新史 太閤記(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101152110

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    上巻に続き、とても面白かった。
    「本能寺の変」によって仕えていた信長を亡くし、悲しみつつも義理を果たしたと切り替えて、「今度は俺が天下を取る」と計画を達成していく様は、読んでいてとても爽快に感じた。

    (例外も少々あったが)どの敵に対しても慈愛の心を忘れず接し、「不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らす」事に力を注ぐ。
    こと戦に関しては、用意周到に準備を行なって、投機性を減らして必ず勝つべき態勢を作り上げていく。
    出身が卑しいために難儀することも多かったが、決してそれに屈さず、陽気さを保って難事を乗り越え出世を果たしていくのは、本当に現代にも通ずる処世術だ。

    また、快進撃を続ける秀吉に対し、「最大の壁」となり続けた徳川家康の巧妙さも読んでいて目を見張るものがあった。
    これから読む「覇王の家」もとても楽しみだ。



    【あらすじ】
    備中高松城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し"と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。
    柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。
    常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。


    【内容まとめ】
    1.秀吉のやり方は、キリスト教に似ているところもある。
    過去のどの武将も見せなかった「愛」というものを意識的に持ち、敵にさえ愛を与えることで、恨みを買わずに天下の人心を集めようとした。

    2.秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどが終わっていた。あとは勝つだけであった。
    戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。
    味方を増やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。
    合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信じず、物理的に必ず勝つ態勢へ盛り上げていく。

    3.「世の事はすべて陽気にやるのよ」
    それが秘訣だ。悪事も善事も陽気にやらねばならない。
    朗らかにあっけらかんとやってのければ、世間もその陽気さにひきこまれ、幻惑され、些細な悪徳までが明色に塗りつぶされて一種の華やかさを帯びる。

    4.好人物であるはずの家康が、体のどこにそれをしまい隠したのか、人としての凄みを見せ始めている
    どのようなアプローチをもっても、家康の態度は変わらず、ほとんど海底の魚のように沈黙し続けていた。

    5.「人たらし」秀吉
    人を無用に殺さぬということが織田時代から見せてきた彼の特色であり、彼の政治的標榜であるかのように天下に知られており、秀吉と一旦戦ったものでもあとで安堵して降伏する傾向が諸国で見え始めていた。
    秀吉はそれを意識的な政策とし、不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らそうとしていた。


    【引用】
    p41
    ・鳥取城の攻略
    直接的な戦いではなく、敵を籠城させ、一切の供給を断たせた。

    秀吉のやり方は、キリスト教に似ているところもある。
    過去のどの武将も見せなかった「愛」というものを意識的に持ち、敵にさえ愛を与えることで、恨みを買わずに天下の人心を集めようとした。


    p51
    ・「百万石は資本にすぎぬ」
    理屈と利益に鋭敏な信長にとって、高禄の諸将はもはや不要になりつつある。
    罪がなくとも、強欲さや働きの鈍さなどで放逐されてしまう。

    (征服が終われば、自分も追放されるか殺されるかもしれない)
    という不安が秀吉にも常にある。
    が、万事陽気な思想人は、その底冷えるような不安さえ逆手にとって積極的な思想に仕立てていた。
    「百万石は自分の私財ではなく、織田どのを儲けさせ奉る資本(もとだね)である」という思想であった。


    p151
    秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどが終わっていた。あとは勝つだけであった。
    (戦とは、そうあらねばならぬ。)
    戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。
    味方を増やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。
    合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信じず、物理的に必ず勝つ態勢へ盛り上げていく。

    行軍中の多忙さは、その勝利への情勢をつくるためであった。
    戦場へ現れたときの彼は、すでに暇であろう。


    p197
    ・清洲会議にて
    信長が死んだ。
    もはや義理は済んだ。信長の遺児にまで儲けさせることはないであろう。
    (今度は俺が儲ける番だ。)
    それには織田家の権を、その遺児どもには呉れてやらず、自分が横取りせねばならぬ。いわば、大悪事である。

    (人間一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、渾身の智恵をしぼって悪事をせねばならぬ)
    ここで秀吉にとって肝心なことは、悪事を思い切って陽気にやらねばならぬことであった。


    p280
    「官兵衛、世の事はすべて陽気にやるのよ」
    それが秘訣だ、と秀吉は思っている。
    悪事も善事も陽気にやらねばならない。
    朗らかにあっけらかんとやってのければ世間のものもその陽気さにひきこまれ、幻惑され、些細な悪徳までが明色に塗りつぶされて一種の華やかさを帯びてくる。


    p288
    ・柴田勝家の家康に対する調略について
    (何のためにわしが三七信孝を助けねばならぬ。)
    理由がなかった。勝家の側にこそあるが、家康の側にはない。
    勝家は常に相手側の都合や利害を考えようとしていない。

