方舟さくら丸 (新潮文庫)

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著者 : 安部公房
  • 新潮社 (1990年10月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121222

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方舟さくら丸 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • やがてくる核戦争から生き延びることを求め、採石場跡の洞窟に世界を築くことを試みる男の喜劇的な創世記。
    彼はともに生き残る仲間を募りますが、"方舟"に仲間を引き入れた途端、次から次へと苦難が襲いかかります。

    はじめは主人公と意気投合したけれど、権力に魅せられ変貌していく昆虫屋。
    生き延びるための乗船券を盗み、方舟に乗り込んだ招かれざる客・サクラと女。
    そして、"女子中学生狩り"に夢中になる老人たちの組織、ほうき隊と支配者たる権力の精通者・副官。

    核戦争のみならず、生きるための競争に誰もが参加せざるをえない時代において、生きることそのものがどうしようなく権力的であることを求められているようです。

    安部公房が権力の問題と真正面から向き合った、彼の代表作の一つといってもいい作品でした。

  • 寝る前に読むメンツが決まってきた。カフカの寓話集と百聞先生、それに安倍公房である。
    『他人の顔』『箱男』『密会』……何回読んだか覚えてないくらいだ。そしてこの『方舟さくら丸』は「新潮長書き下ろし特別文学作品」ちうやたら長いシリーズの、今から考えると豪華な製本で発売されたときから何度も読んでいる。
    この独特の、乾いているのに湿った文体、噛み合ってるんだかないんだかギリギリな会話など、このくらい緻密な小説を書く人はもうほぼ絶滅かも。

  • 初安部公房。小心者がびくびくしながら虚勢を張り続けるという構図がなんとも不安。核シェルターでの共同生活の話なのに、現実世界のままならなさをいたく感じさせるので、現実から身を離すための読書には不向きだったか。

    登場人物がみな何かしら不愉快ななか、最後に女がマドンナ的に主人公をリードするところに少しほっとしてしまい、でもそれと同時に体よく丸め込まれてしまった気もしてモヤモヤ。

  • 核戦争の危機から逃れるための方舟。
    その船長、“もぐら”はデパート屋上のガラクタ市場で、“ユープケッチャ”という、自分の糞を食べる閉鎖生態系を持つ虫を見つける。それは採石場跡の地下でひっそり、誰の干渉も受けずに暮らす“もぐら”彼自身のような存在だった。彼はユープケッチャを方舟の乗船審査基準として、生き残るための乗船券を渡す人物を探す。

    デパートの屋上で出会ったサクラの男女二人組に、方舟の鍵を持ち逃げされ、“もぐら”はユープケッチャを売っていた昆虫屋と一緒に方舟へと向かう。たどり着くと二人はすでに侵入しており、船長もぐらは、サクラとその連れの女、そして昆虫屋とともに方舟の中で過ごすことになる。

    そんな中、侵入者の存在が発覚し、方舟の計画は崩れ始める。もぐらの父、猪突(いのとつ)や、ビジネスの相棒、千石などが現れて、ストーリーは展開し、その上もぐらは、足を滑らせ地下にある便器に片足を吸い込まれて嵌ってしまう。

    核シェルターというテーマにしては展開もそれほど大きくなく、時間にしても数日経たない間の物語。
    核戦争の危機から逃れるということを建前にしながら、この小説のテーマは、社会からの隔離というものではないか。「生きのびるための切符」を渡す相手を探しながら、なかなか適切な人物を見けられない主人公。結局は地下でひとり誰の干渉も受けない暮らしに満足していたのかも知れない。世界と繋がりたいのだけれど、それがうまくできない男。登場人物たちは感情を言葉にしてあまり表に出さず、かわりに、身体的な接触、名前の呼び方や細かな仕草でそれぞれの感情が読み取れる文体。特に、主人公と昆虫屋の、女の尻叩きの儀式では、もぐらの女に対する欲望心と、昆虫屋への猜疑心が渦巻いている。

    改めて、安部公房の文章は緻密すぎる。
    冒頭からさまざまな伏線が引かれており、ほぼ完全に世界観を作ってから文章にしたのであろうことがよく分かる。天才。

    ≪豚≫という言葉にコンプレックスを感じている主人公はあまりにも卑屈に考えすぎていて、それがそのまま文章化されているので、慣れなかったらとても面倒くさいと思う。
    でもそんな主人の苦悩やもがきがまわりまわって滑稽なものとなってしまう。

    オチもいつもの安部公房作品と同じで、めちゃくちゃ考えさせられる。
    それは脱出だったのか?それとも閉じ込められただけなのか?

