毎日が日曜日 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (656ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101133102

感想・レビュー・書評

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  • ●海外駐在を経験した二人(沖と笹上)、閑職で時間をもて余す沖、仕事一途の人間で趣味のない笹上。二人が左遷と定年という形で戦線離脱する。ビジネスマンにとって、組織とは、家族とは、何かを考えさせる。
    ●文中にある会話、「ぼくは、商社マンとは、ワンルーム向きの人間だと考えているんです。家には夜遅く帰ってきて、寝るだけ。朝早く起き、飯を食うと、飛び出して行く、リビングや書斎を必要としない生活・・」日本の経済発展に貢献してきた人々に何が残っただろうか?

    • seiyan36さん
      おはようございます。
      私も読みました。
      「毎日が日曜日」というタイトルから、読む前はいつも退屈している定年後的な作品かと思っていました。...
      おはようございます。
      私も読みました。
      「毎日が日曜日」というタイトルから、読む前はいつも退屈している定年後的な作品かと思っていました。
      が、内容はけっこう深いものでした。
      2022/05/21
    • ダイちゃんさん
      おはようございます。仕事人間と揶揄された時代に読んだ本です。今は仕事と家庭の両方を大切に出来ない人は一人前と言えないようです。豊かになった証...
      おはようございます。仕事人間と揶揄された時代に読んだ本です。今は仕事と家庭の両方を大切に出来ない人は一人前と言えないようです。豊かになった証でしょうか。
      2022/05/21
  • 題名だけを見てどんなに楽しい小説だろうと予想したらそれは見当違い。社名に奮闘する大商社社員のそれぞれを書く。
    毎日が日曜日の意味は主人公が閑職とも見られそうな日本のある都市の支店長を拝命することからきている。が、実際には組織の板挟みの中でそんなことを感じる余裕は全くなし。海外生活が長く日本に馴染めない家族も悩みの種となる。
    主人公の転勤を嘲る同期社員、会社生活にピリオドを打つ先輩社員も、主人公の対比となりそうなのに順風満帆とは行かない。
    時代設定が今より古いという反論はありそうだが、会社勤めのジレンマを描いた小説。

  • 総合商社という組織が、今までよくわからなかった。
    4大?5大?商社は世界を股にかけた大規模プロジェクトに取り組み、就活学生に常にトップクラスの人気とステータスを誇っているけど、外国にはない業態みたいだし、メーカーでもなく金融でもなく、一体何をやってる会社?

    その謎の一端が本作で解けた。
    儲かる可能性があれば地の果てまでも社員を派遣し、政府がやるべき、でも政府が手を出さない海外の土地や海まで切り拓き掘りおこし繋ぎ…こんなに過酷な業界だったんだと初めて知った。
    南米でアフリカで中東でアジアで、街どころか交通経路も通信手段もほとんどない奥地にわずかな人数で赴任させられ、病に倒れ、後遺症を負いながらも働く商社マンたち。昭和30〜40年代初めはまだ戦中戦後の記憶も生生しく、戦争よりマシだと思って働いていたのかもしれないが、現代の働き方改革の真逆をいく社畜っぷりに圧倒される。

    子どもの頃に海外居住経験があるとバイリンガルになれていいなー、と帰国子女を羨ましく思っていたけど、本作では商社マン子女の教育の問題、帰国後日本語にも日本の学校生活にも馴染めず苦労する姿も描かれている。
    商社マンの仕事ぶり同様、小説とはいえ実話が基になっていると思う。

    この小説は、そんな巨大商社の最前線から外され、接待が主なミッションの京都支店長に配属された40代の主人公・沖と、会社に散々海外を引き回された挙句家庭は崩壊しうだつも上がらぬまま当時の定年である55歳を迎えたその元上司・笹上という、「毎日が日曜日」の二人を中心に進む物語。
    退職して孤独な日々を送る後者はともかく、主人公は嫌味な同期・十文字に、京都支店長なんて毎日が日曜日、と言われて送り出されるのだがとんでもない。京都支店長も大変だ。

