イエスの生涯 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123165

感想・レビュー・書評

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  • 謎多きイエスの事実と真実を書いた本。
    無駄を削いだ文から、人間性やあらゆる感情を推察し見出した、想像力に富んだ内容だった。行間を読み、想いを巡らせ、聖書の中の人々に血を通わせ生き生きとした肉の叫びが聞こえてくるのはさすが小説家らしいと感じる。
    特に、イエスが今から訪れる自分の死をどのように考え受け入れたか、著者の深く慮る心が私の胸を打つ。
    「剣をとる者はみな剣で亡びる」
    今、この言葉が痛切に響く。
    聖書を読む決心がついた。

  • ・だが愛は現実世界での効果とは直接には関係のない行為なのだ
    ・汝らはしるしと奇跡を見ざれば信ぜず
    ・このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されている
    ・キリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まる


    やっと読み切った〜〜聖書についてだいぶ記憶が曖昧で時間がかかった。物語としてとてもおもしろくて何度か泣きそうになった。
    即効性のあるもの、目に見えるもの、現実的なものだけをみんなが求める世界は悲しい。すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなる。夢想家もピュアも性善説も貫き通せば世界を動かすと、この本を読んで思った。私はそういう生き方が好きです

  • ミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」をより理解するために手に取って以降、繰り返し読んでいます。
    キリシタンである作者によって全編を通して理性的かつ無信心な私にも納得感のある考察がされていますが、秀逸なのはイスカリオテのユダについて書かれた「ユダ、哀しき男」。
    前述のミュージカルでユダに涙した理由を教えてもらった気がしました。

  • これだけレビューしてなかったのでコメントを(2020年10月8日)。
    実はあまり読後の記憶がないのだが(本棚登録が2010.12.2だから当たり前か)、書評では結構評判の良い本。当時大学生の僕は、哲学とか宗教とか精神的な心の持ちようのようなものに先人たちの答えを求めていて、こういった本をよく読んでいたような気がする。社会人になってめっきりこの手の本を読まなくなってしまったが、いつかまた手に取りたいと思う。

  • 一神教としてのキリスト教に思い入れるところは少ないが、なぜイエスの教えが後世に広まったのかには興味あるところに、どなたかの紹介をきっかけに読んだ一冊。読んでよかった〜と感じたのは久しぶり。

  • イエスは他人から憎まれても他人を愛した、そんなイエスが何故十字架の上で殺されなければならなかったのか、いまだに良く分からない。不条理はこの世でよくあるということの典型だと思う。キリスト教の愛、無力、復活という考え方は初めてよく理解できた。重荷を負うているすべての人を休ませてあげる、敵を愛し恵むこと、苦しみを分かち合う、神の愛、イエスの再来等”沈黙”で書かれていたキリスト教的考えもよく分かった。日々の生活でも参考にしていきたい。

  • 初めて読んだ遠藤周作の著作はこれで、十代の頃感銘をうけた本のひとつ。
    感情も、宗教に対する考え方も、ぐらんぐらんに揺さぶられた。
    私は多くの日本人が決して無宗教というのではないと考えるほうだ。それゆえに一神教に云う信仰を抱いているとは決していえないとも。
    遠藤周作はそんな日本人のためにイエスに着物を着せる試みを続けたひとだ。

    大人になったいまも信仰については実感としてよくわからない。実感としてわかる日なんておそらく来ないし、その必要はないだろうとも思う。そのくらい経験と文化の壁は厚い。けれど当時わからぬなりに本作を読んで、ひとつだけ身近なものにその類似形を知っていると思った。物語だ。物語と信仰は、救済の構造の一面でよく似ている。
    氏の言にもあったが、人のいちばんの苦しみは自らの懸命さが誰にも見られていないということだ。イエスは常に信仰者を見守る。徹底的に無力で、虐げられ、過酷な生のなかでも愛を失わない存在として、その生を最期まで見届けた者の内心に転生し、信仰というかたちをとることでひたすらに自身を信じる者の人生を見守り続ける。
    翻って物語のなかでは、誰の目もない孤独のさなかで意味の無さに苦悶しながら死ぬ者も、必ず読者に見られている。物語と読者の関係は時に自己投影や共感によってその立場を反転させながら、信仰と似た構造を維持している。映画も漫画も小説も、そして聖書も。
    信仰の高邁は永続的な問いを超克しながら連続される点にこそあると思われるし、一般的な物語の効果までを同じ土俵で語るのはあまりにインスタントでナンセンスだ。
    けれどこの部分的類似の根元、物語のつまらないや面白いや、信仰の有無や相違をもっともっと遡ったさきには、大昔から脈々と同じ祈りが流れているんじゃないかと思う。生を全うしようとする生きものの、かほそいそれがいく筋も集った奔流。遠藤周作はごく自然に私の手を引いて、その奔流に浸からせる。そうしてから振り返って見るイエスというひとは、だからいつのまにか私に親しい。

  • 面白い。もっと知りたくなる。

  • 自らもクリスチャンである遠藤周作氏が信仰の対象である神の子「イエス」の軌跡と歴史考察を踏まえイエスの実像に迫りその心情を捉える。

    日本人にとって宗教そのもの自体が解り難い。信仰が思想や信念に根差したものである以上、幼少期から血肉に刻み込まれないと肌感覚では掴めない。そうした点も踏まえ遠藤周作氏は日本人に向けたキリスト教観、「和装のイエス」を啓蒙するために小説という手法を用いているように思う。「イエスの生涯」を遠藤周作氏の言葉を借りて言うならば「愛に生きた人」である。即効性を求める日本人に対して「ただ寄り添うてくれる人」の存在と意義を著者は伝えようとしている、そこには自身の信仰への迷いも伴いながら。

    遠藤周作氏は、彼のこうしたカトリックの視点がノーベル文学賞候補から外れるきっかけになったらしいが、何か主張とテーマを持って書き続けるというのは作家としては正しく素晴らしい姿だと個人的に思う。

  • イエス・キリストは好き嫌いで語れないけど、ナザレのイエスは大好きになった。

    イエスとはイエズア Jeshouahであり、当時、腐るほど沢山の人に付けられていた名前。呼び名も容姿もごくごく平凡だった。
    人間なるが故、大衆が期待する奇跡もない。それゆえ民衆は去り、弟子たちすら保身が勝り立ち去る。ユダすらも平凡な苦悩するひとり。
    2000年たった今でも、人間そのものはナザレのイエスが生きた時代と何ら変わらない。

    弱虫、卑怯者、駄目人間。そのくせ「仕方がなかったのだ」という自己弁解しながら最後の瞬間、師を見棄てる。そんな弟子たちが、何故、強い意志と信仰の持ち主になったのか?
    この「なぜ」という問いこそが、読んだ経験もない聖書のテーマなんだと霧が晴れる様に心に入ってきた。

    イエス・キリストは知らないが、ナザレのイエスは、悲しみの人であり切ない人であったのだろうと、感じた。

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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