    ブラックユーモア、皮肉、苦悩、妄想。

    悲惨な滑稽さ。

    脱出の夢。

    待っているのは透明な景色。

  • 地下採石場跡の巨大な洞窟に、核シェルターの設備を造り上げた〈ぼく〉。「生きのびるための切符」を手に入れた三人の男女と〈ぼく〉との奇妙な共同生活が始まった。だが、洞窟に侵入者が現れた時、〈ぼく〉の計画は崩れ始める。その上、便器に片足を吸い込まれ、身動きがとれなくなってしまった〈ぼく〉は―。核時代の方舟に乗ることができる者は、誰と誰なのか?現代文学の金字塔。
    「BOOK」データベースより

    裏表紙のあらすじから面白すぎた。その期待を裏切らない中身だった。

  • 「生きのびること」を、現代に規範の中で緻密に仮定づけている。

    終わりがやってきて、それから、生きのびるためには選ばれし者を決定する必要がある。
    どのような尺度でそれらを選別するのか。

    主人公は猜疑的で臆病な通称≪モグラ≫。生きのびるための方舟の船長であり、最終的に『脱出』することができる唯一の人物。
    方舟には自衛隊上がりの”香具師”と自負する≪昆虫屋≫、その斡旋をする≪サクラ≫と≪女≫。

    物語は方舟の出航を向かえぬうちに終焉を迎える。船長モグラの、方舟から、そして巨大便器からの脱出によって。


    世の中の選ばれし者-選ばれざる者の縮図が、皮肉にそして精巧に描かれている。
    オリンピック阻止同盟、サバイバル・ゲーム。
    ゴミだめの様なオリンピック会場と、中学校の運動場。

    安部公房の他作品『死に急ぐ鯨たち』にも、同じような思想が描かれているのだろうか?
    空がみたい、と呟く女でさえ、永遠の方舟、閉ざされた世界の中で生き続けることを選択する。
    果たしてそれが、生きのびるための、手段なのであろうか。

  • 日常からいつの間にやら異空間に飛ばされます。

  • 皮肉の充満。グロテスクなユーモア。
    語り手は便器に足を取られたまま、生贄のように死んでいくのかと思った。が、そうではなかった。「豚」は助かった。しかしそれが正しい選択だったのかはわからない。

  • 体型にコンプレックスのある男・自称モグラ(豚と呼ばれるとキレる)は、かつて採掘場だった場所の坑道を利用して「方舟(=核シェルター)」を一人でコツコツと造っている。方舟の乗組員を選ぶため、ぶらりとでかけたデパートの屋上の露店で彼は「昆虫屋」から「ユープケッチャ」という奇妙な虫を買う。自分の糞を食べて自給自足する足のない虫。なりゆきでその昆虫屋と、露店のサクラをしていた男と女を方舟に乗船させるはめになってしまったモグラ船長。しかし彼の方舟には侵入者がいて・・・

    公房らしい一種のドタバタ喜劇。善人でもないが悪人でもない主人公がなぜか負のスパイラルにはまり抜け出せなくなる経過は、笑えるけれど物悲しいし、とりあえず気の毒。モグラの方舟はつまり子供の頃に誰しも憧れた「秘密基地」で、その秘密の隠れ家を教えるのは信頼できる友達だけにしたいのだけど、これがノビ太くんならつまり、しずかちゃんだけを招待したいのにジャイアンとスネ夫もついてきちゃったみたいな状況の残念感、さらに自分だけの秘密基地だと思っていた場所が実はそうじゃなかったガッカリ感、あげく終盤はずっと片足をトイレに突っ込んだまま身動きできなくなるし、彼の「持ってなさ」加減につくづく同情。そもそもタイトル「さくら丸」だしね。もぐら丸じゃない時点でもう、ある意味オチが暗示されてるっていう(苦笑)