    家康のみるところ、勝家は調略のできる男ではない。
    いま家康が何を欲し、何を怖れ、何に魅力を感じているか。
    そういうことについての犀利な分析がまるで欠けている。

    しかしながら、羽柴に対しても家康はいま手を結ぼうとは思わない。
    家康にすればこの混乱期を利用して強大な独立勢力をつくりあげてしまいたいと思っており、それ以外に余念はない。


    p355
    起き上がって飲む者は生きている証拠だろう。起き上がれずに倒れているのは死者であった。
    秀吉は小人頭に命じて、高値な金を払わせて笠や蓑を集めさせた。
    それらを負傷者にかけさせ、せめて直射だけでもそれによって防がせた。
    この男は、こういう気遣いが自然に出る男であった。
    可哀相だという感情が人一倍過剰で、別に演技ではなかった。


    p367
    「このたびの合戦、亭主殿に助けられ、そのおかげにて大勝利を得た。」
    人扱いは秀吉にとってもはや名人芸というべきであろう。
    この男は、内通、裏切りといったような、ひとの倫理観を刺激するような言葉を一切使わなかった。
    彼はあくまでも「利家に助けてもらった」とのみ言い、お松にまで感謝した。
    「今後どちらにつく」といったふうの露骨な言葉づかいも利家への思いやりのために避けた。

    共ひとり連れずに敵城に乗り込み、湯漬けをかきこんでいる。
    お松はそういう秀吉を見て、(天下はこの人のものじゃな)と心から思った。


    p370
    勝家は激戦の末、自刃して建物もろとも自分の遺骸を爆焼させた。
    「やむをえなかったのだ!」
    秀吉は敵城を見ながら大声で言った。諸将に聞かせねばならなかった。

    人を無用に殺さぬということが織田時代から見せてきた彼の特色であり、彼の政治的標榜であるかのように天下に知られており、秀吉と一旦戦ったものでもあとで安堵して降伏する傾向が諸国で見え始めていた。
    秀吉はそれを意識的な政策とし、不殺をもって人を手なずけ、世間を飼い慣らそうとしていた。

    「勝家だけはちがう」
    彼を生かしておいては今後の天下統一の大きな支障となる。
    「天下を鎮めるためだ、やむをえぬ!」

    織田家における最大の競争相手が滅んだことが、秀吉の生涯に新しい時期を画させることになった。
    今まで秀吉の意識や行動、才能さえも束縛していた「織田家」というものが、勝家の死によって彼の頭上からまったく取り払われた。


    p420
    「なんという男だ」
    すでに造営中の大阪城に移っていた秀吉は、はじめてあの小太りの三河人に対し、恐怖に近い思いを持った。
    どのようなアプローチをもっても、家康の態度は変わらず、ほとんど海底の魚のように沈黙し続けていた。

    「家康というひとは、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ。」
    秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が、体のどこにそれをしまい隠したのか、人としての凄みを見せ始めていることであった。


    p505
    天正13年7月に関白に任ぜられ、同年9月には豊臣の姓を授けられた。
    この国の歴史に「豊臣」という姓が新興したのである。
    この姓は、黄金の輝きをもっていた。
    秀吉の巨万の富がそう世間に印象させただけでなく、この男の運の良さがそう印象させた。

    しかし、家慶に対する懐柔はその後も続き、彼の生涯における最大の事業になってしまった。

  • 家康が臣従し、ある程度近畿、関東の平定までの内容。

    相変わらず司馬遼太郎の読みやすい内容でペラペラと手が進んでしまった。

    九州、朝鮮への出兵はこの本では描かれていない。なぜなんだろうと考えた時、豊臣秀吉といえば確かにそれを物語る上で信長時代の出世。その後の豊臣政権確立までが秀吉だなぁと思った。九州、朝鮮出兵はあくまでその後の蛇足(すごい秀吉に失礼)秀吉の物語として描く必要はないのかなぁと感じた。

  • うわ〜ここで終わりにするのか!と思うくらいのエンディング。秀吉の生涯を最後まで書ききらない司馬さんにある意味、感謝しながら物語を読み終えました。
    これはすぐれたビジネス書でもあり自己啓発の書でもあると思います。
    俄然、やる気のでてくる物語でした。

