- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101139012
感想・レビュー・書評
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1950年の「舞踏」から、54年の「プールサイド小景」を経て60年の「静物」まで計7編を収録。初期の2作が夫婦の危機や不安定さを詳細に描いているのに対し、後期の作品では日常がより静かに描かれるようになり、『夕べの雲』の世界に近づいていく。
私は「舞踏」が最も印象に残ったが、解説によると、雑誌掲載時から大きな改稿がなされたとのこと。気になって調べたところ、下記の論文が詳細に論じていて、理解が深まった。
村手元樹(2016)「昭和二十年代における庄野潤三の文学修業:チェーホフ受容を軸に」『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集(日本文化編)』7。
http://doi.org/10.15088/00002583詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一年後、どんな内容の本だったか思い出せるか。もしかすると、すっかり忘れてしまっているかもしれない。
それはそうで、これはあまりにも“日常”である。三日前の晩ご飯を思い出せないように、“日常”とは過ぎ去っていくもの、忘れ去られていくものである。そのような“日常”を克明に描写している。
一つ一つの出来事を丁寧に、ありのまま描くことで、些細な“日常”の裏に深刻な何かが見え隠れする。急に、“日常”が重大に思われてくる。
その深刻な何か、日常の裏にある“危うさ”みたいなもの、それは一体何なのか、どういうことなのか、はっきりと書かれてはいない。結果、それが読後の絶妙な余韻へと繋がっている。
初めて志賀直哉を読んだときの衝撃と似ている。☆5つでも足りないくらい。今年読んだ本の中で最も衝撃的だった。
本書収録の中では、『舞踏』が最も私の好みで、冒頭からやられてしまった。
“家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ” -
芥川賞シリーズ⑨
戦後すぐに書かれた作品であるのに、今のリストラ社会を予見させるもので読んでいてドッキとさせれた。15年勤めた会社を自分の責任で首になった夫、その事で始めて夫の生活や家族について何も考えてなかったと気づく妻。
プール=現実社会の厳しさと、プールサイド=現実社会の厳しさから逃れた場所。プールの中に身を置き泳いでいくことを社会はこの後ずっと求め続けて高度経済成長を成し遂げてきた。
プールサイドに佇み人々には目もくれることもなく。
仕事に生き甲斐を見いだすことの一方、そこで生まれる疲れや淀みに気づかないふりをしてきたのではないだろうか。
社会や家庭の中で人は生きていくうえで表面的には何の波風も立っていないよう振る舞おうとする。個人と組織、個人と個人の間で関係を良好に保っていこうとする。それが疲れを生む。
この作品は高度成長期を終えた今の家族をテーマにした現代の小説の先駆けではないだろうか。
作者は2009年9月に亡くなられました。ご冥福をお祈りします。 -
『静物』が“何も起こらない”系作品の極地。
読み終えた後、何も残らないが読んでいる間は無心で読み進めてしまう水のような作品。
戦後の内向的な作品群の中でも輝く一冊。 -
なんだこれ。お行儀の良い文体の心地よさと時代の違和感、懐かしい感じと共感できない歯痒さ。昭和生まれだからわかるわーと思ってたらさらりと混ぜ込まれる戦争の記憶。綺麗な文体に浸りながらそんな両極端を行き来させられた。名文には間違いないかもしれないがもうおなかいっぱい。せめて最後の「静物」に不穏さが無くて良かった。
あと新潮文庫の表紙デザインがテキトー過ぎて引く。 -
今年の私の読書テーマは「第三の新人」。
小島信夫は何年か前に読みましたが、今年は安岡章太郎、丸谷才一、吉行淳之介と読み継いできました。
これら4氏に比べると、やや影が薄いのが庄野潤三ではないでしょうか。
文学に興味のない人でも、安岡や吉行の名前くらいは知っているでしょう。
ただ、庄野となると、どうか。
でもねー。
実に良かったです。
家族の生活というものは、危ういバランスの上に辛うじて成り立っているものなのだと再認識しました。
妻と子のいる男なら、誰でも共感を覚えるのではないでしょうか。
まず、感心したのは、芥川賞受賞作の「プールサイド小景」。
会社の金を使い込んでクビになった男の話です。
男には妻と小学生の息子がいます。
妻は明日からの生活を考え、呆然とします。
それでも、いつもの日常と変わらず、夕飯の支度をします。
それを「何故だろう?」と考える妻の疑問は、とてもリアリティーがあります。
一見、幸せそうに見える家庭にも、人には言えない様々な事情がある。
そんなことを感じました。
もっとも会社の金を使い込むというのは極端ですが。
それから、何と言っても「静物」です。
夫婦と1女2男の家族の平凡と言えば平凡な話。
寓話的なエピソードが並べられる、何とも不思議な作品です。
正直に言って、私は初め戸惑いました。
こういう構成の作品は、特に日本人作家には珍しいからです。
自分の少ない読書体験からは、ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」に近いかも、と思いました。
1つ1つのエピソードは、釣りをした話や親戚からクルミをもらった話など、確かに他愛無い。
ただ、途中でやや趣の異なる挿話(たとえば階下で女の泣き声がした話など)があり、作品全体に不穏な影を落としています。
いや、何とも独特の読後感。
「舞踊」も良かった。
第三の新人には、小市民的とかスケールが小さいとか揶揄する向きがあります(今はさすがにないか)が、どっこい奥が深いのです。 -
純文学らしい純文学を久しぶりに読んだ。
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何気ない日常が、容易に崩壊し得る。「何気ない」状態が保てているのであれば、感謝しなくてはならないという気がする。
ある家族の日常が、次々にシーンを切り替えて淡々と描写される「静物」という短編は、梶井基次郎の「城のある町にて」に感じが似ていると思った。 -
あなたの好きな作家は?
そう訊かれたら、わたしは迷うことなく庄野潤三さんと
佐伯一麦さんの名まえを挙げます。
庄野文学を端的にあらわす文章を紹介します。
「ここにこんな谷間があって、日の暮れかかる頃に
いつまでも子供たちが帰らないで、声ばかり聞えて
来たことを、先でどんな風に思い出すだろうか」
ー 小説「夕べの雲」より抜粋
「夕べの雲」へとつづく、家庭文学の原点「静物」収録 -
あらあらあら、なんだか不思議だ、なんなんだ、感覚的にはパラレルワールドの中の(あくまで作品であるという性質)多少の寓話的な世界観を持った日常であった。夢にも近い。