恍惚の人 (新潮文庫)

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著者 : 有吉佐和子
  • 新潮社 (1972年5月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (437ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101132181

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恍惚の人 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • これが、40年以上も前に書かれた本だなんて。
    名作は年月が経っても色褪せないように、時代を感じさせても古臭さを一切感じさせない1冊でした。
    「愛」と同じく「老い」というのは、時代を越えて語り継がれる普遍的なテーマですよね。

    中でも焦点が当てられているのは、「認知症」について。
    300万人以上の認知症高齢者がいる現在、65歳以上の10人に1人は認知症だと言われています。その割合は年齢が上がるにつれ増えていき、85歳以上の4人に1人は認知症なのです。寿命が長くなればなるほど、避けては通れないのが認知症に関すること。
    それを40年以上も前に取り上げ、社会に大きな影響を与えた著者の功績は大きいですよね。

    とはいえ、私は最初この本に対していいイメージを抱いていませんでした。
    認知症というとネガティブなイメージを抱く人が多いですが、この本こそが認知症のマイナス面ばかり取り上げ世間に広げた本、という誤った認識を持っていたのです。
    衝撃的な書き出しから始まりますが、この本は真摯に老いる人、介護をする人、そしてそれらを取り巻く社会について向き合い描き出した1冊だったのです。

    介護保険が始まり15年ちかく経ち、介護の社会化も随分進みました。それでも希望する人がすべて施設入所できるわけではなく、むしろ私たちは限られた財源の中、地域で包括的にケアしていく道を歩んでいくようになります。
    仕事柄認知症の方と接する機会が多いですが、人はその人が生きたように老いていくのだと感じます。私もいつかは、老いてかわいいお婆ちゃんになりたい。

    本書で登場するような働く嫁と介護の問題、施設入所を希望してもできない現状、徘徊への対応など課題は今もなお残されていて、超高齢社会を生きる私たちにとって、「老い」は避けて通れないものであるからにして、早いうちからしっかり向き合っていきたいものですね。全ての人に1度は読んで欲しい1冊でした。

  • 姑が亡くなり、残された痴呆症の舅・茂造の介護から看取るまでの話。
    この時代(昭和47年頃)まだ社会的な介護システムはなく、老人ホームも少なく、
    多くの場合、高齢者の介護は嫁ひとりに押し付けられていた。

    主人公である嫁・昭子は、この時代には珍しい「職業婦人」だ。
    今日のように家電が充実していないので、
    週末は1週間分の掃除・洗濯・翌週の食事の下ごしらえと忙しく、のんびりする暇もない。
    そこに持って来て介護の上積み。
    茂造の息子である夫は、全く我関せず。
    痴呆の発症以前は昭子をいじめ抜いた茂造だったが、
    自分の面倒を見てくれるのは、昭子しかいないという本能が働くのか、
    彼女の後ばかり追廻し、息子のことは認識もできない。
    添い寝・風呂・下の世話と、大嫌いだった茂造の世話が迷惑で堪らない昭子だったが、
    ある事をきっかけに、茂造を生かすことに自分の使命を感じるようになる....。

    現在、法的な介護システムの整備が進み、施設が増えたといっても、
    それにも増して高齢者の増加が著しく、入居まで何年も待たねばならないと聞く。
    訪問ヘルパーも導入されてはいるが、やはり在宅介護で嫁の肩にのしかかるものは大きく、
    根本の問題は以前と何ら変わりないように思う。
    この時代に問題提起した作者の先見の明には驚くばかりだ。

    ずいぶん前に同作者の「非色」を読んだ時に、襲いかかる数々の困難に屈する事なく、
    女性が逞しく、力強く生きて行くストーリーが一番好きだとはっきり自覚した。
    本作の主人公・昭子も同じく、介護を通して人間的に成長し、強く温かく変わっていく。

    「血は水よりも濃い」と言うけれど、人生の最終章で大切なのは血ではなく、
    愛なのか情なのか分からないが、その人に対する深い思いではなかろうか。
    茂造の死で泣いたのは、昭子ひとりだった。

  • 姑の突然死により、痴呆の舅の面倒を看ることになった女性。

    徘徊癖のある舅のため夜は添い寝。
    毎晩外でする小便につきあう。
    入れ歯を取り外して洗う。
    果てには下の世話まで。
    兼業主婦である彼女の肩に全ておいかぶさってくる。

