沈黙 (新潮文庫)

  • 6187人登録
  • 3.93評価
    • (1005)
    • (743)
    • (1083)
    • (46)
    • (9)
  • 794レビュー
著者 : 遠藤周作
  • ¥ 594
  • 新潮社 (1981年10月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123158

沈黙 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • キリシタンの独白のシーンは遠藤周作じゃ無いと書けない名文

  • 一年前から積んでいたのを読破。「海と毒薬」の時も思ったけど、とても読みやすかった。
    何故神は人の声に応えないのか、何故沈黙を守ったままなのか。遠藤氏なりの答えみたいなものが今作には書かれていた。僕がそれを理解したかどうかは置いといてだけど……。
    扱っている内容は重いし、話も陰鬱、ストーリーの進み方も割とシンプル、だけど目が離せず引き込まれる。メッセージ性もあり、ドラマもある。筆者の筆力があるから成立した作品。

  • 読んでいる最中、ずっと心を揺さぶり続けた作品。
    キリシタンへの迫害が最も苛烈であった、江戸初期の日本に渡った宣教師の物語だが、ただひたすらに重たい。
    自分自身がその場にいるかのように、映画化しなくとも既にこの小説の中身が頭の中で映像化されてしまった。

    作中で、動きが見られるシーンには必ず「沈黙」が訪れる。何故、主を信じて耐え、死んで行く人々に対して主は沈黙を続けるのか?という自問自答を繰り返す司祭の心情は察して尚余りある。

    個人的に最も印象に残った箇所は「辱めと侮蔑に耐える顔が人間の表情の中で最も高貴である」の下り。

    例え、心から望んだ棄教で無くとも、自身のこれまでの人生の柱だったものを捨てるという行為、誇りだけでは生命は救えないということ、人間として信じるものを守り続けて死んでいきたいという気概、様々な感情が濁流する中でページをただただ捲り続けてしまった。

  • 暗すぎ、悲壮感しかなくて泣けるw

  • 英語の方が読みやすかったかも。。。

  • 映画化するという事で読んでみた。
    迫害にあったキリスト教徒という、重いテーマだけれど、続きが気になって一気に読んでしまった。
    ただ一応仏教徒だけれど、信仰心を持たない自分には理解しきれない部分が大きい。。と思う。

    迫害されると分かっていて、辛い船旅を経て、遠く日本までやって来た司祭の方々。殺されても、踏み絵を踏まなかった信徒の人々。拷問を恐れて棄教する人々。

    感想を書くことが難しい。

  • とにかく暗くて苦しい救いのない物語。信じるものを、どこまで信じ切れるのか。沈黙を守る心の拠り所と、自己との葛藤に胸が苦しくなった。なんとも遣る瀬無いお話。

  • 子供の頃、いや今でもそうなのかも知れないけれど、神様がもし本当にいるならば、何故、世界はこんなにも不平等なのか?残酷なのか?と不思議でならなかった。

    この小説はかつての日本、キリシタン弾圧の時代を扱っている。何故、彼らはあんなにも深く神に忠誠を誓っているのにも関わらず神は沈黙したままなのか。
    この残酷な世界に対して何故、神は何もせずに沈黙しているのか?

    この小説ではひとつの答えが明示されたようであるけれども、自分にとって理解出来る部分もあるしそうでない部分もある。
    けれども、これからの人生において信仰について考える時にきっとこの小説のことを必ず考えることになると思った。

  • 島原の乱後の長崎で日本に潜入したポルトガル司祭の目線でキリシタン弾圧が描かれる。

    映画化の予定があるらしい。
    読んでいる最中島原に行くことになったのもなにかの縁かなと感じた。
    いまでもキリシタンでない証としてお正月のしめ縄は外さないとか。

  • ラスト、踏み絵に描かれたキリストが、あなたの罪を背負うために、私は十字架にかけられたのですよ、と主人公に語りかける場面がとても良い。
    なぜ神は沈黙しているのか?その問いに真摯に答えようとする遠藤周作。無宗教だけど、信仰ってすごいな、と改めて思えた。

  • 根源的問い。答えは出るのか、答えは存在するのか。日本という国、時代に向き合いながら宗教の永遠のテーマについて終わることのない自己内対話が待つ。映画化にあたり必読の書として読んでみた。これを映像でどのように表現するのだろうか、とても楽しみだ。

  •  読書らしき読書を始めた頃に読んで以来の再読。初めて読んだ時(確か中学3年)、「おぉ、これぞ文学作品や~」と、その重厚なテーマに圧倒されたのをよく覚えている(それまでがムツゴロウの動物王国的エッセイしか読んでなかったからね・笑)。

