花神 (下巻) (新潮文庫)

  • 1319人登録
  • 3.96評価
    • (163)
    • (165)
    • (163)
    • (8)
    • (1)
  • 80レビュー
著者 : 司馬遼太郎
  • 新潮社 (1976年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (553ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152196

花神 (下巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 本日読了。名前しか知らなかった大村益次郎ですが、司馬さんの手にかかるとこんな面白い人になるんだ!
    百姓医者の出身で、オランダ医学を学ぶためにオランダ語を学び、雇われ翻訳者として兵書類を訳しているうちにそちらの知識が付いて、たまたまその才能も天才的にあったために、なんと革命軍の司令官として明治維新を完成させちゃった人です。
    すぐ頭に血が上って剣を抜いたり、または思想や理想を持って革命を推し進める他の維新志士たちとは全く異なるタイプで、無私で超合理的で冷静で不器用な人。
    自分の意思や理想で維新に身を投じたわけではなくて、たまたまその才能を木戸孝允に見出されて担ぎ上げられたけれど、相当偉くなってからも、たまたま郷里に帰った時に村医者として求められれば、夜中に村のおばあちゃんのために手間のかかる薬を作ってやったりするような人。
    でもあまりにも無愛想で空気読めなくて、すれ違った村人から「お暑うございます」と挨拶されても、仏頂面で「夏は暑いものです」とか答えちゃうものだから、嫌な人だと誤解されやすいのですが、司馬さんにかかると愛すべき人になっちゃう。実際彼を嫌いだった人も多かったようで、殺される原因にもなってしまったくらいです。
    シーボルトの娘、イネも出てきます…いい味出しちゃってます。

  • (2016.05.01読了)(2003.03.18購入)(1999.07.15・69刷)
    幕府は長州に敗れ、徳川慶喜は、大政奉還を受け入れ、鳥羽・伏見の戦いへと進んでゆく。
    大村益次郎の出番は、上野寛永寺に立てこもった彰義隊の掃討であった、
    戊辰戦争については、江戸で後方支援を受け持った。各所からの要求に対しては、自分で計算して根拠を示し、大村さんがこれぐらいあれば十分という分だけ渡した。
    西郷さんが、応援に行くといったことに対しては、つく頃には戦は終わっています、と言ったら、その通りだったとか。
    江戸での戦乱を避けるために勝海舟は、新選組を甲州に追いやり、榎本海軍を江戸湾から北へのがれさせたとか。
    司馬さんは、村田蔵六を主人公に、よくも三巻にもわたる本を書いたものだと感心してしまいました。勝海舟や桂小五郎についての本は、書かなかったですね。(そうかどうかは司馬さんの本を全部読んだわけではないので自信ないけど)

    【見出し】
    豆腐
    京の風雲
    京都占領戦
    京と江戸
    彰義隊
    江戸城
    攻撃
    あとがき
    解説  赤松大麓

    ●高杉と西郷(50頁)
    高杉は西郷を嫌い、時にはこれを奸物視し、さらに驚くべきことには西郷と何度も会う機会がありながら常に避けわざと無視し、ついに生涯会わなかった。
    ●幕末の長州(51頁)
    一言で幕末の長州集団を言えば、小粒の血気者どもが無数に表れ、一つのイデオロギーに動かされて藩の権柄をとり、多分に無統制に騒ぎまわったという印象が濃い。
    ●造語(162頁)
    長州藩は薩摩藩とは違い、言語感覚において優れていたのか、行政上の言葉や社会機構上の言葉で多くの造語を作り、それらの多数が近代日本語として定着した。この病院もそうであった。医院という言葉も、この藩が最初につかった。
    軍隊の隊や、総督、総監という言葉を初めて作ったのもこの藩であり、やがて幕府までがまねた。
    ●軍事(323頁)
    軍事というのは元来、天才による独裁以外に成立しないのである。

    ☆関連図書(既読)
    「最後の将軍 徳川慶喜」司馬遼太郎著、文芸春秋、1967.03.25
    「新選組血風録」司馬遼太郎著、角川文庫、1969.08.30
    「燃えよ剣」司馬遼太郎著、文芸春秋、1998.09.20
    「竜馬がゆく(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1975.06.25
    「翔ぶが如く(一)」司馬遼太郎著、文春文庫、1980.01.25
    「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
    「司馬遼太郎スペシャル」磯田道史著、NHK出版、2016.03.01
    「花神(上)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30
    「花神(中)」司馬遼太郎著、新潮文庫、1976.08.30
    (2016年5月7日・記)
    内容紹介(amazonより)
    周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く。

