死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

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著者 : 大江健三郎
  • 新潮社 (1959年9月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101126012

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 文学的能力がいまいちの私にはいずれの話もよく理解できないものの、「難しくて読めなくて進みません」という感じでもないところが不思議。

    「何か大きなテーマが背景にある」とも思わないし、だからといって、「雰囲気を楽しむだけ」の小説でもないように感じる。

    現時点では、私にとって、自分の中に不思議な感覚を残した小説という位置づけになるのみだ。

    いつかまた読みたい。

  • 初めて読んだ作者。
    全編の濃さと存在感がすごい。読むのに時間がかかったけど、かなり好きになった。
    言葉選びが本当に絶妙。
    ずっと自分の中にもあったけどボヤッとしてたものに、
    その的確な表現で持って輪郭を与えてくれた感じ。
    そういう点での快感と、内容は終始おどろおどろしく。。
    いやぁ。良かったです。
    今度きっともう一度読む。

  • どれも、恐らくは1957年58年くらい、作者が23歳くらいで発表された短編・中編。
    昔なら、僕の息子でもおかしくない年齢。
    「これを22歳23歳で書いたのかぁ?」
    …と、びっくり。どれも、息を呑む面白い小説でした。

    肉屋に行って、「豆腐が無い」といちゃもんをつけても大人げない訳で。
    もちろん、何かしらか欠けているもの、無い要素、は、あります。
    ユーモアが無いだとか、軽さが無いだとか、暗いだとか、救いが無い、だとか。
    でも、小説として大変に読ませる力があることは、およそ60年が過ぎても、確かだと思いました。



    以下、簡単に内容の備忘録。

    『死者の奢り』
    とある大学(まあ、東京大学なんでしょう)。
    医学部で、保存している死体の、移動というアルバイトをすることになった主人公。
    その仕事をずっとやっている、父親世代の作業員と一緒に。
    当然気味が悪い。何だか死体の声が聞こえる気がする。
    同じアルバイトをしている女子大生は、実は妊娠していて堕胎しようとしている。
    女子大生が体調が悪くなったり、作業にミスがあったりする。
    主人公の観念的な思いの中で、つい12年前くらいの戦争での死、ひいてはその犠牲の上に生きている自分たち、みたいな思いがあったり。
    女子大生との、「生きていく活力や希望を見いだせない重たい思い」の会話があったり。
    そして、エリートである自分と、ブルーカラーである作業員との違いなどが見える。

    『他人の足』
    とある、田舎のサナトリウム的な医療機関。
    そこは、主人公の「私」を含めて、脊椎カリエスなどで、下半身が動かない若者たちが暮らしている。
    移動、排せつ、全てが看護婦にお世話にならなければ生きていけない。
    人生の将来への前向きな思いを抱きようがない停滞した場所。
    そこに、若い大学生が入ってくる。彼は、事故か何かの怪我で、一時的に下肢がマヒしている。
    その大学生が、「こんなに停滞してちゃいけない」みたいに、健全に、政治的思想的社会的な運動を、皆に、アジる。
    みんな、純真にその気になって、何か新聞に投稿したりして、それが載ったりして、盛り上がる。
    なんだけど、その大学生が、治って、歩けるようになる。
    その途端…患者たちの気持ちが離れていく…

    『飼育』
    戦時中。
    日本のどこかの山中の、田舎の村。というか、集落か。
    子どもたちは完全に全員裸足、というような土地。
    (知識的なことだけで言うと、恐らく1960年代前半くらいまで、余裕で日本中、あちこちにあったはず)
    アメリカの飛行機が山中に墜落。村人たちは黒人兵を捕まえる。
    どうしていいか判らないので、穴みたいなところに監禁。
    珍獣のように「飼育」する。
    主人公はその村の子供。子供たちは、異生物として珍しく、残酷に眺めて歓び、やがて多少交流したりする。
    ところが、方針が決まって連行することになると、黒人兵が隙を突いて、主人公を人質に立てこもる。
    主人公の父親が、自分の息子=主人公、の、片手ごと、鉈で黒人兵を殺戮する。