     そして、やはり当時は神の沈黙に憤り、宗教ってそんなもの、神は救ってはくれないんだ、という感想を持った。「オレはキチジローだなあ」と、どうあっても自分は生き抜こうとする姿に共感した覚えもある。そして”沈黙”というタイトルに、そこはかとない畏怖と重みを感じたもの。「こりゃ、まさに沈黙だな」と今でもあの時の読後感と文庫の表紙の雲間からの光を鮮明に憶えている。

     が、数十年の時を経て読み返して全く逆の感想を持つとは驚いた。
    沈黙じゃないぞ、これは?! 人の生き様を通して語らしむ、だった!!(@@

     だからと言って、キリスト教が救いだとか、この世に宗教が必要だと思いを新たにしたわけではないです。昔読んだ時には気づかなかったけど、本書にも当時の西洋諸国の極東侵略の勢力争いの図式がさりげなく記されている(中学生の意識では、そこは読み飛ばしていたというか、理解できていなかったのだろう)。宣教師たちも、その片棒を知らず担がされ 未開の地での祖国の勢力拡大に、ある意味、自分たちの布教の思い、救いを広めたいという崇高な意図を利用されていた。それは昔も今も変わりない。
     宗教と言うオブラートによる侵略戦法が使い古された現代は、”豊かさ”あるいは”衛生”等が新たなイコンだ。 それらをダシに未開の地に踏み込み、望んでもいない価値観を植えつけ、将来の資本主義市場の草刈り場にしようと、時代に先んじた者たちは虎視眈々だ。
     現在(いま)、かつての司教たちの立場は、やれボランティアだ海外協力だと、その片棒を担がされて未開のジャングルに飛び込む若者たちだろうか。一杯の浄水がひとつの命を救うとか、石鹸での手洗い習慣が風土病を防ぐ云々… その背後に巨大資本の10年、20年先を見越した市場拡大の野望が潜んでいる。”豊かさ”でも”衛生的”でもなんでもない、欲得にまみれた”貧しく”て”意地汚い”心持ち、ある意味、最も純粋な欲求の存在。
     そんなことを学んだ上で読むと、伴天連切支丹のパードレ(司教)たちもまた時代の犠牲者でしかなかったと思いながら読むことが出来る。

     それ故、救いは必要、宗教が必要とも思わないが、それを信じる気持ちも、またそれを用いて信者を増やそう、同じ価値観を持つ者同士で共同体を組もうという動きが起こるのも自然なこと。そしてその信仰を守り切って絶命するのも、途中で見切りを付けて”転んで”新たな生き方を見つけるのも人の人たる所以。現在の”豊かさ”を標榜した新たな布教活動についても否定も肯定もしません。良くないと思えば自分は与せず、その地域の人たちも自分たちで危険を察知するか、あるいは甘んじて身を挺していればよい。其々に時宜に応じたそれぞれの判断があると思う。
     それがキリスト教だろうとなかろうと、資本主義であれなんであれ、人は何かを信じ、誰かを思い、またある時は、信義にもとり、あるいは裏切り、そうして生きてゆくもの。

     カトリックであった遠藤周作が書いたことでカトリック文学の最高峰とまで言われる本作ではあるが、イエスが、神が、黙するか救いの手を延べるかなんてのは問うていなかったんだな。人の生き様、真の心根を、その強さ弱さを、神の存在を信じる者たちを通して語らしめた作品だったよ。 ”沈黙”改め、”雄弁”です!

     これが今回の感想です。20年後、30年後に読んだとき、また違った感想を持つのかもしれない。その楽しみが出来た。
     やはり名作と呼ばれるものは、そんな力を持っているね。そのことが分かったのも、ひ... 続きを読む

  • 現在のように信仰の自由が人間の基本的人権の内のひとつとして当然のように確立されている日本においても、未だ果たしてキリスト教は、本来のキリスト教足り得ているのか疑問である。
    その疑問点についても、おそらく著者は自身がキリスト教であるためにより苦悩し、この作品中においてもフェレイラを通じて「日本人は...我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。」「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だが教会の神ではない。」
    などと語らせ問いかけているのであろう。
    日本人においてキリストもデウスも、それは唯一絶対的な神でなく、あくまで外国の神として、言うなれば八百万の神の一人として内包されるのではなかろうか。
    その時点でそれはもう別のものとしての存在至っていると言えよう。
    日本人の宗教・神の概念の捉え方としても一石を投じた素晴らしい作品である。