    この小説はかなり昔の小説で、時代は戦後の昭和。
    面倒を看る嫁は大正、舅は明治生まれ。
    今の人間とはかなり感覚が違うだろうけど、ここまで出来るだろうか?と思った。
    主人公の女性は本当に優しい人だと思う。

    姑が無くなったその瞬間から、彼女は葬式の手配から親戚への連絡、舅の世話と全て家の事をこなしてきた。
    その間夫は感傷にひたっていただけ。

    途中彼女も疲労とストレスで夫にその事をなじるが、普通ならもっと早い時点で夫を責めてただろうし、そこまでもしないだろうと思った。

    面倒を看てもらう舅は頭がハッキリしていた時は気難しく家族から嫌われていた。
    ボケた方がまだマシだというのを見て、はぁ~という感じだった。
    ボケた舅が認識できたのは嫁と孫だけ。
    それで孫(主人公の息子)がなるほどと思う事を言っている。
    「犬だって猫だって飼い主はすぐ覚えるし忘れないんだから。自分に一番必要な相手だけは本能的に知っているんじゃないかな」

    あとこの小説では、今と違って近所のおばあちゃんが一緒に老人ホームまでつきあってくれたり、家に痴呆老人がいることをスーパーなどで立ち話できるのが何となく救われた。
    今ならこの状況、短絡に殺人とか自殺といったところまで話が飛びそうだけど、どこかのんびりした雰囲気を感じるのは時代のせいかな?と思う。

    最近車に毎日乗らなくなってから、私の車はあちこちガタがきました。
    最初は原因不明の電気系統の故障。
    次はブレーキ。
    そして、今は雨になるとエンジンの調子が悪く、ブレーキをかけて止まる度にエンジンも一緒に止まりそうになる。

    この「恍惚の人」に正に同じような文章が出てきます。
    「人間は頭でも躰でも動かしていればいたむのが遅いんですよ」
    車も人間も同じ。
    使わないところからサビがくるのかな~。
    そう思えば歳とっても働ける内はせっせと働こうと思いました。

  • 有吉佐和子本をいろいろ読んでいても、痴呆症がテーマということを聞いてなかなか手が出せなかった本。意を決して読んでみたら、さすが有吉さん、暗さ一辺倒の本ではありませんでした。

    私が有吉さんの本が好きな理由としては、ちょっと前の時代のイキイキと働く女性の姿に共感できるから、というところがあるんだけど、まさかこの本でも主人公が働いているとは思わなかった。40年近く前に書かれたこの本の中で、主人公の昭子は働きながら家事をこなしています。昭子は「うちの家計に余裕があるのは私が働いているから」と自負していてデパートで高級な冷凍食品を買ったりするけれど、夫の信利は「あいつは好きで働いているだけ」と、昭子の働きを評価しません。また昭子は「家事と仕事の両方をこなすためには、文明の利器はフル活用しなきゃ」と当時まだめずらしい冷凍庫付き冷蔵庫や洗濯乾燥機を駆使して毎日を乗り切っています。・・・これってなんだか、つい良い食材を買っちゃったり、ルンバを買ったりしてる働く現代女性と同じじゃないすか!すごく親近感が湧いてくる描写でした。でも小説の中盤で彼女の仕事がタイピストだと知り、ああ、今はない仕事なんだなーーーと感慨深いものがあったり。

    そうこうしているうちに、舅はどんどんボケていくのですが、信利はまったくヒトゴトモードで手伝いなんて何もしてくれません。もう、信利には腹立たしいの一言であります。そして、赤ちゃんがえりした舅に「あー面倒くさい。早く死ね!」と、つい思ってしまうのですが、物語の意外な終わり方を見届けた後では、ああ、痴呆の介護ってそんな単純な問題ではないよね・・・と短絡的思考の我が身を反省いたしました。ごめんなさい。

    大変な状況を乗り切った昭子には、賞賛の言葉がかけられるべき。なのに、当時は全然そんなことなくて、そんな扱いが当たり前だったんだよね。切ない。せめて私から、「大変だったね!40年後のいま、介護をめぐる行政サービスはそれほど変わっていないけれど、夫たちの協力する姿勢は少しは改善しています。そして高齢化社会は予想通り加速し、世の週刊誌は毎週毎週介護特集ですよ」と慰めの言葉をかけてあげたいです。

    そして、痴呆症を陰の存在から、みんなの共通する話題へと引き上げてくれた有吉さんは、ほんとにすごい人なんだなーと思う次第です。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:913.6||A
    資料ID:95080133