    『人間の羊』
    戦後直後。
    東京なんだろうな、という街中のバス。
    主人公は大学生らしき若い男性。
    バスの中にたちの悪い米兵が大勢いる。いわゆるパンパン、米兵相手の商売女がいる。酔ってじゃれている。
    たまたま主人公が米兵に絡まれる。いじられる。米兵たちが、悪乗りする。
    主人公も含めて数人の日本人の乗客が、たんなる悪ふざけ、いじめの愉しみのために、尻を出して這いつくばれ、と。
    そして、他の乗客が見て見ぬふりの中、尻を平手で叩かれて、笑われる。
    皆、仕方なく屈辱を甘んじる。
    やがて米兵たちが降りる。気まずいバスの中。
    主人公は、涙涙の屈辱から心を建て直し、帰宅して母と妹の前で普通に振る舞わねば、と思う。
    ところが、バスを降りてから。
    たまたま、その屈辱を受けずに、見て見ぬふりをしていた男から声を掛けられる。
    「見て見ぬふりをして申し訳ない。しかし泣き寝入りはいけない。正義のために、法に訴えよう。訴えるべきだ。君は逃げないよな?、さあ、一緒に警察に行こう」
    とんでもない、と逃げようとする主人公。
    だが、その男は執拗に迫る。逃げるとは何事だ。許さない。と…。


    『不意の唖』
    終戦直後。山中の田舎の集落。
    村に、米兵の一団がやってくる。日本人の通訳が着いている。
    日本人の通訳が、何だか威張っている。
    通訳の靴が、子どものいたずらか、それとも川に流れたか、無くなる。
    通訳激怒。悪意あるいたずらと断定、捜索を命じて、脅す。
    理不尽な振る舞いに村人が背を向けると、男を独り、銃で殺してしまう。
    夜。村人たちは、集団でその通訳を川に沈めて殺してしまう。
    翌日、水死体が見つかる。村人たちは米兵たちを沈黙で無視する。
    米兵たちはしょうがなく去っていく。


    『戦いの今日』
    朝鮮戦争時代。
    大学生くらいの年代の兄弟がいる。
    何かしらか左翼的な運動の末端に居て、米兵たちに兵役忌避を呼びかけるビラまきをしたりしている。
    (まあ、その時代は、何かしらか左翼的な理想を持たない方が、インテリの若者としては珍しかったはず)
    若い米兵がいる。その米兵は年上の日本人の売春婦の恋人である。
    そのカップルが、「戦場に行きたくないから、匿ってくれ」とやってくる。
    正直、迷惑だけど成り行きで匿う。
    そこで、「兄」「弟」「若い白人脱走兵」「年増の日本人売春婦」の四人の奇妙な潜伏生活が始まる。
    脱走兵は、当然ストレスが貯まるし、どこか日本人を軽蔑している。見下している。
    弟は、とにかく脱走兵を崇めてへりくだる。
    若き脱走兵が酔って酷いことをして、兄がキレて、暴力で痛めつける。
    脱走兵は逃げ出して、部隊に投稿する。のだけど、再び逃げようとして射殺される。
    という報を、飲み屋で兄たちが、別の米兵から聞く。



    以上、6編。
    特に面白かった、すごいなあ、と思ったのは、
    「他人の足」「飼育」「人間の羊」でした。

    全体に、「日本という、土地」「ニンゲンの集団のチカラ、醜悪さ」「抑圧された惨めなニンゲン、なんていうかその象徴みたいな性的なモノゴト」と言う感じ。
    実に確信に満ちた、足を踏ん張って立つ土壌みたいなものが、盤石にあります。

    どれもこれも、

    「汚れて湿った床とか土に、裸足で立ってなきゃいけないような、気持ち悪さ」
    「それを見下すことの傲慢さ」
    「そこで生きていかなきゃいけないんだから、そこで生きていくニンゲンの哀しさ、屈辱、どんより鬱屈したチカラ」

    みたいなものが、血がドクドクと黒く濃く流れていくように、感じられますね。

    敗戦から10年ちょっと、。
    「世界中から哀れまれる餓死の国」から、アメリカの外交/戦争の恩恵で、なんとか立ち直りつつあった日本。プライドを復活しつつあった、日本。
    でも、理性的に見れば、完全にアメリカの言いなり。サンフランシスコ講和条約(1951)だって、アメリカ陣営とだけ。
    朝鮮戦争という戦争の恩恵で、どうやら市民生活、都市生活、消費生活が戦前並みになりつつあったという時代。
    それでも、30代以上の大人は、多くが陰惨悲惨な兵隊経験・戦場体験があって。
    無かった人は多少後ろめたく。
    若者たちは、子供の頃に「死」というものを多く見聞してしまっていて。
    そしてまだまだ、後年と違い、「終身雇用サラリーマン」「会社人間モーレツ社員」「経済成長全ては右肩上がり」「平和享楽ニッポン」という観念は無かったんですね。
    色んなことに目をつぶり、政権は「明日は良い日だ、日本は素晴らしい」と謳うけど…。

