- Amazon.co.jp ・本 (442ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101131061
感想・レビュー・書評
-
誇大妄想気味の祖父が建てた精神病院と、作者の一族をモデルにした楡家の物語。
フィクションとはしているけれど、作者の実体験も相当入っているはず。一族の人たちの個性爆発な様子がすごいけれど、これも作者の一族の人たちが本当にやったことがモデルになっているんだよなあ、色々すごい一族。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今は、賞与式のところまで読んだ。
楡基一郎に関するとても多くの人が出てくる。
その人々についての描写は、同じ職場の人を認識するくらいにとどまっていている。
それは、社会でそんなに関係の深くない相手と共に生きていく日々に近い小説なのかもしれない。
私が多く読んできた小説は、もっと登場人物が少なく、ひとりの内部や関係する人との間のことを描いていた。
そういう濃密な小説は、ものすごく個人的である故、日常からは離れて、関係の深くない相手と共にいる日々の感覚ではない、夢、幻想、ロマンティックが生じるのかもしれない。
そのような小説とは違い、もっと広い関係を描いているところが特徴的。
その特徴で、何を描き出そうとしたんだろう?
p107、何も変わらないと執拗に記してある。
ここで、大体の紹介が終わった感があり、各個人にもう少し深く描写されていく。
楡基一郎が、常にニコニコして、外で塀を塗る作業するものにまで、ご苦労ご苦労と労いの言葉をかけるのは、政治家的なふるまい。
この人が苦手とか、話しにくいなとか、避けたいなとか、そういう個人的なものを覆い隠しているのか、それとも全くそういうことを感じないのか、知らないが、そうなれたら良いんだろうか?
徹吉と基一郎の違いに、このようなことが表れているようにも見える。
患者さんを陰でも決して呼び捨てにせず、患者さんと言いなさい、それは人道主義というよりも商業主義であった。(p388)
【嘉納】かのう
人の箴言(しんげん)、意見などを喜んで聞き入れること。
【深甚】しんじん
意味や気持ちなどが非常に深いこと。
【こけおどし】
愚か者を感心させる程度のあさはかな手段。また、見せかけはりっぱだが、中身のないこと。
【甚六】
長男や長女がだいじにされてのんびりと育てられ、これといった才能もなく、また努力もしないで家禄を相続できたため、他の兄弟姉妹に比べてうすぼんやりしているさまをあざけっていった。転じて、うすぼんやりした人やお人よし、愚か者をいう。
【莞爾】かんじ
にっこりと笑うさま。ほほえむさま。
【縊死】いし
首つり
【慫慂】しょうよう
そうするように誘って、しきりに勧めること。
【鎧袖一触】がいしゅういっしょく
相手をたやすく打ち負かしてしまうたとえ。弱い敵人にたやすく一撃を加えるたとえ。鎧よろいの袖そでがわずかに触れただけで、敵が即座に倒れる意から。
【蹉跌】さてつ
物事がうまく進まず、しくじること。挫折。失敗。
【僥倖】ぎょうこう
思いがけない幸い。偶然に得る幸運。
【オーソリティー】authority
専門の道に通じて実力をもつ人。大家 (たいか) 。権威者。
【糟糠の妻】そうこう
貧しいときから連れ添って苦労をともにしてきた妻。
【輻輳】ふくそう
四方から寄り集まること。物事がひとところに集中すること。
【利殖】りしょく
利子・配当金などによって財産をふやすこと。
【陥穽】かんせい
人をおとしいれる策略。わな。
【朴念仁】ぼくねんじん
無口で愛想のない人。また、がんこで物の道理のわからない人。わからずや。
【瑕疵】かし
きず。欠点。また、あやまち。
法律で、通常あるべき品質を欠いていること。
【睥睨】へいげい
にらみつけて勢いを示すこと。
【恬淡】てんたん
欲が無く、物事に執着しないこと。
【箸にも棒にもかからぬ】
どうにも取り扱いようがない。手がつけられない。また、なんらの取り柄のない者のたとえ。
【馥郁】ふくいく
よい香りがただよっているさま。 -
