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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
基本、戦争についての本が好きです。特に実話をもとにしたものは戦争を知らない者にいろいろなメッセージや、生きるヒントをくれます。この本もしかり。
時は戦時中、今とは全く価値観が異なり、現代を生きている自分がここはこうしたほうが良いのに、といった考え方は通用しない。 本作はそのような戦時中に上官の命令のまま、若くして死を選ばねばならなかった(それ以外に選択肢が無かった)青年・その周辺の人に焦点を当てて描いている。 作中の主人公である関行男と中津留達雄はともに23歳で世を去っている。 かたや私は現在21歳。 有能な操縦士といえども青年の... 続きを読む »
2度目の知覧特攻記念館に行くにあたり、読んでから行けと父に薦められた本。
絶対に読んでから行くべきだと思った。
特攻へ向かった人、その家族。
読んでいて胸が締め付けられる事が何度もあった。
最後の特攻については許せないと思いつつ、異常な時代だったので異常な人間になってしまうんだな。
『日本陸海軍の上層部には、それがまた狙いで、たとえ負けるにしても、「一億玉砕」をかかげて、最後の最後まで特攻をかけ、米英から、譲歩を引き出すべきだとの声も強く』
アホだと言い切れるのは結果論だろうか。
当事者だとしたら、どうなんだろう。
『おれが死んでも、戦局は変わらんのだがなあ』
いちばん印象的だった山下大尉の言葉。
なんでこうなってしまうんだろう。
特攻の最初(関 行男大尉)と最後(中都留 達雄大尉)のお話。兵学校同期の二人が何を想い特攻に臨んだのか、よく分かる作品です。作中の中都留大尉のお父さんの「宇垣さんだけ~」の部分はとても共感しました。戦争体験者の方が少なくなる中、こういった小説は沢山読みたい。
日本史がちょうど第二次世界大戦まで進んだので、夏に買った本を、漸く 当時の軍部・日本の歪みや特攻というものの目茶苦茶さについて理解を深くしました 23歳で散っていった指揮官 必要最低限とも言えないような訓練をうけ、ただ死に行くために爆弾を積んで出撃していった私と同年代の青少年たち 前途のある若者たちが無駄に命を散らす「特攻」のおかしさ・恐ろしさはは、敵国である欧米が「B... 続きを読む »
印象深かったエピソードは、日本兵が人間爆弾として、命を落としている間、アメリカ兵は飛行機が落下しそうになるとパラシュートで降りてくる。それを、どこからともなくやって来た戦艦が引き上げる、という話。
比べたくはないけれど、比べるとはっきりとわかる。日本はいつ道を誤ってこんなに狂信的になってしまったのかと。
文章のまとまりがなく、読みにくい本でした。でも、このテーマを出されると考えずにはいられない。日本の負の遺産をもっと語り継がなければと思います。
若いうちに知覧とか鹿屋とかいこう。
主人公たちの年齢が23歳。
同い年ながら、すでにいろんな責任背負ってて、自分だったら、と考える。
空気に流れてしまい、それで納得しちゃいそうだけど、それでいいのかな。
過去と現在を行き来しながら指揮官としてそれぞれの立場でそれぞれの理由があって特攻として旅立った日本海軍のパイロットの話。
今では当たり前な日常の、何と幸せなことか。周囲をもっと愛そうと思いながらまだまだ子どもである自分が歯がゆい。
そして紙切れより軽い当時の若者の命の虚しさと美しさは何だろう。
細く長くなんて考えちゃだめなんだよな。
生きたいという私心とお国のためという公心・使命感との葛藤が目に浮かぶ。
戦争体験者が少なくなっているいま、こういう小説は大事だなーと思う。
一番最初に特攻の隊長となった関大尉、終戦にもかかわらず宇垣司令に同行して特攻した中津留大尉。この最初と最後の特攻の指揮官は同期でした。
中津留大尉の父親の「宇垣さんはどうして一人でいってくれなかったんだろうか」というのが重いです。また終戦を機上でしり、土壇場になって抗命して施設のない場所に突っ込んだという仮説は大胆ですがあたってると思う。同行させた指揮官宇垣司令、最後に抗命した中津留大尉。二人の指揮者のことを思うと指揮をとるものの責任の重さがひしひしと。
城山三郎さんはつねに淡々と冷静な筆致な印象ですがこの本の中では珍しく海軍上層部を強く批判する箇所があります。サザンの茅ヶ崎でのコンサートのサーチライトに空襲を思い出したり・・やはり戦中派にとって戦争体験は永遠に古くはならないのだなと思った。
<poka>
関行男と中津留達雄の、特攻で花びらのように散った短い人生。
親より先にいってはいけない。二度と戦争を起こしてはいけない。
<だいこんまる>
戦争はまともなひとを狂わせます。
08/15にあわせた訳ではないけれど拝読。
23歳にして同期である神風特攻の最初の指揮官
「関行男」と最後の指揮官「中津留達雄」を通して
の城山三郎の戦争への言い尽くせない思いや
鎮魂の願いが織り混ざった一冊です。
特に最後の「中津留達雄」の行為はお涙頂戴
できないものがあり戦争の犠牲者であると
割り切ることもできません。
人間の原罪かもしれないが
やはり戦争はよくない。
特攻の凄まじさ、悲惨さ、残酷さ。若者を消耗品のように使い、死に向かわせた昔の日本。
特攻のことは知っていたが、終戦を知っていながら部下を道連れに特攻に向かい、危うく終戦後に米軍に飛び込むところだったという事実があったことを初めて知った。道連れにされた息子の父親の「一人で責任をとってくれていたらなぁ」の言葉が胸にしみた。

特攻を考えた奴は、修羅だ。特攻を命じた奴も、修羅だ。ようしそれなら、俺たちが本当の修羅になってやる 飛行機乗りとして特攻死した息子のことを思い出せまいとするかのように、あまりにも狭い空。痛ましくて見て...