  • 3月中旬から読み始め、約1ヵ月半かけて上中下の3巻を読破。明治維新成立の2年後、主人公:村田蔵六(大村益次郎)は元薩摩藩士:海江田信義の刺客により人生の幕を下ろす。「竜馬がゆく」が幕末の表舞台を陽からに描いたものとすれば、本作品は陰から描いたように思える。事実、「竜馬がゆく」でも昨年の大河「龍馬伝」でも大村益次郎の名前は登場しない。一般的な認知度も低いだろう。
    しかし本作品を読了し、日本陸軍の創始者である大村が明治維新の立役者の一人であることは充分に理解できた。出自が良かった訳ではなく、地方農村出身の村医師から様々な人との出会いによりいつのまにか大舞台に上がってきた人生というものも非常に面白かった。自身が「これだ」と見込んだ分野を極めることで、他の分野・畑での応用が可能であるという証明である。大村の場合、医学を極めて医師となり、医学書を読む必要性からオランダ語を極めることとなり、洋書の兵学書を読むことから兵学者となり、幕長戦争と戊辰戦争の実質的指揮者となる。
    まさに驚きの転身であるが、私はこんな話が好きである。「この道、苦節○十年」というのも勿論尊敬に値するが、華麗なる転身に成功した話の方が夢が膨らむ。「不毛地帯(山崎豊子)」の主人公、壱岐正も大本営参謀から総合商社のトップに上り詰めた。
    私自身、前職は某専門学校の講師をしており、そのコンテンツ(教授内容)を現在の保険実務の仕事に活かしているという経歴があるため、そんな話に共感を覚えるのかも知れない。また、現在の仕事が将来的に別の仕事や人生に活きてくるかもしれないと考えるとワクワクするではないか。(別に、具体的に転職を考えている訳ではないことを申し添える。念のため。)
    そんな訳で、大村の数奇な人生を愉しんで読むことが出来た。ちなみに「花神」とは中国で「花咲か爺さん」という意味らしい。「時代に花を咲かせる爺さん」という意味でタイトルがついたとのこと。私はいまいちそのイメージは受け入れがたい気がするが(笑)。ともあれ、本作品は1977年の大河ドラマであり、総集編DVDで観てみたいものである。中村梅之助がどのように大村を演じたかが非常に興味がある。
    本書巻末に収められた論評によると、本作品は「世に棲む日日(吉田松陰と高杉晋作が主役)」と姉妹関係にあるという。司馬作品はまだまだたくさん読みたい候補があるが、近いうちに「世に棲む日日」もチャレンジしたいものだ。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「酔って候」「花神」などとはまた少し違った角度から幕末史を楽しめるだろう。

  • だだの狂人集団から、維新政府へと移り変わっていく長州。<br>
    村田蔵六こと大村益次郎は、そうやって移り変わる時代と共に、討幕軍の総司令官となった。<br>
    <br>
    <br>
    村田蔵六はただの技術者であり、ただの技術者であることが彼の信念でもあった。<br>
    人目を気にせず、人間関係を円滑にしようなんて微塵も考えない彼は、周囲の人間から見れば全くの馬鹿のように見えるかもしれない。事実彼は、実力こそあったものの、周囲からの評価は『えたいのしれない奴』であった。だが、彼はそんな人間であるからこそ、こんな偉業を成し遂げたのだろう。<br>
    村田蔵六は総司令官であったので、ほとんど戦場には出ずに、討幕軍と戦っていた。人の命の潰える戦が行われていたことは事実であるが、村田蔵六のみにスポットを当ててみると、彼はいつものように『ただの技術者』でしかなく、室内に篭っていただけである。彼はやるべきことは何であるかを知っており、それをやれるのは自分でしか無いということも知っていた。そして、やる必要の無いことは何も行わなかった。そんな『明治維新』もあるのだな、となんだか不思議にも思った。<br>
    そして、何よりも不思議であるのが、村田蔵六自身の終焉である。彼は、本当にあっさりと消えた。彼の役目が終わると同時に消えたのだ。これが一年前であったら、歴史が変わっていたかもしれない。しかし、そうではなかった。それがなおさら、村田蔵六らしい。<br><br>
    こんな人間がいたのだと思うと、彼は本当に神が使わしたのかもしれない、と感じてしまう。きっと、村田蔵六自身はそれを否定するだろうが。

