- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101132587
作品紹介・あらすじ
五十年前に突然姿を消した恋人を探してほしい。末期ガンの母・美月からそう懇願された。将来を誓いあった東北大生だったという。東京で恋に破れ、故郷函館でひっそり暮らしていた李恵は母の願いに応え、男の行方を捜し始める。史上最大級の海難事故・洞爺丸遭難が、人びとの運命に打ち込んだ楔とは。現代と過去、母娘の恋が交錯する。『海猫』『余命』を越えた、恋愛小説の最高峰。
感想・レビュー・書評
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人生でも仕事でもパートナーであった男との関係が破綻し、母親が病に倒れたこともあり、東京から実家のある函館に戻ってきた李恵。そこで、母親から昔好きだった人を探して欲しいと頼まれる。娘にとって、母が女である部分を見せられるのは複雑だろうが、次第に理解できるようになっていく。余命いくばくかになった時、そんな思い出がある事は幸せなんだろうか。それとも、それまでずっと抱えてきたであろう思いは、とてつもなく重く苦しいものだったんだろうか。
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末期ガンの母から昔好きだった男性のことを探して欲しいと頼まれたら、張り切って力になろうとするだろうな。最期に願いを叶えてあげたい。残念な結果だったけれど、何もわからないよりはいいのかもしれない。
いつまでも忘れられない人というものがいるというのは素敵ね。 -
ストーリーは東京で仕事と恋人を失って故郷に帰ってきた娘(李恵)が余命幾ばくもない母の願いを叶えてあげるという話。
母の願いというのが、昔の恋人だったひとを探してほしいというもの…。
はじめは嫌悪感を感じていた李恵も、古賀との出逢いや母の気持ちをしり、昔の恋人を探しはじめる。
面白かった。
函館に行ってみたくなるくらい描写の表現が、うまいと思いました。
母(美月)の「好きだったひとを葬り去る必要ある?」って言葉が一番印象にのこりました。終盤はとても切なくなりましたが、心が温かくなる終わりかたでした。 -
読み始めた途端に、強く惹きつけられて一気に読まずにいられない。私にとって、そんな作家の1人。今回もそう。舞台が北海道なのも、人を強く愛する物語であることも、いつもどおり。満足。
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なんか素敵なお話だったなぁ。(*^^*)
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長年の恋を終わらせ故郷に帰った娘と、末期がんで人生の終わりが近づいてきている母の交流が胸に沁みます。
母親の結婚前の恋人を探すことを約束したのはいいものの、その母親の女だった部分に触れ、戸惑いや苛立ちを覚えたり、母の歩んだ人生を推し量ってみたり。
等身大の主人公が良かった。
「海猫」でも思ったけど、函館の街の描写が綺麗で、行ってみたくなった。
作中で出ていたイカの刺身が食べたい!
本当にそんなに旨いのか? -
仕事も恋も失って、東京から函館に戻ってきた李恵。待っていたのは一人で暮らす末期がんの母だった。
故郷であるはずの街に馴染めず、久しぶりの母との生活にも戸惑う李恵に、母は突然姿を消したかつての恋人の存在を告白する。
思いがけない母の話から初めは逃げ出そうとする李恵だが、自身の心が少しずつ前向きになるにしたがって、母の恋人を真剣に探そうという姿勢に変わってくる。二人の心が寄り添うにつれ、次第に見えてくる恋人の行方。決して明るい結果ではないのに二人の物語としては最後はほっと灯が灯るような読後感だった。 -
谷村志穂氏らしい淡々とした語り口のしなやかに生きる女達をモチーフにした一作。
昔の恋の真相を追い求める母と過去の恋を振り切り新たな人生を模索しようともがく娘。
どちらの気持ちもなかなかスッパリと思いきれるものではない。 -
人をまっすぐに愛することの難しさと
人間の弱さと強さを感じることのできる本でした。
涙が出るほど切ないわけでは無いけど、
胸の奥がジワリと滲むような感覚に襲われました。
私も母とこんな話がしたい
そして母が書く「手紙」が欲しいと思いました。
今の時代メールなどで済ませる事が多いけれど、手紙は残るし、筆跡というものはとても温かみのあるものだと再確認できる本でした。 -
150406
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物語の舞台になっている函館の街に行ってみたくなった。
