原色の街・驟雨 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101143019

作品紹介・あらすじ

見知らぬ女がやすやすと体を開く奇怪な街。空襲で両親を失いこの街に流れついた女学校出の娼婦あけみと汽船会社の社員元木との交わりをとおし、肉体という確かなものと精神という不確かなものとの相関をさぐった『原色の街』。散文としての処女作『薔薇販売人』、芥川賞受賞の『驟雨』など全5編。性を通じて、人間の生を追究した吉行文学の出発点をつぶさにつたえる初期傑作集。

感想・レビュー・書評

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  • 私の今年のテーマは「第三の新人」。
    安岡章太郎、丸谷才一に続いては、吉行淳之介です。
    本書に収められているのは、吉行の初期の短編5編。
    エロティシズムでしょうねー。
    谷崎とはまた違った魅力があります。
    世間的には、表題作になっている「原色の街」や「驟雨」なんでしょうが、ぼくは断然、処女作の「薔薇販売人」。
    主人公の若い会社員がニセ花売りになって、緋色の羽織が掛けられている家に住む女に薔薇を売ろうとします。
    女には夫がいます。
    この夫がくせ者で、妻に対する恋心をこの会社員に植え付けられたら面白いとさまざまに画策するのです。
    会社員は夫の留守中に、女の家に上がり込むことに成功します。
    ここからの会社員と女の駆け引きが、もう官能的で堪りません。
    女の乳房に触れ、いよいよというまさにその時、会社員はふすまの向こうに夫が隠れてこちらを見ていると感じます。
    読んでいる方は既にこの会社員にどっぷり感情移入していますから、それはもうドキドキです。
    夫が隠れていたかいなかったのかは、言わぬが花でしょう。
    味わい尽くしました。
    「薔薇の販売人」が最も典型的ですが、本書に収められている吉行の作品には、「見ている、だが、同時に見られている」というテーマが潜んでいるような気がします。
    主人公(男)は、相手(女)をよく観察しています。
    しかし、同時に、自身は相手からも観察されている。
    相手からの視線に晒されて、自分の中にある劣情が露わになるんですね。
    エロスに目を奪われて興味本位で読み進んでいくと、エライことになります(いや、なっていいんですが……)。
    文体は、凝りに凝っていますよね。
    小島信夫、遠藤周作を含め私の読んだ第三の新人の中では最もそう感じました。
    手数も多い。
    ただ、私には少し手数が多過ぎるように感じます。
    村上春樹は「若い読者のための短編小説案内」で、吉行について「上手な作家ではない」といった趣旨のことを書いていましたが、たしかにそうかもしれません。
    次は庄野潤三です。

  • 原色の街と驟雨はどちらもいわゆる赤線地帯と呼ばれる歓楽街の娼婦たちとそこに通う男の物語。都会的でクールな主人公の娼婦との関わり方は付かず離れず。時には心を揺り動かされることもありながらそれを悟られまいとする両者はある種、非常に技巧的な人間関係を敷いているといえる。
    しかし、この技巧的な人間関係というのは別に娼婦と男にだけ存在する訳ではなく、社会集団の持つ力が弱まって、個人と個人を繋ぐ引力も弱まった現代においてはごく一般的に存在する。その絶妙な距離感を描くのに題材として娼婦や彼女らがいる遊郭が適していたのだろう。

    主人公は直截な感情の発露を行わない。代わりに自らの心の動きを第三者的視点で見つめる。その描き方が明晰で言語できていなかった感情を正確に言い当てられた気がして気持ちが良い。

    「そのことは、元木英夫の感受性の鋭さではあっても、優しさではない。それは、結局のところ自分自身に向けられたものであり、自分自身の神経を労わるためのものであって、エゴイズムの一種である。」

    「あけみはいつも鈍感な筈の、いや事実鈍感にちがいないこの男が、このような事柄になると示しはじめた緻密さに唖然とした。」

    「この場に及んでも、彼はその感情を、なるべく器用に処理することを試みた。」

    一見、ドライな主人公だが自分の感情すら技巧で弄びつつも時にその制御が外れるところに人間味と親近感を抱いた。

    「原色の街」のラストの印画紙が舞い降りる中、薪炭商の顔が浮かび上がるシーンがなんとも言えず奇妙で好き。

    個人的には「夏の休暇」もかなり好み。一緒に長い時間いるだけで理解していると勘違いしてしまうのが自分の親。親が時に見せる底知れない、何を考えているかわからない感じってどことなく怖い。

