国盗り物語(四) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (720ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152073

感想・レビュー・書評

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  • 完結編を読み終えた今、信長の野望が成り立っていく展開と同時に、光秀もそれ相当の野心を持ち合わせていたことが認識できた。なぜ主君の信長を討つに至ったのか、諸説あるけどこの作品がやっぱりしっくりくるような気がする。
    歴史小説家の今村翔吾氏がオススメするだけあって、抜群の読み応えでしたね。

    あらすじ
    すざましい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には超えられない深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性。。信長と光秀、共に斎藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、本能寺の変の真因を捉えた完結編。※カバーから抜粋

  • 【感想】
    ついに最終巻。信長というよりそれに仕える光秀にスポットライトが当てられて物語は進んでいく。
    「うつけ」と呼ばれ、この本を読むまではいかにも感情的で粗暴なイメージもある信長だったが、イメージとはかけ離れた印象を持った。
    天才、とも少し違うと思う。
    徹底的なまでに現実的で、合理的なものの考え方をしているんだなと思った。
    突飛な戦略の数々も、比叡山の焼討も、その時代であったから突飛で非常識な事だったのだろうが、合理主義の視点で考えると信長はそれに沿って進めていただけにすぎない。
    (まあそれがスゴイのだが・・・)
    また、光秀の苦悩と葛藤、信長に対するコンプレックスから「本能寺の変」が起きたのを思うと、正直光秀の器の小ささを感じざるを得ないなとも思った。

    大きな視点で見て、信長も光秀も大きくトガっていてそこが原因で間違っていたのだろう。
    結局、秀吉や幽斎のように世渡り上手な人間が生き残る・・・それが世の常なのかもしれないと思った。

    余談だが、「心頭を滅却すれば火も亦(また)涼し」という言葉が信長の被害者による辞世の句という事は初めて知った。


    【あらすじ】
    すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。
    しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。
    外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性―共に斉藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。


    【引用】
    p23
    光秀が、親族でもある安藤伊賀守を訪ねた際、信長からの待遇に不満のある旨を聞いた。
    稲葉城を去り尾張に戻った信長を「臆病」と罵る安藤に対して。

    (いや、その臆病が怖い。)
    光秀は逆の感想を持った。
    (性格からすれば信長は軍をやること電光石火で、何事につけ激しい男だ。しかし、その面だけではない。
    美濃攻めの事前工作についても自重に自重をかさね、十分すぎるほどの裏工作をしてから城下に入っている。
    しかも短兵急に力攻めすることなく、城下町に放火して丸裸にし、城外を柵でかこって持久体制を取り、あたかも熟柿が枝から落ちるかごとく自然に落とした。
    いわば臆病すぎるほどの理詰めの攻略法である。)

    光秀にとって意外であった。
    桶狭間で冒険的成功をおさめた信長は、それに味を占めず、逆に冒険とばくちのひどく嫌いな男になった。


    p83
    光秀は暗鬱な表情でいった。
    「わしは信長がきらいだ。つねに織田家を避けて今日まできたのは、かの信長とは肌合いがあわぬからだ。」

    「弥平次、いま信長こそ名将と申したな。しかしこの光秀から見れば、どうみても大した人物のように思えぬ。いまここにこの光秀に三千の兵があれば、信長などおそるるに足らぬ。」


    p147
    「織田家に仕えてみてやっとわかったことだが、あの信長というのはどうやら常人ではない。」
    「すべてが本気だ、ということだ。こういう仁も珍しい」
    光秀のいう「本気」というのは、目的に向かって無我夢中という意味らしい。

    ケイ烈な目的意識をもった男で、自分のもつあらゆるものをその目的のために集中する、つまり「つねに本気でいる」男だ。


    p174
    信長は、天兵の舞い降りるような唐突さで京にのぼり、軍政を布いた。
    凄まじい行動力である。しかも、粗豪ではない。
    軍律が、峻烈をきわめた。


    p193
    (幕府はひらかせない。ひらくとすれば、それは俺自身だろう)
    この人物を動かしているのは、単なる権力欲や領土欲ではなく、中世的な混沌を打通して新しい統一国家をつくろうとする、革命家的な欲望であった。

    が、義昭は違う。
    義昭は中世的な最大の権威である「室町幕府の復興」ということのみに情熱をかける、いわば過去の亡霊であった。


    p370
    信長は、わが身に過ぎにし事をふりかえってあれこれと物語る趣味は皆無であった。
    つねにこの男は、次におこるべき事象に夢中になっている。

    人生を一場の夢のように見ているこの男は、このつぎ何事がおこるのかということが、新作の狂言を期待するようにおもしろいのであろう。


    p464
    ・比叡山の虐殺
    「法師どもがいかに淫乱破戒なりとは申せ、比叡山には三千の仏がまします。仏には罪がございますまい。」
    「罪がある。左様な無頼の坊主どもを眼前に見ていながら、仏罰も当てずに七百年このかた過ごしてきたというのは、仏どもの怠慢ではないか。わしはその仏どもに大鉄槌をくだしてやるのだ。」

