沈黙 (新潮文庫)

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著者 : 遠藤周作
  • ¥ 594
  • 新潮社 (1981年10月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123158

沈黙 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 強烈な本。一度読んで、もう読む勇気が出ないと今のところ思っています。神さまって何??なんで??まさに、沈黙。。。。

  • 読書をするとき「この本のメッセージはこういうことだろう」と推察しながら読み進めることはよくあるのだが、本書はその予想を華麗に裏切ってくれた。

    p.241「フェレイラの孤独と自分の寂しさとをこのように比較した時、始めて自尊心が満足させられ微笑することごできた。」
    このときはまだ「いかに苦しい状況においても信念を強く持つこと」が本書の言わんとすることかと思われたが、強い信念は時に弱さを誤魔化す手段となってしまうことがそのすぐ後に示されていた。信仰とはなにか、真理とはなにか、集合体の中で生きる人間の在り方について考えさせられた。本書から発せられるメッセージは、綺麗な言葉で取り繕った理想より人間味に溢れており、暗闇の中に希望があった。

    解説も秀逸だった。何百年も前の、イメージもできない鎖国時代を舞台にしているにもかかわらず、その世界に引き込まれる。ジャーナリズムのような純客観から始まり、半客観、半主観と、視点を変えるテクニックにより、これほど効果的にストーリーに引き込まれたのだと理解した。

    マーティンスコセッシ監督により映画化されるとのことで、とても楽しみです。

  • 遠藤周作の他作品と同じくキリスト教を主題にしている作品。とにかくテーマが重い。神はなぜ沈黙するのか?なぜ答えを出してくなれないのか?そんな問いを出しつつ、人間としての在り方を遠藤氏の観点で表現したのが本作ではないかなと思う。
    また信仰そのものについても是非を問うてる作品だと思う。
    宗教画入ってくるので先入観や嫌悪感はあるかと思うが、一つの文学作品として非常に完成度が高いし、メッセージ性も浮き彫りにされているので是非読んでもらいたい作品。

  • 一度読み終わり、すぐに2回目も読んでしまった。そして、読後は2回ともしばらくその場を動けなくなってしまった。神の存在、人間の生き方の問題、人の選択について、日本人の宗教観等、重厚なテーマを書ききっている。自分自身、親が熱心なカトリック教徒の家で育ったので、すごく興味のあるテーマだった。なぜ神は助けないのか、凄惨な状況に何も手を差しのべない神。祈りを捧げる宣教師たちや信徒。

    私は強くないので、どうしょうもない裏切り者キチジローの気持ちはすごくわかる。パライソへ行けると信じ殉死していく人たちに確かに感動するが、そうは生きられないだろうなと思う。

    さらに、神を祈り死んでいく日本人達が祈った神は、宣教師達が言葉通り死ぬ思いをして伝えてきた神とは似て非なるものに変化し、全く違う神を祈っていると言う話は衝撃的だった。

    宗教とはその土地の文化を背景にして育つものであり、その本質はその宗教が誕生したその土地で生まれ育っていない人間には掴み取れないものなのだと思う。昨今のイスラムとの対立などは結局そこに問題があるのではと思う。八百万の神の土壌がなければ、他の宗教に寛容にはなれないのだろう。

    善きにつけ悪きにつけ、日本人は八百万の神を背景にした古来アニミズムの文化の中で無意識的に育ち、その影響下からは逃れることはできないと思う。その土地のなかにイエス・キリストが入ってきたとして、唯一絶対神として存在するわけではなく、数多いる神の頂点として捕らえ、また地獄と極楽を根底思想に持つため、歪んだ天国観を彼らなりの理想として位置付ける。きっとイスラムが入ってきたとしても同じように受け入れ日本なりのイスラム教に変化していったんだろう。日本人とはそういう人達なんだろう。

    日本人として生きるということは、異質なものを解釈し、受け入れ、そしていいと思ったものを取り込んでいき進んでいくということなのかもしれない。

    穴づりの声を聞き、信仰を捨てた宣教師。神は最後まで沈黙し続けるが、神の存在が彼の人生を作ったと言って話は終わる。人は何か困ったことがあると、心の中で何の気なしにお願い神様と祈ることがある、無意識的に。私はそこに神がいるのだと思う。全ての人のなかに神がいて、万物は全て霊性を持ち、それぞれの神を認め、それぞれの神と対話することが大事なのではないかと考えている。

