笛吹川 (新潮文庫 ふ 5-2)

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著者 : 深沢七郎
  • 新潮社 (1966年4月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101136028

笛吹川 (新潮文庫 ふ 5-2)の感想・レビュー・書評

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  • 人は生まれる前から生きていて死んだあとも生き続けることをかくも鮮やかに描いたお見事な小説。武田家の興亡と足軽小百姓一統が時空を超えて息づく。ロマンや感傷に仮託することない淡々とした語り口が諸行無常の哀感際立たせる。まじで逸品。深沢七郎的優しさと哀しさへの慈しみ。

  • 半蔵やらおじいやらおけいやら惣蔵やら、6代に渡っていろんな人が出てくるけど全員誰もが誰もであるような、誰が誰でも関係ないような低体温。やっぱり景色なのだろうか。その具合が面白い。

  • (01)
    笛吹川とはどこなのか,と問いたい気持ちが起こる.
    もちろん,地理的には秩父山地から甲府盆地に流れ下り,釜無川と合流して,富士川となって駿河湾に注ぐ川で,物語はその川の氾濫源にもあたる石和の正に川っぷちの小さな小屋「ギッチョン籠」に展開するし,時代は甲斐国の武田氏(*02)が盛衰する16世紀に設定がなされている.
    そうした地理的な,そして歴史的な理解のもとに,問う必要を感じる.笛吹川とはどこなのか,笛吹川とはいつなのか.
    まず,1958年に本書を世に問うた著者は,ここに登場する,物語の長さに比して決して少なくはない,人物たちの言動と挙動をどこでいつ取材したかという問題がある.著者の頭の中にしかない,と答えてしまえばそれまでだが,人物の科白には濃い方言(*03)が録され,時代ががかった素っ気なさ(*04)が現れている.また,人物の行動や判断も突飛であり,著者が生きた20世紀のものとはかけ離れたものと考えられる.
    しかし,果たしてそうだろうか.人物の言動は,著者の生きた石和で血肉化したものでもあるし,人物たちの態度や悲惨は,ほぼ著者の生きた20世紀にも16世紀から引き続き,起こってきている悲惨であり,民衆の態度であると考えられる.その点で,笛吹川は現在である.
    また,人物たちの阿鼻叫喚の舞台となった笛吹川(*05)は,象徴的には三途の川のようでもある.遠景がない.人物が甲府や恵林寺の方向を眺めることがあり,鳳凰三山を遠くに望み,金峰山が現れることもある.石和からはおそらく富士山頂を見通すことができたにも関わらず,富士は現れない.遠景は心象であり,笛吹川は心象風景のようでもある.笛吹川はどこなのか,著者が普遍化した,わたしたちが生きるどこかに,そこはある,と言い切ることも不可能ではない.笛吹川は,現在のディストピアとして,いまここにある,とも.

    (02)
    当然ながら,信虎,信玄,勝頼は歴史上の人物であり,甲斐を暴力等を用いて支配した武田氏に屬するが,著者が本書で想定しているのは,近代における天皇家であり,著者が本書を書き終えていたであろう10年ほど前に終った戦争と天皇制近代国家に振り回されたとされる民衆である.

    (03)
    科白の中で感嘆符を語尾に付した「えーッ!」が,コミカルで愉しく,物語の転換や転回を示す記号として素晴らしく機能している.指示代名詞ではない「あれ」は驚きを示すとともに,神のプレゼンス(現前)を示す言葉でもあるが,その様々な「あれ」の用法が記録されている点でも本書は貴重である.

    (04)
    この素っ気なさは,笛吹川の人がころころと死ぬ(死ぐ)非情さとして,著者のドライな筆致を評価する向きもある.また,実存や唯物などの主義のもとにとらえることも考えられている.
    ヒントになるのは,縁起や由来として繋がれる人物の生死の直接的な連関である.ある人が死ぬことは,ある人が生まれることでもあるという笛吹川の人たちの迷信的な考えは,仏教的であり,刹那的であり,輪廻的であるとも言えるが,宗教観であるというよりも,より原始的な思考を想起させる.
    口腔と肛門(あるいは産道)という象徴は本書にも現れている.序盤で「尻の穴がひらいていれば死ぐ人」のキヨが悲しくも愉しく描かれている.お聖道様は口と目を開けて死なんとする.口の延長としての眼についても,惣蔵の胡桃のような眼や,本書のもうひとりの主人公であるおけいの隻眼も印象的である.
    人は死に際し,開かれる.斬られる人は,切り開かれる.ここに見られる直接的で原初的な死に様(あるいは生き様,生まれ様)は,口や尻の穴を通じて,人のようなもの(魂)が乗り移りつつ,変転し,遍在する世界観に支えられている.その世界やその描写を非情ととることもできるだろうが,著者のねらいはその逆,情の濃さ,死によって開かれるパッションの現われのほうにあるようにも感じる.

    (05)
    地誌的に面白い話題として,笛吹川の定期イベントのような氾濫がある.石和の川沿いに居を構える人たちにとっては,この水害にともなって,甲府への定期的な避難として行動される.また,土手(堤防)の丁度よい低さや弱さは,川沿いに農地を営む人にとって,土壌の侵食と堆積が交互に両面で働いていたことが記録されている.よって,武田氏に指図される土手の脆さにあたった修理普請のオヤテットは,雇用対策事業であり災害対策事業でもある政策(動員)として,民衆に受け入れられもするが,氾濫がもたらすものの枯渇としても,ほんのりと民衆にとらえられている点が興味深い.

  • はじめて読んだのは、中学生の時です。
    武田氏の興亡と領地の農民の年代記。
    お館様が変わっても、農民の生活は坦々と続いていく
    のです。メリハリのある面白さはありませんが、
    好きな本の1冊です。

  • 2014.7.27 読了

  • 戦国時代、甲斐の国の農民一家の六代に渡る記録……というものだけど、彼らは戦やら何やらでとにかく無雑作に命を奪われていく。
    それが一片の感傷すら挟まずに淡々と綴られているんだが、往時の農民とは微力でありつつも、一方で逞しくしたたかだったのだなぁ、と。

  • 山梨などを舞台とした作品です。

  • 戦国を舞台に農民の生活を描いた作品ははじめて読んだ。戦と武田の盛衰に振り回されながらも農民はしたたかに生きている。一人ぼっちになりながら畑仕事の手を休めないラストの定平の姿に土臭いたくましさを感じた。

  • 2009/
    2009/

    開高健の対談集より。

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