    「十兵衛、そちゃ、本気で仏を信じているのか。あれは、金属(かね)と木で造ったものぞな」
    「木は木、かねはかねじゃ。木や金属で造ったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一等の悪人よ。」


    p467
    叡山の虐殺は酸鼻をきわめた。
    「摺りつぶせ」と信長は命じた。一人も生かすことをゆるさなかった。
    もともと非合理というものを病的なほどに憎む信長にとって、坊主どもは手足のついた怪物としか見えなかった。

    「この者どもを人と思うな。ばけものであるぞ。神仏どとは怠慢にして彼等を地獄に堕とすことを怠った。神仏・坊主ともに殺せ。信長がかわって地獄がどういうものかを見せてやらんず」

    (信長は魔神か。)
    この瞬間ほど光秀は信長を憎んだことはなかった。


    p482
    ・唐崎の松
    光秀と秀吉、前線における最も有能な二人の司令官が、松一本を敵地から盗む競技に遊び呆けたことについて。

    双方に送った使者の返答。
    秀吉はたいそうな恐縮ぶりで、切腹するとまで散々謝罪をし、近江で採れた山菜や魚介を進上した。

    光秀は唐崎の松がいかに名高きものであるかを説き、奇行の釈明をするだけに留まった。

    「愛嬌の秀吉」と「理屈の光秀」
    こんな他愛ない事でも、その差が生じてしまった。


    p513
    光秀から手紙が届いた。内容は、細川藤孝の密告である。
    将軍義昭は今日を出て近江で公然と信長打倒の兵をあげるという。
    殺すか。と最初に思ったのは、いわば衝動である。殺せば、主殺しとして斎藤道三や松永久秀のような悪名を天下に流すだろう。

    (おれの目的は天下の統一にある。そのために必要とあれば主といえども殺さねばならぬ。
    しかし殺せば悪名を着る。往年、道三はそのために蝮の異名をとり、ついに美濃一国の主人で終わり、天下を心服させるような男になれなかった。
    おれは道三のへまを繰り返してはならぬ。悪名は避けねばならぬ)


    p514
    すでに信長は将軍を復活し、その権威によって諸大名に号令し天下を統一しようという気持ちを失っている。
    将軍は使いにくい。
    (道具になりきらぬ)と信長はつくづく思った。

    その点、天皇はいい。
    その存在の尊さを天下の大名どもは忘れているが、天皇は兵馬を欲しがらず、権力も欲しがらない。
    ただひたすらに無害な存在である。

    信長は将軍義昭を討つ口実として、天皇の尊大さを謳い文句にした。


    p605
    ・心頭を滅却すれば火も亦涼し
    快川紹喜(かいせんしょうき)という山梨の恵林寺の長老が、織田から逃れてきた者をかくまい、それ故に火あぶりの刑に処された時の辞世の句。

    「安禅かならずしも山水を用いず、心頭を滅却すれば火も亦涼し。」


    p686
    (なんと人の好い、うかつな男であることか)
    幽斎の感情は複雑であった。敵としてではなく、友として光秀の政治感覚の欠如を歯がゆく思った。
    所詮は光秀は最も優れた官僚であり最も優れた軍人であっても、第三流の政治家ですらないのであろう。
    (あの男は、前後の見境いもなく激情のあまり信長を殺した。それだけの男だ。天下を保てる男ではない。)


    p707
    幽斎は、徳川政権にも行き、細川家は肥後熊本五十四万石の大藩として巍然たる位置を占めた。
    二つの時代には生きられないといわれるこの混世において、幽斎はその一代で足利・織田・豊臣・徳川の四時代に生き、そのどの時代にも特別席に座り続けた。
    もはや至芸といっていい生き方の名人であろう。

  • 物語が進むにつれて光秀の神経衰弱していく様子が色濃くなっていき、後半は心苦しい展開が続いた。信長と光秀のような相容れない性質をもつ者同士が出会った時、傷つけあう以外に道はなかったのか……。もっと尊重し合えていたら本能寺の変は回避出来ていたのではないかと、お互いの才能を認め合っていたからこそ後悔の念が残る。

  • 神仏をも畏れぬ激情型の【信長】と、堅実内向型の【光秀】が「本能寺」で激突するまでを、取巻きの人々を交錯させて綴られた最終巻である。行く手を遮るもの全てを排除してきた信長にとっては、臣下の反逆を憂える余地がないほどに天下統一への自信に満ちていたのだろう、脇が甘すぎて自害に追いやられた。信長の度重なる暴虐ぶりに憤慨し、屈辱的な仕打ちに打ちのめされていた光秀は、信長への怨念を晴らすべく衝動的すぎる挙兵が仇となり、11日天下に終わる。戦国史を鳥瞰しながら、この時代に生きた人々の心意気を窺える歴史大作であった。

