指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (新潮文庫)

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著者 : 城山三郎
  • 新潮社 (2004年7月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101133287

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指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 城山三郎は一昔前の経済小説で有名だが、代表作「落日燃ゆ」のように戦後にスポットを当てる作品もある。それは、終戦当時17歳の彼も海軍の特攻部隊に身を置いていた背景があり、戦争反対ならびに戦友への鎮魂の意味もあろう。昭和19年10月25日の特攻一番機と昭和20年8月15日の最後の特攻機、それぞれのパイロットはくしくも海軍兵学校同期だった。すでに家庭を持っていたにもかかわらず23歳という若さで戦地に赴いた2人。ここから読み取れる若者の感情は「お国のために」の一言では片付けられない哀切なものだ。

  • 夏なので終戦寄りの本を

    筆者が調べた事実と、体験と、想像と、現代の筆者とが混ざっていて「一つのお話」としてはとても読みにくい
    ですが、その読みにくさを乗り越えてでも読む意味があったように思います

    あとがきの前半で筆者のバックボーンを知る→本文を読む→他の特攻に関連する小説(フィクション)
    の順で読むと、他の小説もより読み込めそうなので、下地づくりに。

  • 戦争とはなんて残酷なものなんだろう。
    そして、もっと残酷なのは、戦争を理由に人間の命を軽く扱った当時の軍のトップたちだ。
    「一億総玉砕」という言葉の持つ意味を本当にわかっていたのか。
    国民がいない国家など存在しない。軍は日本が滅びるまで戦争をやめるつもりはなかったということなのだろうか。
    現代でも何故こんな簡単なことがわからない?と思うような発言をする政治家がいる。
    誰が考えても最優先すべきは他にあるだろう!と思うのに、企業利益を真っ先に守ろうとする企業家がいる。
    本当に大切なものは何か?
    トップに立つ者が優秀だとは限らない。
    上に立つ器でもないくせにトップに立ってしまった人間の下につく者は、悲劇しか待ち受けていない。

    関大尉は実は特攻の第一号ではなかった・・・というのは別の資料で読んだことがあった。
    先に出撃した者の戦果が確認されていない(出撃にあたり機関銃・無電は不用との本人申し出あり)。
    掩護機もなく、何よりも兵学校出身者ではなかった。
    特別攻撃隊を「神風」と言い、特攻で散った者を「軍神」と言うためには、第一号はどうしても兵学校出身者でなければならなかったらしい。
    周囲からは「軍神」と持ち上げられながらも、戦後は一転、世間は冷たく遺族が石を投げられるようなこともあったという。
    戦争が終わっても悲劇は終わってはいない。
    宇垣纏中将が第五航空艦隊の司令長官に着任したのは終戦の年。
    幾人もの軍人を輩出している一族の出身である。
    それまでは通常爆撃が原則であり、あくまで特攻は例外とされていた。
    しかし、着任早々に宇垣は主客転倒を宣言する。
    すなわち「特例の無い限り、攻撃は特攻とする」と特攻を原則としたのだ。
    戦争は人を狂わす。
    「桜花」や「回天」に代表される人間を兵器の一部として使う武器。
    いかにして身を守り相手を斃すかではない。最初から死ぬことが決まっている戦術である。
    「桜花」の初出撃の結果は悲惨なものだった。
    70機以上の戦闘機による掩護が必要だと訴えたにも関わらず、配備されたのは55機。
    実際の掩護機はさらに少なく30機しかいなかった。
    重い爆弾を抱えて動きの遅い一式陸攻は、アメリカ戦闘機集団のかっこうの獲物となった。
    「桜花」ごと全機が撃墜されてしまう。
    「桜花」隊員15名、一式陸攻隊員135名、掩護機隊員10名の命が一瞬にして失われた。
    軍のトップにとって人の命とは何だったのだろう?
    戦争がすべて悪かった・・・と言い切れるのだろうか。
    当時次々と開発されていた特攻のための特殊兵器。
    多くの人間が兵器の部品として出撃させられた。
    しかし、隊を組んでの出撃であっても、ほとんどは海軍兵学校出身者は隊長のみ。
    あとは予備学生出身者と予科練出身者で構成されていた。
    口では「一億総玉砕」と言いながら、職業軍人たちは温存されていた事実。
    理由はいろいろあるのだろう。
    けれど、こうして時間が経てば、予備学生や予科練出身者に多くの犠牲者が集中していることは明らかである。

