悲しみの歌 (新潮文庫)

  • 683人登録
  • 3.96評価
    • (104)
    • (87)
    • (104)
    • (5)
    • (1)
  • 86レビュー
著者 : 遠藤周作
  • 新潮社 (1981年6月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123141

悲しみの歌 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 重くて深みが凄く、後々まで考えてしまいそうな小説だった。
    春に読んだ「海と毒薬」の続編で、事件の30年後が描かれている。

    正義って何だろう?と改めて考えた。
    善と悪ってすっぱり二つに割り切れるものではなく、両方つながっていて、当然グレーゾーンというものもあって、人は立たされた立場やその時の世情によって、簡単にその善と悪を行き来するような生き物なのだと思う。
    「海と毒薬」は戦時中の物語で、この小説は戦後の物語。米兵捕虜の生体解剖事件の戦犯となった勝呂医師は刑期を終えて新宿で開業医をしているが、彼にはその過去から来る陰鬱な影が常につきまとっている。
    戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の彼を苦しめ続ける。
    深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸も。
    折戸の正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しい見方なのだろうけど、善と悪はすっぱり二つに割り切れると信じている青さが、人生経験の少なさと若さを象徴しているのだと思う。
    人の奥深い心理を無視しすぎている直球な言葉は、色んな人を傷つけてしまう刃になりかねない。

    私もどちらかというと直球なタイプで、もう少し若い時は今よりも善と悪の感覚が違っていたように思う。それこそ折戸のように、グレーゾーンなんて認めない、悪いものは悪い、というような感じで。
    でも人間ってそんな簡単には分けられないし、何かに流されて悪い方に行ってしまうこともある。
    そのこと自体は悪だとしても、過ぎ去ったあとその事柄をどんな風に受け止めて生きていくか。
    人の悪さを糾弾するのは簡単だけど、そもそも人が人を裁くなんて出来ないのではないか?って。

    遠藤周作さんはキリスト教を主題にした作品を多数残されているそうで、この小説にもその要素は垣間見える。
    人を裁くことは神にしか出来ない(神が存在するとして)。
    この小説のある意味主役とも言えるフランス人のガストンは、無償の愛を他人に注げる嘘みたいにお人好しな人間で、彼の存在はイエス・キリストのメタファーになっていることが分かる。
    人のために喜んだり泣いたりすることがガストンにとっての幸せで、針のむしろ状態の勝呂医師の側に常に彼がいたことは、勝呂医師にとって大きな救いになったように思う。

    そして、人の死をコントロールするという罪悪についても描かれている。
    法律上安楽死は許されないのに、妊娠中絶は許されているという事実を、改めて考えさせられる。
    両方とも、その本人が望むのだとしたら?どうして妊娠中絶は良くて安楽死は駄目なのか?
    そしてそれに手をかけた医師は、再び深く苦悩することになる。

    とても悲しい物語だった。
    まさに悲しみの歌が、物語中にずっと流れているような。

    倫理的には悪者である勝呂医師と、その対比として登場するたくさんの人物たち。読者にとってどちらがより悪いか、憎々しく映るか。
    人の噂や単純すぎる倫理観で人を見てしまうことは現実にも山ほどある。だからこそそういうものだけに惑わされないで、自分の目で見て感じる力を身につけたい。そんなことを思った。

  • 戦時中、米兵捕虜の生体実験に参加した過去をもつ中年開業医。彼を正義の名のもとに追い詰める新聞記者。彼らの話を軸にして無気力な大学生、お人よしの外国人ガストン、建前と本音の乖離をいっこうに気にしないエセ文化人の大学教授、と様々な人たちが関係を織り成す構成と内容。

    読みながらふと思った。
    戦犯の過去をもつ開業医を執拗に追い詰める新聞記者の姿に、いまの時代で、ネットやSNSで、当たり前のように行われていることや人たちのこと。

    叩きやすい悪を「正義」の名のもとに糾弾する。世の中の問題や課題に何が善で何が悪かと、方程式のように簡単に線引きし答えを出すことができると思い込んでいる傲岸さ。正義の名のもとでなにをしても許されると勘違いした傲慢な姿勢。相手が反論できないと思えば徹底的に追いつめ責め立てる。叩きやすいから叩く。非難しやすいときだけ声高に非難する。自分は絶対に傷つくことがないと分かりきった絶対安全圏からの誹謗。その非当事者性。

    タイトルの’悲しみ‘とは、こういった(僕も含めた)合理で説明できない人間のさがや意のままにならない卑しい感情に対する諦めが込めれているように思う。

  • 海と毒薬の続きというよりは、第二部といった風です。
    人間の宿命「愚劣で悲しく辛い人生」を描き、正義と罰とを問う小説。
    全体的に70年代を風刺しているように感じられました。