    かつてノストラダムスの予言が流行ったのは、たぶん多くの人間に終末願望のようなものがあったからだと思う。生き延びたい、という願望よりも、全部終わってしまえばいい、という破滅的な諦観。仕事や学校、煩わしい人間関係、自分自身の劣等感、そういう全部から解放されるならいっそ楽じゃない?という心理。逆にもし生き延びるなら、嫌いなヤツはみんな死んじゃって、自分のお気に入りの人間だけを選んで残して、それが可能ならむしろそこはユートピアじゃない?という身勝手な夢想もある。モグラのはこれ。いっそ終末=核戦争でも起きれば、デブでモテない自分、父親に虐待されたコンプレックスまみれの自分を全部リセットできるんじゃないかという希望。一方でサクラのように、借金取りに追われる外の世界からいっそ隔絶されたほうが幸せだという考え方もある。自給自足のユープケッチャが象徴する閉じられた世界。

    方舟を侵犯してくる「そうじ隊」の老人たちは醜悪で気持ち悪かった。女子中学生を「雌餓鬼」と呼び「狩り」、性的玩弄物にすることしか考えていない彼らは、生き延びたいというよりは死ぬ前に好き勝手なことをしたいだけにしか思えない。彼らよりモグラはマシだけれど、非モテ人生を送ってきた彼はとにかく目の前の「女」に触ったり気に入られたりしようとして必死すぎて、それはそれで憐みを誘う。大それた方舟を建設しようとした彼の根っこはただ結局「女にモテたい」だけだったのかもしれない。虚しい。

  • 醜い外見をもつ主人公は来るべき核戦争に備えて石の採掘場跡を改造した方舟を作り、乗組員を探している。百貨店の催事で見つけたユープケッチャなる昆虫(自らの糞を食べることで自己完結できる)を購入したあと、昆虫屋に乗船チケットを渡すが、男女二人組のサクラにチケットを奪われてしまい...。あとは読みすすめていくことをお勧めする。因みに、日本で初めてワープロで執筆された小説らしい。
    途中で出てくる女子中学生の下りあたりは随分唐突に感じた。掘り下げ方が足りないような。女子中学生獲得に躍起になる老人達は非常に滑稽。何処かふわふわした流れのなかで、ここだけが非常に人間くさい。主人公が女に触れて喜んでいたり、恐る恐る距離を詰めていこうとするあたりの心理描写は非常に上手。自己完結するユープケッチャは恐らく方舟の比喩なんだろうが、足などの器官が退化しているのに生殖は出来ないのでは?
    作中に出てくるホコリ取りの機械のほか、ギミックは非常に凝っている。理系作家だよなぁ。

  • この本を読んで、映画CUBEを思い出した。CUBEの製作は1997年で、1984年に出版されたこの本とは互いに何の関係もないのはわかっているけど。

    空間に閉じ込められた数人が、自分たちで予兆しえない事件や出来事に巻き込まれ、時間が進むにつれて当初の心理が微妙に壊れてゆき、その壊れる様子を追うという点では共通している。一般的に「不条理」とも括られそうな両者。非現実的な設定もさることながら、理解不能な状況の延々とした描写、そして「えっ!」って感嘆符と疑問符を幾つも付けたくなるようなラスト…
    これは好き嫌いがはっきり分かれるだろうし、正直言ってレビューは書きづらい。力点を置く場所を見つけにくいから。しかし知的好奇心はくすぐられる。だから自分の空想力を思いっきり駆使して、この本のもつ「本当の面白さ」は何かを、紙を火にかざしてあぶり出しで書かれたものを読むような作業を自分に課すしかない。

    この本の主人公は、核戦争による世界の終末を予測し採掘跡の広大な洞窟に武装してひとり立てこもりカウントダウンを待つ。ひとつ思ったのは、この本を現代言われるところの「引きこもり」の人が読めば、どういう感想を抱くか、ってこと。だって、自分だけの世界の構築、自己の肥大化、自分の容姿へのコンプレックス、他人に対する資格審査、選民思考、あげれば引きこもりに通じるキーワードはいくらでも出てくる。
    でも、安部公房は後に社会問題化する引きこもりの人を描きたかったのだろうか?私はむしろ逆で、世間一般の人共通の精神的属性を、安部はすべて引きこもり的なものに集約させようとしていると思う。

    結末で洞窟から外へ出た主人公が平和な日常を過ごす街全体やそこに住む人全体を改めて凝視し、死んでいると感じたという描写は、私たち誰もが宿命的に背負わされている疎外感を表現したかったのではないか。すなわち、引きこもって我が道を行く人生を送るのも、社会に出て日の光を浴びて暮らすのも、どちらも孤独だってこと。