    宗教とはその集合意識を具現化したひとつの形でしかなく、本来の神とはそういうものなのではないだろうか。

    ということを考えられたこの本を読んでよかった。まさにバイブルになるような本です。

  • タイトル「沈黙」の意味を特に考えずに読み始めましたが、読み終わってみると中盤以降、その沈黙か、と意味がわかりました。神や仏っていうのは手を差し伸べて助けてくれるものっていうのは真の信仰ではないんですね。

  • 学生時代に読んだ1冊を再読。遠藤作品の中でも好きな1冊です。

  • 「信じるものは救われる」これを読んで漠然と思い出した言葉である。
    お正月には初詣に行き、お盆にはお経をと唱え、クリスマスを楽しむ、そんな信仰のない自分からすると宗教というものは根源的には同じであって、宗教の違いによって争うということ自体が理解できない。ただ現実として今この瞬間も争いは起こっている。江戸時代におけるキリスト教弾圧は単純に宗教観の違いからだけで起こったものではないと思うが、悪役を作れば政治がやりやすかったのだろう。(今の時代も同じである)
    命を賭してまで信じるものがあるというのは素晴らしいことだと思うし、そうであるがために悩みもするのであろう。神が本当に救ってくれるかは、やっぱり信じることしかないのかもしれない。
    今年、映画化されるということなので楽しみに待ちたい。

  • 江戸時代初期に日本に潜入したポルトガル人宣教師の辿った運命を題材にした、ドラマティックな歴史小説。
    島原の乱の鎮圧後、キリシタン禁制が極めて厳しかった日本に潜入したポルトガル人宣教師ロドリゴは、間もなく捕われて過酷な拷問を受ける。しかも、多数の日本人信徒が想像を絶する迫害、拷問を受けながらも、信仰を捨てず、犠牲となっていく。そうした中、ロドリゴは遂に背教の已む無きに至る。
    ストーリーは当初から不可避と思われる最悪の結末に向かって一直線に進み、そこに予想外の展開はなく、ある意味極めてシンプルであるにも拘らず、その緊迫感にぐいぐいと引き込まれていく。
    「神は存在するのか」という根源的な問いに答が与えられたわけではなく、最後のロドリゴの背教が、実は神への裏切りではなく、キリストは棄教者の足で踏まれつつ、これを赦していたという逆説的な発想に至っては、信じる宗教を持たない私としては、解釈の手掛かりすら持たない。
    しかし、今日の世界における最大の問題のひとつである宗教間(民族間)の対立を考えるにつけても、宗教とは何なのかを考えてしまう。
    また、宗教に限らずとも、自分のプリンシプルに基づいて行動することの意味をも改めて考えさせる。
    強烈な印象を残す作品である。
    (2007年10月了)

  • 「なぜ神は沈黙しているのか」、否、神はともに耐えていた。

    『沈黙』の本質は、神の沈黙に絶望するロドリゴ氏の姿ではなく、フェレイラ氏の「この国の者たちが、あの頃信じたものは、我々の神ではない。彼らの神々だった。」と沈鬱する場面にあるように思う。時の勢力が弾圧したのは基督教そのものではなく信仰が形を変えて得体の知れぬ狂信へと変貌する国民への恐れであったのだろう。

    司教が説いたのは神への冒涜や裏切りという「信仰」だったのに対し、農民が恐れたのは踏み絵や転びという「行為」による仲間からの軽蔑や嘲り、疎外であった。互いのずれがフェレイラ氏の言葉に収斂されている。ロドリゴは皮肉にも自身の転びによって、キチジローの弱き者の嘆きを通して、神の沈黙の本質に触れることとなる。

    江戸時代における宗教弾圧という重いテーマながら、構成や描写はさることながら文章が極めて美しく小説の醍醐味を味わえる非常に素晴らしい作品である。

  • 映画化が再び動き出し、僕のtwitterのTLで、読書家の友人が複数激賞していたので、これは読まねばと購入。その激賞と期待に違わぬ、凄絶な作品だった。人間の弱さを、ここまで強烈に描き出した作品をぼくは知らない。