    「特攻を原則とする」と宣言した宇垣中将は、結局歴史にその名を残した。
    終戦の日、玉音放送があったことを宇垣中将は部下たちに隠したまま出撃したのでは?と筆者は伝えている。
    米軍キャンプ地に特攻をしたとき、飛行機に爆弾は積まれていなかったようだ。
    米軍キャンプ地にたどり着いた特攻機は2機。
    ともに直前で進路を変更し、岸礁と水田に突っ込んでいる。
    隊長でもあった中津留大尉は操縦士としての技量はトップクラスだった。
    だとしたら、意図的に米軍キャンプ地を避けた・・・と考えるのが妥当だろう。
    もしもこの特攻が成功していたら。
    戦争終結後に攻撃をした日本は、国際的に立場を無くし、戦後の復興にも影響が... 続きを読む

  • 20150720

    戦後70周年を機に読んでみた。

    登場人物が多すぎて、かなり読みずらかったが、
    特攻について、まだまだ知らない事が多かったので、あらためて戦争の悲惨さと、特攻というあまりにも悲惨でどうしようもない戦術を採用した当事者達に大きな怒りを感じた。

    二度とこのような事を繰り返さないように願うばかりだ。

  • 2015年の15冊目です。
    海軍の神風特攻隊作戦を最初の特攻退院関行男大尉(レイテ沖)と終戦の玉音放送後に最後の特攻隊員として沖縄に出撃し帰ることのなかった中津留達雄大尉の二人の生き方を対比させながら、史実を丹念に調べ書きあげられている作品です。ともに結婚し家庭の幸せも手に入れていた若き指揮官の人間ドキュメントです。
    70年前の出来事と私の生きている今とは、繋がっているはずだが、積み重ねられた惜別と悔恨の情を知るすべもなくなりつつある。こんなことに思いを馳せる年になったということかもしれない。

  • 城山さんは、作家だったからこの本を書いたのではなく、戦後、戦争の体験だけは残したい、自費出版でもいいから書き残したいと思い、作家になったそうだ。特攻で散っていった兵士たち。その中には少年も多くいた。生きて帰ることはもともと考えられていない、人間棺桶「桜花」、人間魚雷「伏龍」。きさまらの代わりは一銭五厘でいくらでも来る、と言われ、まるで花びらのように命が散っていく。終戦を部下に知らせず特攻させた上官もいた。読んでいて腹立たしいことが多すぎて、絶対に戦争はしてはいけないと強く思った。

  • 城山氏の綿密な調査と自身の経験など、あらゆることをふるいにかけた渾身の記録。読むだけで哀しさが痛切に身にしみる。歴史の教科書にもこういった人々の事実を載せるべきではないだろうか。

  •  長編『官僚たちの夏』をそろそろ読もうと思っていたので、その準備も兼ねて。

     特攻隊第一号の関行男大尉と、最後の特攻隊員中津留達雄大尉についてのドキュメント。涙無しには見られない悲劇のストーリーというよりは、淡々とした描かれ方。それでも、訳の分からぬ作戦を断行した上層部への静かな怒りが伝わってくる。

     著者自身が昭和初期の生まれで、海軍に志願し入隊していたとのこと。現代では理解の外にある考え方であり、そんな考え方を持ったまま入隊した海軍の腐敗と終戦がどれほど堪えたのか、これもまた理解の外にある。

     海軍の腐敗だとか特攻隊の評価だとか、そういったものはこの短編を読んだ程度で語れることでもないし語りたくもない。その一方でこの本を読んで印象に残ったのは、登場人物から垣間見える信念の強さだと思う。陛下に捧げた体であるとして我が子への輸血を拒んだ高橋赫一。東京裁判で一言もしゃべらず一身に罪を引き受けた広田弘毅。終戦後の米軍基地への特攻を直前で避け、平和への軟着陸の一翼を担った中津留達雄。などなど。

     もちろん、現代の価値観に照らすと善悪の問題にはなろう。しかし、自分を貫くことができたのは、教育による洗脳などではなく、自分の中に折れない芯のようなものがあったからなのかな、と思う。それは著者がその身で経験した海軍の腐敗描写との対比で明らかだ。

     戦争について多くの著作を残した城山三郎も、強い信念に突き動かされたのだろうか。次に読むのは『官僚たちの夏』だが、広田弘毅について描かれる『落日燃ゆ』も読んでみたいと思う。

