カンガルー・ノート (新潮文庫)

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著者 : 安部公房
  • 新潮社 (1995年1月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121246

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カンガルー・ノート (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 再読。コレ本当に安部公房?あ、安部公房か。うわこれ、安部公房だわ・・・。

  • 自分の中で不条理といえばカフカと安部公房が二大巨頭なんですが、本作ももれなく不条理。なんと主人公の脚にスネ毛の代わりにカイワレ大根が生えてきちゃったという(笑)。

    たとえば足の指がペ○スになったり、お○○こに人面瘡が棲みついてしまっりするよりはマシなような気はしますが(そう思うと女性作家の発想のほうがえぐいですね)、奇病といえば奇病だし、何より主人公も恐れるように、脚だけでなく全身カイワレ大根に寄生されてカイワレ人間になってしまったらもはやまともな人生は送れない。まずは病院へ駆け込むところまでは当然の行動、しかしそこから点滴と尿道カテーテルでベッドに繋がれたままの主人公の彷徨が始まります。

    このベッドがとりあえずスゴイ。なんていうか、ベッドって家具じゃなくて乗り物だったんですね(笑)しかも水陸両用で、思念波で自走も可能。まるで愛馬のごとく常に主人公と共にあり、ときに自家用車同然に街中を疾走、あるときはトロッコのようにレールを滑走、さらにサーフボードのように荒波も乗り越え、もちろんどんなシチュエーションでも眠る場所には困らない。

    病院から謎の坑道、賽の河原からまた怪しい病院へ、採血上手な垂れ目の看護婦さんに翻弄されながら主人公のたどる黄泉と現実の境目の旅路は、しかしついにベッドが破壊されたときに当然終わります。

    安部公房は自身が戯曲を書いたり演劇にも関わっていたせいか、どこかしら舞台演劇っぽい印象を作品から受けることがあるんですが、理不尽な場面転換の仕方なんかが、舞台上の場面転換に通じるものがあるせいかもしれません。賽の河原も、なんだか書割のようなものが頭に浮かびました。野田秀樹あたりの演出で舞台化したら面白いかも。

    最晩年(平成になってから)の作品なので、三島と同世代の大正生まれの作家、という意識でいると、ピンク・フロイド(お好きだったらしい)の曲名が何度か出てきたりしてビックリします。電子レンジが出てきたときにもちょっとだけ驚きました(笑)

  • [かいわれの刑]朝目覚めると、脛に違和感。なんぞと思って見やればなんとそこにはふさふさのかいわれ大根。あまりの不気味さに仕事どころではなく皮膚科に駆け込み治療を求めるも、ベッドにしばられた僕はそのまま地獄巡りの旅を余儀なくさせられることに。上司からコンセプトを考えるよう言われていた「カンガルー・ノート」のことも後にして......。海外からも高い評価を得ている安部公房の最後の作品となった長編小説です。


    とっぴょうしのない話のように思えるかもしれませんが、安部公房が自身の死を前にして著した作品と考えると、ストンと胸に落ちてくるものがありました。死という極限的な現象すら、ブラック・ユーモアでくるんでしまうその発想力、そしてそのセンスに驚かされること間違いなしです。気味の悪さと退廃感が絶妙に絡み合った作品ということができるのではないでしょうか。


    そんな中で印象的だったのが、露骨に「性」のにおいが感じられる描写が姿を見せること。安部氏にとってそれがどのような意味を持っているのかはもはや知る由もありませんが、死といわば合わせ鏡のものとして「性」をとらえていたのではないかと感じました。それにしても、安部公房の小説って一読しただけだと呆気にとられてしまってなかなか著者の意図を汲み取るところまで行き着かないんですよね。

    〜そんなこと構っている場合じゃないでしょう。君の性別なんて、ナンセンスよ〜

  • 安部公房最後の長編。

    脛から≪かいわれ大根≫が自生し始めた男なんて、期待を裏切らない発想。
    ≪かいわれ大根≫は数本生えているくらいなのかと思ったら、どんどん成長してジャングルのように密生する。
    読んでいてもなかなかグロテスクで、それを見た、朝食に納豆とかいわれの和え物を食べた医者は、吐き出してしまう。サウスパークっぽいな。ブラックな笑いでいっぱい。
    自分の≪かいわれ大根≫を食べて生きていこうかなどと考えた場面は、『方舟さくら丸』のユープケッチャと繋がった。これまで安部公房を読んできたので、分かりやすい。
    安部公房作品の中でも読みやすいほうだと思った。

