- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101134666
感想・レビュー・書評
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下巻では黒幕的に描かれてきた伊達兵部が、冒頭から底の浅さを露呈する。兵部の悪評は広がっている。ここまで悪評が広がるならば、原田甲斐が兵部に取り入らず、正面から対抗できたのではないだろうか。逆に甲斐が兵部の与党と思われたために、前藩主に取り次いでもらえないという不利益も生じている。「敵を欺くには味方から」はメリットばかりではない。
下巻まで読むと、脇役の人情物が印象に残る。中巻までは、どうしようもない人達を描いていると思っていたが、下巻に入って実を結ぶ。本作品は原田甲斐の人に誇らない忠義を描きながらも、藩のために自己を犠牲にする虚しさも語っている。侍の道を否定する脇役を描くことは本作品にとって大きな意味があった。
自分は他人とは異なるという意識は、自我の確立を目指した純文学のテーマである。純文学は私という殻にこもって面白くないと批判されがちであるが、そのように批判する自称社会派達こそ集団主義的でメジャーな政治的争点を取り上げても、個人の抱える個別的問題に応えられないことが往々にしてある。本作品は大衆文学に分類されるが、自我にこだわる純文学の問題意識と重なっている。私へのこだわりは現代の漫画やアニメ、ラノベにも引き継がれている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトルから想像できたラスト。
主人公が消極的過ぎて、感動とはいかなかった。 -
“意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある… これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ ” 物語そのものは勿論、山本周五郎ならではの、染み込んで来る言葉の濃度。下巻は特に高し。 人としての強さ、その在り方を深く考えさせられる作品でした。
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ラスト50ページぐらいからの息詰まる様な凄い緊迫感が素晴らしい。
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上中下巻を読み終えたのでまとめて感想を書くとする。
江戸歴史物は似た名前が多く、言葉遣いが独特で、その時代の町の様子を思い描かなければならないことから敬遠していた。現代小説よりはやはり読み進めるのがゆっくりであったが、どんどんと町や屋敷の様子が想像され、なによりも現代とは違う心持ちや人々の動きが目の前に広がって来るようだった。
伊達藩の家臣船岡館主・原田甲斐は「伊達騒動」の中心人物として史実上に存在する。極悪人の烙印を押され、息子孫も死罪、お家断罪になっている。しかし、山本周五郎は"歴史の反証"から甲斐がなぜそのような事を起こしたのかを構想した。
作中の甲斐は、家中の様々な事件は酒井雅楽頭が手を引き江戸時代の3大雄藩の一つ・伊達藩を取り潰す計画があると考えた。しかしその重大な秘密が多くの者に知るところとなるとき、情報は歪められ、幕府からは大罪を言い渡されることになる。彼は味方を欺きながらも敵の側についた様に見せかけ、静かに耐えた。取り潰しのキッカケになるような大事にならぬよう。
甲斐の周りの人間は死んでいった。しかしその者を弁護したり、感情のまま助けたりすることはなく耐え続けた。侍は、自分のためではなく全ては忠義を持つ家のために、その志で秘密を貫いた。
甲斐は自然を愛する人間だった。優しく微笑し多くは語らない彼の周りにはいつも人が集まってきていた。
彼の最後の言葉「これは私が乱心した結果です。私の仕業だということをお忘れなきよう」はなんとも悲しい。自分の功績、自分の名誉をたてることが恥ずかしく感じられる。 -
世に武士の忠義や鮮烈な生き様を語る説話、物語は多い。しかし本作の主人公はそうした苛烈で世間の耳目を引くような忠義のあり方を好まず、別の道を選んだ。人は誰かのために死ぬことができるが、それは本当に誰かのためなのか。献身と自己満足の境界、真の忠義のあり方について一石を投じる作品。こみ上げるものがある最後だった。
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「さぶ」に続いて読了しました。主人公のかっこよさ、様々な人間模様がリアルに感じられる名作です。素晴らしい
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金大生のための読書案内で展示していた図書です。
▼先生の推薦文はこちら
https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18417
▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BA61145237 -
自身の評価や名声など捨てても、守りたかった主家の名誉。
いまの私たちは、個人的な幸福を追い求めることを最上とする風潮のなかにいるけれど、でも原田甲斐の姿を折に触れて思い出したい。
おみやと六郎兵衛、新八の章が個人的には興味深かった。