アメリカン・スクール (新潮文庫)

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著者 : 小島信夫
  • 新潮社 (1967年6月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101145013

アメリカン・スクール (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • シリアスなのに滑稽さが絡まって、読んでいると体の一部がなんだかむず痒くなってくる、ひと味違った作品。

  • 微笑が気に入った。外向きには良い父親を演じながら、誰も見ていないところで、何もわからぬ不具の息子への加虐欲求を満たす。根底にあるのは同族嫌悪であり、息子を痛めつけながら、自身の痛みを楽しむ。この気持ちがよくわかるのは自分もそうだから?

  • 表題作は視覚や聴覚といった点に注目するとなかなか面白い。

  • 「汽車の中」「燕京大学部隊」「小銃」「微笑」だけ読んで、自分に合わないので途中でやめ。
    文体は難しくないのに読みづらい印象。

  • 表題の「アメリカン・スクール」のほか「汽車の中」「鬼」「微笑」「馬」「小銃」がいいです(てか、ほとんどじゃねぇか)。

    作中の主人公達には閉鎖的な劣等感を宿しています。
    その劣等感は何に対する物なのか?
    敗戦後のあの時代の社会に蔓延した物なのか?
    普遍的な物か、個人的な物か?

    価値観が根底からひっくり返ったあの時代、戦後の日本人が抱えていた不安がヒリヒリと伝わってきます。
    自己の中で囲い込みくすぶり続けた劣等感の解放する術をしらない主人公達は、いったいどこに向かうのでしょうか。

  • 小島信夫は独特の文体、だと聞いていた。読んでみて果して納得である。しかし問題はその「独特さ」が何なのか、である。僕にとっては、「頭が理解しようとしてもできない」という独特さであった。いったい誰がどこで何をしゃべっているのか、読んでいてわからなくなるのである。流れるように文章が展開していない、というべきなのかもしれない。その「ひっかかり」が其処此処にある。

    ここに収録されている小説を、戦後の日本とアメリカの関係をモチーフした作品として理解することは容易い。でも、きっとこの小説を読むということは「そういうこと」だけではないのだ。すっと読み進められない「ひっかかる文章」は、「小説でありながら小説からいかに逸脱するか」という挑戦になっているような気がする。

  • 8つの短編小説が収録。

    個人的には、表題の「アメリカン・スクール」もよいが、戦時中の出来事を題材とした「小銃」もよかった。巧みな描写。

    また、「汽車の中」や「馬」も、独特な物語の展開で、不思議と引き込まれる。

  •  小島信夫の短編集。芥川賞をとったアメリカン・スクール。秀逸な「馬」等全八編。
     「馬」は不思議な作品だ。最初は家をローンで買って、ひたすらローン返済の為に働いている夫。そしてその行為さえ曖昧になってきた。しかし、妻を愛しているものの、顔をまともに見たことが無い。自虐的に妻への服従を誓わされている。すると、いつの間にか、家が増築されるという。更には、増築した1階には馬の「五郎」が住むという。その行為に、憤慨する夫、しかしなかなか言えず、頭がおかしくなってくる。棟梁が家に来ているとか、馬が妻の部屋に入ってくるとか幻想だか現実だかさえもはっきりしないトランス状態に陥り、最後は、妻から「愛しているのはあなたよ」と今まで聞いたことがない愛の告白を受けるというストーリー。馬は夫の男としての尊厳のメタファーであり、そこに挑んで行くという風に感じられる。そこがリアリティに繋がりつつ、同時に不思議な世界に誘う。
     なんじゃそれはという世界に、極々自然に入って行く感覚、どこからが現実でどこからが幻想なのか、ドラッグ的な、酩酊的な世界。短編の中でも、この夢のような世界に気持ち悪いくらい入って行ってしまうのは「馬」だろう。
     その他、日米関係の滑稽さを入れたりと風刺が効いた短編が入っている。鬼才という表現がぴったりの作家だ。

  • 初期のころの短編が天才的です。

  • 表題作は、アメリカンスクールに見学に行く英語教師たちの滑稽譚。アメリカ人相手に、英語を話せば日本人でなくなってしまうが、英語を話さなければ、劣等民族のように扱われるという矛盾した立場に彼等は立っている。いくら英語がネイティブのように話せても、日本人は、立小便するし、箸で弁当を食べるし、ハイヒールより裸足が似合う。おそらく教養では、アメリカ人にまさるところもあるのだが、文化的な洗練や、豊かさでは、到底かなわない。英語だけ上手くなって、近代化したと勘違いすることの恥ずかしさが、容赦なくえぐり出されている。

