- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121017
感想・レビュー・書評
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良くも悪くも男性はこういう思考に陥りやすいのではなかろうか。しかし妻の気持ちもわからぬではない。一度刺さったハリネズミのトゲはそう簡単には抜けない。ならいっそもっと深く差し込んで見る必要があったのではないか?
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←『私とは何か』
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少なくとも20年ぶり、ひょっとしたら40年ぶり位の再読かもしれません。
顔をテーマに、阿部公房さんが書き続けた人間の存在の曖昧さや、自意識と社会/他者の関係を描いた濃密な思考実験小説です。
全編、自己愛が強く他人を理解しようとしない一人の卑小な男の手記として構成されます。300ページにわたってひたすら続く綿密かつ膨大な考察、壮大なる精神的自慰です。
その余りの密度に長く読み続けられず、思いのほか読了に時間がかかりました。
しかし、良し悪しとか好き嫌い以前に、これほど圧倒される作品に出会えることもまず無い経験です。 -
安部公房の思考実験小説の金字塔でもあり、ノート等記録型の長編小説の代表でもある作品。
安部公房の思考実験というと、日本では「箱男」の評価がやたら高いが(安部公房には海外にも小説のニーズが有る)、あれで挫折した人は、こちらを読んでみると良い。
もしも自分が他人の顔になれる仮面を手に入れたら、一体どう振る舞い、どういう欲求を生じるのか。液体窒素で顔がただれてしまい、常に包帯が必要となった主人公が、画期的な人工表皮技術から、他人の仮面を作る。
割りと読みにくいタイプの、ノートの手記を記すタイプの安部公房だが、「箱男」よりも断然読みやすいのは、視点が常に主人公に固定されており、文章も本当にメモ的なものが挿入されたりしないこと。また、世界観も現実離れしたものが少ないことから、「密会」のような引っ掛かりも少ない。
一方で、文章はやはり安部公房なので、やたらと比喩を使いまくることと、仮面の作り方を科学的に非常に詳細に書いているので、苦手な人は苦手かもしれない。
ただその比喩にしても「(ヨーヨー売り場には)子供らがダニのように群がっていた」なんていう、口語では使うが、作家が文章として使ったら編集者が血相を変えて飛んできそうな、直接的でわかりやすい比喩も多いのだ。
物語全体も、大きな暗喩として読むことも出来るし、それが妻にばれていたとしてもそれはそれで良いのだ。別にそういう読み方をしなくても良いだろう。変に教訓を得ようとすると、一転してつまらない作品に変わってしまうのだから。 -
公房の作品には常に、一種の自己喪失というかアイデンティティクライシスというか、自分が何者であるかを見失ってしまうというモチーフが繰り返されていると思うのですが、今作で失われてしまうのは「顔」。
化学所で働く主人公は実験中に火傷を負い、顔の全面がケロイド状になってしまい、透明人間のような包帯ぐるぐる巻きで生活している。それがきっかけで他者との距離を見失ってゆく男の内省的哲学問答は、なかなか深い。人間は顔ではない、中身だ、といったところでやはり見た目は大事。るろ剣の志々雄様のように(笑)、全身包帯ぐるぐるでも女性にモテると豪語できる人は少数派でしょう。自分は若い頃フリーターで、免許もパスポートも持っていなかった頃、身分証明ができずレンタルビデオさえ借りることができなかったことを思い出しました。私は私である、というただそれだけの事実を、他人に証明する手段を持たないことの不安定さ、恐怖。いくらパスポートに顔写真を貼ったところで、肝心の「顔」のほうをを失えば、もしかしたら私は私であることを証明できないかもしれない。
そういう部分で主人公の顔や仮面に関する考察はとても共感できるのだけれど、ただ妻にせまって軽く拒絶されただけで思考が斜め上にすっとんで、他人になりすまして妻に痴漢をしたいとまで思う男性特有の(?)思考回路には正直飛躍しすぎてついていけなかった。本人いわく「一人二役の三角関係」に持ち込まれるにいたっては、結局精巧な仮面を作ってまで、いったい何がしたかったの?ていうか、そんなことがしたかったの?という疑問符ばかり。そもそも、失われた顔を取り戻すために、彼は何故、自分自身の顔を復元しなかったのが私にはちょっと理解できなかった。そこで他人の顔を借りるという発想は自分はしないと思うもの。
主人公が「おまえ」と呼ぶ妻あてに書かれたノートという体裁で小説は構成されているのだけれど、肝心の妻の顔のほうが読者にとっては真っ白で、最後に妻の手紙でようやく内心が吐露されるにいたってもまだ、妻の素顔は見えてこない気がしたのですが、つまり女性のほうが男性よりずっと日常的に仮面を被って生きているからかもしれません。それとも玉ねぎのように、剥いても剥いても終わりがなく、それをしかし空っぽと思うか、全部が中身だと思うかの違いのようなものか。いずれにしても、妻にとっては顔など意味がなく、主人公のほうにしたところで、顔を失ったことは被害妄想が発動するキッカケに過ぎず、そもそも本人の中身がゲスだっただけ。
ということはつまり、顔を失うことで主人公が失ったのは自己ではなく、逆に顔という表皮(いわゆる外面=理性や世間体)が失われることで内面の醜悪な本質が露出しただけだったわけで、つまり彼は何も失っていなかったのかも。そう思うと「顔」は名刺というより蓋なのかもなんて、いろいろと考えさせられました。解説は大江健三郎。 -
同時進行の《仮面劇》。
ひとたび幕が上がったら、最後までその役を演じ切る。生きるとはそういうこと。私はあなたを愛しているから仮面をかぶり、あなたの望むとおりにふるまう。あなたもそれに応じる。あなたが私をつくり、私があなたをつくる。ときどき私は仮面に手を加えてかぶり直すけれど、決して脱ぎ捨てたりはしない。素顔をさらすことは舞台からの退場、つまり孤独。
私は大切な「あなた」の数だけ仮面を用意し、そこへ「私」を配分する。ありふれた物語だとしても拍手喝采の幕切れが訪れると信じて、私とあなたのためにかぶり続ける。
《2014.10.21》 -
それほど長い作品でもないのに、
思いのほか読破するのに時間がかかってしまいました^^;
実験で顔一面火傷を負ってしまい、
見るも無残なケロイド跡が残ってしまった主人公。
日毎に離れていく妻の愛情を繋ぎとめるため、
他人の顔の仮面をかぶり、妻を誘惑しようと試みるお話。
色々病んでいて、読み進めるのが億劫になります(笑)
妻への歪んだ愛情。顔がなくなると心までなくなってしまうのか。
主人公が粘着質で、言い訳めいた言葉を何度も繰り返すのが、
正直気持ち悪かったです。
でも不思議と嫌いになれない小説。 -
『恐怖が恐怖を支え、足をなくして地面に降りられなくなった小鳥のように、ぼくはただ飛びつづけなければならなかったのである。(p281)』
抽象的な事物で比喩できる才能はやはり達者と言うべき。 -
秀逸な作品は、読者の想像の範囲内で話が展開して、またオチもそうでなくてはいけないと思う。それを文章の力で読者をどこまで入り込ませられるか、じゃないだろうか。
そういう意味で、この作品は私が思う秀逸な作品だ。
読みながらずっと思っていた。
攻殻機動隊S.A.C 2nd GIGの中の『顔』は、この作品がモチーフかな、と。
“ゴーストは、脳殻ではなく皮膚、特に顔に刻まれた皺に宿る”
ラストあたりなんかは、本当に凄い文章力。
『愛の片側』という映画も効いているし、最後の二行も凄い!
文章力が格好良すぎてシビれた。