  • 大村益次郎、日本史の教科書的知識しかなかった。靖国神社に銅像があるのも全く知らなかった。

  •  京都を出発するとき、京における長州代表の広沢兵助が、
    「西郷にはくれぐれも気をつけよ」
    と、注意したが、蔵六はいっこうに表情も変えず、返事もせず、ひどく鈍感であった。広沢のいうところでは、西郷の衆望は巨大であり、一人をもって一敵国をなすほどである。西郷自身は稀世の高士であるにしても、そのまわりにあつまっているのは愚かな物知らずばかりで、江戸へゆけばそういう愚物どもに気をつけよ、といったわけであったが、しかし蔵六は鈍感であった。蔵六にいわせれば、
    「衆望を得る人物」
    という種類の存在が、頭から理解できないところがあり、それどころか、そういう存在は一種のゴマカシです、としかおもっていない。さらにいえば一人の魅力的人物を押しあげているそのまわりの「衆」というものが、この男にはまるで理解できなかった。そういう魅力的人物とそれを押したてる「衆」が大きな政治勢力になり、ときには歴史をもうごかすということは頭で理解しているものの、sかしかれ一個のモラルでは、
     ーーそれは世の中の害です。
     というぐあいにその門人に言っていた。要するに、感動的な人間集団というものがよくわからないたちの男なのである。こういう傾向は長州人に共通しているともいえる。かつての長州藩の代表的人物だった高杉晋作や、いまの木戸などが、みずからの人間的魅力をもって衆をあつめようとしないのは長州の風であり、蔵六はその点では極端に長州人であった。

     村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物をどう書けばよいのか、執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。
    「いったい、村田蔵六というのは人間なのか」
     と、考えこんだこともある。
    しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀感など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ消え失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、ぞう雨録のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。
     つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。ごく一般的に人生における存在感が、男の場合、家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに稀薄で、女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて、より人間くさいと思ったりした。その意味ではナマ身としての蔵六の人生はじつに淡い。
     要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。

  • 異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。

    「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。

    司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
    主人公は大村益次郎(村田蔵六)。

    大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
    百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
    いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
    だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。

    大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。

    と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。

    戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。

    連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。

    そして、連戦連勝。

    中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。

    誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。

    ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
    明治2年に暗殺されて死んでしまう。

    でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。

    という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。

    #

    この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。

    ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。

    前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。

    そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。

    狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。

    政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。

    ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
    そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。


    #

    それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
    シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
    「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
    司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。

    (恐らく、30年以上ぶりの再読でした)

  • 戊辰戦争大詰め。彰義隊との戦いが中心。えどの街を守りつつ、病巣だけを取り除く様な外科医の様な戦ぶり。そしてその後にやってくる西南戦争を予見する頭脳。
    幕末の志士にここまで冷静に自分と他人を数理的に鑑みて行動を起こせる人もいたとは…。

  • 長幕戦争の防衛から維新の達成に至るまでの歴史の激動部を描いた最終巻。
    長州を防衛したあと、長州藩は薩摩と共同し、天子を担いで鳥羽伏見の戦いで幕府と決戦する。
    大村始め、戦争勝利は不可能とされていたが、なぜか勝利し、その後の無血開城へと繋がっていく。大村の仕事としては無血開城後の彰義隊との戦いであった。
    戦力的にも勝利は難しいとされていたが、緻密な戦術で完全勝利となり、維新は成る事となった。

    これだけの功績を納めながら、最後は元々仲間であった過激な攘夷志士の手によって暗殺されてしまう。

    いずれにせよ、この花神(花咲か爺さんの意味)は明治という新時代への餞としてうまく言ってると感心しました。

  • 司馬遼太郎の作品にしては残念ながら躍動感がない。明治維新・近代日本の成立の勉強という点では他の作品同様非常に参考になるが、戦略好きの私としては司馬の言うところの稀代の戦略家である大村益次郎という人間の戊辰戦争に対する戦略の全容をもっと書いてもらいたかった。

全80件中 1 - 10件を表示

司馬遼太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印

花神 (下巻) (新潮文庫)に関連する談話室の質問

花神 (下巻) (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

花神 (下巻) (新潮文庫)のKindle版

ツイートする