花神(上) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152172

感想・レビュー・書評

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  • 松陰先生と高杉晋作の『世に棲む日日』を再読した勢いで同じく長州の大村益次郎を描いたこちらを再読開始。

    のち大村益次郎となる村田蔵六は長州藩とはいえ士分ではなく村医者(身分としては百姓)の長男として生まれ、医学の勉強から蘭学に入る。この上巻の時点では、まだいわゆる幕末になる前の彼の蘭学修業時代の遍歴が中心。

    20代前半で大坂で緒方洪庵の適塾に入り、塾頭を務めるまでになるが、実家の親から帰るように言われ一度は長州に戻り村医者として開業、嫁も貰いこのまま田舎医者で終わるのかと思いきや、嘉永6年(1853年)のペリー来航以来にわかに蘭学が重視されだし、幕末の四賢候の一人に数えられる伊達宗城の伊予宇和島藩に出仕したことが転機となる。ここで蘭学=医学のみならず兵学についても学ぶ。

    やがて藩主・伊達宗城の参勤交代のための江戸出府に付き従い江戸に来た蔵六は、鳩居堂という蘭学塾を開き、さらに幕府講武所の教授にまでなる。この時すでに安政4年(1857年)京では攘夷志士が跋扈、間もなく井伊直弼は安政の大獄の大鉈をふるう。しかし、この時点で志士ではなく蘭学者の蔵六にはそれらは無関係。

    蔵六は、文政7年(1824年)の生まれなので、文政13年(1830年)生まれの松陰先生よりも6年ほど年上。長州藩での身分が低かったため志士連中とのつながりもなければ、長州にほとんどいなかったので松下村塾に行ったこともない。かなり特殊な経歴の持ち主。やがて長州藩がようやく彼を「見つけ」、蔵六自身も桂小五郎と交流を持ち、長州に帰藩することになる。

    松陰先生が処刑された安政6年(1859年)10月27日、罪人として遺棄される遺体を獄卒に賄賂を渡して、桂小五郎、伊藤俊輔(博文)らが改葬したのが二日後の29日、偶然にもその日、小塚原の刑場で女性死刑囚の解剖を蔵六が執刀していたのを、桂小五郎がみかけるというエピソードは司馬さんも書くように運命的だ。松陰先生が亡くなるのと入れ違いのように、長州藩にとっての蔵六の存在が顕れてくる。

    それにしても蔵六の異才ぶりは面白い。性格的には、たとえば司馬さんが好んで書いてきた坂本竜馬や高杉晋作、西郷隆盛、土方歳三らの、カリスマ性のある英雄然とした人間とは180度違う。ちっとも颯爽としてない。どちらかというと奇人変人の類なのだけれど、なんとも新しいタイプの英雄だ。現代風に言うならジャンル的には「理系男子」ってとこかしら。社交的で計算高い政治家ではなく、根っからの技術者気質、一種のオタクといえるかもしれない。

    もちろん非モテキャラだと本人は思っているのだけれど、本書で司馬さんはあの「おイネちゃん」をヒロインとして配している。おイネちゃんは実在の人物で、あのシーボルトが長崎で遊女に産ませた娘。つまりハーフ。シーボルトが帰国した後はその日本の弟子たちに庇護され西洋医学を学び続けている。このおイネちゃんが朴念仁の蔵六にほのかな想いを寄せるのがとても切なくもどかしい。

  • 学者のこころ

    石井宗謙のエピソード

    “物習いはさかんだ。しかし物習いを学問とはいえまい。学問とは、あたらしいことを拓く心があってはじめて成立する世界だ。

  • 主人公以外の登場人物に関する余談が多いという印象を受けますが、真に社会を変えるのは大阪の適塾出身者達のように学問の修養をきちんと積んだ人たちなのだ、と感じさせてくれます。理科系の人にオススメしたい司馬遼太郎作品。

  • 司馬遼太郎の小説の中でもイチオシという評に押されて読み始めまして、上巻読了。

    タイムマシンに乗って1830年代の山口県の片田舎・鋳銭司にワープし、そこから村医の息子として生まれた村田蔵六、後の大村益次郎の生涯というか生き様をリアルに体験していくことができますね。彼の眼を通して、激動の幕末が映像的に浮かんでくるような感じがします。

