イエスの生涯 (新潮文庫)

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著者 : 遠藤周作
  • 新潮社 (1982年5月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123165

イエスの生涯 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 第13章「謎」にこの本のエッセンスがあると感じた.p201に"一体,あれだけイエスの生前,師の考えや気持ちも理解できず,ぐうたらだった弟子たちが,なぜ,立ちなおったのか.イエスの最期の時,彼を見棄てたほどの弱虫たちが,師の死後,なぜ,強い意志と信仰の持主になったのか" とある.十字架上のイエスの言葉に弟子たちが激しい衝撃を受けたのだ.

  • カトリックの学校に通っていたのに知らないことが多くあって勉強になった。
    ユダヤ教のこと、弟子たちのこと、イエスのこと。
    キリスト教がこれほど世界で信仰されている理由が少しわかった気がする。

  • 気持ちを分かってくれる人がいるだけで
    救われるから
    生きてゆこうと思う。
    彼という人がいなかったら
    この世の人はどれだけ寂しい思いをしただろうと思う。

  • イエスという人物がどういう人でどんな人生を送った人なのか知りたくて読みました。
    これを書くためにいったいどのくらいの資料を読んだのでしょう。どうしても謎は残りますが、それでも作者が伝えようとしていることは伝わってきました。

  • イエスとはどんな男だったのか、キリスト教徒の作家による小説。本書ではイエスにはユダヤ人の反乱分子のリーダーとして期待されていたという目線があり、新しい発見であった。時代背景からそういった可能性もあったかもしれない。しかしイエスはリーダーとして動かなかった、それはキリスト教の教えの根本である愛とは相容れない考えだからだ。今後も引き続きキリスト教にフォーカスしていきたい。

  • 最初:キリスト、預言者ヨハネとあい影響を受ける。ヨハネ
    「神の怒り」「反省と悔いあらため」、キリスト「愛」教えを弟子や異民族に伝え始める。

  • イエスは裏切られ、売られ、罵られ、政治犯として捕縛され、十字架に掛けられて死んでゆく。生前、数々の奇跡を起こしてきた彼が、この時は何一つ奇跡を起こせない。主に問いかけても、その声は聞こえない。
    これは正に、イエスにとっての「沈黙」に他ならない。
    何故、主は沈黙を守るのか。
    たとえ我が身が滅びようとも、主を慕うこと、それが信仰という事なのか。
    事前の予想に反して、客観視点、研究者視点での記述であった。

  • 「基督教に無縁」の読者に向けて「東洋の一小説家」が語った、「イエスの人間的生涯」。病を癒し、死人を生き返らせ、自らも復活した、と語られるイエス・キリストの物語は、現代人には俄かに信じられるものではありませんが、本書はこれらの奇跡や不思議に対して一歩引いた視線を保ち(「現実には無力で奇跡など行えなかった」と言い切る)、手の届き体温を感じられる「人間」として、イエスの生涯を辿っていきます。
    キリスト教を全く知らない人、信じない人でも、本書を読めば、イエスという人がどのような人でどのように生き、死んだかを知り、いかに得難い人であったかを知るでしょう。弱い者、苦しむ者に寄り添って共に苦しみ、決して見棄てず、自らを裏切った者すら許し、愛を注ぐ。キリスト教のいう愛ということを、初めて理解できた気がします。
    ユダについての解釈は個人的にはあまり腑に落ちず、それに引き続く後半も、さまざまな疑問が浮かびましたが、今後の課題に。
    あまり読み易い本ではありませんが、興味のある方には是非一読をお勧めします。

  • 遠藤周作のイエス像は自分が教会で教わった、ともに歩む人というイメージと重なっていた。
    今や先代の教皇からどんどんカトリックは正しい姿に進んでいて、それは遠藤周作のキリスト教的な方向だと思う。

  • カトリックの信者であり、『沈黙』などの著作で日本人にとってキリスト教を信仰することの意味を問うた著者が、イエスの生涯について語った著作です。

    著者は、聖書に記された奇跡物語のうちに、現世的な価値に捕らわれた人びとと、「神の国」へと目を向けようとするイエスとのすれ違いを見いだそうとしています。また、ユダの裏切りにもこれと同じ問題がひそんでいるのではないかという解釈を打ち出し、さらにイエスの処刑後、こうした人びとの誤りに対して「愛」をもって答えようとしたイエスの姿が使徒たちの心の中に「復活」の信仰をもたらしたと語られています。