    受診した病院のベッドがドラゴンボールの筋斗雲のように主人公の男になついて、そのベッドに乗って、夢のような世界を移動する。三途の川や賽の河原も出てきて、あの世までネタにするのかこの人は、と笑うしかない。後半には、安楽死についての問題も出てきて、“死”がテーマとなっている。

    いちばん興味深かったのが、ピンク・フロイドの曲が何度か出てきたこと。
    安部公房は彼らの大ファンだったらしい。
    安部公房の小説と、ピンクフロイドの楽曲、確かに繋がる部分がある気がしていた。

    ドナルド・キーンが書いた解説も自分も共感する部分や、新たに発見するところが多く、面白かった。


    安部公房は壁の向こうで待っている…
    まだまだ深く読まなければ。

  • ハードなことが結構おこるけども、主人公はあまり深刻にならない、というか飄々としているのがおかしい。
    ぐるぐる変化する状況がいちいちズレていて、完全に夢のなかの出来事だ。

    話の流れが、整合性が、意味がどうとかいうことはナンセンスで、感覚的に読むのがしっくりきた。
    自分が夜にみた夢を覚えていて、なんだったんだろうなーと読み解き振り返るような心地によく似ている。

    夢は自分の思考の片割れで、有袋類だとおもう。
    夢を見ることと、死を考えることは近いのかも知れない。

    脛からカイワレが生えて、自分の意思で走行可能なベッドに乗って、印象的な女性が分身して現れて、安楽死に荷担したり、吐いたり吐かれたりする夢。
    たい焼き~のくだりの、アホな会話も良い。そんなもんなのだ。

    自分の夢を読むように読みたい。こんな小説もあるとわかって面白い。
    こんなもの書ける力があるひとは、どういう生き方をしたんだろうな。

  • 正直1/10も分かったと思えない。将来的に分かると思えない。非連続な崖がある感じ

    表面的には愉快な(?)、ユーモアな話の連打。あるいは、途中から読んでも楽しめるかもしれない。


    オタスケ、オタスケ、オタスケヨ
    オネガイダカラ、タスケテヨ

    かいわれ大根ってなんだったんだろう。カンガルー・ノートって?

    垂れ目フェチなのは分かった

    本当によく分からない…

  • とりあえず読みながら脛がムズムズした。だって、脛にカイワレ大根が生えてくるなんて…。しかしこの設定で掴みはOK!と思った。
    やたらと高性能なベッドに乗って、行く先は地獄。軽く読めるけれど、テーマが「死」だと思うと考えさせられるところもあったりして。
    読む時に自分が置かれた状況によって、見え方が変わってくる話だろうと思ったので、また折を見て読み返したい。

  • 安部公房最後の小説。
    会社にてカンガルーノートたるものを提案した翌日、脚の脛からかいわれ大根が生えてくるという、奇異なまさに安部公房の世界が展開されている。

    主人公はその後病院のベッドに乗って街を滑走する。展開が想像の範疇を越え、奇想天外。
    夢を見ている気分になる。夢の中ではあり得ない出来事に対して疑念を抱かない、まさしくそれだ。

    しかしこの小説にはテーマがある。死だ。

    安部公房は生と死をあまり隔たりないように描き、同時に生ける者が死を如何に重んじているかを巧みに描いている。

    一度ではわかりえない、安部公房。
    深い魅力を感じる。

  • かいわれタイム入りました

  • とりあえず食べてはみるな。

  • 不条理小説が苦手でも、脛からカイワレ大根が生えてくる物語だったら読めるでしょ?

