世話になったカリスマ国語教師が当時勧めていたもので、即座に買ってみたものの、なんにせよお題が「木」なのでどうにも読む気が起きず、7年経った今日になってやっと読み終えることができた。

    あの時から、これをずっと手元に置いておいてよかった。高校生の私にはこの本の面白さはちょっと理解できなかっただろうと思う。

    作者の幸田文の思いやりの心を通して見ると、自然が実に様々な表情を持って豊かに生きていて、それを見る人間の心もさらに豊かにしてくれるというような優しいやりとりが感動的だった。生きている時間の規模が人間とは違うので、人間からしてみれば自然と向き合うことは忍耐を要するけれども、その努力を含めて自然を愛する心というのは尊いものだと感じる。

  • 『木』という地味なタイトル。
    その中には、生きようと輝くものも、枯れて死んだものも、みんなに好かれるものも、嫌われるものも、全て作者によって愛情を添えられて書かれている。
    丁寧に細やかに、でも難しくない文章。バランス感覚に優れた人なんだろうなぁ。
    自然を見る眼が変わりました!

  • この本を上司に薦められて手にしたのは20代のとき、当時は筆者の文章の滋味がわからなかった。
    当時の上司とほぼ同じ齢になったいま読むと沁みるなぁ。

    梅雨の雨を浴びて、周囲の木の緑がだんだん濃くなっていく。

           ◆

    人にそれぞれの履歴書があるように、木にもそれがある。木はめいめい、そのからだにしるして、履歴をみせている。年齢はいくつか。順調に、うれいなく今日まできたのか。それとも苦労をしのいできたのか。幸福なら、幸福であり得たわけがある筈だし、苦労があったのなら、何歳のとき、何度の、どんな種類の障害に逢ったのか、そういうことはみな木自身のからだに書かれているし、また、その木の周辺の事物が裏書きをしている。

  • 「一本筋の通った人」の代表格である幸田文による、木にまつわるエッセイ。
    <ひのき>
    植林されたひのき林で、風雪によってねじまがった木と、良い環境でスラリと伸びたエリート木とを比較して、環境によって人となりがかわることへの洞察が鋭い。ねじまがった木の生命力の強さに感嘆しつつも、その生き方に息苦しさを感じ、エリート木によって心が和やかに開かれるのには同感。
    人の成長における環境も同じことと思い悲哀に浸る自分に対して、作者はカラリとしているのは、やはり作者自身がエリートであるからか?しかし生命に対する愛情があるれているため嫌味がなく、素敵!

  • (2012.02.23読了)(2012.02.19購入)

    ☆幸田文の本(既読)
    「崩れ」幸田文著、講談社文庫、1994.10.15

    幸田文 コウダ・アヤ
    1904年9月1日、東京生まれ(幸田露伴次女)
    1928年、清酒問屋に嫁ぐ
    1954年、『黒い裾』により読売文学賞を受賞
    1956年、『流れる』により新潮社文学賞、日本芸術院賞受賞
    1973年、『闘』により女流文学賞受賞
    1990年10月31日、死去

  • きりっとした、簡潔で背筋の伸びるような文章。
    日々の雑念や人間関係の煩わしさに疲れたときに幸田さんの本を読むと、心が本当に洗われる。
    弱い人間なので、曖昧な暗さやふわふわとした希望に抗しがたく引き寄せられる毎日だけれど、もっとシンプルに生きたいと思える。
    澄んだ空気の中に出てみたくなるから、冬にはおすすめ。

  • 国語のテストで読んだもののタイトルを忘れ、ブクログの「談話室」で「こんな本を探してるんですが……」と質問したところ、親切な方が教えて下さいました。

    幸田文、パワフルだなあと。70代で屋久島!縄文杉!まず行ける気がしない。
    この作者さんは感性も繊細で、木の様子をみては一喜一憂し、よく悄然となさるのですが、ただの「悄然」にも色々な語彙を使われる。さらりと聞けて、それでいて耳に残るような、素敵で品のある文章で好きです。

    ときに「ちょいちょい着に、着こなして」「耳たこに覚えさせられた」なんて可愛い語り口もあったりして。いいなあ、こんなおばあちゃんになりたい。

  • ≪内容≫
    幸田文による「木」にまつわるエッセイ集。

    ≪感想≫
    とにかく、日本語の美しさに惹かれた。幸田文の書く文章はとても柔らかく、その内容はとても人間的だと感じる。きっと自らの心の機微に正直な文章は、読んでいる者に深く沁み入るのだろう。彼女の視座を通して出会う木や人からは本当に色々なことを教えられ、読んでいて心おだやかになるような文章ばかりだった。

    収録されているエッセイは1971年~1984年に書かれたもので、歳を重ねながらの木々と出会いが面白い。幸田文の生き方は、無意識のうちに感じることも大事だが、意識して「見る」ことの大切さを教えてくれる。どんなことも春夏秋冬、1年かけなければわからない。四季を大切にした文化の本質を知る思いである。

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