個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)

  • 1058人登録
  • 3.61評価
    • (99)
    • (105)
    • (238)
    • (15)
    • (4)
  • 120レビュー
著者 : 大江健三郎
  • 新潮社 (1981年2月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101126104

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
安部 公房
三島 由紀夫
谷崎 潤一郎
ドストエフスキー
三島 由紀夫
ドストエフスキー
安部 公房
有効な右矢印 無効な右矢印

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)の感想・レビュー・書評

  • 初大江は『死者の奢り・飼育』。そこで素晴らしい文章とはじめて出逢うも、著者の代表作というべき『万延元年のフットボール』にはあまり馴染めず、自分には合わない作家なのかと思ったが、ノーベル文学賞作家を簡単に諦めてしまうのも厭なので、もう1作、と思い本作をチョイス。そうしたら見事というべきか、これはほんとうに面白かった。最後がハッピー・エンドになっているし、こういう「面白さ」が逆に不興を買った部分もある(著者のあとがき参照)のかもしれないが、個人的には讚えたい気持しかない。面白さのなかに、重厚さももちろんあって、テーマは畸形児が産まれた父親の葛藤となっている。しかし、はたしてほんとうにこれがテーマなのだろうか。私自身は、畸形児であるかどうかに問わず、もっと広く子供一般が産まれたときの父親の感情がテーマになっていると思う。宿酔状態に至ったり、情人と性交したりするのは、たんなる畸形児をもった不安では説明できないのではないか。メイン・テーマが畸形児を持つことであることは否定しないが、やはり根柢には、男が父親になること、あるいは逆に、男が「子供」になることというテーマも多分に含まれていると感じた。そして、そのような感情に対するひとつの答えとして、議論を呼んだハッピー・エンドがあるのではないか。望むにせよ望まないにせよ、この小説は「こうでなければならない」ような気がする。短文で表現できるのはここまでだが、そういう深い意味合い、必然性をもった小説である、ということが理解してもらえれば嬉しい。

  • エンディングの部分で三島由紀夫が批判したのは余りにも知られて居るので、短く書くけれども、
    クライマックスで切るべきだったと批判されて尚、作者がクライマックスその後、を書き続けたのは、
    氏が文学において「魂の遍歴」に重点を置いたことに他ならないと感じたので、
    私はこの物語設定に満足しています。

  • 頭に障害をもって生まれた子どもの父となった27歳の鳥(バード)。彼の親としての葛藤、現実逃避、そして自己再生の軌跡を描いた大江健三郎初期小説。
    生まれた子どもの頭に障害があったショックとその受け入れ難い現実を前に主人公は恐怖する。胎児の死を願い、自己逃避のため女友達・火見子とひたすらセックスに耽り、背徳を犯し続け、アフリカ旅行というここでないどこかへの逃亡を夢見る。

    バードの内面が恥辱と絶望の間を揺れ動く。その揺らぎが赤裸々に描かれていた。しかし、どうも村上春樹のようなご都合主義的な火見子という女性造形と、逃避による性の愉楽から、胎児を引き受け父親になる決意と自覚の訪れが唐突過ぎて、あまり作品に入り込めなかった。

    著者自身、知的障害をもった息子がいる。誤解を怖れずにいえば、障害をもって生まれた息子との日々の共生と生の営みが、そのまま大江文学の核ないし創作への動機となっている感はある。もちろん本作は私小説ではないけれど、大江文学の出発点となった小説ではあるだろう。

    文章について一言。この小説は大江作品にしては読みやすい文章だった。従来よく言われる大江健三郎独特の文章(主語がやたら長くて述語の位置が定かでない読み難い解かりにくい文章)ではないので、大江初心者には読みやすいかもしれない。

  • 理念や概念について語るのではなく、個人的なことを語ることでかえってそれが普遍性をもつことがあるのではあるまいか、的なところ(正確ではない)に私はすごく心打たれた。situation的な意味で「状況!」なんて叫んで人の人生が普遍化されがちな(あるいは無化されるともいえるような)中で強度の「個人的」出来事に遭遇した彼の言葉は、別に障害者の息子を持っていなくても、個人的人間としての「人」を励ます強さをもつ。(受け入れ乗り越える的な結末はいささかサルトル的気持ち悪さで書かれているとはいえ)

