花神〈上〉 (新潮文庫)

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著者 : 司馬遼太郎
  • 新潮社 (1976年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152172

花神〈上〉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 時は幕末、医学を修めるために適塾で学んでいた村医の息子の大村益次郎こと村田蔵六が、ひょんなことから官軍の陸軍総司令官になってしまうという波瀾万丈なお話。不器用無愛想、徹頭徹尾の合理主義者で相当な変わり者。新技術を貪欲に学びながらも、保守的な面も持っているなど、人物設定が細かくて面白い。シーボルトの娘、イネとの関係も見どころですね。

  • 久しぶりの司馬遼太郎作品。
    一部作品のようなストーリーの破たんもなく、最後まで読み切った。
    しかし、大村益次郎の描き方があまりにもその一面だけと思う。その簡潔さが読みやすさに繋がっているのだろうが。

  • 通勤時にコツコツ読み進めてやっと読了。
    久々に読書したー!って感じ。
    維新前後の作品を続けてよみたくなった。

  • 「しかし私は先刻、自分で名乗っております」
    「それは間違っている」
    と奥山静寂はいった。
    「自分で名乗ったからといって、私は信用しない。私の目で人相風体を見、これならたしかに洪庵先生のいわれり村田蔵六にちがいないと推量がついたうえで当人にたしかめてみるのだ。それが物事の窮理(科学)というものである」

    「お前さんも頓狂な男だな」
    敬作は、蔵六の人柄が、一見したところまったくちがっていることにちかごろ気づきはじめていた。敬作は
    「頓狂」
    ということばがすきで、ふだんしきりにつかっている。オッチョコチョイというほどの意味だろうが、敬作の妙なところは、親に孝、君に忠という倫理綱目と同列くらいの美徳にそれをあつかっているのである。
    「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」
     これが、口ぐせだった。敬作は、まじめくさった大人くさい、事なかれの常識的慎重さ(それが封建的徳目なのだが)だけで生きている連中が大きらいで、
    「人間、ゆかなくちゃならないよ」
     と、つねにいう。どこへゆくのか、それはわからない。敬作が、深夜三里の峠をこえて炭焼小屋の急患の元に行ってやったりするのも、頓狂の心であろう。イネのことを想うと不安と悲しみで身も世もなくなるのも頓狂の心かもしれない。常識人はけっしてそうはならないのである。
    「西洋の文明を興したのも、頓狂の心だ」
    と、敬作はいう。
     天才とは頓狂人だが、西洋人はそういう者を愛し、それをおだて、ときには生活を援助して発明や発見をさせたりする。日本人は頓狂人をきらうから遅れたのだ、という。シーボルト先生も頓狂人だからはるばるヨーロッパにとって、未知の日本にきたのだ、という。なるほどそういえばそのようでもある、と蔵六はおもうのである。

    (鳥がいる)
    と、おもった。しかしもう一度この啼き声がきこえたとき、それはブリッジから海をのぞきこんでいる殿さまの笑い声だとわかり、貴人というものはああいう声をたてるのかと思った。思いあわせてみると、蔵六は草深い村にそだち、百姓身分からあがって、いまは宇和島候の背後に侍立できる身分にまでになった。この重苦しい封建身分制を突破できるのは「技術」だけであり、それは孫悟空の如意棒にも似ていた。
    (妙なものだ)
    と、蔵六はそのことを考えた。
     船が、うごいている。海が背後に押しやられ、へさきに白波が湧いている。平素新鬱なばかりの家老松根図書までが子供のような燥ぎ声をあげ、
    「村田、すすんでいるではないか」
    と、ふりかえって叫んだ。が、蔵六は悪いくせが出た。
    「進むのは、あたりまえです」
     これには、松根もむっとしたらしい。物の言いざまがわからぬのか、といった。蔵六は松根からみればひどくひややかな表情で、
    「あたり前のところまで持ってゆくのが技術というものです」
    と、いった。この言葉をくわしくいえば、技術とはある目的を達成するための計算のことである。それを堅牢に積み重ねてゆけば、船ならばこのように進む。進むという結果におどろいてもらってはこまるのである。もし進まなければ、はじめて驚嘆すべきであろう。蔵六にいわせればそういうものが技術であった。

    (ああ、ひよこの羽毛のようにやわらかそうなまつげだな)
    と、蔵六はぼんやりおもった。
     蔵六の息が乱れている。蔵六はそれをこの期におよんでも整えようとした。かれは意志力の賛美者であり、自分を自分の意志で統御しきっていることに誇りをもち、快感をすら感じていた。同時に、人間関係における主題主義者であった。ということはたとえば、
    「殿さまはえらいものです。学者は学問をすべきです。イネは弟子です。イネは一般論としては女性ではあるかもしれないが、私にとっては女性でも男性でもなく、弟子という存在です。師弟という関係以外の目でイネを考えることは、余計なことです。余計なことは自分はしません」
     というような信条をもつ男で、この信条をくずさずにいままで生きてきた。一見平凡なこの男が、ひょっとすると突っ拍子もなく風変わりな男であるかもしれぬ点は、このあたりであった。

  • うーん、これはすごい。技術者としての生き方を極端に振り切るとこうなるのか… しかしそれを見抜いて適所につけた人々のすごさ。司馬遼なので、蔵六の学問のどこがすごかったかとか、どうやって見抜いたか、というところのエピソードは抑制気味で、物足りない気もするけど、そういうとこは抑え気味で余談山盛りが司馬遼だなあ。次は何を読もう。

  • 異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。

    「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。

    司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
    主人公は大村益次郎(村田蔵六)。

    大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
    百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
    いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
    だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。

    大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。

    と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。

    戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。

    連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。

    そして、連戦連勝。

    中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。

    誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。

    ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
    明治2年に暗殺されて死んでしまう。

    でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。

    という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。

    #

    この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。

    ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。

    前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。

    そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。

    狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。

    政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。

    ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
    そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。


    #

    それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
    シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
    「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
    司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。

    (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)

  • 村田蔵六、のちの明治政府の軍事参謀、大村益次郎の生涯を描いた作品。

    上巻では村田蔵六が家業である村医を目指して、地元長門の医者のところから大阪の蘭医の名門、緒方洪庵の適塾での日々を描く。
    この時は軍事作戦家という側面は一切なく、医療と語学の世界を極めんとしている時代。

    合理的な思考を持って射きる蔵六にとって人間関係の機微は不要であったが、それが故に周りからは孤立し、才はあるが疎んじられていた。
    その孤独にそっと寄り添うシーボルトの娘、イネの存在に癒されます。

  • 江戸末期。蘭学者となる村田蔵六の若かりし時のお話し。緒方洪庵の適塾に学び医者となる。後半、幕府のお抱えの藩士になるのだが…
    緒方洪庵のの死を持って彼の持つナショナリズムが…同門の福沢諭吉と袂を別つ事になる。
    長州藩士としてこの後どうなるのか楽しみに!

  • 大村益次郎の特性。

  • 面白い!

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花神〈上〉 (新潮文庫)の作品紹介

周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげたわが国近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く長編。動乱への胎動をはじめた時世をよそに、緒方洪庵の適塾で蘭学の修養を積んでいた村田蔵六(のちの大村益次郎)は、時代の求めるままに蘭学の才能を買われ、宇和島藩から幕府、そして郷里の長州藩へととりたてられ、歴史の激流にのめりこんでゆく。

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