    そうすると、現代の「社会的排除」という言葉で表されるような、自分が望む望まないにかかわらず社会にいながら外界との接触がほとんどない人が現実的な存在として表面化したのは、そういう点で見れば不思議ではない。

    CUBEは設定の妙から人間社会の不合理性をとことん突き詰めた形で一本の作品に結実させているが、この本はその不合理性を咀嚼したうえで、人が生きるうえでの孤立性を浮き彫りにしようとする意図を感じる。つまり、別に核戦争や自然災害を待つまでもなく、人はある意味孤独で、生きるうえで寂寥感を避けえないってこと。

    その現実を受け入れ、「絆(きずな)」なんて言葉を安っぽく使わずに、寂寥感や排除とどう折り合いをつけ孤独に打ち勝てばいいのか。同じところを時計みたいにぐるぐる回りつづけ自分の糞を餌に生息する昆虫“ユープケッチャ”を登場させ期待をもたせるものの、現代病とも言える孤独や疎外感を解消する具体的な手法までは書かれていないので、星1つを減じたい。
    (2013/1/2)

  • 悪夢と思って読んだら喜劇だった、そんな小説だ。「ぼく」と語る主人公は精神錯乱者のような一面を見せる。自らの糞を食料として半永久機関として存在する「ユープケッチャ」がシンボリックに用いられ、これから徐々に狂気じみた物語が始まる。、、、と思ったら昆虫屋やサクラ、女、老人、少年と次から次へ一癖も二癖もある人物が登場し、一方の主人公はエゴとエロを前面に押し出しながら凡庸に埋もれていく。後半はまさに文字通り便器に埋もれたままだ。描かれる世界は狂気そのものだし女子中学生狩りなどどロリコン的悪趣味も描かれるが、それらの異常性がブラックジョーク的な雰囲気を生み出している。

    ノアは方舟へ各動物の番いを乗せたが、一種類の動物を複数乗せると方舟は出発さえしない、なんとも面白い着眼点ではないか。最後の「ぼく」はまさにキョトン状態だったろうが、読者も狐に化かされたような不思議な感覚を味わうことができよう。

  • ずいぶん前に安部公房はこんな前衛的な作品を書いていた。地下の核シェルター。巨大便器。ユープケッチャ。方舟に乗って逃げ出せるのは一体誰なのか。

  • <ぼく>は来るべき核戦争に備えて、採石場跡地を核シェルターに作りあげ、この「方舟」の選ばれし乗組員を探していた。<ぼく>は偶然デパートの露店で見つけた「ユープケッチャ」という架空の虫が、これから始まらんとする閉鎖空間での完結した生活を象徴しているように感じる。虫の売主と露店のサクラの男女二人が「方舟」の乗組員となるが、「方舟」への侵入者の発見によって、<ぼく>が思い描いていた当初の計画は急激に狂っていく。老人から成る街の清掃隊「ほうき隊」と若者グループとの「方舟」を巡る抗争の最中、<ぼく>はあらゆるものを吸いこんでくれる「便器」に片足を吸いこまれ身動きが取れなくなった。「方舟」で生き残れる者はいったい誰なのか。

    童貞のどうしようもない性に対する心情をよく書き表している。女の尻の描写の多さ。サクラの女、かわいい。

    閉鎖空間での生活というテーマは、『砂の女』と共通するものがある。終わり方も似ているし。

    女子中学生狩りに熱中する老人たちのグロテクスさといったらない。しかし、方舟、閉じた生態系というテーマを考えると、人類という種の保存のために女性の確保に関する話が入ってくることは避けられないだろう。方舟に残るサクラの女のそれからを想像すると気分が沈む。

  • 私はさくら丸では暮らしていけないなあと思う。そこまでして生き延びたいと思うわけでもない。
    この計画は上手くいかない(あるいは昆虫屋にとっては上手くいっているのかもしれない)けれど、きっと、現実はそういうものなんだろうなと思った。どれだけ計画が素晴らしくても、それを実行するのは、計画を立てることよりもずっと難しい。

  • 超久しぶりに読んだ安部公房。核戦争が起きるかもしれないと廃坑を船に見立てて立てこもる太った主人公と、それにまつわる人たちの微妙にへんちくりんなやり取りが延々と。核戦争、って辺りが時代を感じてやや古臭かったけど、へんちくりんなやり取りはいかにも。