  • 1972年に出された本とは思えないくらいである。解説に、高齢者福祉はまったく進歩していないのかと書かれているがその通りかもしれない。
    年をとると幼児化するというけれど、幼児は可愛くても年寄りは可愛くないのか、厄介者扱いか。
    悲しいかな、本当の家族より、血の繋がらない家族のほうが、現実をドライに、かつ情を失わぬまま、受け入れられるのかもしれない。
    非常によく書かれた本だと思う。
    映画化されるほどのヒット作品だったようだが、出会えてよかった。

  • うちも祖母が認知症なので、痴呆老人を抱える家族の大変さや苦労が痛いほどよくわかりました。といってもまだうちの祖母はヘルパーさんに来てもらいながら1人暮らしができる程度の痴呆なので茂造程悲惨な状態ではなく、口だけ達者な門谷家のお婆さんにそっくりです(笑)
    40年も前に描かれた作品なのに、何もかもがリアルで、老人福祉の問題は40年たってもなんら解決も進展もしてないないのだなぁと改めて感じました。
    作中信利がさらりと「殺せばいいだろう」みたいに言うシーンが衝撃的で忘れられません。実の親にそんな台詞を吐いてしまう、吐かずにはいられない、その気持ちはどれほどのものか。わたしはまだ作中で言う孫の敏の立場なのですが、それでも今の祖母の姿が将来の母やわたしの姿なのかと思うと暗澹とした気持ちになりました。目を背けていたいけど、いつかは誰もが向き合わねばならない問題だと思います。

  •  久しぶりに義母の蔵書から一冊。老い、介護、そして人生の終いかたについて・・四十路を迎えて他人事ではなりつつある今、重たく、生々しい話にもかかわらず、ぐいぐいと引き込まれ、読み応えのある作品でした。

     長男の嫁 昭子は、姑を突然亡くす。それもいつもとかわらない様子で美容室へ行って戻った途端に。きれいなままで、長患いもせず逝けるなんて・・なんと理想的な人生の幕の下ろし方!!
     それと同時に、80歳を過ぎた舅の”もうろく”が発覚し、仕事を続けながらの介護生活が始まる。(そう言えば”もうろくじじい”なるフレーズがあったなぁ。もうろく→呆け→痴呆症となるんだ)
     
     嫁に来てから苛め抜かれた舅の介護に、一時は絶望し辟易しながらも
    「生かせるだけ生かしてやろう」と決意するくだりは、神々しさを感じた。
     懸命に介護する昭子に対し、夫つまり実の息子は、親の姿に衝撃を受け、そこに未来の自分の姿を重ね、背を向けてしまう。(なるほど、そうなのかもしれない・・・うちのご主人様もこの人種かも、覚悟しとこ。)

     何より驚くのは、この小説が書かれたのが昭和47年だということ。施設介護への理解など、多少の状況の違いはあるものの、今の時代に読んでも読み応えがあるとは・・。

     「こんなになってまで生きながらえたくないな・・」と私だけでなく、誰もが思うだろうけど、いよいよ死期が近づいていくと、その舅が「生きながら神になる」と思えてくるらしい。人生の終いかたとは、幸せとは、どんな形が
    理想なんだろうか・・わからなくなってきた。
     誰もが行く道、ゆっくりと時間をかけて模索あるのみ・・かな。 
     

  •  まず登場人物の生々しさにショックを受け、これが誰にでも(もちろん私にも)起こりうる現実だという圧倒的な実感に戦慄し、さらにこの問題を「少子高齢化」や「認知症」が社会的に問題になる40年以上も前に見通して小説の題材として取り上げた方がいらっしゃったことに驚愕・敬服しました。
     老若男女を問わず、なるべくたくさんの方に読んでいただき、著者からの警告を自分のものとして認識していただきたいと強く思った作品でした。

  • -「僕がどうして機嫌よくしていられるんだ。僕の人生の延長線上に親父が立ちふさがって、お前もやがてこうなるんだぞと威嚇してるんだぜ。こうやって親父を身近に眺めていると僕の体から蟇の油が滲み出るような気がする。やりきれない。実にやりきれない。」(P128 信利)

     この作品は有吉佐和子が書いた介護文学の古典的名作です。初版は1972年に刊行されましたが、発売された当時はベストセラーとなり、後の高齢者福祉政策にまで影響を与えました。