  • H2016.1.5読了
    司教の踏み絵に至るまでの、心の葛藤が凄い。基督は踏むがいい、踏むがいいと訴えていた…
    心に残る言葉になった。
    信仰を命に代えてまでも守り通すって凄いな。

  • 信仰心って何だか恐い。

  • 苦難を覚悟し日本に布教しに来た司祭の話。とは表向きで、本当は殉教したくてやって来たのだろう。殉教とは空に栄光の光が満ち天使がラッパを吹くような輝かしいものだと信じていた司祭は、百姓の殉教を目にし、それがみじめで辛いものだと知る。好きになれない話だった。キチジローの人間臭さには安心する。「強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう。」

  • 沈黙
    キリスト教信者が書いた小説なわけで、最後まで貫き通してそして救われるって内容かと思ったら違って、それで逆に神を信じることについて考えさせられた。
    酷い仕打ちに耐えながら信念を貫く、て辺りで大地の子がデジャヴした。
    キリスト教信者と弾圧する日本人のどっちが正しいとも言ってないところが説得力あったように思う。

  • キリシタン禁制を強いる江戸時代の日本に潜入したポルドガル司祭ロドリゴが目の当たりにしたのは、日本人信者たちの悲痛の声と苦悩。彼自身背教の淵に立たされながらもなお続く「神の沈黙」に、極限まで問う波乱の人生を描く。

    自分の信仰心の高さと比例するように、過酷な拷問の果て死んでゆく日本人信徒。神に繰り返し問うも続く沈黙。彼の決死の選択を、誰が責められるだろうか。様々な立場の意見が登場するけれど、どれが正解とも不正解ともいえない。明解な答えもないのだろうし、自身の考えを100%他人と共有するのも難しいことなのだと思った。

    「主よ、なぜあなたは黙っているのですか」
    信仰とは何かを問う、重厚な名著。

  • 神は存在するのか。存在するのなら、主が人類の苦境に対して沈黙されているのは何故か。

    私には、神が存在するかどうかは判らない。しかし、もし存在しているとしたら、既に興味の対象が人間ではなくなっているのではないか。

  • 2015.12.12
    島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる......。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。(裏表紙より)

    私は無宗教である。いや形式上は仏教徒だろうが、解脱とか輪廻とか、死後の世界観とかを強く信じているわけでもないし、ましてキリスト教的な救いや祈りという考え方、概念も、少し理解が難しい。頭ではわかるが、しかし、神の存在を前提とし、その上で神は存在するのか否か、救いはあるのか否か、何故神は沈黙しているのか否かと問うことの苦しみは、神の存在を前提とできない私には腹から知ることは難しいだろう。これが西洋と日本の思想的断絶だろうか。「自我の哲学史」という本にもあったが、西洋の概念はその風土や歴史をベースに作られたものであり、その根本の違いから、西洋の概念を日本に取り入れることの難しさがある。日本は沼だったのではない。それではあらゆる作物が育たないことを意味する。そうではなく、ある土地には咲く花も、別の土地では咲かないだけだろう。にも関わらず日本は近代化の中で表面的に西洋文化を取り入れてきたし、現在世界中でその流れにある。様々な土地に、同じ花が咲くだろうか。しかしこれはこの本の内容ではないな。もうひとつ印象的だったのは、神の沈黙ということである。昔、帰宅中にキリスト信徒に勧誘されたことがある。私は強い憤りとともに、拒絶し帰ったのだが、それは何故かというと、身内の死から傷癒えぬ状態だったからである。「もし神がいるならあの人の死はなぜ?なぜ救ってくれなかった?そんな神をなぜ信じねばならない?こんな不条理な現実を思えば神なんているはずないし、逆にもしこの不条理の上に神が存在するなら、糞食らえだ」と、思った覚えがある。カラマーゾフの兄弟でイワンが、神は認めても、神の作ったこの世界を認めることはできないと、数多くの罪無き子どもたちが虐殺されていく現実を例に出しながら言っていた。しかしイワンのこの考えもやはり、神の存在がまだ強かった、神の存在を前提としていた上での考えであり、私にはその考え自体が根っこから抜けているから、神はいるのかいないのか、救いはあるのかないのか、という問いに対する葛藤そのものが生まれない。神はいなくても生きてきたし、救いはなくとも、神以外にも私を救ってくれるものはたくさんあった。時に自分の理性の理解の範疇の外側で起こったこと、これまで生きてこれたことや出会えた人々、私が私としてあることを考えると、何か超自然的なものを思わずにはいられないが、それはやはり救いの神という超越者ではなく、人間の理解の外側という意味での超越者である。これも、このような宗教観もまた、日本人的なのだろうか。神道的だったりするのか。改めて私は、やっぱり、キリスト教的な神の概念、救済の概念は信じれないなぁと思わされた。しかしでも逆に、では本著に出てきた数々の殉教、現実のこの世界でも貧困、テロ、病理的犯罪、朝のニュースを見れば大体気分が暗くなるようなものが報道され、はいはいまたねとそんな現実に麻痺していく自分を感じざるを得ない、そんな世界があることも事実で、そんな世界に対し、救いもなく、死ぬときは死ぬし、見たいな、唯物的解釈というか、そういうのも違う気がする。一方に、神に救いを求めることも信じれないが、しかしまた一方に、何か、この苦しみの現実世界に対しての、この苦しみを乗り越えていけるだけの、力強い物語が欲しいとも、思っている。そう、大切なのは、真実ではなく、嘘でも力強い物語=フィ... 続きを読む