  • ふと読み返したくなり再読。3年ぶりくらいに読んだが、印象が変わった。
    安部公房後期の長編。この小説の見所は「登場人物全員悪役」ということだろう。しかも小悪党。それらの登場人物が騙し合い、出し抜き合い、物語は進む。
    まず笑ったのが「デブ」の頻出具合。主人公のもぐら君がデブなんだけどデブやブタと言われたらキレる。ブタと呼ばれないために自らもぐらを名乗っているくらいだ。このもぐら君、なかなかスケベで女の尻を触ろうとしたりひっぱたこうとしたりする。笑いどころが意外に多い。
    この小説は壮大な「かくれんぼ小説」だ。みなさんもかくれんぼの経験があるだろうが、そんなワクワク感がある。偽物という意味の「さくら」をタイトルに据えたのもいい。安部公房は「偽物」という響きが好きらしく、全集についてくる月報も「贋月報」の名前を冠している。けっこう分厚い小説ですがすぐに読めます。おすすめです。

  • 近未来なのか現代なのか、はたまた世紀末的な退廃したマッドマックスのような世界なのか、今ひとつわからないまま始まって終わる、基本的に安部公房お得意の密室劇。安部公房作品によく有る、比喩にとらわれていると気がついたら場所が移動しているという作風なのだが、基本的に方舟(?)の中での移動と事件で、かつ一人称視点がブレないので、「密会」に比べると明らかに想像しやすい。いつもの追い詰められている感は少なく、どちらかと言うと登場人物全員の「疲れ」がひしひしと感じられる作。安部公房の初心者向けではないが、読みにくい方でもない。

  • 2011年10月に行われた「ビブリオバトル 首都決戦予選会in城西」にて、バトラーにより紹介された本です。
    詳細は図書館HP (http://libopac.josai.ac.jp/) より『ビブリオバトル』で検索!

  • タイトルの付け方からなんかすごい

  • 読む本がなくなってしまったので、BooksKiosk新大阪店で買いました。
    (2013年9/28)

    男は、砂の穴からは逃げなかったけれど、
    岩の穴からは逃げ出したんですね。
    (2013年10月5日)

  • もし自分がもぐらだったら、乗組員なんて求めずに
    それこそユープケッチャのように閉鎖的に生きていくのになぁー
    なんて思ってしまった。
    そして、それはもぐらより排他的な考えなんだと気づいてへこんだ。

    ラストはもぐらにとってハッピーエンドだったのか。バッドエンドだったのか。
    まっすぐ立っているつもりが、いつのまにか地面がぐるっとひっくり返って
    逆立ちさせられてるような気分。
    女への尻叩きで表現される駆け引きの変態性がたまらない。

  • 箱男>壁>方舟さくら丸 2013年9月

    ユープケッチャ

  •  終末思想に囚われて採石場跡を地下核シェルターにしてしまった主人公とその乗組員になった昆虫屋の男、サクラの男女二人組が侵入者達と繰り広げるシェルターを巡った心理戦。現代版ノア箱舟。
     安部公房にしては読みやすい(例えば「箱男」や「砂の女」より)。独特のシュールな味もあり、ストーリーの盛り上がりもあり、哲学的な結末も分かりやすく着地している。深読みしたいと思えば深読みできるし、そうでなくても単純に読んでいて楽しいのは各キャラクターがたっているからだろう。主人公の妄執っぷりは無様で憐れだし、昆虫屋は信用できると思いきや女を巡って主人公と争うし、サクラ二人組は胡散臭そうで実は頼もしかったりするし、父親のクズっぷりや侵入者達の組織のバカらしさも印象深い。
     ラストシーンはつまりシェルターの内と外の区別がつかなくなったということだろうか。ひきこもりの消極的解放。というより解放の末の空虚。それはそれで一つの病理――もっと言えば現代病だという気がする。

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方舟さくら丸 (新潮文庫)の作品紹介

地下採石場跡の巨大な洞窟に、核シェルターの設備を造り上げた。「生きのびるための切符」を手に入れた三人の男女ととの奇妙な共同生活が始まった。だが、洞窟に侵入者が現れた時、の計画は崩れ始める。その上、便器に片足を吸い込まれ、身動きがとれなくなってしまったは-。核時代の方舟に乗ることができる者は、誰と誰なのか?現代文学の金字塔。

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