    蔵六は、緒方洪庵の適塾に学びましたが、適塾に入塾したことこそが濃厚な人生の始まりだったのでしょう。彼は45歳で没していますが、上中下巻のうちの上巻の部分だけでもその人生は濃厚です。

    適塾時代、シーボルトの娘イネとの出会い、伊予宇和島で兵法の基礎力習得期、蒸気船を手作りで開発、江戸へ出て講武所の教授になり、蕃書調所の教授方となり、私塾鳩居堂の運営、蘭書の翻訳と時代に求められた人物として多忙かつ濃厚な人生を送っています。

    適塾は今の大阪大学の前身、蕃書調所は今の東京大学の前身、大阪大学を首席で卒業し、東大で教授として教鞭をとっているいう感じでしょうか。

    後に高杉晋作に「火吹きだるま」と言われたのは、あのデコッパチの風貌によるのだと思いますが、見るからにあの頭の中には、脳ミソが満タンに詰まっている感じがします。

    時代描写としてもとても興味深く読めますね。適塾は、今の受験戦争に通じるものがありますが、この時代の学問の風景は、ガツガツしたものがなく、大らかささえ感じますね。

    ガツガツした受験戦争を勝ち抜くことだけを目的とした今の詰め込み教育と、学習資料を互いに分かち合いながら、世に貢献できる力を切磋琢磨する適塾の自立的な学問では、大きな差があるんだろうなと感じます。

    蔵六の強烈な探究心・学究心、ぶっきらぼうな性格、まったくタイプの異なる適塾の後輩・福沢諭吉の生き方との対比など、すでに上巻にしてこの小説の面白さを堪能しています。

  • 久しぶりの司馬遼太郎作品。
    一部作品のようなストーリーの破たんもなく、最後まで読み切った。
    しかし、大村益次郎の描き方があまりにもその一面だけと思う。その簡潔さが読みやすさに繋がっているのだろうが。

  • 大村益次郎の話。
    まだ村田蔵六。長州藩に仕え始める。

  •  私は作中後半に出てくる「ヘボン式ローマ字」
    という言葉は知っているが、それが、江戸末期に日本へ来た外国人医師「ヘボン」が発明したから、とは知らなかった。
     オランダ語を知ることから始めた村田蔵六が英語を学ぶ為に幕府が招へいしたヘボン医師から英語を学ぶ。
     この頃の外国人は極東の野蛮国と日本を認識していたが、その野蛮人の日本人が、英語が出来ないくせに、二次方程式を含む代数や平面三角法や球面三角法といったものに良く通じていたことに驚き、ヘボンは「アメリカの大学卒業生でもこれら若い日本人を負かすことは出来ないであろう」と驚いている。
     という下りがあるが、江戸時代の日本人には塾などでの、読み書きの素養が有り、勉学の下地は十分にあったのでしょう。明治に成ってみるみるうちに発展を遂げ、遂には日露戦争のように外国を負かしてしまう。その源となるのが村田蔵六、後の大村益次郎であるという。
     幕末を村田蔵六という、攘夷志士以外の視点から見た本書は実に面白い。
     また、シーボルトの娘のイネとの関係についての記述も面白かった。

  • 久しぶりの司馬さん作品。司馬さん独自の歴史感は国宝クラスです

  • 村田蔵六が大村益次郎として歴史に必要とされるまでの前日譚。
    中巻以降維新という激動の中に飲み込まれていくに連れて、宇和島での日々がより美しく見えてくるんだろうな。
    伊達宗城の先見の明、横浜で“外国”に触れて衝撃を受ける福沢諭吉、その福沢と蔵六の攘夷に対する考え方の対比など印象的。

    しかしそれにしても蔵六、ちょっと言葉が足りなすぎるだろう。

  • 再読だと思うが、内容を完全に忘れている。司馬先生の授業を聴いているような感覚が心地よいです。
    語り口は詩的だし、なによりの博覧強記。維新の空気を伝えていたたいている。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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