- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152233
感想・レビュー・書評
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国盗と言う位置ゲームに現れた果心居士と言う歴史上の人物に関心を持ち、確か司馬遼太郎さんが書いていたと思い出し本屋で探しました。異色作を集めた短編集です。
果心居士の幻術、飛び加藤は、何も超能力を持つ忍者、または婆羅門の幻術士。前者は秀吉(和州大峰山の修験者 玄嵬)に、後者は武田信玄に殺される。
壬生狂言の夜は、新選組隊士、柔術師範頭松原忠司の心中の物語。惚れた女の亭主を暗殺し、助ける風情でその女を我が物とする。女もそれを察しながらその外道の愛を入れる。凡そ人の道の外にその心中が成る。
八咫烏は人の名前である。大和朝廷成立前、海族(わだつみ)と出雲族の混血児が、その二つの種族(歴史の流れ)の葛藤と統一に立ち会う瞬間を描いている。初めての混血故に、どちらの社会にも属せず、その埒外から人間を俯瞰する。
朱盗は藤原広嗣の太宰府におけるクーデター未遂と、異形の人間、穴蛙の出会い。百済の移民の子孫で太宰府郊外に住み、親子三代の事業として貴人墳墓の朱の盗掘の為に生きている。個人は消滅し種族の生命を生き、結果、穴蛙は人の歴史の埒外に呼吸している。
牛黄加持は若き法師義朗を主人公とする。醍醐理性院の賢覚僧都のもと真言密教の法義を学ぶ。俗世の外に生きる努力と、その為故の人の俗性の強調をそこに見る。
山崎正和氏の君子が怪力乱神を語るときー と言う解説に全作品をつなげて腑に落ちる見方を学ぶ。(それ程うがってつなげる必要もないが。)
全て人としての歴史の時間の、外に生きるしか無かったもの、その業により出てしまったもの、出自により出されてしまったもの、その中を知らないもの、出る為にあがいているもの。
司馬遼太郎氏自身が歴史、完結している人生を俯瞰する所行を続けるが故に、時に自身を歴史の部外者と感じぜずにいられなくなる、その辛さが耐え難く嵩じた時に、歴史の支配する世界の外へと失踪する。失踪せざるを得なく成る。その隠れ家としての歴史の外に生きた異形異能の人々の修羅場。
以前から常々思うこと。司馬遼太郎さんはスケベであると。人間のその本能と業はとても深いものであるという事?それを認めているということ?不思議な横の感想です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前にも読んだことはあるが、最近、司馬遼太郎記念館へ行った際に、ちょうど忍者や異能の者を特集展示していて、この『果心居士』も取り上げられていた。再読したくなったもの。
『一夜官女』のあとがきにもあったとおり、司馬はさまざまな歴史の精霊たちとつきあっていたが、そのうち、妖かしに類するものの特集だ。 -
深い意味。
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☆☆☆2011年4月レビュー☆☆☆
司馬遼太郎の初期の短編集。
なかでも、戦国時代の幻術使いを描いた『果心居士』の幻術が面白かった。司馬の考えでは、人の迷信にすみつく幻術使いは、戦国時代までは存在し、記録にも残っているらしい。筆者の手で、その不気味な姿がありありと浮かんでくる。司馬氏は『妖怪』という小説でも幻術使いを扱っているが、次第に人々が合理的精神をもつようになると、こおような幻術使いは生きられなくなったようだ。
松永久秀や、筒井順慶といった戦国大名も、「さすが!」という豪胆さを見せ、非常に読み応えがある作品。
☆☆☆2018年7月レビュー☆☆☆
前回読んだときから7年も経つのかと思うと愕然とする。
「壬生狂言の夜」という作品は悲しい。
目明し与六の
(武士なんぞにならずに、八百屋で一生を送っていたら、こんなばかな死にざまをせずに済んだのに)
↑新選組・松原忠司の死を発見して
という心の声がこの物語の全てだと思う。
歴史上には、一市民で生きていればという人物がたくさんい居る。水木しげる氏は「近藤勇」もその一人だという。 -
司馬遼太郎のかなり初期の短編小説集。忍者の世界はおもしろく読めたが、時代がそれよりも前になると、ちょっとぴんとこなくなる感じだった。
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司馬遼太郎の短編集。前半は戦国時代の忍者のお話。中ごろにある『八咫烏(やたがらす)』がオススメです。
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歴史の隙間の不思議な逸話集といった感じです。