パニック・裸の王様 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101128016

感想・レビュー・書評

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  • 開高健氏の代表作『ベトナム戦記』『輝ける闇』と続けて読んだが、それらとは違う、芥川賞作家としての開高健がここにあった。『パニック』『裸の王様』『流亡記』、いずれも甲乙つけ難い珠玉の作品だが、自然現象と厭らしい人間模様を描いた『パニック』と、始皇帝を題材として人間の残酷さと時代の流々転々を描いた『流亡記』が面白かった。

  • ずっと気になっていた作者の、有名な小説を読んだ。

    「パニック」「巨人と玩具」「裸の王様」「流亡記」の4編あり、僕はタイトルとなっているパニックと裸の王様が印象に残った。
    流亡記はちょっと描写がグロかった。

    パニックは、役人機構の腐敗をうまく表しているが、それがメインではなく、ネズミの群れがもはや一つの巨大な物体となり、台風のように人を襲い、それが湖へ消滅していく圧巻を描いている。

    裸の王様は、審美眼を持った「大人」たちの目には映らない、というよりむしろいかに我々がなにも見ていないかを表している。
    いや、知らんがな。感想が陳腐だ。これこそ裸の王様の家来になった人の感想だ。

  • 懐かしくて手に取り、「パニック」だけ読んだ。
    高校時代以来か。
    あの頃には分からなかった役人、というか大人の嫌な世界が、実感を伴って感じられた。が、それ以上に自然の前では無力化な人間の姿を描いた作者に思いを馳せられる作品。
    残りの作品も読もう。

  • 開高健はメジャーであるが誰もが読む作品ではない、少なくとも高校や中学の教科書には載らない。学校が求める(従順さを基礎とした)道徳とは折り合いがつかないし、多くの作品が(教育委員会の基準では)大人向けに書かれているのは間違いない。

    ある種の暑苦しさは否めないが、一気に作品に引きずり込む高橋源一郎や内田樹の言うところのドライブ力から言えば(彼らの絶賛する)村上春樹のそれとはまったく比較にならない。
    私が高校の教師なら、国語の授業でつまんなそうにしているやつに読ませる、そのうち三人に一人は「悪くねぇじゃん」と思うでしょう。開高健が憧れていたであろうヘミングウェイの英語は良いお手本とされるがそれとは少し違う。ヘミングウェイは優等生の課題図書としてアメリカの高校生が読まされるが、開高健はちょっと意地を張ってグデンとしている生徒にそれとなく読むように仕向けることはあっても、ハイ皆さんこれを読んできてくださいということはない。
    ただ、受験まっしぐらの高校3年生が開高健のパンチをどう受け止めるのかちょっと興味はある。
    (私は高校生のときに開高健を読んでいたと思うが、受験まっしぐらでもなければ、国語の授業で詰まらなさそうにしていたこともなかったと思う。教科書の間に文庫本はさんで読んでたけど。)

  • 開高健、大発見。こんなに面白かったとは…。現在、神奈川近代文学館で行われている企画展「『おまけ』と『ふろく』展 子どもの夢の小宇宙」でグリコのおまけに人生を賭けた男、宮本順三が紹介されていて、そこで開高健の「巨人と玩具」がお菓子のマーケティングを舞台にした小説として触れられていました。これは!と思い探したのが、この新潮文庫でした。もちろん、文豪としてお酒のCMに出たり、週刊誌で若者の人生相談を受け止めたり、アラスカへの釣り旅の写真集とかで大活躍している時代を知っていて、しかも彼は洋酒メーカーのコピーライターであったことも知っていましたが、でも彼の小説、ちゃんと読んだかな?というぐらいの作家でした。「巨人と玩具」の消費社会への眼差し、あるいは「パニック」の官僚制度への距離感、芥川賞受賞作である「裸の王様」の教育の閉塞感…そのどれもがメチャ今っぽいテーマだと思いました。コロナ禍によって小松左京の「復活の日」やカフカの「ペスト」の先見性が注目を集めましたが「パニック」もまさに先駆けるパンデミック文学です。いや、予言性というより人間の本質は変わらないってことなのかもしれません。その普遍性がテーマになっているように思えるのが「流亡記」。でも実は今回の読書、大発見じゃなく再発見なのでした。「裸の王様」、高校時代に読んでいたこと薄っすら思い出しました。あの時、気づけず、今、刺さるってことは、社会や時代に翻弄されないと、感じることの出来ない感情がテーマだからなのかな?この作家がデビュー作で立ち向かったこの巨大なるものはのちに「オーパ!」や「ベトナム戦記」に繋がり「風に訊け」に至るということである日突然メディアの文学スターになった訳じゃなくて、ずっと一貫していたのかもしれません。