  • 表現力に圧倒された。重すぎる現実からの逃避をやめて覚悟を決める場面の描写(「答えはゼロだ」)が一番心に残った。全然小説とは無関係だけど、若い頃相当やんちゃした人ほど、大人になってすごく礼儀正しくて家族思いのいい人になってるのを思い出した。きっとこういう心の転機があったんだろうなと思った。

  • それは僕自身のためだ。僕が逃げ回り続ける男であることをやめるためだ。

    大江健三郎さんの本を初めて読んだ。独特の作風があるような気がする。なんというか、個人的に村上春樹のもつ雰囲気に似ているような気がした。
    主人公「鳥」の心の葛藤が読者に対するメッセージ性も含まれて書かれているような気がしてとても読み応えがあったし、おもしろかった。だれしもがもつ人間の醜い心と、それでも人間の尊厳を尊重し目の前にある事実を受け入れようとする心情の移り変わりに心を打たれる作品だと思う。

  • 話の本質が掴めるまで時間がかかった。読み終わった後に初めて物語の全体像が見えてくる。後味が強烈な作品。

  • バードという主人公は頭部に障害を持って生まれてきた子どもの親となったにも関わらず、現実から逃げて女友達の火見子との情事とアフリカ旅行を計画していた。しかし、突然逃げるのを止めて現実を受け入れて子どもの親になることになる。

  • 大江健三郎の本をたくさん読んでいるわけではないけど、彼の本の主人公は、どうにも好きになれない。卑屈で、自意識過剰で、性的欲望に流されすぎる。そのくせ、英雄的行為に憧れたり、肉体的な強度を求めたりする。気持ちが悪い。男性読者にとっては感情移入しやすいのだろうか。こういう私小説の主人公のような男性とは、あまり親しくなりたくはない。

  • 大江健三郎の、説明的にならない圧倒的な情景描写の洪水に飲み込まれる。
    驚異的な比喩の嵐に圧倒される、精神的ジャーニーのロードムービー小説。

    頭部に特徴のある赤ん坊を授かった、27歳青年。
    その嬰児がアフリカ行きの夢を奪う怪物ではないのかと錯覚に囚らわれ、安寧な死を願う。
    衰弱死の報告を待つ間中、かつての女友達と性行に耽る最低のクズ野郎。

    自分の人生に無価値を見出すのを止め、欺瞞と立ち向かい試練に正面から向き合えるか?
    そんな男の、または子に対する父の、心の動きに身をつまされる一冊。

    著者もあとがきで書いているが、二つのアステリクス以降は確かに必要ないかも知れない。
    そこ以前で終わっても、作品としては成立する。
    むしろ私が作者なら、そこで止めるだろう。
    敢えて、それ以降に拘った大江健三郎の意図を体感して頂きたい。

    余談だが、アーケードに「鉄の処女 二十世紀タイプ」があれば私もプレイしてみたい。

  • 読み終わるのにえらく時間がかかった。
    というのも最後の数ページまで基本的に嫌な話だったから。
    色々な登場人物の行動も発言も主人公の心情も。
    最後の最後で救われるが読んでいて気持ちよさがない。

  • 27歳の「バード」というあだ名の青年は名前のとおりちょっとふわふわした男の子。子供が頭部に異常を持って生まれてきて、アフリカ旅行の夢が潰えたと自暴自棄な生活を送り、悩みを深めていくが、最後にはわが子とともに生きる選択をする。ちょっとふわふわした頼りないけれど憎めない男性が父親として目覚める時を描いた作品であると解釈した。バードだけじゃなくて、登場人物誰もが、諦めとか覚悟とか妥協を持ちながら生きている姿がなんとも人間臭くてよかった。

  • 初大江氏。なんというか”人権の人”ってイメージだったのでかなり身も蓋もない内容にびっくり。でも凄みを感じた。あとがきまで興味深い。

  • 自分にもし子供が産まれて、もし障害を抱えていたら…。男版のマタニティーブルーと言えるだろうか、女に逃げ酒に溺れ現実逃避…。けれど主人公が父として自覚を持ち子供に向き合おうとしていく過程が巧く書かれている。