  • 戦争の記憶をもった人が、この世からどんどんと去ってゆき、いつしか戦争を経験した人が誰もいない世界がくるのか。それはとても怖いことだと改めて思った。この本は特攻の始まりと終わりの指揮官に焦点を当てて書かれている。早く日本が自国の弱さを悟り降伏を考えていたならば、無意味な特攻などは起きなかったかもしれないのに…。二度とこんな悲惨なことが起きないように戦争の記憶は語り継がれなければならないと心から思った。

  • 戦争が終わる直前,海軍特別幹部練習生として入隊した著者が,その経験を,特攻というテーマで見つめなおした作品と感じる.幹部練習生とは,伏龍(人間機雷)による特攻兵を養成するのが目的のようだったとも.最初と最後(玉音放送後)の特攻隊長に焦点があてられてはいるが,回天,桜花,震洋といった,人間が使い捨てにされる兵器での特攻が通常のやり方として常態化していった悲しさが伝わってくる.

  • 最初の特攻隊長となった関大尉と最後の特攻隊長の中津留大尉の2人の若き指揮官を中心に、特攻隊員の無念と覚悟、特攻隊を巡る顛末が書かれている。

    一億玉砕の掛け声の下、燃料も資材もそして兵力も尽きた日本軍は、出口の見えなくなった泥沼の太平洋戦争の最終作戦として特攻隊は編成される。
    「一度飛び立てば二度と生きては帰れない」当に決死の作戦は、まだ若く操縦技術も覚束ない予科練習生を投入し、飛べるものは練習機から水上機まで全てつぎ込む自暴自棄な作戦であった。
    きっと御旗の下に特攻を誓ったと当時は報道されたと思われるが、本書では戦争末期の激流の中で、関大尉、中津留大尉ともに妻、子、両親を思って特攻を誓い死んでゆく。その無念が心に突き刺さって止まない。
    本書では僅かにしか触れられていないが、回天や桜花といった自爆兵器も狂気である。特攻機やそれらに乗り組んだ士官と多くの予科練生。彼らの無念の死を思うと居たたまれない。
    戦後69年経ち、戦争の傷も記憶も薄れてほぼ見えなくなってしまっているが、決して命を粗末にする世の中にしてはならず、戦争に加担してはいけないと改めて思う。

  • 知覧に行かなければ…

  • お国のために死んでいった最初の特攻隊長関行男大尉と最後の特攻隊長中津留達雄大尉が特攻志願した時の心の中は本当はどうだったんだろうか。特に宇垣中将に道連れされることになった中津留大尉は哀れでならない。

  • 日本軍の極一部の狂人によって若者が意味もなく死ななくてはならなかった。本当に腹立たしいが、現代の会社組織においても、死まではいかなくても同様の狂人たちによるミスリードは起きていると思う。

  • 永遠のゼロを読んで勉強したくなって読んだ。宮部久蔵のモデルかなと思える話。

  • 城山文学の集大成と言うべきドキュメント小説。

    兵学校同期の関行男と中津留達雄。関は神風特攻の幕開けでレイテ沖で散り、中津留は玉音放送の後に沖縄で散り、神風特攻に幕を下ろした。僅か二十三年間の短い生涯…

    飾ることの無く、淡々と綴られる文章から二人の若者の戦争に対する考え方、胸に秘めた葛藤が伝わってくる。心を抉られるような作品。

    さて、ここからは、この城山三郎の作品を参考文献とした百田尚樹の『永遠の0』に触れる。『永遠の0』を読んだ時は、なんと素晴らしい感動的な小説だろうと思った。良い作品だからと周囲にも勧めた。最近、Twitterのフォロワーさんから『永遠の0』と『指揮官たちの特攻』の類似を教えて頂き、半信半疑で『指揮官たちの特攻』を読んでみたのだが、あまりの事に愕然とした。宮部久蔵の人物像が中津留達雄に酷似し、『永遠の0』に描かれる数々のエピソードが『指揮官たちの特攻』に描かれているではないか。参考文献としての利用は、どこまでが許容範囲なのか解らぬが、かなり利用されているのは明らかである。

  • 神風特別攻撃隊第一号となった関行男大尉、最後の特攻となった中津留大尉を描いた戦中を知ることができるドキュメント。一読をおすすめします。

  •  太平洋戦争で特攻で死んだ2人の話をベースに、飛行機による特攻だけでなく、ロケットまがいや、潜水艦まがい、はては棒に爆弾をつけただけみたいな、今考えると笑ってしまいそうなことを実際にやっていたことに驚く。