  • 開高健の初期(なのかな?)短篇が集まった本。
    個人的には長篇よりも読みやすくて、ギュッと開高健の魅力を堪能できた気がする。
    きっとこの時代の「今」を彼なりに切り取ってそこに視点を見つけて描いていたんだろうな。でも何年も経っている今でも、その視点は生きているし、それだけまだダメな社会ってことなのか、開高健の視点が鋭かったのか。


  • 芥川賞受賞の初期作品集。
    社会的な喚起を伴う堅真面目な文体。
    言葉選びや話の運びが凄まじく上手いが、流石に真面目すぎで読み疲れしてしまった印象。

  • 『パニック』
    一つの自然災害が火種となって、政治家の汚職や若者のデモに飛び火していく展開は、コロナ禍の今と重なるものがあるなと思った。

    人間の文明や知略、そして生命までもを食い殺した鼠の群が、そんな事は全く無関係に湖に一直線に飛び込んで死んでいく光景がとても鮮烈。生命の不条理を感じた。

    パニックは120年後にまた訪れる。鼠達の群れは湖の底でまたギロリと目を光らせるのだろう。そのようなパニックの中に置かれてこそ、人間の生命は生々しく輝きを放つのかもしれない。

  • 〈裸の王様〉
    作者の文壇登場を飾った短編4作の1編。
    芥川賞受賞作。
    カタカナで記された画材の数々…上流家庭の内情とは裏腹に瀟洒なその家屋の佇まい…それらが作品全体に洒落た雰囲気を醸していました。それが主題の重さを和らげていたと思いました。
    主人公の功利主義への反発心が大人社会の歪形を受けた或る幼い少年との出会いからどう進展するのか?
    驚くべきは焼け野原から復興日浅くして(12年程経過)これ程“完成した”閉塞感が確立していた事です。それは無数の功利主義の集積による皮肉な成果だったのでしょうか?
    それに対して、主人公の絵画の指導を介しての“命の救出”は読前には非常にヒューマニズムに富んだ内容の展開かと思われたのですが読み進むうちに、この社会から受けた鬱屈を晴らす為の復仇の道具立てなのでは?と思われるフシが目立ち始めましたが、又別の方向性も見えました。『泥まみれでも垢だらけでもよいから環境と争えるだけの精神力をもった子供をつくりたいですね、』それは肥大化の一途を辿りつつあった現代機構の圧迫への著者のレジスタンスの立ち上げとも思いました。
    総括として主人公は「歪形」からの解放者なのか?「社会順化」への妨害者なのか…サスペンスという言葉の原義に愚直に従うならば読後に果たして、そのどちらかしら?という宙ぶらりんな小さな不安感に襲われました。しかも、その評価はその時々の世相により変転するのではないか?という所に本作の深みを感じました。