  • 風俗の女と両思いになったが男の変なこだわりでモニョモニョする話

  • 「原色の街」
    男どものだらしない欲望(エゴ)を集める自分自身こそ不潔である
    そう考えるなら、彼女にとって娼婦は最適の職業だろう
    そこであれば、不潔な肉体と潔癖な精神を
    職業的意識において、完全に合致させることができるから
    彼女は性的に不感だった
    しかしあるとき、客の男に焦らされたのがきっかけで
    エクスタシーに目覚めてしまう
    潔癖な精神を離れて、肉体がよろこびを感じるとき
    彼女が娼婦を続ける理由は、半分消失したのだ
    肉体が存在の代価を支払うなら
    それを賄賂に潔癖の目をごまかすことは可能だ
    食っていくだけなら、適当な結婚相手を見繕うのに苦労しない女である
    ところが新たに生じた問題もあって、結婚に思い切ることができない
    その問題とは、情熱だ
    ひそかに彼女は、性感を目覚めさせてくれた男への執着を抱え込む
    それは純粋なロマンであると同時に
    やはり一方的なエゴイズムの恋でもあるわけだ

    「驟雨」
    戦後日本を身体ひとつで生きている娼婦たちに
    自由というものの、ひとつの理想を見いだそうとするのは
    甘いロマンティシズムでしかないだろう
    しかし、ロマンにおいて自らを戦地に駆り立ててきた日本の男たちだ
    なんだかんだ言いつつ、それをどうしても手放せない
    結婚を機に出世していく同僚を横目に見ながら
    自分は娼婦との関係にこだわって、ばかな嫉妬に狂っている
    タイトルの「驟雨」とは、街路樹の葉っぱが病気か何かで
    一気に散っていくさまをそう呼んだものだ
    それは、ロマンによって蝕まれた日常の終わりを予感するものか

    「薔薇販売人」
    実存は本質に先立つ、そう言ったのはサルトルという人で
    これはつまりどういうことかというと
    人間存在の本質を規定するのは行動である、ということなんだ
    早い話、自分が何をすべきか?などと思い悩む前に
    とにかくなんでもいいからやってみろ、といった考え方である
    そのように行動することではじめて、自分というものが
    形づくられていくというわけだ
    そんな感じで薔薇のセールスマンやってみた!という話
    主人公は、薔薇を売りに行った先で
    人間の本質というものをうじうじ追いかけてばかりの男に出会う
    そして互いを軽蔑するために
    女をめぐってむなしい策略を仕掛けあうんだ
    少なくともそれが、彼らの本質というわけなのだった

    「夏の休暇」
    小学五年生の夏休み
    一郎くんは、父親と、その愛人に連れられて大島に向かうのだった
    三原山の火口に登ったりして、まるで心中旅行のようだが
    そういうことではないのである…たぶん
    この父親というのが破天荒というか不安定な人で
    急に笑いだしたり怒りだしたりと、一郎くんの心を振り回す
    大荒れの海に海水浴する父を見ながら一郎は
    軽い怯えと、「死ねばいいのに」的な感情を同時に抱くのであった
    だがそんな父親だ、殺すまでもなく勝手に死ぬだろう
    「死なぬなら死ぬまで待とうホトトギス」
    これぞまさしく、戦後日本男児の生きる知恵というもの

    「漂う部屋」
    しかし日本人の平均寿命はどんどんあがっていくのだった
    かつては不治の病として恐れられた結核も
    戦後には、薬の普及と医術の進歩で、ぐっと完治率が高まった
    ところが、先入観にとらわれた世間の人々はいまだに
    結核の療養所があの世への入り口で
    完治者の手術痕を、まるでケガレのようなものと見る
    まあそれはしかたないことだ
    結核患者たちは、せめて死のタブーを笑いに転化することで
    自分たちのなぐさめにするのだった

  • 本書を読んで、感化されるもの、呼び起こされるものがたくさんあったのだけど、上手く言語化できない。思考が上手くまとまらない。唯一つ言えるのは、読んでいる間とても幸福だったことだ。