ホテルのビュッフェみたいな作品。新しさ、面白さ、文章の美しさ、読み応え、あらゆる食に関する欲求をこの本は満たしてくれる。
病院ってのはすごいところだ。金と力と名声の集積地だね。祖父母が商売をしていたので分かる気がするけど、いい思いをすればそれが起点になるわけで、そうなるとマラソンの記録みたいにベストを更新していかない限り満たされなくなる。つまりいい思いをすればするほど「いずれ不幸になるかも」と感じる神経が鈍くなってより反動が大きくなる。楡家の人々は、基一郎に与えられ過ぎた分、不幸になっていると言い切っていいと思う。戦時中であることを差し引いても。
それにしても虚構に見栄を厚塗りしたような楡家の人々を清々しいほど滑稽に表現する作者の心意気は、実に痛快そのものだった。普通に表現すればいいものをあえてボロカスに言いまくるあたり、術中にはまった感あるけど本当ににやけるほどに面白かった。
上巻から印象的だったのをいくつか抜粋
・大理石まがいの人造石を貼り付けた壁は白々と輝き、摩訶不可思議の塔は天を目指して屹立していた、その見せかけの絢爛さのみを狙ったごしゃまぜの不統一が、元より院代に分かるはずはなかった(43項)
・龍子はあくまで楡家の、基一郎のマニアじみたはったりとひさの目に見えぬ古い血の織りなせるあやしげな意思に操られている女なのだ(75項)
・しかし龍子はそんな言辞に耳もかさなかった。ケーエヌ丸と中腰の突っ張りが、すっかり彼女の意識を占領しまっていることは明らかだった(379項)
・あの人の症状ときたらそれこそとんでもない。なにしろ夜に寝ていて、急に呼吸ができなくなるっていうの。もちろん神経だわ。それで背骨を叩いて、それでようやっと呼吸ができるって言うんだから。金魚なんか水の中でも呼吸してるわ。(397項)
-
親から「北杜夫の面白く無いやつ」と言われて、ずっと敬遠してきたけど、ここで読まないと一生読めない気がしたので手を付けることに。
楡脳病院(精神科専門病院)において、楡基一郎というエキセントリックな創業者と、その子供(養子)らの人生の悲喜こもごもを描く。
結構ぶ厚い上巻ではあるが、最初から真ん中辺までは、登場人物の人となりが順に説明されつつ、ホンの少しずつストーリーが動くが、基一郎以外の人物が軒並み地味であり、当然退屈である。
真ん中辺りで、二代目院長でもある徹吉の留学から関東大震災、喜一郎の死まではドラマチックに展開するのだけど、聖子、龍子、桃子の段で退屈な分に戻る。
というか、「大変なことになったのである」から、何が起こったのかまで10ページ近く引っ張られるのが、ドラマチックなところ以外で散見され、明らかに「ふざけている北杜夫」が時々見受けられるので、正直嫌な気分になるところがある。
話自体は父である斎藤茂吉かその上の代かはわからないが、実際にあった話を盛り込んで書かれているのであろう。ディテイルは非常に興味深いし、長編の割に息切れもせず上巻が終了したので、文学としてそれなりの価値は有るだろう。
ただ、ふざけている北杜夫がすけて見えてしまう読者には、非常に読むのが辛い1冊である。下巻につづく。 -
東京の楡病院とそこで生活する人たちの話。院長である一家の大黒柱基一郎の影響を受けた子女の奔放な生き方に婿や嫁は馴染めない。2015.5.13
-
北杜夫追悼。 10月に亡くなった北杜夫を偲んで。 珍しい小説作法である。 この小説の主人公はしいていえば、三島由紀夫が「大いなる俗物」と呼んだ初代当主の楡基一郎だろうが、それ以外の人物(例えば長女の龍子)も等価に描かれており、また作中には視点人物もいないために、読者にとって感情移入がきわめて困難である。いや、むしろそうした感情移入を阻むことにこそこの作品の方法があったのだろう。 すべてが客体化されているのだ。
-
大河
-
楡家と謂う玩具箱の中に詰め込まれた、高級を装う滑稽な玩具達の物語。喜劇なのか悲劇なのか。。総評は下巻読了時にて。
-
「これが本当に50年前に書かれた日本の小説なのか ほとんどラテンアメリカ文学 描写の大袈裟/飛躍/風通しの良さ」byいそけん
-
12.6.6~