  • 以前、読んだものを再読。
    やっぱり面白い。上巻から読んできて、藤吉郎が皆がイメージする秀吉になっていくように感じた。

  • 『のぼうの城』石田三成がやりたかった水攻め、本家本元、秀吉が仕掛けた高松城の落とし方がやっとわかった。
    三谷幸喜の『清須会議』、出席者が違うではないですか、『太閤記』では滝川一益が会議に出てる……等々事実はどうだったのか私には判断出来ないけど、読み比べ出来るのが楽しい。
    解説によると、司馬遼太郎は「日本歴史(地理)について何の知識もない人」が読者なんだという前提で書いているという。丁寧な人物描写、地形や気候の説明で、あたかも現実にそれらが起きているように錯覚する。歴史の知識が有れば一層楽しく読めるだろうが、教科書程度の知識でも十分楽しめる。
    そして、この秀吉に関しては、彼が『野の涯から出た、それもひとりで出てきた男』で、大名の子として生まれ、先祖代々からの家来がいて、忠誠な家臣がいる織田信長や徳川家康とは根本的に違うこと、秀吉がなみいる強豪を統率できているのは、ひとえに秀吉の稀代の才気と大気と演出力によるものだから、秀吉が消滅すればその勢力は雲散霧消してしまう儚さがあることを秀吉自身が一番良く知っている、という設定が、教科書で習った秀吉没後の歴史に照らしても、秀吉を魅力的にしている点だと思う。だからこそ、最後の秀吉の辞世が胸にじんとくるし、寧々ゆかりの高台寺の屏風に大きく『夢』と書かれていたことが、今更ながらに、胸にすとんと落ちる。

  •  下巻、高松城の水攻めから、天下統一のために家康を懐柔させるところで幕は閉じる。個人的には九州征伐、北条征伐を行うところまでは進めて行って欲しかったところではある。
     しかしその後の朝鮮出兵ともなると、権力に魅入ら、闇を纏い、最後には枯れ衰える秀吉を描くことに、著者は抵抗があったのかも知れず、話の盛り上がりに欠けるところが見えていたのかもしれない。
     信長に見出されたことで開花した自身の能力を最大限に発揮して、他の者との違う視点と工夫で戦を展開していく姿に読者は引きずり込まれ、さらに後半ともなると、他者に対する気配り以上の演者として(それは信長に仕えたから養えたものなのかもしれないが)振る舞う姿に、やはりどこか憎めなさが認めら、その点で話の潮時を押さえていたのかも知れない。
     著者は秀吉自身に「おれの天下も、あの狂言できまったわさ」と言わしめ、秀吉の人生そのものを狂言として喩えさせている。
     人生において、つまらぬプライドや意地により、自身だけでなく、多くの人に迷惑をかけてしまうことが多々あるだけに、相手の予想を上回る立ち居振る舞いにより、物事を円滑に進めていければなあとしみじみと思わされてしまう。
     誰しも頭で分かっていても、そういう事が出来る人物は稀有であり、逆に憐れを通り越して凄味が出てくるのであろう。

  • 秀吉の快活さが彼を天下統一に導いた。 どんなに苦しい時でも快活さを失わなかったのは素晴らしい。 まさに”振りでも一生続けば本物だ”(丸山浩路作)。 私は性格柄いつも快活といかないが、多く快活であるよう目指したい。
    ※2002.12購入@読書のすすめ
     2003.1.24読了
     4回読了

  • 2021年8月13日読了。織田家家臣として勢力を伸ばす秀吉、天下統一に向けて綱渡りのような戦いと調略となる中国大返し・賤ケ岳の戦い、そして家康との和睦までを描く。当方に予備知識があることも大きいが、つるつると読み進められる文章はさすがに司馬遼太郎。最大のライバルとなる家康が後半になるまで全く存在を感じられなかったり、黒田官兵衛との確執の描写があっさりだったり、何より天下統一~朝鮮出兵~跡継ぎ当たりのゴタゴタを書かずばっさり物語を終えているところが、「さわやかな秀吉物語を書きたい」という司馬氏イズム満載でなんというか脱帽…。柴田勝家があっさり自滅したように感じていた賤ケ岳の戦いが、勝家側の戦略ミスもあるが秀吉の周到な準備・時間を意識した戦略が奏功した結果なのだ、ということがよく理解できた。

  • 【基本情報】
    著者:司馬遼太郎
    出版社:新潮社
    出版年:1968年

    媒体:文庫本
    ページ数:(前)412p、(後)399p
    読了日:2021年8月6日
    所要時間:20時間

    【著者紹介】
    司馬遼太郎(しば りょうたろう)
    (1923-1996)大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。(新潮社/著者プロフィール)

    【読むきっかけ】
    この本を読のんだのは今回が二回目で、前回は高校2年生の時に祖父の家を訪れた際に祖父の本棚から拝借し読み始めた。当時は著者の古風な文体に読みづらさと優美さを感じたのを覚えている。表現だけでなく、内容そのものも鮮烈でありおよそ自分の人生の指針を定めるような本だったと思っている。それが、私にとってはじめての司馬作品であり、その後『最後の将軍』、『項羽と劉邦』と読んできた。そして、社会人を目前にしたこの機会に、改めてこの本を手に取ったというわけである。