  • 表題作二つは娼婦街の話。「原色」はネオン看板のこと。

  • 戦争体験が与えた意味を文学的に表現した第一次戦後派と、西洋の文学理論や新たな手法を積極的に取り入れた第二次戦後派。
    それら戦後派作家に続く形で現れた新しい世代の文学作家達を、評論家の山本健吉は『第三の新人』と称しました。
    『第三の新人』には、共通した思想、定義があるわけではなく、同一の文学理論や問題定義、同一同人誌・文学雑誌での活動等もないです。
    単純にこの頃に相次いで現れた多才な新人文学家を総称したワードであり、今日、純文学と大衆小説の垣根が薄くなったその始まりと言える時期かもしれないと思います。
    現代だからこそ日本文学史上の一つとして位置づけられていますが、当時、『第三の新人』は文壇からは軽く見られていたそうです。

    吉行淳之介氏は『第三の新人』を代表する作家の一人です。
    氏の作風としては、一般的に性を描いたものが多いというイメージがあり、本書収録の代表作も色街が舞台です。
    ただ、幼少期を題材にした作品も少なくなく、両作品とも共通して、揺れ動く心理の描写に長けた作品だと思いました。
    各作品の感想は以下の通りです。

    ・原色の街...
    赤線の娼館"ヴィナス"の娼婦・あけみを主人公に据えた作品。
    元ホステスだったあけみは、男性からの視線に耐えられず、上辺だけの肉欲を受ける娼婦として働いていた。
    その彼女のもとに汽船会社に務める「元木英夫」が訪れる。
    彼はあけみと軽い会話の後で酔っているといい、事に及ばず眠ってしまうが、そのことがきっかけにあけみの身体に異変が発生する。
    その他、"ヴィナス"に務める娼婦たちや、憎く思うがなぜか元木のことが頭を過ってしまうあけみの日々が描かれます。
    元木のことを考えながらも、娼婦としての仕事をしないといけないあけみの苦悩の描写が生々しい作品で、それまで読んだ文学作品とは一線を画すと感じました。

    ・驟雨...
    吉行淳之介の代表作。
    芥川賞受賞作であり、『第三の新人』と呼ばれ始めたきっかけと言える作品と思います。
    "原色の街"同様、赤線を舞台にした作品で、自分の意図せず娼婦の女に慕情を抱いてしまった男性の物語となっています。
    主人公は独身のサラリーマン「山村英夫」で、赤線で娼婦を抱くことが精神衛生にかなうと考えています。
    だが、そんな思想とは裏腹に、馴染みの娼婦「道子」に愛情を抱き始めてしまう。
    ある日、道子のもとに訪れた山村は、客を取っていた道子に40分ほど散歩に出て欲しいと言われるのですが、この40分の散歩ほど精神衛生上良くない散歩は無い。
    そんな男の胸のざわつきの描写がリアルで、静かで激しく燃えくすぶる炎のような作品だと思いました。

    ・薔薇販売人...
    「檜井二郎」は通勤途中の気まぐれで電車を乗り換え、たまたま訪れた家で花屋で購入した薔薇を販売しようとする。
    そこに住む人妻「ミワコ」は妖艶な女性だが、その夫「恭吾」は、自分が留守中のミワコに逢うことで"被害"が起こることを示唆する。
    恭吾は二郎がミワコに恋慕の情を抱いたらおもしろかろうと思っており、二郎は恭吾の企みを感じ取りながらもミワコに接近する、という内容です。
    一言で言うと奇妙なストーリーで、結局のところ何が書きたいのか、よくわからなかったです。
    不貞は成功するのですが、二郎も恭吾もミワコも、それぞれの考えが見えず、ただ不思議な出来事が書かれた作品に思いました。

    ・夏の休暇...
    ある少年の、父と、見知らぬ若い女の記憶を描いた物語。
    少年が主人公ですが、吉行淳之介自身の幼少期の記憶がモデルではあるものの、氏の幼少期を描いたものではないようです。
    若く、少年の兄とよく間違えられる父に連れられてO島のM山に旅行にでかけた少年「一郎」は、船の中にいるはずのない見知らぬ女性と道中一緒になる。
    母には内緒だというその女性と父との旅行は、子供ながらに何事かを察している。
    その心理描写が巧みな作品で、無垢な少年の仄暗い成長を感じました。
    私的には、最後の"甘く広がってゆく開放感"という一文に鳥肌が立ちました。
    吉行淳之介氏の特殊性を感じることができる一作だと思います。