    戦前、戦中派の人々が漠然とした不安感としてだけしか捉えられなかった社会組織のなかの人間という現象を初めて言語化して文壇に提示したのがこれら4編です。これが世に出た事で著者は“現代作家”としての面目を躍如とさせました。
    だが、これは昭和30年代時点での“現代作家”というだけでなく令和の今日でも引き続き「現代」作家であり続けていると思いました。
    それは、これらどの寓話も発表当初の「もはや戦後ではない」時代から高度成長期…石油危機以降…ジャパン アズ ナンバーワン…更に21世紀に突入した今でも、これらの読後感は、そのまま、その時代その時代の社会潮流の水面下に投下した浮子の如く世相を推し量る物差しとしての役割も担えるかと思います。
    こうした意味で開高健のこの一冊に対しての“現代の小説”という称賛は色褪せないでしょう。
    以下に他3作品の感想を順に記します。
    〈パニック〉の読後感は場面転換が鮮やかで映画を見た様な印象でした。短編という圧縮されたスタイルがその効果をさらに高めたかと思いました。
    イタチの飼育室…ガラス張りの庁舎…晩秋の雑木林…忙中閑の夜の酒場のグラス…その間にも次第に巨大な集団と化してゆく鼠どもの不気味な予兆…このスリリングな展開の中で役所内で繰り広げられる上下左右の人間劇…やがて社会パニックへ…
    感覚的な印象が薄らいだ後に更に感じたのは、人々が医療をはじめ様々な文明の恩恵に浴している環境で暮らしている世相と、逆にそれらが脅威に曝されている時とでは読み手の作品構成への着目点に差異が生じるのでは?という事でした。
    すなわち前者の場合は作中の人間劇の方が主体となって鼠害の暗い影は後退し、後者の場合はその人間劇が長い暗く重い影で覆われるという具合です。世相、環境の違いで読後感に相違が生じるのではなかろうか?と思いました。
    〈巨人と玩具〉は巨大企業とその下の人間群像が作品の柱ですが、ここにもう一つ『たまたまガラス壁のむこうの見物人のなかに』発見されて、たちまち作中のヒロインと化す一人のモデル『京子』の存在が目を引きました。読み始めは『巨人』と『玩具』の二極のイメージだったのが巨大組織とその宣伝課に所属する主人公の『私』らと『京子』の三者並立の構図を印象づけられました。自社商品の販売競争を取り巻く、この三者三様の呻吟が本作品の推進力ですが読後感がやや寂しい印象を受けました。標題と作品冒頭の印象からして結末はもっと、読者の固定観念を覆す様な陽性な読後感が欲しかったのですが、主人公の現実逃避的な印象が残念でした。
    しかし本作を読んで驚いたのは、この発表が昭和32年…焼け野原の敗戦から僅か十二支のひと回りです。この前年の経済白書に「もはや戦後ではない」と意欲あふれる言葉が記された、その復興ぶりもさることながらその水面下にこれ程の構造の完成と“成熟”が存在していた事です。
    〈流亡記〉は全4編の内の最後に読みました。他3編には我が国内の晴朗な日射し、現代建築の外観や人物の会話などにまだしもの救いがありましたが、ここは正に不毛の異郷に投げ込まれた様な衝撃を受けました。白か黒かの両極しか許されぬ非情さに貫かれ出口のない無間地獄
    的な「閉塞」の世界を感じました。閉塞は他編にも感じましたが戦後の「島国」のそれとは異なる茫漠たる大地のそれは本作に圧倒的な迫力を付与しています。

    主人公の生まれ故郷の町は『小さくて古』く『地平線上のかすかな土の芽』と喩えうる程、卑小な存在でした。町の外周には緑色の畑の描写が僅かにありますが、それは本作を読み進む中で色彩感覚として霧消しました。結末まで黒い諧謔に満ちた歌詞が連綿と続くカントリー音楽を背景とした黄土色のモノクロ映画を見せられた印象を持ちました。自ら見たのではなく受動的に見せられたと感じました。