    【本書のあらすじ】
    本書は日本史上初めて天下統一を果たした太閤豊臣秀吉の人生を司馬史観で描いた本である。ざっくり言うとど平民から人生をスタートさせた秀吉が、コミュニケーション力、政治力、商才をはじめとする才能を駆使して成り上がる話である。

    【本書の位置付け】
    そのそも「太閤記」とは一般に豊臣秀吉の伝記の総称であり、江戸時代から現代に至るまで様々な太閤記が出版されてきた。その中で、『新史太閤記』とは司馬遼太郎が書いた太閤記という位置付けである。
    前述の著者紹介にあるように、司馬遼太郎は多くの小説を書いてきており、本作は戦国三部作と言われる、『国盗り物語』『新史太閤記』『関ヶ原』の1つである。

    【感想】
    私はこの本こそ最高のビジネス書であると思っている。
    秀吉の一挙手一投足にビジネスに生かせるエッセンスが詰まっているからである。よく、漫画『キングダム』がビジネスに効くなんて言われているが、大方それと同じ路線で、かつ10倍ぐらい上質なイメージである。
    ちなみに、ここでいうビジネスに活かせるというのは、主に「処世術」のことである。

    ○主を儲けさせる
    例えば、秀吉は若き頃、信長に仕える以前は「嘉兵衛」という今川家の被官に仕えていたのだが、その時から

    {「われら奉公人は、旦那に徳をさせるためにある。旦那にはいちずに儲けさせよ」}

    ということを同僚に言っていた。
    しかし、その同僚達は商売ということを知らずに、秀吉はただただ気味悪がられて居場所がなくなったという経緯がある。

    結局は秀吉は気質の合わない遠州(静岡)を離れて、商売感覚のある人の多い尾張(愛知)へと拠点を移すことで信長の下、上述の行動理念を貫き大活躍することになる。特に信長は当時の大名の中でも異例なほどに「実力主義」を取り入れていたということもあり、自分に得をもたらしてくれる秀吉が可愛かったという。

    主(上司)を儲けさせるという感覚を一人だけ持ち、それを実行することは学ぶべきところである。

    ○同僚の中での差別化
    また、信長に気に入ってもらうという点でいくと、他の武将との差別化も行ったのもポイントである。秀吉は一般的な織田家の武将と比べて相当な回り道をしながら侍になっているために、侍にしては特殊な人脈が多くあり、結局は彼ら(野武士など)の力を借りながら美濃の稲葉山城(岐阜城)を落とすことに貢献した。

    {「うぬは妙な連中を知っている」信長は、感心した。}

    これを現代風にとらえると、全職場との関係を良好に保っておき、いざとなった時に協力関係を仰げるようにしておいたり、社外の幾つかのコミュニティに属して多様な人と交流をしているという具合になると思う。

    ○戦わずして勝つ
    秀吉の生涯を通しての戦いのスタイルは「調略」である。
    多くの戦いにおいて、彼は敵をいわば内部から崩壊させる形で勝利を収めてきた。これはかの有名な「清州会議」をはじめとする政治でも同じである。これには、相手が何を求めているのか、何を危惧しているのかということ読み取るを洞察の精度の高さが由来している。

    {戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。味方を殖やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。合戦のもつ投機性を減らし、奇跡を信ぜず、物理的にかならず勝つ態勢へもりあげてゆく。}

    ただむやみに競合とコンペで激突するだけでなく、最もコスパの良い方法で事をなすべきであることは、時代を問わないと思う。

    今回挙げた三つの事例は一部にすぎず、前・後編合わせた800ページの中で、大なり小なりの様々な処世術のヒントが隠されている。ストーリーもさながら、このようにビジネス書として用いることのできる良書であると思う。

    ○最後に
    本書の秀吉は高校生の時から私のヒーローである。その気持ちは今も変わらない。理由としては、私と類似している点が多くあるからである。商売好きな点、上昇志向な点、身分が低いという点、身長が低い点などである。
    そんな彼が、一介の農民から天下統一を成し遂げたストーリー(実話)は私だけでなく、多くの人に勇気を与えるものだと思う。

    • すてちるさん
      >この本こそ最高のビジネス書である
      これは実際に読んでみたくなる表現
      >この本こそ最高のビジネス書である
      これは実際に読んでみたくなる表現
      2021/08/15
  • 播州三木城に幽閉された黒田官兵衛を救出するところから天下を平定するまでの下巻。
    山場が3つ、明智光秀の謀反と秀吉の政治的立ち回り、賤ヶ岳の戦いを山場とした柴田勝家との闘争、家康との駆け引き。
    信長の死でそれまで骨の髄まで献身的だった秀吉が自己のために動き出す劇的な描写が印象的です。
    人を引きつける陽気で友好的な政略は大いに学ぶべきコミュニケーション手段と感じる。
    深いテーマが多く盛り込まれた良書です。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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