    一流商社マンだったとは思えないほどせこくて情けない笹上、意地も口も悪い十文字、地位と権力にしがみつく役員たち。登場人物のサラリーマンたちは誰ひとり好きになれないが、戯画的ながらくっきりと輪郭が描けている。昭和のビジネス小説だが、その妻たちや祇園の芸姑、女性たちも意外なほど生き生きと、その欲望や悩みが描写されている。
    そして、日本の学校、というより通学の満員電車に慣れないことが遠因で恐ろしい悲劇に見舞われる沖の長男が、ものすごく忍耐強く前向きでありながら、ごく普通の若者のように描かれていてびっくり。当時の日本人はやはり我慢強かったのか。

    これまで、商社マンを主人公にした小説は、河野多恵子の「秘事」しか読んだことがなかったが、あちらは純文学だからか仕事についての具体的な話は出てこなかった。こちらはいわゆる経済小説だが、商社の実態や昭和の日本を活写して、これはこれで意義があると思う。
    日本の経済が右肩上がりの時代は輝いていたなんて嘘だと思った。敗戦で国土が焦土と化しみんな極貧に叩き落されたから、復興しかあり得なかっただけ。本作は昭和の厳しさ、古めかしさを思い出させてくれる作品でもある。


  • 会社人生に於いて、誰でも「ないものねだり」をしながら日々を送り、日々悩んでくよくよしていることですらある意味幸せだと考えさせられた一冊。働き方に正解は無いし、会社での評価=その人の評価でも無い。会社で理不尽な事があった時に読み返したい一冊。

  • 大どんでん返しは起きない。
    大手の会社に勤めるサラリーマンを描いた小説ではーーその手の小説を多く知っている訳では無いがーーどうも海外に飛ばされるのが常である。ここで、山崎豊子の沈まぬ太陽を思い起こしたのだが、やはりこれも海外行きが含まれている。そしてたいてい海外行きは、"主人公に降りかかる逆境"の役である。最近の流行りのドラマでも(例えば半沢直樹などがそうだが、)最終的には、その死線を切り抜けることが多くである。しかし、二作に共通するのは、その"逆境"を経てもなお、主人公に迫りくる"悲境"である。その点で、この本はどこまでも逆を行き、さらに、現実的なのだ。読了後に残るのは、形容しがたい荒涼感であった。巨大な組織の中でペイオフされない日常を描いた本作は、上で出てきたドラマとは逆ベクトルでありながらも、働くものたちに寄り添う作品である。






  • 城山三郎『毎日が日曜日』新潮文庫 読了。そんな日々を過ごしてみたいなあと思える題名だが、商社マンの左遷と定年をテーマとする経済小説。商社で働く人々の人生や日常がリアルに描かれる。半世紀前の作品とはいえ現代でも通ずる部分も多い。いつの時代も働くことの本質は変わらないのかもしれない。

  • 城山三郎強化週間真っただ中。

    「何が幸せか」、「何のために生きるのか」を、様々な(典型的な)キャラクターに仮託して問いかけてくるという作品。内容柄、山崎豊子氏と比較されることが多いと思うが(かくいう私も『不毛地帯』や『華麗なる一族』を先に読んでいた)、城山氏による本作は、商社マンの壮絶な人生を描きながらもどこかカラッとした読後感がのこるものである。