  • 長野まゆみさんの『八月六日 上々天気』を読んだ時、はじめて関大尉という人を知りました。

    神風特攻隊第一号、関行男大尉。
    昭和十九年十月二十五日。その最初の特攻隊員が、零戦に馴れていない転勤間もない艦爆機乗りであったこと、もともと戦闘機乗りとして腕利きの適任者が他にもいたという事実に驚きました。「どうして自分が選ばれたのか、わからない」本人の悲痛なつぶやきは、今も〈大いに疑問の残るところ〉として不明のままになっているそうです。

    そしてもうひとり。
    最後の特攻隊員、中津留達雄大尉。
    「僕は死に急ぎません」そう薄く微笑しながら言った中津留大尉がどのような人だったのかは、いろんな人の証言から垣間見ることができます。
    「戦時色の強まる中で珍しく温厚な人柄」
    「部下に優しくハンサム、まさに美丈夫という言葉がぴったり」「おだやかな人で、いつもやさしく声をかけてくれた」女学生の追っかけがいたというのも頷けます。

    関大尉と中津留大尉。
    兵学校同期で、宇佐航空隊での実用機教程を共にした数少ない仲間であり、そして、共に新妻を残し若き指揮官として部下を率いて出撃。同じ二十三歳で世を去った。
    ここまで似通った境遇にも関わらず、二人が親しくなることはなかったというのが、面白いです。

    八月十五日。中津留隊十一機が飛び立ったのは、玉音放送が流れてから数時間経った夕刻に近かった…。

    なぜ、中津留大尉が特攻の最後の突入寸前に左へ旋回したのか?この部分も不明のまま。日本が、この平和な戦後を過ごすことができたのであれば、我々日本人はもっと彼の名を知るべきではないかと思いました。

    人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」、二人乗り潜水艦「海龍」とつづき、人間兵器の最終篇「伏龍」へ。
    昭和二十年五月、大量採用された特別幹部練習生がなんのために集められたのか。一万五千を越す少年兵が行わされようとした「そんなむちゃくちゃな!」戦い方を想像するだけでもぞぉっとします。

    -----------------------------------------------------
    *江間保少佐
    霞ヶ浦での関大尉の教官。急降下爆撃の名手。通称「エンマ」髭をはやした豪傑タイプ。はっきり物を言うが人情家肌。

    *直井俊夫大佐
    宇佐航空隊の司令官。異色であり硬骨の司令であったがため、上層部と衝突し軍令部参謀の身から宇佐へ左遷されたといわれていた。米内光政を尊敬。

    *野中五郎少佐
    二・二六事件で警視庁を襲い、後に拳銃自殺した野中四郎の実弟。「国賊の弟でござる」と啖呵を切るような侠客の親分タイプ。

  • ちょっとファンタジー続きだったのと、時期が時期ですので、WWⅡ関連を取ってみました。
    世間は、宮崎駿氏の映画「風立ちぬ」や百田直樹氏「永遠の0」の映画化ということで、零戦に注目が集まっている今日この頃。個人的には2作とも率先して見たいという気にはならなかったのですが・・・

    個人的には読みにくかったです、すいません。話があっちこっちに行くというか。ドキュメンタリーなので、ストーリー性云々ではないとは思うのですが、私にはちょっと頭に入りにくかったです。

    話は、二人の若き海軍士官パイロットの特攻時の様子やその家族たちについて、作者自身が現地に赴き、取材し感じたことが記されていく。関行男と中津留達雄の二人は若くして、最初と最後の特攻にて、それぞれ命を散らしてしまった。それも理解しがたい上官の命令のために。何かがちょっと違えば生き長らえていただろうに。運が悪かった、運命だった、と無理やり納得させるしかない悔しさが募る。サブタイトルの幸福は花びらのごとくに込められた思いが切ない。花びらのようにあっという間に終わっていいものではないのに。
    特に最後の中津留達雄の特攻は、言っては悪いが無意味だった。終戦後に、上官が死に場所を得るのに付き合わされただけ・・・。確かに情報伝達が不十分な状態では、指揮系統が統率されず、意図しない出来事が起こる場合もあるだろうが。8/15の終戦後にこんな出来事があったとは絶句である。こんな最後だったなんて、親御さんにはたまったものではないだろうな。組織は上層部の有能・無能に振り回されてしまうことを改めて実感。今の日本の混迷も・・・。とはいえ、今の平和っぷりは贅沢すぎるものだろう。この状況でいろいろ言っても詮無きことか。折しもエジプトはクーデターでそれこそ一般市民に犠牲が出ているという・・・。やるせないというか暗澹たるものがあります。
    「きさまらの、代わりは一銭五厘で、いくらでも来る」。こんな思想が普通になっている異常事態。当時の空気感みたいなものは、戦後の平和な今を生きる身にはとてもとても想像できるものではない。マスコミや世論の怖さみたいなものも感じた。また、終戦を境に特攻隊員への扱いが豹変するというのも悲しいこと。