     この作品では認知症の舅を介護する嫁の姿を通して、認知症高齢者の実態や家族介護での苦労や葛藤が描かれています。特に、介護する家族の気持ちが克明に描かれていおり、読者が容易に追体験できる内容になっています。
     例えば、冒頭の引用は夫(舅の息子)信利のセリフです。父親の変わり果てた姿を受け入れる事ができず、父親と自分を重ね合わせ、血の繋がりと老いから逃れられない恐怖を感じています。また、介護負担を強いている妻に対して負い目も感じているのでしょう。最後の「やりきれない」というのセリフは、これらの複雑な心境を表す端的な一言だと思われます。

     この作品が出た当時はまだ介護保険制度がまだ施行されておらず、認知症も痴呆症と言われて理解されていなかった時代です。しかし制度や名称が異なっている他には、現代の認知症にまつわる話と何ら変わりありません。言い換えれば、老人性認知症の核心が描かれているということです。また、今でも解決されていない問題もあります。是非この本を読んで昔と今を比較してみてください。

  • 世代間介護が話の主なテーマになっている。
    重要なのは、この話が書かれたのが昭和40年代で、今ほど「介護」や「認知症」が言葉として浸透していなかった時代、だということにあると思う。
    今では高齢社会として、介護の問題は避けて通れず、「ウチは大丈夫」などと他人事としては捉えられないところがある。そうなるまでに関心を高めたものとして、『恍惚の人』があるのだろう。

    そして、家族内で要介護者が出た場合、それに従事するのは大概「女性」であるということを、明確に「文学」という表現手段で打ち出したことも。
    「女性社会」と一部でささやかれる昨今でも、やはり「共働き」で不自由な思い(女は家庭に入るべきだ、や収入が夫よりも多いことを口には出せない風潮)をする女性は少なくない。まして、『恍惚の人』の昭子は戦争体験者である。その年代に家庭があり、また職を持つ、昭子は珍しい部類だったことは想像にたやすい。現に、作中では舅に「職業婦人」とからかわれ苛め抜かれた、という話がある。
    そんな女性の「ジェンダー」をも、リアルに打ち出している。いろんな角度から見て、そのどの方面からでも、この作品は怖ろしく現実的な問題を正面から捉えている。
    介護は決して自分と関係ないものではない。生きている限り付きまとう、そしてできることなら直視したくない問題。

    「老いの恐ろしさ」を世間に与えた、とされるのが実際に読んでみてよくわかった。
    現代の高齢社会を既に知っていたような、有吉さんの切り口、問題提起、明文化の鋭さには言葉もない。

    そして、この要介護状態となった舅・茂造は、亡くなった私の祖父に似ていた。そのことがこの小説にわたしが現実感を見出すことになったのだと思う。ほんとうによく似ている。

    そして、タイトル。
    認知症のせいか、どこか遠くをみつめている茂造の表情を「恍惚」と表現した、的確さ、なにより斬新さ。これほどにあてはまる言葉があるだろうか。

    息子の名前すら忘れてしまった、美醜や空腹しか覚えぬ老人の、快不快でしか判断できなくなった、幼児のような老人は「恍惚」以外の何ものでもない、気がした。

  • これも時折読み返す本。
    時代を先取りしたかのような内容。
    誰の身近にも起こりうるものであるし
    息遣いまで聞こえそうな表現。
    有吉佐和子は本当にすごい人です。

  • 年をとることについて

  • 資料番号 : 00010391
    請求記号 : 913.6||SHI
    配架場所 : 新書/文庫コーナー
    NCID : BA67069710

  • 自分と両親の老いの準備のため読んだ.社会問題をえぐり出す告発型の小説かとおもひきや,けっこう大変なはずの介護がわりと飄々と描かれていて,先が気になり,私には珍しく一気に読んだ.

  • 昭和47年に書かれた本なのか。今も全然状況は変わってないなぁ。子供達に面倒をかけ無いか心配。

  • 人は誰でも年をとる。誰でもがボケるわけではないが、親がそして自分がボケたときどうするか、考えさせられる小説である

  • 現代の介護事情を持って読むと、夫が全く役に立たず、本当にイライラする。
    介護は実子であるというのが近頃の常識である。
    時代が時代なのか、嫁は義父の面倒を本当によくみるので、素晴らしいと思った。
    大人用のおむつを買う場面で嫁が困ってしまう描写があるが、現代では介護用品は充実しているので、本書の時代よりも介護しやすい環境にはなっているだろう。
    ただ、自分の身内が認知症になってしまったことについての悲しさ、これからどうしたら良いのかという心配ごとは変わらないと思う。
    現代でも十分共感を得られる本だと思う。