  • いわゆる(終わった人)の昭和版です。

  • 標題看似輕鬆,意外地內容還頗為可怕。我很少讀經濟小說,但是商場如戰場的描寫,穰我想起之前讀的恐怖的不毛地帶的血淚。主角共兩位,一個是屆齡無法升級而退休,已經和妻子分手孤身一人,在公司只會嗯嗯嗯的笹上,另一個是被編到閒職(但可以直接隨侍在大老闆側,努力看個人)京都支店長的沖。兩位主角都是曾經被扶桑商事派到國外擁有駐外血淚史的人。笹上這個角色作者塑造地相當成功,就是職場唯唯諾諾,下定決心只為自己打算無法全力投入公司,然後決定退休萬歲但是又感到無聊,說自己擁有四家店舖其實是車站前微不足道的小攤,喜歡對沖說教但可悲的是沖又是他唯一可以講話的對象。笹上因為感到無聊,只好徹底當野次馬,觀察別人,沖家的災難也讓他稍微滿足自己也可讓他人感謝,災難又對他又不痛不癢的,略帶殘酷的一種旁觀者。他的房間充滿動物,又擺了一個將來要自殺的大型冷凍庫,宣稱自己將來也不麻煩別人(十文字去他家那段對話殘酷到讀起來真的很痛苦)。坦白說這個角色寫得太真實,因此讓人覺得極其可怖,平凡、卑屈、帶點殘酷、但是又很悲哀,太符合當代社會中所生產出來的某種退休上班族,那種可怕的孤獨感,讓人在閱讀過程居然會感到很不安,這種平凡的可怖,作者可是力透紙背。

    另一方面沖則是被調到人人認為閒職的京都,他的小孩因為回國接不上日文也遇到上學的困難,另外這裡還有十文字家的小孩也因為母親突然一直講英文導致小孩的精神疾病,點到這種被迫輾轉駐外的商社員的悲哀;而沖的兒子因為受不了日本電車的擁擠騎機車上課,後來也因為車禍截肢,幸好兒子天生正向還是他們夫妻倆的救贖。而沖雖然去了京都,但是由於天性不適合討好上司,最終京都支店被閉鎖了他依然沒有獲得青眼相看,最終回到本社還是遊軍,故事最後處理垃圾這樣的小事也相當辛苦,深感不管是什麼樣的小環節,每個崗位都必須一戰。最後還被公司裡的大頭們說他是認真的兵隊(看來晉升也無望了)。

    小說以淡淡的口吻在描寫平凡的日常,但是根本就沒有每天星期日這檔事,也沒有人受得了每天星期日。每個人以不同的心情面對變閒或退休這件事,有的人很厭惡很抵抗,有的人本來就不打算花心力,有的人感到心境複雜。作者塑造的這兩個角色也是一種典型人物,笹上是我感到苦手的類型,略為自私而幫忙也是沾醬油的野次馬個性,他生活中的孤獨的主調又令人感到可怖,他很慶幸他人的災難成為他看好戲的對象又可以被人感謝,這點也是一種平凡的惡意(實際上他確實幫了人家不少,這種人因為實在不少所以更讓人覺得可怖)。沖這個角色的塑造就較沒有那麼打動人,要說幸或不幸真的很難說,但是可怖的是這樣的人生應該也不少。距離撰寫時代背景昭和三四十年雖然已經很久了,但是兩位主角這樣的人一定還是很多吧。綜合商社這大個戰場,如同荒漠般肅殺,這本書我讀到的是戰場,沒有太多的綠洲。雖然阿京登場了,但是並沒有給作品帶來任何的滋潤,作者就描寫這個城市,著力也很淺,或許在主人公沖的眼裡就是一個無趣的地方,讓我有些惋惜。

  • 秀作。
    40歳台から60歳台の男性にお勧めの作品。
    今ではあり得ないモーレツ社員時代のお話。人生のすべてを仕事に捧げる。
    色々考えさせられる、今でも通用する作品。
    淡々と話は進む。最近の小説にありがちな、あざとく感動的な設定のないことに品の良さを感じる。
    うーさんが自分に似ているところがあり、共感が持てる。というか、今どきはうーさんタイプが多いのではないだろうか。
    日本の商社は世界一だったのか。その時代の認識が無い。
    今ではインターネット時代なので、強味も薄れたのか。

著者プロフィール

1927年、名古屋市生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。57年『輸出』で文學界新人賞、59年『総会屋錦城』で直木賞を受賞。日本における経済小説の先駆者といわれる。『落日燃ゆ』『官僚たちの夏』『小説日本銀行』など著書多数。2007年永眠。

「2021年 『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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