  • 明智光秀の出てくる小説は、ことごとく明智さんがかわいそう。やたらかっこいいのに、最後はご乱心的な終わり方だよね…斎藤道三からはじまる美濃と尾張、全国にまたがる国取りの話。同盟結んだり真っ向から敵対したり、戦国時代の機微がわかる。そして明智光秀かっこいい(まだいう)。

  • 斎藤道三の娘婿である織田信長と、道三の妻の甥である明智光秀が対峙する完結編。「織田信長後編」となっているが、信長と光秀の双方が物語の主役と言って良いだろう。
    文庫版の「解説」にも記載がある通り、光秀の描写がうまい。本作における光秀は、知識人で真面目な性格であり、そのため信長の苛烈な行動(例えば比叡山の僧や女の殺戮など)を憎み、部下を「道具」として有効に活用とする合理的な性格に怯える人物として描かれている。秀吉の「陽」と対比しながら光秀の「陰」を強調して描くことで、「本能寺の変」に繋がる伏線としている。
    また、信長の人物像も明快で解りやすい。無神論者で合理的精神の持ち主、かつ有能で行動的な人物として描かれている。光秀のこざかしく思える口上に信長がいら立つエピソードを何度か挿入することで、両者は互いの能力を認めつつも性格上は相いれない存在であることを読者の意識に刷り込んでいる。こうした挿話を通して、天下を治めるという目的に向けて信長と光秀はまさに呉越同舟であったことが伝わってくる。そして、ほぼ天下を手中に収めようとした段階で、光秀は苦悩しながらも同じ舟から降りる選択をすることにした。これが司馬遼太郎の描く「本能寺の変」の発生要因だろう。
    道三、信長、光秀という所縁のある3人の差別化を図りながら、巧みに心理描写をしたドラマティックな歴史小説であり、司馬作品の中でも良作と言える。

  • 国盗りの「盗」の字がかっこいいと思っていた作品。斎藤道三編と織田信長編、読んでみると確かに国盗り物語であった。
    まさか、斎藤道三の女盗りからはじまるとは思わなかったが、これぞ司馬遼太郎というものであろう。

    道三は男からも女からもとにかくモテる。考えてみれば、モテる男は出世するのかもしれない。美濃の蝮とは、思った以上に魅力的な男であった。
    その道三が可愛がったのが、織田信長と明智光秀。

    信長がうつけと呼ばれていたのは知っていたが、そのうつけエピソードが強烈すぎて、これは本当なのかと思わず調べてしまったものもある。しかし、そのほとんどはうつけなどではなく、合理的なだけで好感が持てた。実力主義でもあり、仕事のできない奴をバッサバッサと退けるところは読んでいて気持ちが良かった。実際上司にいたら嫌だし、残虐すぎるところもどうかと思うが。
    腐りきった古い体制や宗教に対してもそんなの関係ないといった態度を取るところも良い。
    結果、信長のことが好きになった。

    そんなことを言ったら、光秀がかわいそうかもしれない。
    光秀は真面目でいい人で仕事ができる男だからこそ、周りに振り回されて胃を痛める中間管理職という感じであった。そういう男だからこそ、思いつめて本能寺の変を起こしたのかもしれない。
    信長と光秀、二人の関係ががもう少しうまくいっていたら、歴史はどう変わっていたのだろう。

    気持ちが落ち込んでいるときには、歴史物が読みたくなる。その中でもこの作品を読んで正解だった。戦国という時代は、生命力を大いに感じさせてくれるが、どこか現実味のないものなので、現実から逃避させてくれつつ、熱くさせてくれる。
    しかし、それでいて国を盗るための政略や組織の動きなど現実的なところもあるので、明日からも現実世界で頑張らねばと思わせてくれた。

    長編だが世代交代があるので、飽きずに彼らの国盗りを楽しめる物語である。

  • 【強運】
    小説です。
    明智光秀目線というのがいいですね。

  • 斎藤動三編(第一巻、二巻)の方が、道三の自由奔放な活躍が描かれていて面白かった。
    また、司馬遼太郎の仏教宗派に対する解釈にはなるほどと思った。
    織田信長編(第三巻、四巻)は、信長と明智光秀の二人が主人公であるが、話が進むにつれ光秀への同情が強くなった。信長の冷淡な性格には、大河ドラマ「巧妙が辻」の信長役である舘ひろしがほんとによく似合っている感じだ。(2006.7.18HPの日記より)
    ※2006年購入
     2006.7.18読了
     売却済み、kindleで購入

  • 単体だと星3つ
    通しで星4つ

    最後駆け足なのと、思った以上に本能寺の変周辺が盛り上がりにかけてあっさりしていた

    道三がかっこよすぎた

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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