    舞台は始皇帝統治前後です。改行少なく連綿と続く独白体の文章に残念ながら眠気を催すこともありました…笑。これは他3編には無かった事でした。だが、それが作中の所々でハッと覚醒を強いられたのです。
    それは作者の執筆時点での、現代という時代帯の将来を見通した予言めいた真実味に富んだ洞察力、先見性の為です。初出は1959年です。
    或る箇所で、対ベトナム戦でその戦略的欠陥を露呈させた(68年以降)米国への風刺か?と思わされたからです。
    作中、時は移り秦帝国の統一的統治が始まり治安による安寧の色彩が回復したかと思ったのも束の間、帝国の兵卒らに主人公は町の男達共々、長城構築の為、辺境へ連行されてしまう。その徴集された人員は全地方から膨大でした。
    この巨大構築作業は外在する匈奴達をさらに遠く駆逐する為でしたが、彼は次第に帝国の巨大機構に心身を圧迫され、閉塞感もつのり、遂に、こともあろうに敵対する剽悍な匈奴に対し憧憬の心を抱くに至ります。
    作中この辺りの描写には70年代中期以降顕在化した流れ作業や分業の欠陥をデフォルメした物か?と思わされ、更に大帝国の微に入る統治機構は今の電脳統治を彷彿とさせます。この古代の徹底した統治の前では現代のデジタル専制も、この古代の叫びに対する新しい谺での
    返答にすぎぬのでは?とさえ思えてしまいます。

    この独白劇は終幕へ向けて匈奴への憧憬がさらに増し自らも彼らに成りたいとまでに心は傾斜して行きます。彼らは長城の外にいます。彼らの元へ馳せるのは果たして「逃亡」か?新たに開拓地目指す「脱出」か?前者は受動的であり後者は積極的行為です。
    著者のあまりの筆力に読後感を「逃げ場無き逃亡」を目指して…などという受動感覚で終息させたいのですが、これですと私にも許されぬ“未来”が待ち受けている気がして落ち着きません。それは私も作者開高健も主人公も『新鮮な上昇力に接し』て『蘇生』しなければ活路が無いからです。
    この作品を敢えて「寓話」と呼ぶのであればー私には本作にどうしても不気味な既視感を覚え寓話と呼ぶに憚りが有りますーそこに主人公の心の傾斜の推移を読み取り、それをいかに短調的曲調から長調的かつ積極性に富んだ魂に変調させうるかという知的考察力だけが『蘇生』への「脱出」を助ける唯一の活路への第一歩につながる武器になるだろう…という事、又、そうしなければ救いは無いだろう…という事を結末感想にしたいと思います。

    以上により〈流亡記〉は感想というよりは印象を、印象というよりは衝撃を受けた作品となりました。





  • 「開高健」の短篇作品集『パニック・裸の王様』を読みました。

    『ベトナム戦記』に続き「開高健」作品です。

    -----story-------------
    【開高健 生誕80年】
    甦れ、反抗期。
    偽善と虚無に満ちた社会を哄笑する、凄まじいパワーに溢れた名作4篇。

    とつじょ大繁殖して野に街にあふれでたネズミの大群がまき起す大恐慌を描く『パニック』。
    打算と偽善と虚栄に満ちた社会でほとんど圧殺されかかっている幼い生命の救出を描く芥川賞受賞作『裸の王様』。
    ほかに『巨人と玩具』 『流亡記』。
    工業社会において人間の自律性をすべて咬み砕きつつ進む巨大なメカニズムが内蔵する物理的エネルギーのものすごさを、恐れと驚嘆と感動とで語る。
    -----------------------

    芥川賞受賞作の『裸の王様』を含む4作品を収録した短篇集です。

     ■パニック
     ■巨人と玩具
     ■裸の王様
     ■流亡記
     ■解説 佐々木基一


    『パニック』は、120年ぶりに笹が実をつけたことから、その翌春に鼠が大量発生することを知った県庁の山林課の職員「俊介」が大繁殖した鼠に立ち向かう物語、、、

    前年に対策案を上申したものの、上司に握り潰され、対策を施さないまま春を迎えます… 予測通り鼠が大量発生し、農林業に大きなダメージを与えるだけでなく、穀物倉庫や赤ちゃんまでが襲われる事態に。