  • 大江作品二作目。鳥(バード)を大江自身をモデルとして主人公に仕立てている私小説とは異なる小説。バードが父親として、しかも障害児の父親と宣告され、それを受け入れるまでの過程が自身の内面を克明に描写して書かれている。新しい人よめざめよ、の大江とは打って変わって若さが迸る文体。この作品から新しい〜までの大江と家族
    変遷を思うと、深い感銘を覚える。内容は読むに耐えない程の激しさを内包するが、生への真剣な面持ちに感動する。自らも27歳4ヶ月をここからスタートし、新しい人よ~に至ることができるかもしれない、という励ましを得た。

  • 「しかし、この現実生活を生きるということは、結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつのまにか、それを拒むほかなくなってしまう、そういう風ですね」
    鳥のように欺瞞から欺瞞へと飛び続けた果てに辿り着いた答え。≪忍耐≫の二文字が重くのしかかる。

  • 大江氏の傑作。バードと脳に障害を抱える子どものタッチは最高。

  • いろいろと考えさせられる本・障がい児の親であることを自ら認める事ができるまでの体験・・障がい児にかかわらない作家では書けない内容・・・障がいに対する社会の目・・・・誰にでもある心の襞・・・・・結局は自分のありのままを認めなければ辛いだけだ!

  •  1964年発表、大江健三郎著。塾講師をしている27歳の青年バードに脳瘤のある子供が生まれた。彼は愛人火見子の元へ逃げ、秘密裏に子供を殺してほしいと病院側に頼み込む。葛藤した彼は最終的に子供を受け入れることを決意する。
     どこか寓話的な小説だった(おそらく医者の露骨な態度と赤いスポーツカーがその雰囲気を醸し出しているのだろう)。個人的な体験を私小説ではなく物語として昇華したところがすばらしい。これこそまさに「小説」だと思う。
     ラストのアスタリスク以降は不要だと感じた。なぜならこの話は「バードが障害児を受け入れる」ことがテーマだからだ。安直なメッセージを付け加えて分かりやすい美談として丸め込むのは若い小説家が陥りやすい失敗だろう(娯楽用の小説ならそれでいいのだろうが)。ただ後書きを読むと、著者本人としてはこうせざるを得なかったというのは理解できる。
     しかし厳しいことを言えば、もし仮にラストシーンで親戚連中に「そんな障害児など一族の汚点だ。今後お前らとはかかわりたくない」というようなことを言われたらどうだろうか(現代の日本ではあり得ないとしても、世界を見渡せば現実にそのような境遇の人がいるかもしれないのだ)。それでもバードが父親として障害児を育てていくと宣言できたなら、ようやく真の意味で「受け入れた」と言えるのではないだろうか。

  • 「恥と恐怖心を秤にかけている」というような表現が新鮮であった。そうやって動けなくなり自暴自棄になっていくところの心理をすごくよく描いているように思う。
    「いったいどのようなおれ自身をまもりぬくべく試みたのか? と鳥は考え、そして不意に愕然としたのだった。ゼロだ」という転機。自分にも訪れないかしらと緩やかに待つ。

  • 再読。久しぶりに読み返して印象が覆された。瑞々しく光に満ちた小説だと思う。大江はこれを書かねば乗り越えられなかったのだろう。苦しんで、落ちるところまで落としこまなければ這い上がれないことがある。だからこそアスタリスク以降は必然。個人的な体験に光を注いでなにが悪い。それぞれが個人的な体験を抱えて生きている。死んでしまいたくなる夜は時折襲ってくるけれど、けっして死を美化してはならない。どんなに息苦しくても息をして生きていかねばならない、自分自身の誇りを守るために。鳥(バード)はぎりぎり間に合った。

  • 読み終えて、やっぱり古臭く感じてしまったのは私だけではないはず。そこが一番面白かったりするのだが。

  • ブックオフ練馬高野台、¥300.

  • それを個人的な体験としてしか考えられてないと、それ欺瞞に満ちたものになるのか。欺瞞という意味についてもう少し考えてみる必要がある。

全120件中 1 - 25件を表示

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)に関連する談話室の質問

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)のKindle版

個人的な体験 (新潮文庫 お 9-10)の単行本

ツイートする