- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121017
感想・レビュー・書評
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思弁的かつ実践的な葛藤が描かれていて難しかった。手記という体裁(読者=妻にたいし“おまえ”)で、欄外の注や末尾の追記など小説という枷からも外していくような印象をもった。顔認証やVR(顔を覆うデバイス)も登場した現在、主人公の仮面に対する懸念も現実味をおびてきた。
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いろいろ経験してから読むのとでは、小説も顔を変えて、若い頃に読んだドキドキは感じなくて、自分が現実的に生きていることが寂しかった。
物語も自分も視界は狭まり息苦しくて切ない。 -
人はみな他人の顔を求めるものだと思う。 SNSで友人を作るのが当たり前になっている現代は、出版された時代と比べてもかなり「自分とは別の顔」が普及した世の中になっている。
のみならず、コスプレやメタバース、ゲームのアバターなど「自分以外の自分」で自己表現ができる機会は多い。
化粧や整形の普及もあって、顔がもたらすアイコン的特性自体も強くなったかなとも思う。
本書の主人公は、他人の感情などまるで見ていない。妻・同僚の感情や思いやりに無頓着で、被害者意識で利己的な屁理屈と哲学をこねながら延々と同じ場所をぐるぐる回っている。結果として仮面と自己の同一性は歪み、現実との通気口となるはずの仮面は現実逃避の道具となってしまう。
現実の抑圧を発散するためにSNSで認証欲求を満たすのも大概にしておけと、60年前には既に予告されていたのかもしれない。
他者の存在なくして自己はあり得ない。他者の存在を無視した仮面もまた空疎なものに成り果ててしまう。 -
中野スイートレイン で ベースの吉野さんとサックスませひろこさんと馬場さんが演奏した曲 映画の挿入歌ということで 原作を読んでみた。
想像以上に面白い作品 私は奥さんは一目で見抜いていたと思った。
附箋
・思考を一時中断させようと思うときには、刺戟的なジャズ、跳躍のバネを与えたいときには、思弁的なバルトーク、自在感を得たいときには、ベートーベンの弦楽四重奏曲、一点に集中させたいときには、螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、なによりも精神の均衡を必要とするときである。←これも結局聴き手本人の気持ちの持ちようなのかもしれない
・姉の髢 →「髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと。
この主人公 何をしでかしたのだろうか まさか人を殺めたりしないよね -
安部公房、よく分かんない。
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顔という不確かなものを科学者らしく科学的に分析し、再現するとともに、顔の本質について思索を深めていく過程が多様な比喩表現で描かれ興味深く読める。
だからこそ、最後の妻の手紙によって、主人公のこれまでの行動が全て無に帰されるところは読んでいるこちらまで顔が熱くなってしまった。
人間関係一般に一貫した法則性を見出そうとする試み自体が無理のあるものなのに、主人公はそれに気づかない。
主人公は顔に価値を置くことを無意味と言いつつ、周囲の人間がそれを認めないからという理由で仮面を作る。しかし本当は主人公自身が自分の醜い顔を認められないのである。 -
顔を失った男のあがき。
精巧な仮面で手に入れた他人の顔。
心の平静を求めた外見への追及はむしろ、
男の孤独と剥き出しになった心をつまびらかにする。
安部公房の独特の比喩表現がたっぷりで、どこまでもひたすらに暗い作品。 -
安部公房の、昭和39年に刊行された長編小説。
フランスでも高い評価を得た作品で、
日本では映画化もされているそう。
顔に蛭が蠢くような醜いケロイドを負ってしまい
"顔"を失った男が、
妻の愛を取り戻すために仮面を仕立てるという
ストーリー。
科学者である主人公が研究を重ねて
"他人の顔"である仮面を作り上げていく過程が
とても興味深く、面白い。
またその中で彼が自身に問い続ける
"顔"というものの意味、概念について
深く深く考えさせられる。 -
言葉にできない…
大江健三郎さんの解説が秀逸