  • 真の信仰心とは何か。
    他人の目を気にして信仰するのではなく、自分の心の中で信仰することの清さを感じさせられる。

  • 映画化されるので。切支丹もの。キリスト教迫害よりも当時の貧しい農村の人たちが仏教よりもキリスト教に救いを求めていたというくだりに感じ入るものがあった。仏教は自分達から搾取している側の人間が信じている宗教。そう思えば農民がキリスト教信者になるのもわかる。主人公のロドリゴより重税に苦しむ農民の方に感情移入した。

  • 遠藤周作の名作「沈黙」です。

    私の一番好きな作家。

    暗い・・・と言われますが、「深い河」など、何度読んでも泣いてしまう・・・。

    ご紹介はその中でも特に暗い、「沈黙」 (笑)

    ここには、想像を絶する(絶対に聞きたくない)音が出てきます。

    物語は江戸時代。
    切支丹弾圧下の長崎に潜入した宣教師が主人公です。

    島原の乱が鎮圧されて、厳しいキリシタン禁制をしいた日本に、ポルトガルから若い司祭が密入国します。
    司祭は、九州のとある村に上陸し、隠れキリシタンと接触します。
    しかし、信者の密告により、奉行所に捕らえられてしまいます。

    この話の「沈黙」は「神の沈黙」をさしています。

    「神はいるのか、だとしたらなぜこんなひどいこと(キリシタン弾圧)がおこっているのに、沈黙したままなのか?」が、一貫したテーマになっています。

    キリシタン弾圧と言うと、宣教師を弾圧するイメージがあったのですが、この話では、司祭自体は弾圧されない。

    司祭がキリスト教を棄教しない限り、村のキリシタン(日本人)が弾圧される。
    そういう話です。

    その場面が、なんとも恐ろしいのですが。。
    ちょっと抜粋。

    場面は司祭が牢屋に入れられ、明日には殺されるかもしれないと(本人は思っている)、
    しかし、キリスト教を破教するなら死も怖くないと思っている。
    そんなときに、聞こえてきた音です。
    ==========================
    遠くで何か音がする。二匹の犬が争っているような唸り声で、耳を澄ますとその声はすぐに消え、
    しばらくして、また長く続いた。
    司祭は思わずひくい声をたてて笑った。
    誰かの鼾(いびき)だとわかったからである。
    (酒を飲んで牢番が眠りこけているのだ)

