ながい坂 (下巻) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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感想 : 57
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  • Amazon.co.jp ・本 (555ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101134185

感想・レビュー・書評

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  • 大変な良作。エンタメ性も高い。子どもの頃に読んでいたら、ある種の感化を受けてたかもですね。題材自体は一藩の1人の偉人伝(途中)ですが、上下の長編で読ませても全く飽きが来ない。感服しました。

  • 今ある状況の中で懸命に努力し、思慮深く、客観的に自分や周りを見る事ができ、他人の心を推し量る事ができる、目指すべき生き方の一つだと思う。

    本当にながい坂であった。

  • 評価は5.

    内容(BOOKデーターベース)
    異例の出世をした主水正に対する藩内の風当たりは強く、心血をそそいだ堰堤工事は中止されてしまうが、それが実は、藩主継承をめぐる争いに根ざしたものであることを知る。“人生"というながい坂を人間らしさを求めて、苦しみながらも一歩一歩踏みしめていく一人の男の孤独で厳しい半生を描いた本書は、山本周五郎の最後の長編小説であり、周五郎文学の到達点を示す作品である。

  • どんな生き方が正しいか。客観的に見れば正解はなく、身分も貧富も性別も関係なく、全ては本人次第。ながい坂を、何を考え、どう登っていくのか。

  • 時代がかわっても人間関係の難しさは変わらず、
    人生を苦しみながら生きていく姿は、共感する。

    今年イチオシの推薦本!

  • 最終の主水と似たような年のせいか涙無しには読了出来ない。全力で逃げ切りたいが、人生の正否は臨終の床で判断するしか無く、その日はあまりに遠いことであることを嘆息せざるを得ない。

  • 疲れた

  • タイトル通り、ながい坂を重荷を背負って生きる主人公、三浦主水正。かの徳川家康もそういえば、そんなことを言っていた。人生は主にを背負うと歩くがごとし、急ぐな、みたいなこと。賛否両論あるようだが、ただただ、格好よろしい。人間には転機がある、悔しさ、これが一番の転機になるような気がする。しかし、悔しさをばねに伸びるにも限界がある。ある時点から、もはや自分との戦いになるのだろう。生きる、それも下々のものとして生きるのではなく、上のものとして正しく生きる、これがいかに難しいか。とりわけ、現代にも通じるような政治の泥に揉みくちゃになりながらも、正しく生きた主人公はエライ。しかし、ただ一つ、ある女性に同情を覚えた…それでよかったのかと。どの人間に感情移入するかで、評価は変わるかもしれない作品。

  • 「人間とはふしぎなものだ」と主水正が云った、「悪人と善人とに分けることができれば、そして或る人間たちのすることが、善であるか悪意から出たものであるかはっきりすれば、それに対処することはさしてむずかしくはない、だが人間は然と悪を同時にもっているものだ、善意だけの人間もないし、悪意だけの人間もない、人間は不道徳なことも考えると同時に神聖なことも考えることができる、そこにむずかしさとたのもしさがあるんだ」

    「人も世間も簡単ではない、善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、そのほかもろもろの相反するものの総合が人間の実体なんだ、世の中はそういう人間の離合相剋によって動いてゆくのだし、眼の前にある状態だけで善悪の判断はできない。おれは江戸へ来て三年、国許では全く経験できないようなことをいろいろ経験し、国許には類のない貧困や悲惨な出来事に接して、人間には王者と罪人の区別もないことを知った、と主水正は云った。」

    「小太郎、と主水正は心の中で呼びかけた。この世には、人間が苦労して生きる値打なんぞありはしない、権力の争奪や、悪徳や殺しあい、強欲や吝嗇や、病苦、貧困など、反吐のでるようないやなことばかりだ、そんな事を知らずに死んだおまえは、本当は仕合わせだったんだよ、小太郎。
    筍笠を打つ雨の音と、早朝の空の、まだ明けきっていないような、少しもあたたかみのない非情な光とが、主水正の感情をいっそう暗い、絶望的なほうへと押しやるようであった。
    『宗厳寺の和尚の気持がいまこそわかる』と彼は声に出して呟いた、『諸国を遍歴し、八宗の奥義を学び取って帰ると、一生なにもせず、酒に酔っては寝ころんでくらした、和尚にはわかっていたんだ、人間のすることのむなしさも、生きるということのはかなさも』
    主水正はうなだれた。すると筍笠のふちに溜まっていた雨水が、しゃがんでいる彼の、眼の前へこぼれ落ちた。主水正の喉に嗚咽がこみあげてき、彼は呻きながら泣きはじめた。」

  • 今まで山本周五郎は読んだことがなかったが、本書を読んで、長く読まれてきた理由がわかった気がする。読ませるストーリーなのはもちろんのこと、物語を通して「人生」を書いている。少し物足りなかった点としては、主水正と両親、特に父との関係についてだ。最後の「自分は父親違う」と思いつつ父親と同じ行動をとってしまっているシーンをもう少し掘り下げて書いて欲しかった。
    ただ物足りない点があるとはいっても、それは些細なことにすぎない。折にふれて読み返すことになるであろう、数少ない書の1つになった。

著者プロフィール

山本周五郎(やまもと しゅうごろう)=1903年山梨県生まれ。1967年没。本名、清水三十六(しみず さとむ)。小学校卒業後、質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む(筆名はこれに由来)。雑誌記者などを経て、1926年「須磨寺付近」で文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説などを発表。1943年、『日本婦道記』が上半期の直木賞に推されたが受賞を固辞。『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『青べか物語』など、とくに晩年多くの傑作を発表し、高く評価された。 

解説:新船海三郎(しんふね かいさぶろう)=1947年生まれ。日本民主主義文学会会員、日本文芸家協会会員。著書に『歴史の道程と文学』『史観と文学のあいだ』『作家への飛躍』『藤澤周平 志たかく情あつく』『不同調の音色 安岡章太郎私論』『戦争は殺すことから始まった 日本文学と加害の諸相』『日々是好読』、インタビュー集『わが文学の原風景』など。

「2023年 『山本周五郎 ユーモア小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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