  • 今では当たり前に言われている高齢化を描かれた作品が当時社会的に取り上げられたのは、多くの人にとってその避けられない未来図を想像させる、生々しい描写にあったであろう。突拍子もない痴呆者の行動が恐ろしく、読んでいてしばしば、自分なら…と置き換えて考えてしまう、痴呆者及び介護者の両面から。自我を失うという、こんなにも恐ろしい現実と、それに肉親という立場で向き合わなければならない酷さと。
    なるべく痴呆にならないような生活習慣を身につけるよう決意を新たにするきっかけとなる一冊ですね。

  • 老人の認知症とそれを介護する家族の問題に切り込み、社会に大きな衝撃を与えることになった本です。

    ある日、舅の茂造の様子がおかしいことに気づいた昭子は、夫の実家で姑が亡くなっているのを発見します。そしてそのとき初めて彼女は、茂造が認知症を患っていることに気づきます。昭子は法律事務所でタイピストの仕事をしていましたが、茂造の世話が共働き夫婦である彼女たちの肩にかかってくることになります。夫の信利は、息子である自分のことさえも分からなくなっている父親の姿に自分の老い先を重ねて塞ぎ込むばかりで少しも当てにならず、昭子は夜中に何度も目を覚まし、少し目を離している隙に家の外に飛び出してしまう茂造に神経を消耗していきます。

    厳しい介護の現実に迫った作品だと覚悟して読み始めたのですが、ところどころにユーモアが含まれていて、考えさせられる内容でありながら、むしろ落ち着いた気持ちで読み進めることのできる作品だったように思います。

  • 認知症のことを「痴呆症」「老人病」と呼び、世間に病名が知られると恥ずかしいと思われていた時代。今のように介護保険制度なんてなかった時代。そんな時代の認知症の在宅介護を描いた小説。もちろん今と比べたら「古い」と感じる部分も多いが、老人福祉や自身も迎える老いについてなど、色々と考えさせられる場面は多く、面白く読めた。

  • 40年以上も、前の作品なのに…全く古く感じる事なく、と言うか老人問題が全然解決していない!!寿命が伸びた事や増加も、あるが酷くなっている現状を鑑みればこの本がどんなに大切か解る!!私達自身が教科書として若い時代に読むべき価値が、あると思う!!

  • 今でいう認知症よ家族を抱えた場合の、リアルな話。いまでこそ整っている部分があるが、当時は自宅介護が主流で、かつその役回りもお嫁さんがやるもいう、なんとも、一方的な環境。
    色々考えさせられる。

  • 姑が亡くなった後、急激に認知症が進んだ舅の介護と家族の物語で、
    昔はどうも読む気にならず今頃になって読んだのですが、
    今でよかった。
    これは若い時に読んでもぴんとこないだろうなと思います。

    主人公は当時だと珍しく職業をもった女性で、舅姑、夫と息子の5人家族。
    仕事を続けながら自分を苛めてた舅の下の世話までする事になった、
    主人公の覚悟や誇りは心に響きます。

    主人公の家は金銭的にも余裕があり介護の期間も一年程度。
    世間から見ればまだ楽だったほうであろう。
    それでも大変な事にかわりなく、
    まして舅の下の世話まで出来る人がどれだけいるでしょう。

    死は必ず誰にでもやってくるけど、老い方は人によって様々。
    老いは決して悪いものではないと思っています。
    しかし壊れてしまったらどうすればいいのでしょう?

    家族の老い、自分の老い、看る側、看られる側。
    色んな側から考えさせられます。

    重い暗いテーマを凛とした覚悟で描ききった真摯な本だと思いますが、
    なんかあまりにもリアルすぎて小説としての読後感より、
    いずれ必ず来るであろう色んな心配ばかりが頭を占領してしまいました(困)

  • 有吉佐和子さんに再びはまって『恍惚の人』を読んだ。
    最初から、これは代表作だと知っていたので早く読もうと思えば読めたけど、学生の頃に読んでいてもこの介護の壮絶さに心入れることはできなかっただろう。

    話の中でも、主人公の昭子たち夫婦が親の老い、そして介護を目の当たりにして自分たちの老いを恐れることができても、昭子の息子の敏(高校生)にはできないように。

    怖いよ~とっても怖かった。でもこの本戦後の設定になってるけど、日本の高齢化社会問題の状況はさして変化がないと見た。認識はされてるから知識はもっていても、それぞれの家庭が抱える問題は引き続き同じ重さである。

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