  • 数年前、脱臼した膝の検査手術のためにストレッチャーにのった折、
    看護婦さんがエスカレーターのボタンを押してそのまま応援を呼ぶ為にナースステーションへ。
    すると数秒後、ストレッチャーが勝手に動き出し(多少傾斜があったため)、
    「こ・・これはまるでカンガルー・ノート!」
    と感極まりました。
    その後到着したエスカレーターのドアに危うく挟まれそうになったのもいい思い出です。

  • 朝起きたら膝にカイワレ大根が生えていた。
    この出だしでノックアウトだね。

  • 安部公房最後の作品。
    率直な感想としては本当に面白いんです。なのに、1回読んだだけではうまく感想を述べる事が出来ないのですこの作品。表現それぞれが何かを象徴しているようで、1度ではどうも完全に理解は出来そうもないです・・・非現実な事なのに、この人の世界では本当に起こるぞ!って感じで毎回ヒヤヒヤする。前半の主人公がレールに乗って進んでいる疾走感と、後半の縛り付けられた時間の流れの対比が、死を間近に迎えた人間の時の流れのようで恐い。 これは後日読み直してみようと思う。

  •  かいわれ大根が脛に自生していた朝から始まる冒険譚(?)。
     訪れた病院で生命維持装置付きのベッド(水陸両用!)に乗せられ、療養のため硫黄温泉に行き、かいわれ大根を齧りながら地下坑道、賽の河原へ、現実とは到底思えない世界へ迷い込んで行く。
     そんなありえないことの連続なのに、あるがままをふわっと受け入れ、妙に淡々とした口調で語る男が滑稽でたまらない。自生するかいわれ大根を食べて栄養補給すれば貸借表上赤字か、黒字か、なんて考えとる場合かよ。

     本作は著者の最後の長編だったそう。死が迫ってくる中読めば、少しは理解できるのだろうか。

  • 高校の時以来の再読。やっぱり訳が分からぬ。

    脛に貝割れ大根が密生した男。頼りにした医院からベッドにくくりつけられ、硫黄泉への旅が始まる。

    トンボメガネに下がり目の看護師、賽の河原の小鬼たち、失くした母との再会。

    オタスケ オタスケ オタスケヲ
    ダレカ オネガイ タスケテヨ

    このあたり、楢山節考にも通じる作者のユーモアを感じる。

    全編通して生と性、そして死の気配が混沌と。本当にカオス。。

  • 安部公房氏の遺作。

    相変わらず意味がわからない。脛からかいわれ大根が生えた男が自走ベッドで不条理な世界を体験していく。良くいえばダンテの『神曲』、悪くいえば狂人の絵空事。しかし物語は破綻していない。安部公房氏はその着想を夢から得ることが多いと語っているが、こんな夢を見る人はまず居ないだろう。緻密な情景描写と前触れも無く切り替わる場面、そして賽の河原で繰り広げられる高度なブラックジョーク。そもそも『カンガルー・ノート』とは何だったのか。文豪は数居れど、世界に比す真の天才は少なく、安部公房氏は紛れもない天才であろう。

  • 読み進めるほど荒唐無稽さが際立ちます。これまで読んだことのある安部公房さんの作品は、混沌や錯乱の中にも秩序があった気がします。思考実験のような雰囲気のものや、ルポルタージュのような作品もありました。しかし本作は思いつきで書き散らしたかのような内容になっています。散りばめられた種々のアイコンが、どこかで回収されたり収斂していったりといったことは基本的になく、単発のできごとの連続でした。

    しかし、それは批判の対象とはなりえないと思っています。

    私は、この作品のひとつの美点を、上記の印象に見出しています。

    基本的に、この作品はわけが分かりません。

    ただ、冒頭から一貫して漂いつづける死の気配は、後半に向かうにつれて徐々に強くなっていきます。
    例えば、こう考えることもできるかもしれません。
    はじめに、中心に死があり、その周りに生に関する様々なオブジェクトがあります。それらは、互いにほとんど関係がないように見えますが、中心からどんなに離れた位置にあるものであっても、死の強烈な引力によって繋ぎ止められ、それぞれが死を中心として周回しているとします。そういう意味では、相互に無関係ながら、死を中心とした同一の系の中で共存しているもの同士なのです。
    あるいは、こういう世界が描かれているのではないかと、私は感じました。

