- Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101136110
感想・レビュー・書評
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純粋でいいですね。
難しい言い回しが多いのですが、そこから昔をとても感じます。きつの桜があとあと心に響きます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ずいぶん前の直木賞作品ですが読んでみました。
江戸から明治にかけて吉原の遊郭の娘として生まれた主人公が役者にほれ、恋に身を投げこみ、不自由な暮らしながら旅役者の恋人として時を過ごしていく様があでやかに描かれていて十分に楽しめた。恋に一途になれるのって素晴らしいなあ。 -
舞台は幕末~明治の江戸(東京)。主人公は遊郭の娘に生まれた少女ゆう。彼女の恋が主軸になっていますが、うーん、なんだろ、イマイチ共感できなかったかなあ。恋愛部分ではなくて、彼女の思考回路に。頭では理解できるのだけれど、気持ちの上で全面的に味方してあげられない感じというか。
遊郭という場所は場所だけれど、彼女自身は大切に育てられたお嬢様。少女の頃は年上の優しい花魁に懐いたり、幼いかむろも苛めたりせず可愛がってあげたり、育ちのわりには温厚な性格。ゆえに、自分の立場に引け目を感じていて、遊女たちに対して罪悪感のようなものを抱いているのだけれど、それでも結局はお嬢様育ち。本当の屈辱や貧困は知らず、どんなに利口で温和でも、端々にしょせん苦労知らずのお嬢様な言動が出てしまう。
彼女自身もそれは自覚しているようだけれど、結局誰をも救えない中途半端な優しさなら、いっそスパっと悪人に徹してくれたほうがこっちはスカっとするのにとか思っちゃう(苦笑)。少女ゆえに母親の言動を許せない潔癖さとかも、理解はできるけど、それすら甘えでしょ、と感じてしまうし。なので、彼女の優しさに対して、悪意をもって報いた遊女(序盤と終盤で2回ありましたね)の心情のほうが、理解しやすいんですよね。でもそういうところも含めて、皆川博子のキャラクターの描き方は巧いなあと思いましたが。
そんな調子なので、ゆうの恋自体は応援してあげたい反面(お相手の役者・福之助とその三兄弟のキャラクターもとてもいい)、その恋の成就のために周りの人間に対して傍若無人にならざるをえない彼女には、葛藤よりもやはり身勝手、が気になりました。
幕末おたく的には(笑)、実在の役者・沢村田之助の鮮烈な存在も含め、当時の演劇界の事情や、幕末明治という激動期に巻き込まれた庶民側(と言っていいものかどうか、遊郭だけれど)の事情とか、教科書に載らないような部分での歴史を知れたのは面白かったです。 -
花魁や遊女の話は切なくて好きなので、
裏表紙に「吉原」とか「遊女」の文字を見つけると、
つい読みたくなる。
しかし、このお話の主人公は、遊女屋の1人娘でお嬢様。
本来なら黙っていても、将来は遊女屋の女将になれたはずなのに、
すべてを捨て、好いた役者の元に行く。
結婚というカタチにとらわれないままの夫婦生活(?)は、
この時代にしては勇気のいる選択だったのではないかと思う。
物語の中では色々な対比をモチーフにしているのがわかりやすい。
裕福vs貧困、芸達者vs大根役者、などなど。 -
第95回直木賞。
江戸末期から明治にかけての、遊郭と芝居の世界を描いた時代小説。
主人公は遊女屋の娘・ゆう。たまたま見かけた三流役者による芝居に魅せられ、遊女屋のおかみとして生きる道を捨てて、旅芸人と結ばれる。
本筋は、ゆうの恋愛、成長の記録であるが、他に裏テーマというか、さまざまな対立の構図が描かれている。遊女屋の娘・ゆう(使用人)と花魁(雇用人)、ゆうときつ(かむろ)、三流役者・福之助と大名題役者・田之助、吉原と深川、劇場と旅芝居などなど。みなそれぞれに自分の立場を理解し、また、自分の立場をあきらめ嘆き、それでも意地を張って生きていく。 -
で、さらに。田之助つながりで。
場末の芝居小屋の役者に救われる、遊女屋の娘ゆうの物語。
女郎達の犠牲の上に成り立っている自分の暮らし。どうしようもない自己否定から始まる少女の葛藤が描かれます。
このお話のせいってばかりじゃないんですけど、どーも「娼婦」にファンタジーを感じられない。 -
1986年に刊行された直木賞受賞作品だもんな、そりゃあこういう時代小説全開のものが罷り通ってたよな…。
ほぼほぼ40年前…よく考えなくても皆川博子先生の偉業に驚かされる。 -
▼福岡県立大学附属図書館の所蔵はこちらです
https://library.fukuoka-pu.ac.jp/opac/volume/168362