沈黙 (新潮文庫)

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著者 : 遠藤周作
  • ¥ 594
  • 新潮社 (1981年10月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123158

沈黙 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 描きこみ方がすばらしい。僕はロドリゴを棄教させるに至った一番の要因は、神に対する理解を自己流に築き上げてしまったことだと思う。皮肉なことに、この理解の仕方はフェレイラが指摘し、ロドリゴが否定した日本とローマカトリックの教える神の概念の絶望的なまでの違いと同じだった。
    「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」
    「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。」

    ロドリゴは話の中で何度も神はなぜ沈黙し続けるのかを問うているが、超越的な神が沈黙を続けるのは当たり前なのである。なぜなら神は人間から隔絶した存在だから本来人間に対して語るべき言葉を持たない。仮に神が人間に何かを語りかけたとしても人間は理解できない。逆もまたしかりだ。そうでなかったら神を言葉を授かった人々=預言者たちは何ら特別な人ではなくなってしまう。神の沈黙とはあくまで人間側からの解釈なのである。同様の理由で神の顔を見ることもできない。人間は所詮人間の想像力が及ぶ範囲で顔を思い浮かべるだけなのだ。しかしロドリゴは「神の顔」を見てしまった。そして「神の言葉」を聞いてしまった。そしてそれは彼らが布教してきた神ではなかった。その瞬間、ロドリゴは自家撞着に陥り、彼が踏み絵を拒む理由は消滅したのだ。

  • 17世紀のキリシタン弾圧が広がる中、日本に布教をしようとポルトガルから密入国した司祭の艱難を描いた一冊だ。
    有名な作品だけれど今まで手に取ったことがなく、読み始めるまで外国人が主人公ということも知らなかった。
    淡々と語り進められるだけに、当時の異常な状況がひたひたと迫ってきて恐ろしい。
    海に十字を穿たれて磔にされ、満潮時にあごの下すれすれまで海面が来る拷問を受けて殉教する者。
    穴の中に逆さ吊りにされて血を流しながら棄教を迫られる者。
    平和な時代であればただ信心を持ち暮らせたのに、迫害されるために何度も転ぶ者。
    史実、ということに、単純だけれどぞっとする。
    それほどの迫害を受けても、神は沈黙をしている。本当に神はいるのか。
    信仰とは何か、もっと単純に言うと、何かをただひたすら信じることってどういうことなのか、について考えさせられる。

  • 少し読みにくかったが、今までにないテーマで興味深かった。

  • 面白かった。凄惨な日本の状況と、それに立ち向かうキリスト教宣教師。おそらく、一生のうちに何度もぶち当たる悩みなのだと思う。ロドリゴが可哀想なのはそこで間違えても、彼の場合はやり直すことができないということ。その後、彼はなんの救いもなく死んでいった。死ぬまで悩み続けなくてはいけないのだろう。最後に聞いたキリストの声は本物だったのか。

  • キリシタン禁制の日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴの受難物語、とでも言おうか。拷問を受ける日本人使徒や背教した同僚の姿、自分の酷な状況から何故神は沈黙されているのかと苦悩していく。日本にキリスト教思想は根付かないのか。信仰の在り方やそれによって導かれる不幸をどう考えるか。普遍的な問題は勿論、作者自身の課題も透けて見える。ドラマティックに描かれている為、凄惨な内容ではあるが面白いと感じるはず。一読の価値有り。

  • 大学の専攻の教授に『女の一生』を薦められたのを契機に遠藤周作作品を再び読み始めた。
    幼稚園からキリスト教系の学校に通ってきた私にとって、キリスト教は非常に馴染み深い存在であったが、この作品を読んでキリスト教の日本布教が如何に大変な道を辿ってきたかがよくわかった。
    自分のために、日本の信徒たちが処刑される司祭たちの苦しみ、信徒たちが信じているのは真のキリスト教精神ではないと知らされたときの絶望感。
    私が、司祭だったらどのような選択をしたのだろうか。神の沈黙が破られる時まで信仰を続けられただろうか。
    みたこともない神の姿など信じられないという人にも是非読んで欲しい作品である。
    私も他の遠藤周作作品を読んだのちに再読したい。

