ひとごろし (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101134208

感想・レビュー・書評

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  • 「 女は同じ物語 」が1番よかった。
    「 ひとごろし 」も良かった。
    別の作品も読んでみたい。

  • 弱い武士だからこそ、弱いなりの戦い方があることを示した一作。

    藩で冴えない武士であった主人公が仇を討つため、剣豪に自分なりの戦い方で挑んでいく。
    卑怯といえばそれまでだが、力だけではなく、知恵を使って目的を果たすのも一つの手だと思った。

  • 普段、時代物は読まないし、山本周五郎さんの本を読んだのも初めて。
    どんなもんだろう~という感じでしたが、思わず読みやすく、ストーリーも分かりやすくて面白いと思いました。
    何と言っても文章がいい。
    時代物というと、作者が知識をこれでもか!と披露したような文章、無駄な描写が多い本もあるけど、これは無駄な事は書かず、と言って物足りなくもない。
    情景描写、自然描写も素晴らしく、絶妙な文章だと思いました。
    そして、最初の話からどんな話を書くのやら・・・と思っている人間をグッと引きつける。

    その「壷」という話は、
    とある出来事により剣の道を目指す事を決めた元農民とたまたま宿屋で彼を見かけた武士の話。
    元農民は武士の剣の腕を見込んで弟子入りを志願し、彼の屋敷で下男として働くも一向に武士は剣術を教えてくれない。
    半年も過ぎとうとう我慢のきかなくなった元農民に武士はこう言った。
    「杉木の影の映るところを掘ってみろ。そこに剣術の極意の書を入れた壷がある。掘り当てたらその秘巻はおまえのものだ」
    それから元農民はろくに食事もとらず、杉の影を掘り始めた。

    人はそれぞれ生まれた時から自分にふさわしい道があるのだ、そしてそれを外れると悲劇を生むのだという事を分かりやすく説いた作品。
    物静かで大人物な武士の姿がカッコ良く、思わず心の中で「しぶっ!」と思った。

    続く「暴風雨の中」はガラッと雰囲気が変わり、暴風雨で水に浸食されるという非常時での追う側、追われる側、そして男女の関係を描いた話。

    「雪と泥」は、
    純で世間知らずな、五千石旗本の一人息子が一人の女に恋をした。
    金に窮した彼が取った手段は-。
    という話で、吝嗇家の父親の持つ、印伝革の財布というのが象徴的だし、読み終えるとタイトルが何とも切なく感じられた。

    他、武家の男女の不思議で切ない恋愛を描いた「鵜」も良かったし、武家屋敷の裏木戸をくぐると、そこには本当に金に困った人間のために金を用立てる箱が置いてあるという「裏の木戸はあいている」も良かった。
    結婚して月日が経てば女などどれも同じになるのだから条件の良い縁談を選べ、と自分の経験から自説をもつ父親に説かれる「女は同じ物語」も好き。

    でもやはり一番良かったのはタイトルの「ひとごろし」
    主人公は、臆病者と言われる無役の武士、双子六兵衛。
    幼い頃から喧嘩をした事もなく、馬がこわいし、暗がりが恐いという六兵衛は藩主の小姓を斬り奔走した剣術と槍の名人である仁藤昂軒の討手に名乗りをあげる。
    剣の達人をまともに剣をふるえない男がどうやって追い詰めて仕留めるのか。
    人はそれぞれ自分の持分があり、それを生かす事により、到底かなわない者にも太刀打ちできるという事を分かりやすく、ユーモラスに描いた作品。
    胸がスッとするような話で、「めでたし。めでたし」で終わる昔話の感もあった。

    こういった話が収録された全10話の短編集。
    話に描かれる登場人物は武士だったり、町人だったり、ヤクザだったり、岡っ引きだったり様々で、ストーリーも盛り込まれたテーマも様々。
    でもどれも作者の意図している事やテーマがはっきりしていて、「これが言いたいがために書いたんだ」とシンプルに伝わりました。

    久しぶりに時代小説を読み、昔はドラマチックな時代だったんだ・・・と感じました。
    好きな者同士が好きにくっつくことも出来ないし、ちょっとした事が命の危険を生む、その反面、今の世の中ではあり得ないような人情が存在して、裏木戸を開けっぱなしにしてそこに金の入った箱を置くなんて事もあったりする。
    自然にドラマが生まれる時代を舞台に、そこに生きる人をキッチリと描ききった良い本だと思います。

  • <span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"> 山本周五郎をこのブログ、メルマガで取り上げるのは何回目か。それほど好きな作家であり、私の人生に影響を与えたとまでは言わないが、なにかにつけ思い起こし、また、私の性格の一端になんらかの跡を残した作家であることは間違いない。