    洗礼者ヨハネが「父」の原理を説いたのに対し、イエスは「母」なる神を説いたという著者独自の解釈は、賛同できるかどうかはさておき、著者の小説を読み解くための重要な視点を示していることは間違いなく、そうした点から興味深く読みました。

  • イエスが無力で何もできなかったからこそ、キリスト教がここまで信仰の対象になった、とのこと。もしイエスが超能力で病気をなおしたり、十字架に磔になっても劇的に復活したのだとしてら、キリスト教はいま存在しなかったのだろうか。

  • 聖書に何度かチャレンジしては挫折しているので、キリスト教的考え方が自分に合わないとは自覚している。特に聖書は信者向けの読み物で、読者がイエスを尊敬し崇拝していることが前提になっているから、どうして人々がここまでイエスを信じるのかがわからなかった。
    しかし、この本で描かれるのはそれとは違う。一人の人間としてのイエスの人物像や生き方、イエスが「なぜそうしたのか」に焦点を当てていて、奇跡物語はほとんど取り上げていない。代わりに当時の時代背景がよく説明されているし、イエスが何を感じていたのかを著者なりに解明しようとしている。イエスを、崇拝すべき対象としてではなく、かつて確かに生きていた一人の男として捉えている。おかげで信者でない私も、歴史上の一人物の伝記を読むように、先入観にとらわれずにイエスについて知り、思いを馳せることができた。

  • 自らもクリスチャンであった遠藤周作氏の描く、イエスの後半生。クリスチャンでなければ描けないでしょうし、かといって大胆な解釈を入れると、保守的な向きからは必ず批判・反発もあったのでは。その意味でもかなり意欲的な作品なのではないでしょうか。

  • 「死海のほとり」を読んだので、それと対をなすと言われるこちらも読んでみました。研究ノートのような体裁なのでやや通読しにくいですが、より具体的かつ詳細にイエスの生き方・死に様が分かり、期待から失望に至るまでの周囲の心情の変化とイエスの反応も悲しいほど強く伝わってきます。遠藤周作独自の解釈もあるので注意が必要。本当に必要なのは直接的な救済や奇蹟などではなく、そばに寄り添い愛すること。ことあるごとに読み返しては自らのあり方に反映させたくなります。

  • キリスト教徒でもないし、聖書はネットで調べた程度の知識のみ。
    キリスト教に興味を持ったのも、「聖☆おにいさん」きっかけ。
    なんだか敬虔なキリスト教徒に怒られそうだな…(笑)

    あくまでも遠藤周作のイエス、聖書解釈という事を頭に置きながら読み進めた。

    奇蹟物語が省かれて書かれているせいか、
    この本に書かれているイエスは、とても身近で親しみを感じる。
    キリストとなる前の、人間イエスの生涯。
    イエス自身の思いと、弟子達や民衆のイエスへの思いの違いに心が痛む。

    当時の政治背景、民衆心理、個々の立場を踏まえた上での
    遠藤さんの聖書の読み方、解き方が面白い。
    聖書って単純にそのまま読む物ではないんだ、と。
    聖書の行間、言葉に含みがあるからこそ、解釈が難しいし人それぞれ。

    何回も読み返したい。

  • 奇蹟を起こさない無力なイエスにこそ、イエスの教えの本質的な部分があるという筆者の見解は、心にすっと落ちてくるものがある。キリスト教についての知見が浅いため、自分の身の丈にあった学びになってしまうが、心の豊かさや人への優しさの根幹って何なんだろうという問いを投げかけてくれる一冊でした。

  • 真実は人の心により変化する
    無力、無能であったからこそ特別な存在となれた
    全てを愛し慈しむことは人間にできることではない しかし、それに近づくことがイエスの真の教えだったのだろう

  • [歩みをなぞって]『沈黙』、『海と毒薬』などで知られる作家、遠藤周作が「日本人につかめるイエス像を具体的に書く」という課題を自らに課して著した一冊。「事実」のイエスというものとはまた違う、「真実」のイエスの探索に主眼が置かれたものとなっています。