    鼾はしばらく続くとすぐ途切れ、高くなり低くなり、調子の悪い笛のように聞こえた。

    自分がこの闇の囲いの中で死を目の前にして胸締め付けられるような感情を味わっている時、
    別の人間があのようなのんきな鼾をかいていることはなぜかたまらなく滑稽だった。

    人生にはどうしてこういう悪戯があるのだろう、と彼はまた小声で嗤(わら)った。
    ==========================
    この「いびき」のような音です。

    この「いびき」をとめてくれと、司祭は通訳に頼みます。
    そのとき通訳が言った言葉が印象的。

    「あれを鼾だと。あれをな。きかれたか沢野殿。パードレ(司祭の意味)はあれを鼾と申しておる」

    「あれは、鼾ではない。穴吊りにかけられた信者たちがうめいている声だ」
    その信者たちはすでに棄教を誓っている。しかし、当の司祭が棄教しない限り許されない。

    自分の信仰を守るのか、自らの棄教という犠牲によって、イエスの教えに従い苦しむ人々を救うべきなのか、
    究極のジレンマを突きつけられた司祭がとった行動とは。。。

    と話はクライマックスへ。

    クライマックスのシーンはすごく美しいです。
    いや、シーン自体は踏み絵の場面ですから。。。そんなに美しくはないのかもしれませんが・・・

    まばゆい光がみえるような、私にはそんなふうに感じました。

    という私は、遠藤周作のキリスト教に対する話を読むのはすごく好きなのですが・・・
    キリスト教の知識は全くありません。

    「聖おにいさん」読んで爆笑してるくらい・・・(笑)

    でも、遠藤周作好きなので、長崎に行った際、
    「外海」という地にある「遠藤周作文学館」に行きました。

    そこには「沈黙の碑」が建っています。
    沈黙の舞台になった場所なのです。

    その碑にかかれている言葉、
    人間が こんなに哀しいのに 主よ
    海があまりに碧いのです... 続きを読む

  • 歴史の授業でキリシタン迫害のエピソードは知っていたけれど、あまりピンときていなかった。
    井上筑後守が言うように、日本という国は基督教を始めとする宗教が根付きにくい国であるということは間違いないだろう。
    だがだからといって、異教徒を拷問して排除するまで至るだろうか。根本にあるのは自分達の考えが常に正しいという傲慢さだろう。ナチスにせよキリシタン迫害にせよこの傲慢さは人間に残酷なことでも容易にさせてしまう。

    度々作中で唱えられる、「主よ、あなたはまだ沈黙をされているのですか。」という台詞が印象的だった。
    一神教には人は弱いということが前提にあり、神を信仰することでその弱い心を抑え込もうということがあるだろう。神の沈黙は神の存在自体を否定しかねないだろう。
    それでも心の中に神を持ち続けた当時のキリシタン達の強さを感じた。



    個人的にはキチじろーの生まれながらにして強い人間には弱い人間の気持ちがわからないという台詞に違和感を感じていたので、最期にそれを否定する結びで良かったと思う。

  • 宗教とは?神とは?と疑問を持ったら読むべき本。答えかどうかは分からないがヒントは書いてあると思う。人が何かに祈る姿は美しい、其れだけで充分。

  • 2015/10/31
    悪人にはまた悪人の強さや美しさがある。 印象的な言葉だった。遠藤周作は初めて読んだのが白い人・黄色い人だったが陰鬱な気持ちになって苦手だった。今回の沈黙は素晴らしかった。緊迫感と葛藤、苦しくなる。キチジロー。良本。

  • キリスト教弾圧の江戸時代、宣教師が布教に訪れる。しかし弾圧の厳しさは彼の心を蝕んでゆく。

    小学生の頃、社会科で踏絵を習った。形だけ踏めば良いじゃないか、当時のキリシタンは馬鹿じゃないのか。そんな事を考えた。
    それは重々承知で、彼等は戦っていたのだろう。信者も、宣教師も。

    作中で描かれた神の有無、土地に寄り添った神のあり方は、誰もが考えた事があるだろう。
    私も含め、日本人の多くは無宗教だ。それを悪徳と考える有神論者も多いらしい。彼等にとって神とは何なのか。小馬鹿にしていた宗教学への偏見が無くなり、興味がわいた。

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