    住民はパニックに陥り、被害は拡大の一途を辿る… 上司たちは責任転嫁に必死になり、、、

    SFっぽいパニック作品でしたね… 題材が面白いだけでなく、上司たちが保身に走ろうとする小役人らしい姿が巧く描かれていて、面白かったですね。

    組織の中で、生き残るためにどう振る舞うべきなのか… どうすれば、最小(ミニマム)のエネルギーで最大(マキシム)の効果をあげる(ミニ・マックス戦術)ことができるのか、、、

    パニックの中でも、自分の地位を確保することを考える、人間の嫌らしさが印象に残った作品でした… 本書の中で、イチバン面白かったですね。


    『巨人と玩具』は、キャラメル販売を主力とする「サムソン製菓」の宣伝部員である「私」の視点で、キャラメルの人気が下降する中、ライバル会社の「アポロ」と「ヘルクレス」との過酷な販売競争を描いた物語、、、

    キャラメル販売を伸ばすために、各社とも知恵を絞ってキャンペーンを実施します… 子供が喜ぶものをとあれこれ知恵をしぼるのに対して、「アポロ」が母親向けに、子供が大学を出るまでの奨学金を懸賞にしたことで勝敗は決したかと思われたが。

    「アポロ」は、食中毒騒ぎであえなく撤退し形勢逆転… しかし、消費スタイルの変化による売り上げ不振が、、、

    現代のマーケティングにも活かせそうな宣伝合戦が興味深かったですね… 著者のサントリーでの宣伝部員としての経歴が色濃く反映された作品なんでしょうね。


    『裸の王様』は、裕福だが家庭をまったく顧みない父親(「大田絵具」の社長)と、その後妻に育てられ、感情の発達が著しく疎外されている少年「大田太郎」が、主人公で絵画教室講師である「僕」による独特の指導によって、子どもらしい感情を取り戻して行く物語、、、

    「僕」が周囲を見返すエンディングはスカッとしましたが、ちょっと物足りない感じ… 子どもを教育するうえでの理想には共感できましたね。


    『流亡記』は、中国が初めて一人の皇帝に支配されるようになった秦の成立前後を、一人の庶民の目から描いた作品、、、

    万里の長城の建設のために地方の町から徴用されてきた男の独白による物語… 弱者である半農半商の庶民が、強者に抗することができず、その無謀な命令に翻弄されざるを得ない徒労の日々を淡々と語ります。

    歴史の歯車にさえなれない男の悲劇的な人生が描かれていましたが… 改行が少なく、文字がぎっしりと詰め込まれており、読むのに疲れましたね。



    どの作品にも共通しているのは、清く明るく元気よく、乗り越えることができそうにない困難な問題にがむしゃらに取り組む聖人君子のような英雄は登場せず… 計算高く利己的で、様々な欲求を満たそうとする、狡猾な人物が登場することかな、、、

    ムッとする体臭を感じるほど、リアルな人間像… 人間の誰しもが持っている闇の部分、暗部を巧く表現してあると感じました。

    人間って、純粋であれば純粋であるほど、惨酷な面があるんだなぁ… と感じましたね、、、

    自分の中に潜む闇について… 自分にだって、そんな部分があるんだよな と、考えてしまいました。

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著者プロフィール

開高 健(かいこう・たけし):1930年大阪に生まれる。大阪市立大を卒業後、洋酒会社宣伝部で時代の動向を的確にとらえた数々のコピーをつくる。かたわら創作を始め、「パニック」で注目を浴び、「裸の王様」で芥川賞受賞。ほかに「日本三文オペラ」「ロビンソンの末裔」など。ベトナムの戦場や、中国、東欧を精力的にルポ、行動する作家として知られた。1989年逝去。

「2024年 『新しい天体』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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