  • 今更読んだと言えないぐらい、夏休みの課題本とかになりそうな名作ですが機会があり読んでみました。面白かったです。
    キリシタン禁制の日本に、ポルトガル司祭の2人が潜入して布教をしようとするも捕まり…という話です。
    物語の最初は司祭が日本に行く経緯、その後は司祭の手紙形式になり、捕まってからは3人称になり、司祭がどうなったかは文献の体裁で語られる構成もいいですし、登場人物もキリストの殉教に当てはめたのか、ユダっぽい(人間くさいともいう)キチジローや、悪役、井上筑後守もただの悪役ではなく頭もよく理論武装してるのが深みがあります。
    テーマは棄教とか神の存在とか、難しいものですが、この小説はエンタメとしても十分に面白い作品になってるのが素晴らしいです。
    wikiによるとグレアムグリーンが絶賛したそうですが、ある意味スパイ潜入物みたいな感じもします。キリスト教だとちょっとピンとこないかもしれませんが、生きて行くために信じていること(民主主義とか)が覆され、それでも生きて行く人間の弱さや思想という概念に振り回される人間の姿を描いた作品だと思えば、どこか共感できるのではないでしょうか。

  • キリスト教は日本人に合わない、という語り口から、よりキリスト教への理解が深まった。隠れ切支丹や、隠れて布教活動を行う牧師の描写は息が詰まるほど。

  • 『深い河』が読みやすく(色んな意味で)面白かったので読んでみたけれど、なかなかに重たく、苦しかった。
    彼らの恐るべき信仰心のあつさにに驚き、なぜそれほどまでに・・・と思わずにはいられなかった。

  • 江戸時代、禁教の日本に迫害を怖れず密航するが、結局逃げ惑い、自分たちのせいで日本人切支丹たちが苦しむのではないかと穏やかな拷問の中で感じ、徐々に日本の基督教や公定的基督教解釈に疑問を持っていく神父の物語。
    神とは何か。殉教とは何か。深淵な問いを投げかけると同時に、それをハイライトするまるでカラヴァッジスムのような光線の使い方が美しい。

  • 鎖国下の日本に潜入しキリスト教の布教に務めようとした司祭が、信徒たちに加えられる拷問や殉教を目の当たりにし、自身も捕らえられ棄教に至るまでを描いた歴史小説。時代背景や神学の知識がなくてもさくさく頭に入ってくる読みやすさと、どんなに陰鬱な展開に終始しても読み手を惹きつける巧みさがさすがの遠藤周作。「王妃マリー・アントワネット」を読んだときもそうだったけど、映像や音が頭の中で勢いよく広がって押し迫ってくるような臨場感。静かな海に、物語の主題である「神の沈黙」を重ねて描写しているところも妙味にあふれていたし、司祭が踏み絵に足を乗せるまさに瞬間の描写もすごく迫力があって圧倒されました。人間のもつ卑しさや醜さ、貧しさ、悲哀に老病死というような重苦しいテーマでも、遠藤周作の作品だと抵抗なく向き合える。この「沈黙」を読んで、大げさに言えばこの作品に描かれているようなたくさんの流れた血の上に現代の日本の自由があるわけだし、今でも血を流し続けている世界中の争いについても考えさせられました。読み手に提起する力、みたいなものが遠藤周作はずば抜けていると思います。

  • 勧められて読んでみた。キリスト教の日本への布教に挫折しつつも新しい信仰の姿を知る宣教師の姿を描いた。
    日本人信徒が惨殺されたり、内容はかなり重いが、悩みながら信仰を持ち続ける宣教師の苦悩の描写が良い。
    最後の役人日記みたいなやつは読めぬ。