  • ずっと読もうと思っていた一冊。確かに名作。棄教するということ、日本はキリスト教にとって特殊なのかということ、宗教を守るということには内面性と外面性があるな、などの感想を持ちました。

  • 資料番号 : 00012919
    請求記号 : 913.6||SHI
    配架場所 : 新書/文庫コーナー
    NCID : BN01500456

  • ほとんど外国人目線で書かれている小説なのだが、日本人が書いた小説なので日本語がわかりやすく、繊細で、かなり読みやすかった。日本人が外国人目線で書くと、忠実な外国人目線にはならないだろうが、その矛盾も含めて面白いと思った。

  • 宗教とは何のためにあるのか。根本的な問いを突きつけられる。

    私自身がキリスト教のミッションスクールに通っていた非キリスト教徒ということもあり、自分が身近にキリスト教に触れながら疑問に思っていた最も大きな問いを、作中のロドリゴも何度も発している。それが、「神はなぜ沈黙を保っているのか」ということだ。

    この作品では、神に対する裏切りである「棄教」に、それは自分を犠牲にして弱き者のために生涯にわたって心の血を流すという究極の愛である、という全く逆の意味を持たせている。
    キリスト教徒から見れば、遠藤の描いたこの解釈は「正しい」ものではないのかも知れない。しかし、貧しさに耐え、その上さらに拷問の責め苦にあっている農民たちを救うために絵を踏んだというロドリゴの行為を、誰が「間違っている」と言えるのだろう。

    生まれながらにして一つの宗教の価値観を唯一正しいものとして与えられていれば、選択の余地も、疑う余地もない。しかし、私はそうではない。多くの日本人がそうであるように。
    遠藤自身もまた、母や叔母から「背負わされた」キリスト教の重みを青年時代に初めて自覚し、悩みながら自分のものとしてきたという。
    その「自由」は果たして幸せなのか、そうではないのか・・・。

    2017年に公開される映画はぜひ観たい。

    レビュー全文
    http://preciousdays20xx.blog19.fc2.com/blog-entry-487.html

  • 江戸時代が始まって間もない混迷期、かれこれ400年以上も前の物語で、本作が世に問われたのもかれこれ前の話だと思うけど、色んな意味で古臭さは感じさせられず、どんどんのめり込んでしまいました。遠藤周作、中高生時代以来の経験だったけど、当時よりずっと楽しめた気がします。確か当時は「海と毒薬」を途中で断念した記憶が…まあ、今読んだら当然感じ方も違うんでしょうが。それはさておき、恥ずかしながら本作は初挑戦。”沈黙”って、そういう意味だったんですね。生涯を懸けて、命を賭して、信仰の意味と向き合い続ける姿勢、現在の日本の風土からはちょっと計り知れないものがありますよね。少なくとも自分には理解し難い。困ったときの(というか困ったときだけ)神頼み、それも手元操作でちょちょいのチョイ、みたいな感じで済んじゃいますもんね。そんな現代でも過激な方向に振り切ってしまうパターンもまた存在している訳で、そんな宗教観を肯定・否定するとかの前に、理解する一助にもなったと思います。一気に読んでしまいましたが、深い味わいを残す作品でした。さすが。

  • 20年ぶりくらいの再読。
    その昔、一人の人間として愛すること、超越者と向かい合うことについて少し理解できた気がした記憶。
    久しぶりに読んで内容は全く覚えていなかったけど、読後感は同じだった。
    この20年くらい自分は成長していないということかな。。

    継続して考え続けるのは、難しいな。

  • 切支丹狩りの頃の長崎が舞台。
    宗教に興味のない私からみると、主人公が主よ神よと祈る気持ちがイマイチ共感できないけれど、全体を通して読みやすくて、面白かった。

  • 一度は読んでおかなければならない本。

    「キリスト教」とか「フランシスコ・ザビエル」とか「切支丹」とか「踏み絵」とか、単語として知っていたに過ぎないことが分かった。

  • 殉教。パードレによる棄教で信者が救われる。拒めば拷問が続く。惨めな人生。無慈悲。根付かない文化。南無阿弥陀仏でギブアップ。信仰の自由。温室での信仰。欲求階層。生理的欲求を満たされない状態で人間の精神の限界を越える。見えない答え。語らない神。現代信じる美しさ。精神的弱さを自覚。欲求不満の昇華。

全794件中 1 - 25件を表示

沈黙 (新潮文庫)に関連するまとめ

沈黙 (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

沈黙 (新潮文庫)を本棚に「積読」で登録しているひと

沈黙 (新潮文庫)の-

沈黙 (新潮文庫)の-

沈黙 (新潮文庫)の単行本

ツイートする