    戦犯を激しく追及した、戦後社会の正義とジャーナリズムへの猜疑も窺えます。
    「三十分や一時間のインタヴューで人間の心がわかるのかなあ」
    「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後のおかげて、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限度を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか」
    折戸が憤慨する「戦後三十年の民主主義の結果」の中に、折戸も含まれているようです。戦中を否定することから始まった戦後の民主主義を象徴したような人間に見えます。

    海と毒薬に通じるのは、人々が周囲や時代の風潮に流され、それに諦観しているところでしょうか。
    海と毒薬では、世界や日本の情勢、教授たちの権勢争いが捕虜実験に繋がったように、
    悲しみの歌でも、戦中批判と民主主義の高揚する社会の中、折戸や教授や大学生等の保身を図る人間に周囲の人は振り回され、同じ穴の狢になったり犠牲になったりする。矢野や大学生の保身のために愚劣になった娘、親の生活を救うために中絶された胎児、折戸の出世の踏み台となる勝呂。
    二作とも、保身を図る人間を哀れっぽく、愚物として描いているところにまた悲哀があります。

    命を救う医師でありながら親の為に堕胎をさせ、末期癌患者の死なせてくれという望みを叶える勝呂に、罪と罰があるだろうか。
    戦中は捕虜実験に加担し、裁判と懲役を受け社会的に罪を償っても、戦後の社会正義は罰を与え続ける。戦後に作られた正義で戦中を断罪することは本当に正しいのか。
    とはいえ、折戸のような正義を、形はどうあれ、多くの人が持っていると思います。

    「宮沢賢治の詩のような男に私はなりたかった」の詩とは雨ニモマケズを指しているのでしょうが、勝呂の優しさを見るに付け、そんなささやかで優しい願いも叶わない、欠片も救済のない運命が悲しい。

    イエスに擬するガストンが、人びとを憐れむだけで何の役にも立たず誰も救えない人間として描かれているのに皮肉を感じます。

  • もう一回読み直したら、また違う感覚を覚えそう。すごく深い作品でした。
    最後までガストンか助けてくれることを祈っていましたが、良くも悪くもキリストの思想。助けるというよりは寄り添う姿勢でした。
    読後悲しい気持ちが残りました。
    正しいだけでは生きていけない。それぞれの事情もわからないまま自分の正しさを相手に押し付けてはいけない。
    どこかで勝呂とガストンとキミちゃん、そしておじいちゃんが救われることを祈っています。

  • 30年ぶりぐらいに読みたくなって一気に読了。
    私が「正しいこと」を言う人が苦手なわけがこの本の中にみんな入っている気がします

  • 本書『悲しみの歌』は、『海と毒薬』の続編となる…、と、あるのは、みなさんのレビューの通り。

    『海と毒薬』は、太平洋戦争末期、九州大学医学部で行われたアメリカ兵捕虜の生体解剖実験を元にした物語で、戦時中の話。

    そして、本書『悲しみの歌』は、戦後の話で、復興を果たした20年後の話になるだろうか。

    主人公の勝呂医師は、新宿で開業医をしているが、その新宿を中心にさまざまな人物が登場し、描かれる。

    似非文化人の大学教授やその娘、反権力を訴える(やがて、スーツを着て企業に勤めていく)大学生。

    勝呂医師の“過去’”を曝く正義感に溢れた折戸記者と同僚の記者野口。

    そして、末期癌患者のおじいさんとその面倒をみていたガストン。

    他にも、多くの、かつ、魅力的で重要な人物が出てくる。


    刊行されたのは、かなり前になるので、出てくる言葉も時代を感じさせる

    戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の人々を苦しめ続ける。

    深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸を始め、さらにその表面だけを「知る」顔のない世間の一般人も。

    折戸(や世間といった)勝呂を糾弾しようとする正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しいのだろうけれど、善と悪は、それほどすっぱり簡単に二つに割り切れるものではない、と。