  • 五島列島の教会を巡る。
    しかし、殉教した人々の気持ちを理解することはできない。
    救いとは、信仰とはなにか 日本人とは

  • イエスの生き方が 過酷な仕打ちにも耐える精神力の支えになっている。ついに沈黙を破り内面の対話でイエスの声を聞くところがぐっときた。次は海と毒薬だ。

  • 基督教弾圧時代の日本、密かに布教を試みたポルトガル人司教[パードレ]が上陸し、囚われ、棄教するまでの物語。日本という未開の、それでいて基督教が隆盛したかと思えば禁じられた、謎めいた国へ向かう冒険心。息つけぬ逃亡生活と、隠れキリシタンに教えを施す悦び。適度なテンポで、適度な距離感で、物語は進んでいく。しかし終盤にかけては、怒涛だ。目まぐるしく変わる司教の内心。自らのせいで殉教する市民たちを、基督は何故救わないのか。裏切った、弱きキチジローと自らの対比。そして最後、踏み絵を踏むその時に彼はわかる。基督のおしえの意味、ユダの意味。この痛みこそがそれだったと。
    固く踏み固めるように練られた文章ではないか。暗い老人のように静まり返った宿、というように想像を肉付けする比喩も多い。すごいのは、基督教の司祭の、宗教に惑う心情を、おそらく大多数はキリスト教ではない読者にそのまま分からせるように書いてあるところであると思う。日本には根付けない、何か別の形に変わっていってしまう、というのは著者の実感もあるのかもしれない。純粋な宗教、ことキリスト教というのはこんなにも不器用かと感じた。つまり日本人はそこのところを、なんとなく合理化してしまうのではないか。人間と宗教というテーマはどこまでも深い。私なんかは、幸せは人それぞれだと、本当に思ってしまうが。
    長くはないし、登場人物も主なものはそんなに多くない。ほとんど長崎周辺で語られる話なのに、それらを超えた壮大さがある物語だった。

  • 主人公の司祭は、苦難に直面するたびに、「主よ」と呼びかける。しかし、それに対する答えがあることはない。

    「神の沈黙ということ 。迫害が起って今日まで二十年 、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち 、司祭の赤い血が流れ 、教会の塔が崩れていくのに 、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして 、なお黙っていられる」

    キリスト教弾圧の時代。時には命と引き換えに棄教を命じる役人に対し、教えを貫く信徒たち。そんな苦難にあっても、神は沈黙を貫く。神とは何なのか、を問うた作品と理解。

    臆病者で根性無しのキチジローに、嫌悪感と同時に親近感も抱いてしまう。
    (2014.11.13)

  • 遠藤作品を読むきっかけになった作品。
    キリスト教信者に限らずですが、自分が幸せになったり世界が平和になったりしないのに、なんでこの人達は神サマを信じてるのかなって不思議に思ってました。救われないものが多すぎる。何か変えたいなら自分が行動するのみ、神に祈ったって何も変わらないのに。
    自身もキリスト教徒であるにもかかわらず、江戸時代のキリシタン弾圧を描く中で「なぜ神は沈黙しているのか」と登場人物のよりによって司祭に言わせるなんて、と衝撃を受けました。バリバリの宗教小説なのに、その思想を押しつけてこない。
    愚かで弱いキチジローも、踏絵を踏んだロドリゴも、それを促したフェレイラも、そして井上も、みんな人間なんだなと思いました。誰の気持ちも少しずつ分かるし、少しずつ分からない。
    神を信じるということは、崇め奉るとは別のことなんだと思いました。

  • ひたすら気が重くなった。

  • 神は拷問に耐えて殉教する農民に対して黙っている。神父に対しても同じである。そこに生まれる宗教心への葛藤。殉教の意味、信仰心の捉え方、人生と宗教――。イスラム国の過激な行動、許容されない非道・残虐な行為をはじめ、現代の世界的な紛争は宗教観の違いに発している構図だ。今、世界で報じられる紛争を解く上で、争いの根源となる人々の宗教心について考えさせられる一冊だ。同時に日本でもかつて、残虐な処刑が宗教上の理由で行われていたことを再認識することができる。前回読んだ時は9.11発生の前。あれからイスラム過激派対キリスト教の戦いが続いている。時代が大きく動いたことで、再び現代性を帯びた作品になったと言えるのではないか。

  • 素晴らしい。
    買った版の巻末書評がクソ過ぎて台無し

  • 私はキチジローだった。

  • 【本の内容】
    神様って、いないんじゃない?という疑問を、ここまで考えぬいた人達がいる。

    島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。

    神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。

    [ 目次 ]


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