  • 最初は、文体に馴染めなかったんだけど、徐々に慣れてくせになってきた。もう一回、読みたい。

  • どの章も暗く物悲しい。夢に出てきそう。唯一「馬」の章が心から笑えた。

  • 話し方がいいなあ!
    送りがなが現代常用と異なることや、単語がひらがなにひらかれたあたりに、ワープロでない手書き原稿感がある。

  • 第32回芥川賞(32回て。こないだ150回だった…)。

    度の合わない他人の眼鏡をかけているような、そんな感覚の読書だった。見慣れたはずの景色が歪んで、自分の立ち位置の怪しくなるような、頭痛がするような。
    大概こういう「わざとわかりにくく書いてるんです」的な文章は押し付けがましくて苦手なんですが、今回は面白く読めた。(多分特に女性作家のそういう文章が苦手なんだろうなと分かった気がする)まあところどころ、本当に何を言ってるのかよくわかんない部分とかもあったので、読書会とかして他の人の見解を聞いてみたいと思った。
    特に「微笑」が良かった。ひねくれた文体と、描かれている、主観と客観の入り交じり考えがねじれている主人公の心理状態がうまくはまっていたと思う。今までの人生の短編小説ランキングにランクインしそう。そのランキングの他の作品と違い、多分(この本全部に言えることだけど)読み返すと読み返す度に違う感想を抱くことになりそうな気がしている。

    他の作品を読むのが楽しみ。特に長編だとどうまとめてくるのか。

  • 終戦直後。英語教師である主人公の伊佐が教員たちとアメリカンスクールに見学に行く。でも突然英語をしゃべらざるを得ない状況に放り込まれ戸惑うストーリー。

    英語ができるのに喋らなければいけない状況を必死に回避しようとする伊佐。一方、同僚の山田は‘敗戦国民の俺たちだって英語ができるんだぞ!’とアメリカ人に対抗しようとする。山田は見学先の校長に自分たちにモデル・ティーチングをやらせてくれと切り出す。

    うまく喋れないから卑屈なまでに英語を使いたくない伊佐。モデル・ティーチングで米国人に英語力を見せつけたいと頑張れば頑張るほど空回りする山田。2人とも必死で痛々しい。その姿が滑稽で哀しい。そんなお話。

    敗戦国民であるという負い目と、外国語を勉強するのが辛いとかしんどいという意味でなく、自明性がなく自分の意思で選び取ったわけでないのに母語となる言語しか結局はうまく使えない状況をユーモアを交えて上手く物語に落とし込んだ作品だった。

  • そのキャラクターの持って生まれたおかしみや愛嬌を、落語の方では「フラ」といいます。たとえば、古今亭志ん生なんかその典型ですね。他の落語家の高座と聴き比べていただければ、私のような素人でも分かります。高座だけでなく、私生活でも「フラ」を発揮していたようで、たとえばジェット機がガクーンと急降下すると「危ないよォ。つんのめったらどうすんだい」とか、「そこにある犬の糞、それェ片づけなよ」に志ん駒が紙で取ろうとしたら「手でやんなよォ―。いい百姓になれないよ」。おかしいですよね。
    小島信夫さんの作品は今回初めて読みましたが、「フラ」を感じました。小島作品をそんなふうに評した人は恐らくいないと思いますが、そう感じたんだから仕方ない。
    たとえば、「汽車の中」という作品で、警察官が網棚の青年に注意する場面で言ったセリフ。
    「おい、君はそういう態度に出るのなら、こちらも民主的に出られないな。君の荷物はどれだ」
    「民主的」という言葉の使い方にニヤリとします。警官が注意する場面ですから、そこには恫喝が含まれていますが、「こちらも黙ってられん」ではなく「民主的に出られない」。緊張が緩和しておかしみを誘うのですね。
    恐らく、著者は笑わせようと思っているのではないと思います。いや、徳川夢声が志ん生を評して、「どっかで受けようとしているはずだ」と語っていますから、計算ずくかもしれません。だとしたら、その作為を徹底的に覆ってしまっているところがすごい。
    「馬」という作品での「僕」と妻の「トキ子」の会話は表面上は真面目なやり取りですが、何とも言えない間があっておかしいです。
    「僕」が帰宅すると、家の敷地に材木がうず高く積んであります。「誰かがこれで以て家を建てるに違いない」と見当をつけた「僕」が、材木を置かせてほしいと頼んだのは誰かとトキ子に訊ねます。
    「誰におかせてやったの」
    「さあ、何といっていいかしら、誰にもおかせてやらないわ」
    「すると、これはどういうことになるの」
    「私が置かせたのよ」
    「そう、誰が建てるの」
    「そりゃ、あなたよ」
    自分の建てる家のことを自分が知らないことに、「僕」は「まったく闇夜に鼻の先をつままれたような、一方的なかんじを受けざるを得ない」と感想を語ります。
    「感じ」を「感じ」ではなく、「かんじ」と漢字を開いているのに感じ入ります。
    とにかく横溢するユーモア、諧謔を堪能しながら読み耽ったのでありました。