     図書館で調べもの。いつもそうなのだが、その調べものの合間にというか、逆にというか、全く違う本を眺めていたりする。また、時として、あの作家の本は、とある特定の作家の作品をそのまま続けて読み込んだり、借りてしまったりということも少なくはない。

     ふっと、山本周五郎のあの作品はなんという題名だっけ、と気になり探し始める。分かった。

     「ひとごろし」

    <img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20081020_525365.jpg" width="200" height="200" alt="ひとごろし" class="pict" />

     時代は江戸時代、田舎の福井藩(関係ないが、藤沢周平だったら、「海原藩」なんだろうなぁ)。主人公は、ある甲斐性なしの宮仕え者、六兵衛。藩内でその評判が立ち、妹のかねも嫁ぎ先が見つからない。

     そんなある日、ひょんなことから、六兵衛が大役を背負うことになる。藩で人殺しを起こしてしまった謀反人を討つ、いわゆる「上意討ち」の役回りだ。何のことはない、その相手は剣術の達人で強すぎて、誰も手を挙げる者がいなかっただけである。六兵衛にその損な役回りがめぐってきた。

     まともでは勝てない。相手は悠々と福井藩を出て行ってしまう。

     六兵衛、一計を案じる。まともでは勝てない。そこで、その相手の後をつけ、どこか店に入ると、近くで大声で叫ぶ。

     「そいつは、人殺しだ!気をつけろ!」

     そう言った瞬間、六兵衛は逃げ出す。周りの人間も、蜘蛛の子を蹴散らすようにいなくなってしまう。

     「卑怯者!武士なら勝負しろ!」

     姿も見えないような遠くで、六兵衛は叫ぶ。

     「私は武士だ。確かに臆病者だが、卑怯者ではない。私は私のやり方で勝負する。これが私のやり方だ」

     食事をしようにも、店に入ると、六兵衛はそう叫ぶ。そして、自分はすぐ逃げていく。お店の人も、お盆もお茶も投げ捨てで逃げ出す。宿を取ろうにも、同じこと。どうにも旅を続けることができない。

     「そんな汚い手でおれを困らせようというのか、女の腐ったような卑怯みれんな手を使って、きさまそれで恥ずかしくないのか」

     遠くで遠くで、六兵衛は叫ぶ。

     「ちっとも。(中略)私には武芸の才能はない、(中略)あなたの武芸の強さだけが、この世の中で幅をきかす、どこでも威張って通れると思ったら、それこそ、大間違いですよ」

     六兵衛、決して開き直っているわけではない。また、山本周五郎は、その時代の風習や因習を著すというような、風俗小説家ではない。一市井人の中に、つましく生きる人間の性(さが)を、読む人に共感を持ってもらえるように書き表す作家である。

     「侍には侍の道徳がある。きさまのような卑怯なやりかたに、加勢する者ばかりではないぞ」

      次の台詞だ。

     「ためしてみよう。(中略)侍だってそういう武芸の達人ばかりはいないでしょう。たいていは私のように臆病な、殺傷沙汰の嫌いな者が多いと思う」

     そうなんだよな。どんな仕事や立場だってそうだ。私だって・・。

     とまあ、この小説、そんなことを繰り返しながら、現代でいうところのラブロマンスも入ってくる。さらっとした濡れ場もちゃんとある。

     締め。

     「おれは誤った。(中略)武芸というものは負けない修行だ。強い相手に勝ち抜くことだ。」「強い者に勝つ方は必ずある、そういうくふうはいくらでもあるが、それは武芸の一面だけであって、全部ではない。それだけでは、弱い者、臆病者に勝つことはできないんだ」

     本当の締めは、ここではない。もうちょっとなのだが、さすがにそこは、この小説を読んで欲しい。

     すべてがハッピィエンドになったことだけを知らせておく。

     だから、やっぱり、山本周五郎だ。</span></span>

  • サラリーマン侍、ここに見参

著者プロフィール

山本周五郎(やまもと しゅうごろう)=1903年山梨県生まれ。1967年没。本名、清水三十六(しみず さとむ)。小学校卒業後、質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む(筆名はこれに由来)。雑誌記者などを経て、1926年「須磨寺付近」で文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説などを発表。1943年、『日本婦道記』が上半期の直木賞に推されたが受賞を固辞。『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『青べか物語』など、とくに晩年多くの傑作を発表し、高く評価された。 

解説:新船海三郎(しんふね かいさぶろう)=1947年生まれ。日本民主主義文学会会員、日本文芸家協会会員。著書に『歴史の道程と文学』『史観と文学のあいだ』『作家への飛躍』『藤澤周平 志たかく情あつく』『不同調の音色 安岡章太郎私論』『戦争は殺すことから始まった 日本文学と加害の諸相』『日々是好読』、インタビュー集『わが文学の原風景』など。

「2023年 『山本周五郎 ユーモア小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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