    物語としてのイエス・キリストということになると思うのですが、遠藤氏の見事な筆もあって純粋に本作は読者を引き込む魅力を持っていると思います。聖書や書簡を頼りとしながら、受難、そして復活までが熱を帯びて綴られており、キリスト教についてあまり知識や接点を持っていなかった自分でも非常にすっと物語の世界に入っていくことができました。


    イエスの物語として面白い点に加え、遠藤氏の求めるキリスト像が本書に輪郭あらわに表わされているところも本書の読みどころの1つだと思います。特に、遠藤氏の中では「弱者」としてのイエスという点が大きな位置を占めているのではないかと感じました。私はクリスチャンではないのですが、クリスチャンの方がこれを読んだらどう感じるのかという感想をぜひ伺ってみたいです。

    〜聖書を読むたびに私たちが生き生きとしたイエスやそれをとりまく人間のイメージをそこから感じるのはなぜだろう。それは事実のイエスではなくても真実のイエス像だからである。〜

    キリスト教に関する学習の導入としてもオススメです☆5つ

  • イエスの哀しみに満ちた生涯。なぜ彼は無力であり続けなれならなかったのか。奇跡ありきで語られない事実としてのイエスの生涯。

  • 盲信ではなく、信仰の眼をもったとき、かくも人間は大きくなれるのか。しかし、それはどれほど難しいのか。師の死が必要なほどに。

    練り上げられた文体から、宗教性、崇高性、誠実さを幾度も感じた。当時の政治的背景も興味深い。

    弟子たちがキリストの死後、なぜ立ち上がれたのかについての考察は、深く首肯できた。復活についての疑問は拭えぬままだったが。

  • 聖書にあるイエスの記述に関して遠藤氏の見解が述べられている。正直、ある程度聖書やキリスト教に精通してないと、面白く読めないのではという印象。私はそこまでキリスト教のことに詳しくないので、大学の教科書を読んでいるような感じだった。

  • ローマ帝国に対しユダヤ民族のために立ち上がる指導者でもなく、何一つとして奇蹟も起こさない、ただ虐げられているものの傍にいて誰からも見捨てられている彼らを愛する、ただそれだけという救世主イエス。民衆はおろかその弟子たちからも最後まで本当のところを理解されることのなかった孤独な宗教家を、聖書の世界から生身の我々の感覚に近い人間の姿として浮彫にした。保身からイエスを売ったような弟子たちが、イエスの死後なにゆえ強固な信仰をもってイエスの教えを布教するようになったのか、多くの預言者が誕生したなかあれほどまでに嘲笑と侮蔑のうちに処刑されたイエスだけがなにゆえ後の世で神格されたのか、最終章での著者の考察に納得。

  • キリスト教や信仰をテーマとする多くの作品残した作家・遠藤周作氏による「イエス伝」です。聖書研究などに対する自身の見解を織り込みながら、イエスの生涯を描いていくその筆致はあたかも「遠藤周作の福音書」と呼べなくもないかと思います。いわゆる小説とは趣を異にしています。

    もっとも感動的なのは、P.285~「エマオの旅人」について述べた箇所でした。著者がいろいろなところで述べている「同伴者イエス」。"弟子たちにはイエスが死んでも、自分たちのそばにいるという生き生きとした感情が、いつの間にかうまれたにちがいない。それは抽象的な観念ではなく、文字通り具体的な感情だった。イエスは死んでいない。自分たちになお語りかけているという気持は事実だったのだ"

    イスカリオテのユダに向けられたまなざしも特徴的です。著者はこのユダという人物に、他の弟子たちに対するものとは全く次元が異なる、圧倒的な共感を受けておられたのだと思います。ヨハネ伝「ベタニアで香油をそそがれる」という有名な挿話は、無償の愛のあり方を問うものですが、著者はここから"もっと深い意味"を読み取る。人間のもつ弱さ、ずるさ、卑しさ、それを誰よりも鋭敏に感じ取り、また師の真意をただ一人汲み取っていた弟子として、ユダを捉えなおしています。

    タイトルや装丁からして、どうも読み手が限定されるであろう一冊ですが、著者はあとがきにて"日本人である私がふれたイエス像が基督教に無縁だった読者にも少なくとも実感をもって理解して頂けるものであったならば"と語っている通り、多くの方に開かれている本でもあります。特に前述のユダについて描かれた箇所は、聖書の持つある種「人間っぽい」一面を見事に炙り出していると感じます。

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