函館山や市電、消え去ろうとしている洋館などは勿論なのだが、佐藤泰志の作品とも共通するどこか他の都市とは違う時間の流れ方、田舎の長閑さとも微妙に異なる日本の近現代の歴史と連なりながらもゆっくりと時を咀嚼して噛みしめてきたような雰囲気がある。半世紀前の母親の過去と娘の現在が交錯して織りなす物語の舞台として函館の街はとても似合っている気がする。
書店でこの文庫本を見かけたとき、正直いって手に取るのを少し躊躇った。今までこの書き手の作品は2冊読んでいて、最初に読んだ『黒髪』が「渾身の」といってよい大作だったのに、扇情的なといったら聞こえはいいが、要するにオジサンの劣情をそそるような表紙につられて次に買った『雀』は、正直まあ悪くはないがという程度の満足感しか得られなかった。私にとって、一勝一敗とまではいわないが、一勝一引き分けぐらいの作家だった。
それで本作は、なのだが昨日買って読み始たら予想とは違って帰りの電車を乗り越しそうになり、そのまま家で一気に読み通してしまった。要するにすごく面白かったのである。
末期癌の母親が、50年前に姿を消した恋人を探して欲しいと娘に懇願するところから転がり始める話の筋は、函館に生きた一人の女の隠された過去の真実を追うという展開で『黒髪』とあい通じるものだ。この書き手のライフワークででもあるかのような一種の気迫を感じる。
青函連絡船の長い歴史とその終焉や、昭和29年の洞爺丸の悲劇は函館の街を舞台とするときに避けては通れない必須のモティーフなのだろうか。佐藤泰志の作品集に収められていたエッセイでは、佐藤の両親が青森函館間で闇米などを背負って行き来することを生業とする「担ぎ屋」だったことが回想されているが、驚くべきことに毎日欠かさず連絡船に乗船していた両親が洞爺丸の遭難の日その日に限って嫌な胸騒ぎがして乗船券を他人に譲って洞爺丸に乗らずまったくの偶然に難を逃れた事実が記されていた。生前は小説家として脚光を集めることのなかった佐藤が(没後暫くして人気が爆発するのを知らずに自殺するのだが)、なぜこんなにも劇的な両親のエピソードをネタにして小説を書かなかったのか、勿体無い気がしてならない。一方で、この『尋ね人』では完全に逆のシチュエーションでの悲劇が物語の鍵になってもいる(ネタバレ回避のため詳述できませんが)。
2014年のノーベル文学賞はパトリック・モディアノが獲った。この小説とタイトルがよく似た『1941年、パリの尋ね人』で、パリで捕まりアウシュビッツで虐殺されたユダヤ人についての記憶をとことん追い続けたことが選考理由だった。人々の脳裏から消えようとしている記憶を見事に昇華した「記憶の芸術」との賛辞も添えられた。
洞爺丸の悲劇も、地元函館の人たちはともかくとして50代以下の殆どの日本人の記憶からは消えつつある。『黒髪』では、消えつつある函館の歴史的洋館と主人公の体内に流れる混血の血を起点として、亡命ロシア人の歴史を遡った書き手は、今度は50年前に姿を消した恋人の行方を辿りながら、忘れられつつある洞爺丸の悲劇を物語の鍵として絡めている。
勿論、主人公の女の性、母の、突き詰めれば主人公や父との幸せだった日々をも根底から否定しかねない女の性、それが絡まり合う中、登場人物達と共に私はその消えた永遠の恋人を一緒に探し求め焦がれ続けてしまった。
読むことの醍醐味とはこれだとおもわせてくれた。
この書き手は、私にとって2勝1引き分けになった。いや、完全にやられちゃた感じだから、2勝じゃなくて2敗、しかも完敗かな。 -
母から50年前に突如姿を消した恋人を探してほしい、と依頼された娘。東京で恋に破れ、故郷の函館に帰ってきた娘が、自身の生き方を模索しながら、母の恋人を探そうとする。
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東京で公私ともにパートナーとしていた男の裏切りに失望し、末期がんを宣告された母・美月の介護のため函館に帰郷するも、地元での仕事探しの気力も湧かない30代半ばのヒロイン、李恵。実家内の克明な描写や、病みやつれた母との暮らしへの葛藤に私が共感しているうちに、70代の美月は娘に「尋ね人」を懇願することになる。それは結婚より前、彼女の前から突然消え失せた東北大生の恋人の行方を突き止めることだった。50年後の尋ね人とは、あまりに遅すぎる…だがどうしても「50年前」でなければならなかった種明かしは、文庫本の帯で解っちゃうね…李恵は地元で便利屋兼探偵を営む古賀の力も借りて、解明不可能と思われた男の足取りを一歩ずつ突き止めていくのだが。
舞台は函館だけでなく仙台、そして大阪ミナミへ…。呑んべなので、居酒屋やバー、カクテルの描写も興味深かったぞ。しかし終盤、あの凄惨な事故経緯の描写は必要だったのだろうか?東日本大震災での津波や、ずっと小規模だが国慶節に起こった香港南Y島沖フェリー転覆事故も思い起こされ、辛かった…。それにしても、あまりに突然の「彼」の心変わりの理由こそが、最大のミステリー。男のマリッジブルー?