    乗機を変えなければ生きていたかも、というのは「永遠の0」の宮部久蔵と同じですね。運というか紙一重というか。タラレバはないけど、当初乗る機体が不時着していたと聞くと切ない。まあ、上官としては、『それで若い人が生き残ったのであれば良いではないか』と思うのかな。

    中津留達雄の家族への手紙。常に家族のことを思い続け、意図してかせざるか心配事がないような文面。硫黄島の栗林忠道中将が思い起こされる。

    「回天」「桜花」は「永遠の0」や「出口のない海」で読んでいたが、さらに「伏龍」などと馬鹿げた作戦があったとは・・・本当に人の命をなんとも思っていなかったんだろうなあ。ただ、当時の日本の状況では、多くの人はおかしいとか思わなかったんだろうなあ。ここで敗れれば家族が、日本国民が、国がなくなるとか思うと「何が何でもやってやる」という気概であったのだろう。まあ、そうでも思わないと立ちいかない、というところもあったでしょうが。筑紫亭の刀疵が心の葛藤を表している。
    残された家族も切ない。関行男の母親はあまりにも悲しいし、中津留達雄の父母は息子の分まで長生きしたと言うが、それだけの時間を息子を亡くしたという悲しみとともに過ごさざるを得なかったというのも辛いものがある。ひたすら海辺で待つ母親。一度しか会えなかった娘、鈴子。本人だけでなく、家族にも焦点を当て、描かれたのは人の繋がり、影響というで点で広く見れて良かったと思う。

    1人に責任を負わせるものではないが、この本を読む限りでは、宇垣纏(まとめ)長官の勝手... 続きを読む

  • 登場人物が巡る巡る出てきて、途中でよく意味が分からなかったけど
    でも何か・・・平和って良い。

  • 作者が、特攻隊の遺族や関係者にインタビューしてまとめたノンフィクション。何故、当時の日本は間違った道へと踏み込み、修正が効かなくなり、突き進んで行ったのか。集団が狂気を生み出した場合、そのただ中にいる人々は、それに対して抗うことが出来なくなってしまうのだろうか。
    現代日本においても、原発問題や、近隣諸国との関係から、日本が再び誤った道へと踏み込んでしまうのではないだろうか、と危惧しながら読み終えた。

  • ずっと気にはなっていた本なのですが、なかなか読めなかったです。内容はタイトルからもわかるとおり、第二次世界大戦の終わりころの日本軍の迷走、特攻隊の中で最初の特攻隊員と玉音放送後に出発した最後の特攻隊員の二人に焦点を絞った話です。それだけではなく、筆者自身の戦争体験も交え、レポートのように書かれた本でした。主題は以下の文に表れていると思います。

    「まわりには、さまざまの花が咲き、鶯、目白、鵯などが、高く低く鳴き続けていた。
    七十余年生きてきた私は、そうした中に立っていて、ふっと思った。
    二十歳前後までの人生の幸福とは、花びらのように可愛く、また、はかない。
    その一方、かけがえのない人を失った悲しみは強く、また永い。
    花びらのような幸福は、花びらより早く散り、枯枝の悲しみだけが永く永く残る。
    それが、戦争というものではないだろうか――と。
    (中略)
    そういえば、藤井眞冶大尉の母は百三歳まで生きたが、その最後まで同じようなことを言い続けた。
    『そんなことは無いと、わかってるんだけど、それでも何年かかかって帰ってくるきがするの』
    もはや私には言い継ぐ言葉も無い。」

    戦争経験者はこれからも減り、語りつぐ人もいなくなる中で戦争がもたらすものを忘れてはならないなと改めて思いました。

  • 「永遠の0」の基になっているのではないかと思われる作品。
    事実だけが淡々と描かれている分、信じられないことが、行われていたと実感として迫る。戦争を題材にした映画や小説は、美化されすぎのところがあるし、感動したりなみだしたりするけれど、それは脚色されたものであり、美化されていることが多い。この本はそんなことが全くない。一度は読んでみてほしい。

  • 生きたいという私心とお国のためという公心・使命感との葛藤が目に浮かぶ。
    戦争体験者が少なくなっているいま、こういう小説は大事だなーと思う。

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