    明示的なテーマを設定していかにも「考えさせられる」ものや、感動をいたずらに喚起したり、怒りやスリルを与えたりするものよりも、少なくとも私にとっては、なんだか悩ませられてしまう作品というのは面白みがあるように思います。

  • どこからが現実で、夢で、空想なのか。入口も出口もわからない。面白いのかつまらないのかもわからない。でも安部公房好きにはたまらない世界観でした。

  • ラストの場面で、箱の中の自分の後ろ姿を見つめるシーンがとても印象的だった。恐らく主人公の後ろからも、もう一人の主人公が後ろ姿を見つめるような鏡合わせの構造になっていて、だからこそ主人公は「恐かった」のだろう。でも、もしそこで振り向けば、目の前にいた自分の後ろ姿からも目線がそれるのだから、背後の自分も見る事は出来ないはずだ。となると、特に害のある演出でもないわけだから、箱の登場が、ここで物語が唐突に終わる原因にはならない。Bと一緒に列車に乗り込んで何処かに連れて行かれるのが妥当な結末だろうか。
    この作品を読んでいて常に気になっていたのは、現実世界を描写しているのはどの部分なのだろうかという点だ。読んでるときは、きっと物語の後半で一旦現実世界の病室に戻ってくるはずだと思っていたが、結局主人公は物語序盤で坑道の坂道を下っている途中に一回だけ病室に戻った以降は最後まで戻ってこなかった。そもそも、作品中に現実世界を想定するなら、かいわれ大根が生えた主人公が存在する時点で、現実世界と対照的な夢の世界を描写しているのではないか。とすると、この作品は最初から夢遊病者が見ていた夢で、現実世界の描写は最後の新聞記事の抜粋だけなのだろうか。

    再読後
    安部公房の不思議小説の中では一番好き。脛に貝割れ大根の生えた男が、アトラス社製の医療用万能ベッドに乗って、夢から夢へと疾走する話。結局貝割れ大根やカンガルーが何の比喩なのかさっぱりわからない。ドナルドキーンが解説を書いてるけど、氏もどう解釈してよいか分からず困っている感じが伝わって来てこっちまでムズムズした。でも、賽の河原に移動するシーンで、地獄が案外平凡であると解釈しているのはとてもスッキリする指摘だと思った。兎に角、僕は内容よりも、この作中に登場する背景の描写が大好きだから、多分時間をおいてまた読み直すと思う。坑道とか暗渠とか、賽の河原、病棟、廃駅と、薄暗い雰囲気が好きなんだな。

  • 脛にかいわれ大根が自生した男と自走するベッドとの旅は、御詠歌とロックと歌謡曲とともに。
    賽の河原の子鬼たちが私の周りをぐるりと囲んでマイムマイムでも踊り出しそうな陽気な雰囲気があったけれど、結末でぽつんと置き去りにされた。 
    スクラップされた夢を渡るベッド。駆け抜けるワラビー。空っぽの車内。
    最終電車の後には何も来ないとわかっていて立ち尽くす虚しさ。少女を抱き締めることもできず、人さらいにもなれない「ぼく」は、箱へ詰め込まれるのに抵抗しない。「ぼく」は少女と同じくらい連れ去られるのを待っていたように思えた。
    《2014.07.06》

  • 2015/05/16
    2016/03/25

  • 脛から生えた≪かいわれ大根≫の不気味さは、生きるということの不気味さなのだと思った。

  • 安部公房は夢を思い出しながら書いたのかな…?

    次から次へと不条理劇な話の展開に変わる。
    すごく、よく分からない作品でした…

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カンガルー・ノート (新潮文庫)の作品紹介

ある朝突然、が脛に自生していた男。訪れた医院で、麻酔を打たれ意識を失くした彼は、目覚めるとベッドに括り付けられていた。硫黄温泉行きを医者から宣告された彼を載せ、生命維持装置付きのベッドは、滑らかに動き出した…。坑道から運河へ、賽の河原から共同病室へ-果てなき冥府巡りの末に彼が辿り着いた先とは。急逝が惜しまれる国際的作家の最後の長編。

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