  • なんとも言い難い読後感。これは明らかに、巻末で作家の保坂が述べているように、その独特の文体によるところが大きい。もちろん、主題も特異だ。しかし、その主題の特異性を醸し出しているものが文体だと言える。そして、さらに言うならば、その文体を生んでいるのは、小島信夫の、世界を分節化する思考法そのものの特異性なのだ。流麗な文章を書く作家はあまたいるが、彼のような語り口を持つ人は稀有だ。読みづらいので引っかかる。腑に落ちないので心に澱む。すごい作家だ。

  • どの作品も一貫して主人公は無様だ。
    同情を誘う可愛らしい今風の無様、ではなく、きっと物心ついたときからすでにこういう扱いを受け続けてきたんだろうなと想像できるような無様。そこに戦後の、否が応でも自尊心を意識せざるを得ない流れがやってくるからさらに厄介。
    「アメリカン・スクール」、「汽車の中」、「星」、「微笑」の感想は上記のような感じ。
    どの作品も私好みの奇妙さと哀惜を湛えていて面白く読んだけど突出して良かったのは「馬」かな。
    結局よく読者も主人公もよくわからないまま終わる。真相はおくさんだけが知ってるんだけど。こういう話が一人称で語られるとすごく怖いです。最近見つかった安部公房の未発表作品の「天使」的な感じ。あそこまでストレートなえぐみはないけど。シュールの一言で片づけられないものがありました。

  • 「どうしてなの。私いや?
     今日は足きれいよ。
     どこかまだよごれているとこある?
     よごれているだけできたなくないの。
     ねえ」


    自分がこの息子の父ではなく、
    隣家のおじさんであって、
    崖の上からでも眺めていて、
    美しい情景を見て、涙を流す立場なあったら
    どんなにいいだろうと。

    (汽車の中/燕京大学部隊/小銃/星/微笑/アメリカン・スクール/馬/鬼)

  • 村上春樹さん推薦だから
    「馬」が載っている

    やっぱり、『馬』が、1番おもしろかった。
    あんな風に生きれる奥さん、ラクだろうな…。

    その他は、時代背景が古いためか、ちょっと読み辛かった。

  • 表題作と『微笑』は面白かった。安部公房みたいな不条理テイストな作品多し。アメリカや支配を通して書き出す劣等感とか敗北感みたいなものがすごく上手い。

  • アメリカン・スクールの見学に参加した、30人ばかりの日本人英語教師たち。戦後3年経つたばかりの時代背景です。
    メムバアの一人である伊佐は、英語を話したくない(不得手らしい)ばかりに、日本語でも口をききません。逃げ回つてゐます。
    一方山田といふ男は、何かと一同を仕切りたがるうるさい奴で、英語力を誇示したいやうです。さて、どうなりますか...

    さて本書は小島信夫氏の初期作品集であります。各作品に共通するのは、主人公が皆、苦しんでゐまして、常に懊悩してゐることであります。
    本来ならいくらでも重苦しくなるところですが、その文章の軽妙さで、読む者を暗澹とさせません。ふつと軽く笑はせながら、戦後の矛盾した社会、不条理な世界を抉り出してゐるのでした。
    現在でも十二分に読み応へのある傑作集と申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-89.html

  • うーん。結論から言うと
    あまり面白くなかったなぁ~。
    なんだかね、8編の主人公に共感出来なかったのが一つの原因かな。
    それと時代背景。
    終戦間近だったり、終戦後だったりして、いまいち、イメージしづらいんだよね~。
    しかもちょっと私小説っぽくって苦手。
    表紙を見ると、コミカル系に見えるんだけど。。。。

    各短編のストーリーはこうです。

    ★記者の中
     戦後の記者の中で交わされる人間関係。
    ★燕京大学部隊
     英語関係の部署に配属された戦士の人間関係。
    ★小銃
     小島信夫の処女作。小銃に取り付かれた兵士の話。
    ★星
     兵士の階級である襟章の星に取り付かれた兵士の話。
    ★微笑
     小児麻痺の子供を持った父親の話。
    ★アメリカン・スクール
     日本の英語教師がアメリカン・スクールに見学に行く話。
    ★馬
     馬に取り付かれた女房をもつ旦那の話。
    ★鬼
     「エンマ」と言われる川にまつわる男の話。

  • 戦争中、戦後が中心で、現代とは馴染めない表現もあったが、ユーモアのセンスはピカイチ。一つ間違えたら、下品になりかねない場面も上質の笑いを誘われた。中でも、「汽車の中」での主人公がトイレに行きたくなるシーンは抱腹絶倒で、表現力の巧さが物を言っている。他には、表題作「アメリカン・スクール」や「馬」が良かった。

  • 2012.9.22読了。

    可愛がられる男の不機嫌、原因・説明もなく起こる悲劇、身動きのとれない男。

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アメリカン・スクール (新潮文庫)の作品紹介

アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作『小銃』や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇『汽車の中』など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。

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