    ただ、自分も(たぶんこの本を読んだ人も)、簡単に、“勝呂医師”や“折戸記者”のような人物に絶対にならないと断言できないという、恐ろしさもある。

    本当に「正義」って何だろう?と考えさせられた。

    本書の最後に触れられていたが、安楽死の問題も、重要な描写。


    少しネタバレになるが、最後の場面で、別の記者でなく、折戸記者が、目撃者になっていたら、どうなっていただろうか。


    ガストンは、やはり、イエスのメタファーなのかな。

    どこまでも、優しく包み込む。

  • 凄まじい本でした。学生時代に「海と毒薬」を読み、衝撃を受け、勢いでこの本を買いましたが、何となく本棚の奥で眠らせたままでした。今回、何気なく手にとり読んでみましたが、生きることの染み込んでいくような悲しみの存在を感じさせられました。勝呂の罪を背負い、傷ついてきたからこそ発揮できる優しさは世間には認められず、折戸の正論が持ちうる暴力が正当化される世界。よく考えるとこの社会は自分が持ちうる優しさや繊細さを誤魔化せない人が迷い苦しみ、何でも自分に都合がよい正論で白黒をつけて、周囲に構わず突き進むタイプの人間がどんどん地位を築いていく。今も昔も何も変わってない。
    勝呂が死を選ぶのは彼の生涯を考えると、至極当然のことなんだけど、その権利はなくても幸せになって欲しかった。ガストンが勝呂が天国に行くと言ってくれたのがせめてもの救い。そして折戸が貴和子に結婚を断られたのも、まだこの世界を信じさせてくれる。ただ、それらのこともこの社会の仕組みの不条理の前では何の意味もなさない気がして、本当に無力感を感じさせられました。最後、ガストンが無償の優しさを与える描写があったり、噴水に当たる光の描写があったり、この世界の希望を匂わせるのですが、自分には何が希望になるのか結局この小説からは掴めなかった。その分、この小説が描く社会にリアリティーを感じました。
    作者の遠藤さんはキリスト教信者みたいですが、同じく信者のsunny day real estateの音楽が奏でる世界観にやはり近いです。人間の汚れや穢れを表現し、その裏にある人間の真の美しさや希望に迫ろうとしている気がします。しかし、結局何が美しさ、希望になるのか、自分にはまだ分かりません。

  • 2016/04/09

  • 暗い小説です。

    太平洋戦争末期に九州医大で行われた捕虜の生体解剖実験を元にした『海と毒薬』の実質的な続編である本作。
    その前作も暗い小説でしたが、その「暗さ」のイメージが異なるように感じます。
    例えるならば、『海と毒薬』は夕闇のような限りなく闇に近い暗さ、『悲しみの歌』はどんよりとした曇り空でその上霧雨の降るような薄暗さ、という感じでしょうか。
    その「暗さ」の違いは、それぞれの作品で遠藤周作が書きたかったもののオマージュとなっています。
    『海と毒薬』では戦争末期の絶望的な状況の中で起きた非人道的な実験への倫理的な問いかけ、そして『悲しみの歌』では勝呂の抱える罪の意識と悲しみ。
    この違いが、私が両者の「暗さ」の違いとして感じた正体であるように思います。

    …とかなんとか書いてるうちにだんだん何言ってるか自分でもよく分からなくなってきました。
    とにかく暗いですが面白い小説だったことは間違いありません。乱文終わり。

  • この世は「悲しみ」でできている。本書を読み終えてまず思った感想は、こうだ。本書は複数の文学賞を受賞し、映画化もされた著名な『海と毒薬』の続篇にあたり、同作に登場した勝呂医師がふたたび登場する。『海と毒薬』の内容をもう1度おさらいしておくと、第2次世界大戦の末期、九州帝國大學において、捕虜になった米兵が、生きたまま解剖された史実をもとにした小説で、戦時中とはいえもちろんそんな行為は立派な犯罪である。ひるがえって本作の勝呂も、刑期を終えたことが物語中に描かれており、生体解剖がちゃんと断罪されたことがわかる。しかし、ほんとうに勝呂医師だけが悪かったのだろうか。あるいは、ほんとうに断罪されるべきであったのだろうか。むろん、行為じたいが褒められるべきではなく、むしろ責められるべき性質をもつことはわかる。しかし、いちいちネタバレをするほどのことでもないので詳述は避けるが、勝呂医師の「最期」をみるに、この断罪によってはたして救われた人はいるだろうか。言いようのない「悲しみ」を増幅させただけではないか。勝呂医師は現在は新宿で開業医をしていて、やがて新聞記者に過去のことを嗅ぎつけられ、断罪される。しかしその新聞記者もまた、真実を追求するいっぽうで、互いに惹かれあってたはずの恋人からは別れを切り出されてしまう。正義とはなにか。これもまた、悲しみの一種なのではないか。べつの記者である野口のセリフの端端には、こういった無力感のようなものも垣間見える。そして、勝呂医師のまわりに集まる患者や、その見舞客たち。それぞれがさまざまな事情を抱えていて、とても幸福そうには見えない。生きることの本質は、悲しみではないであろうか。末期癌の患者は、やがて勝呂医師に「安楽死」させられる。しかし、それこそがほんとうの救いなのではないか。生きるとは。死ぬとは。幸福とは。悲しみとは。この行為ひとつとってみても、世の中がそう単純には割り切れないことだらけであると知る。著者はキリスト教の熱心な信者であることで有名で、本作の作中にも聖書の一節が引用されている。しかし、著者はそのキリスト教の救済に対してさえも、なにか本質的な疑問を感じているように思える。救済とはいったいなんなのか。あまりにも重すぎるテーマばかりで考え込んでしまうが、それだけに読む価値はじゅうぶんすぎるほどある。

全86件中 1 - 10件を表示

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
遠藤 周作
遠藤 周作
有効な右矢印 無効な右矢印

悲しみの歌 (新潮文庫)に関連する談話室の質問

悲しみの歌 (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

悲しみの歌 (新潮文庫)のKindle版

悲しみの歌 (新潮文庫)の単行本

ツイートする