    そんな時代を、同時代人として、どう切り取るのか。どう解釈するのか。
    そういう意味で、実に切れば血が出る濃厚な小説だなー、と。

    でも、そう言う歴史的?社会的?な位置づけとはまた別に。

    仮にこれが、2014年に書かれた、

    「妄想のとあるSF世界」

    が舞台の小説である、と考えても。十分に面白い。スゴイ小説だなあ、と。

    どれもこれも。
    「正義」「正論」「建前」と言ったもの。
    「暮らし」「現実」「恐怖」「生活感」「地域共同体」。
    そして「妥協」「屈従」「暴力」「卑屈さ」「傲慢さ」みたいなものが何層もあって。

    とかく、一筋縄ではいかない。
    皮肉と言えば皮肉、悲観的というか暗いというか。
    そういう人間という生き物の見方があって。
    でもそれが、「あー、そうだよなあ」と、納得せざるを得ない、鉄槌のような、苦い苦い、説得力。

    そして、少なくとも日本人としては、「我々はどこから来たのか」的な、なんていうか…祖父や祖母から若い頃の話を聞く、その重さとか、興味深さみたいなものもあります。
    うーん。重い。けど凄い。

    この短編集は、特段に難解でもなく、途方に暮れるような幻想的なコトもなく。
    実に、ただただ、強力です。
    やっぱり若いので、一人称の強さが圧巻。
    ですが、文章としても、感じたままで言うと、読み易く簡潔。叩きつけるような文体な気もします。
    会話対話で、ぐいぐいっと。行くところは行ってしまうし。
    息が苦しくなるような、心理の追い込みの迫力。
    悪い意味でブンガク的な、延々冗長とした風景状況描写に流されません。
    パチパチ。

    大江健三郎さん、実は読むのが25年ぶりくらいでした。
    昔、「万延元年のフットボール」「同時代ゲーム」あたりを読んで、もう全く記憶にないですが、挫折したか、サッパリ面白いと思えなかったか、の、どちらかでした。
    (まあ、いくらなんでも背伸びし過ぎたんだろうなあ、という気もします。それからまあ、好みでも無かったかな、と)
    その後、何度か気にはなったんですが。

    「実存主義とか現代思想とか、1960年前後の左翼的なインテリ思想ブームみたいな寵児であって。
    なんだか自分の世代としては、その、鹿爪らしさ、力み具合が、肌に合わないシャツみたいな気がするんだよなあ」

    と、いう偏見が自分の中にあって。
    でも、歳を取ってきて、そういう避け方も、「無駄な力み、な気がするなあ」と思うようになって。
    で、気軽に電子書籍、スマートフォンで読んでみました。

    けっこう、引き込まれてページをめくる手が止まらず(画面をフリックする指、ですが)。
    この本は、時代や理屈や流行といった、スタイルから相当に浮遊した、なかなかにダンコたる迫力のある小説でした。
    今後、大江さんの小説は歯ごたえ豊かに愉しめる気がします。


    …って、こういう本と、「台所太平記」(1962年 谷崎潤一郎さん)とかが、同時代に存在したことの多様性というか。
    それはそれで、「そういう時代」みたいなものが両者によって立体的に見えてくる愉しみ、というのも、あります。

  • 冒頭を少し読んで物語に入り込んだ瞬間から、あまりの文学としての迫力に震えながら読んだ。こんなもの、初めて読んだ。本を読んで心を揺さぶられるということは、こういうことなんだろう、と。感動的でメリハリのあるストーリーや衝撃的なオチなんて、全く必要ない。静かに、美しく淡々と語る。それだけで、こんなにも、世界を創り出すことができるなんて。人物像とかノーベル賞とか、政治的立ち位置とかはよく分からないけれど、こんな文学が存在できるなんて。日本文学の戦後派の流れの中にこんなに素晴らしいものが生じたなんて。信じられないけれど、ほんとうに嬉しい。

  • 変化する存在。不自由さへの帰結。物言わぬ生者は動物へ、騒がしい死者は奥底へ。変容、変質。移り変わる「僕」。どこへも行けない「僕」。

  • 恥ずかしながら大江健三郎の『小説』を読了できたのはこれが一冊目だったりする。
    (『あいまいな日本の私』『私という小説家の作り方』が既読ではあるが)