    ・漂う部屋...
    吉行淳之介氏が結核の療養として過ごしたサナトリウムでの経験を元に書かれた小説です。
    氏の小説としては珍しく性を扱っていない作品で、療養施設に入所した人々の不安やその生活が描かれています。
    描かれている不安は、病気に対する不安ではなく、生活に対する不安が主になっています。
    主人公は六ヶ月ほど入院することが決定しており、逆に言えば、六ヶ月経つと次の患者のため退院を余儀なくされます。
    六ヶ月ほどであれば社会復帰はまだ容易ですが、その療養施設にいる人の中には退院の目処も経たないまま会社を馘首され、退院できたとして次の仕事を探すのは困難な方が多くいます。
    また、収入の見通しが立たないまま療養生活を続けると、「生活保護法」の適用枠からも外れ、療養所から出ていかなくてはならなくなる。
    そうなると、食と住を得る手立てもなくなるので、そういった不安に思いながら病気と戦う人々の世間から浮いて漂う病室の様子が書かれます。
    短編で、最後は特にオチもなく、静かに幕を閉じました。
    どう思うかは読み手次第だと思いますが、どうしようもない状況でただ過ごす患者を書きながら、不思議と暗いだけの話ではないと感じました。
    ある種、人間の本質を描いた作品だと思いました。

  • こういう色気と退廃的なムードが漂っていた時期の作品という感じですね。今の時代なら社会的にどうよという部分もありますが、そこはそういう時代ということで。自分としてはドロドロとした感情表現が強く、あまり好きではないです。

  • 思ったより読みやすく、
    色気がありました。

  • 「原色の街」
    色街に絡め取られた、人生の成り行きを紡ぎ出している。
    客に受けられるという穏当な手段でも、心中未遂という一刀両断的な手段でもこの街から逃れられない。むしろ逃れたくない自分から逃れられない。デスティニ、運命はこうも決定づけるのか。

    「驟雨」

    色街の女に本気になっていく男の物語
    サイコロ
    →不完全を示し、二人の気持ちが交わりそうで交わらないことを仄めかす。

    落葉
    落ちるはずのない緑葉が、にわか雨のようにボトボト落ちていく。それは娼婦に心を寄せることなぞ考えもしなかった主人公を、葉になぞらえ、幹(正道)から落ちていく様を描く

    茹でがに
    散らばる茹でがには、娼婦への嫉妬を、ダイレクトに表現し、茹でられたカニさながら頭をかっかさせ、中身は白くフニャついてしまった模様を暗示する。

    「薔薇販売人」

    一輪のバラを、通りすがりの家に売りにいく話し。
    薔薇の持つ“狂”的な艶かしさと、その粘着質な美に自ら溺れる心情を描く

    「夏の休暇」
    いい作品です。
    父親に対する微妙な感情がよく掬い取られている。
    尊敬、畏怖、味方、対抗

    母を裏切ろうとする父を憎むことなくナチュラルに受けめようとする少年

    「漂う部屋」
    結核で入院している患者の病院内での出来事の話。読後妙ななごりが残る。
    題材やレトリック、描写それほど技巧的に感じないけど、何故かスッキリしている。
    灰色のストーリーに赤いスリッパと赤いスカートが虚しい彩りを添える

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著者プロフィール

大正十三年(一九二四)、岡山市に生まれ、二歳のとき東京に移る。麻布中学から旧制静岡高校に入学。昭和十九年(一九四四)九月、岡山連隊に入営するが気管支喘息のため四日で帰郷。二十年東大英文科に入学。大学時代より「新思潮」「世代」等の同人となり小説を書く。大学を中退してしばらく「モダン日本」の記者となる。 二十九年に「驟雨」で第三十一回芥川賞を受賞。四十五年には『暗室』で第六回谷崎潤一郎賞を受賞する。主な作品に『娼婦の部屋』『砂の上の植物群』『星と月は天の穴』『夕暮まで』など。平成六年(一九九四)死去。

「2022年 『ネコ・ロマンチスム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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