    まずはとにかくも濃密な文体だという印象である。よく大江は、ありとあらゆる面で村上春樹と比較されるが、村上の文体は考えずともすらすらと呑み込んで行ける文体であり、大江のものはよく咀嚼しなければ意味が把握できないという点で決定的に異なっていると思う。然るに意味を把握するのが難しいと言えども、一度その文章に潜んでいる濃密さを味わってみると、これは一冊読んだくらいで何を偉そうにという話だが、なるほど一部には大江の文章に魅了される人々が出るのも判らないでもない。まあ、読み進むのに時間がかかるという難点もあるが……。

    これが非常に初期の作品集であるということにも驚かされる。最近の芥川賞の作品等を読むとしばしば生まれてくる感情、つまり、「この程度の作品なら、ちょっと頑張れば俺でも書けるんじゃないか」
    と言った奢りを含んだ感情が、この大江の作品を読む限りでは全く生じないのだ。要するに少なくとも僕は無意識的にも全く大江の才能には惧れ入ってしまったわけだろう。

    『死者の奢り』はある種優等生のような作品でなかろうか、と思った。つまり小説に必要な伏線、描写、起承転結の話の運び等が非常に整っているのだ。なるほど大江のこの短編集を買って、初めにこの作品を読まさせられたら、嫌が応にも
    「こんなレベルの作品は俺には到底書けないな」と思わされてしまうわけだ。しかし、この短編集全体を読んだ後に振り返ってみると、意外なほどインパクトの強くない作品であることに驚かされてしまった。これは『死者の奢り』が弱い作品であるというわけではなく、他のものが強すぎるということを意味しているのだと思う。

    『飼育』には全く畏れ入った。色々な大江のエッセンスがこれでもかと詰め込まれており、濃密なこの6作の内でも群を抜いて、あたかも黒人兵の体臭のように『濃い』作品である。あまりに密度が高いため、短編でありながら一気に全部読むことはできず、消化に時間を掛けながらじっくり味わって行った、という感じだ。

    『人間の羊』。まさかこの短編集で笑ってしまうとは思わなかった。何かのコントのようだが、それは人間の持つ本能的行動や心理を描き切った文学的なコントなのだ。普通の人間がとあるきっかけに狂気に走ってしまうことがあるという事を再確認させてくれる。教員はきっと学校では熱血教師で通っているに違いない。

    『不意の唖』『戦いの今日』も優れた作品だと思うが、前4作が突出しすぎているために少々物足りなさを感じた。言い換えればその文体の密度が他よりも良くない意味で低いと感じたのである。前4つの作品だけなら非常に満足できる短編集という印象だが、そこにこの二つを加えたのは少々蛇足だったかな、という印象がある。事実前4つが『死者の奢り』の単行本に収録されていた作品であり、この二つはそうではなかったようだ。

  • 塾の先生をやってる友人が話題に出してて気になったので。

  • 大江健三郎の作品は初でした。

    文が長いのでちょっと読みにくかったですが迫力はすごかったです。

  • 大江健三郎がノーベル文学賞をとったとき、私はまだ高校生だった。
    文学史が現代文の試験に出題範囲となっていたことがあって、一番最近の文学者として登場していたのが大江健三郎。

    「ノーベル文学賞やし試験に出るんちゃうか」という周囲の声を何の感慨もなくそのまま受ける、たいして文学に興味もなかった私の大江健三郎に対する印象は極めて薄いものであったと思う。ただ代表作の名前ぐらいは覚えておいたほうがいいかもしれないと思い、その代表作は「飼育」という何とも地味な題名だったことだけが印象に残っていた。

    「飼育」を結局読んだのは大学に入ってから。
    何かで大江健三郎は「サルトルの影響を色濃く受けた作家」というのを読んでいて、そのためかどうかわからないが「死者の奢り・飼育」に入っている短編を読んでの私の感想は「サルトルはこういう作家なのか?」というものであったような気がする。

    今思うと、読後にうまく吸収しきれない不思議さが残っていたのだと思う。どうしてこんなにねちっこい感じの文章なのだろうとか、「セクス」みたいな特殊な語感とか、何かを輸入してこないとこんな風にならないのでは、という感じがしたのだろうと思う。

    実は現在に至るまでまだサルトルは読んだことがなく(「嘔吐」とか持ってるけど積読になっている)、今でもその時の読後感を引きずっているのかもしれない。サルトルを読んだ時、「死者の奢り・飼育」という短編集に対する私のイメージはどのように変わるのだろう?
    こういうのも読書の楽しみなんだろう。

  • 死者の奢り、他人の足、飼育、人間の羊、不意の唖、戦いの今日。人間の生の閉塞感、湿気、ぬめり気が全ての作品にあらわれている。幾重にもなる差別と隔離の構造が戦後の混乱した日本の中にものすごい密度で立ち込めている感じ。圧巻。

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