覇王の家(下) (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101152394

感想・レビュー・書評

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  •  小牧・長久手の戦いで秀吉を事実上破った家康から晩年の家康までを描き、家康の本質に迫る。

     信長や秀吉に比べると、英雄的な魅力が感じられない家康ですが、この作品を読んでその理由がさらにわかった気がします。

     同時に自分に置き換えてみると、家康のようにあるべきなのではないかと思う自分がいました。

     司馬史観でとらえた家康像のように、自分を客観視しながら自分をあるべき姿に行動させること、それはそれで人としての大きな力になるのではないかと考えさせられました。

     また、家康の配下の武将の運命からは、人生の岐路でどう歩むのかが大切であることも感じました。

  • 【感想】
    「徳川家康って本当に変人だな」という感想に尽きる。
    勿論センスも良いし、勇敢だし、家臣に対するマネジメントや信頼感などはずば抜けたものがある。
    ただ、終生自身を客観視できるという点において、こんな人間がいるのかと仰天した。
    もしかすると、彼は心の底では自分以外だれ一人として信じていなかったのではないかなとも推察できた。

    また、三河の人間の閉鎖的性質や、言葉は悪いが「ネクラ」な点は、読んでいる分には面白かったが、自分の近くにこんな人達がいたら絶対に嫌だなと思った。笑

    なにはともあれ、徳川家康は戦国時代を終着させ、300年近く続いた江戸幕府を創り上げた偉大な人物であるであるという事実には変わりない。
    晩年、というか死没間近になっても、後世のことを考えて、色々な手筈を打つあたり、やはり家康は只者ではないなと思った。



    【あらすじ】
    戦国時代の混沌の中から「覇王の家」を築き上げた家康の、勝者の条件とはいったい何だったのか……。
    小牧・長久手の戦いで、時の覇者秀吉を事実上破った徳川家康。
    その原動力は、三河武士団という忠誠心の異常に強い集団の存在にあった。
    信長や秀吉とは異なる家康の捕らえがたい性格を、三河の風土の中に探り、徳川三百年の精神的支柱を明かしつつ、日本人の民族性の謎にまで迫る。


    【内容まとめ】
    1.地上にいるなまの人間とは思えないほど、この男は自分の存在を抽象的なものにしようとしていた。
    彼には自己が無さそうで、自己まで客体化され、監視され、運営されていた。
    創造力ももたず、天才でもなかったこの人物が、乱世のなかで多くの天才たちと戦ってゆくには、こういう自分を創り出すほか手がなかった。

    2.世におそろしいのは、勇者ではなく臆病者
    家康にすれば敵に城を奪われたことより、味方の信雄のほうがこわい。

    3.家康がその前半生において時々見せてきた絶望的な思いきりについて。
    元来は利害計算がたくましく、頭脳はつねに計算で旋回したが、しかし利害計算も及ばぬ絶体絶命の極所に立ち至ったとき、少年のように初々しい自尊心と、果敢な勇気を見せる。
    家康という男をこの戦乱の世間につなぎとめている最大の要素は、過去において彼が発揮した賭博とも言い難い、絶望的で自暴自棄に近い行動であった。

    4.「愚かなことを言う者があっても、しまいまで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者が遠慮をするからだ。」
    家康は口数の少ない男だったが、ひとの話は全身を耳にするような態度で聴いた。
    どんな愚論でも、辛抱強く聴いた。

    5.家康は最後の最後まで忠実で世知らずの三河者こために心を砕いて指示を与え、ついには残らず指示をしきった。
    偉業は生前もさることながら、原理と原則を残す事によって死後3世紀ちかくも続かしめたその政権のほうにむしろ重みがある。


    【引用】
    p5
    徳川家康というのは虚空にいる。
    地上にいるなまの人間とは思えないほど、この男は自分の存在を抽象的なものにしようとしていた。
    彼には自己が無さそうで、自己まで客体化され、監視され、運営されていた。

    本来、どれほどの創造力ももたず、むろん天才でもなかったこの人物が、この乱世のなかで多くの天才たちと戦ってゆくには、こういう自分を創り出すほか手がなかったかもしれなかった。

    「素知らぬ体(てい)」という奇妙な態度を生涯つづけた。
    家臣に対して怨恨や憎悪、偏愛や過褒、猜疑を持たず、自己を守るために自己を無私にするという異常人であった。


    p60
    (世におそろしいのは、勇者ではなく臆病者だ。)
    家康にすれば敵に城を奪われたことより、味方の信雄のほうがこわい。
    へたへたと腰が砕ければ、なにを仕出かすかわからない。
    「敵は大軍、当然ながら驕っております。驕れば必ず破れが出るのが当然。そこへ巨細なく目を配り、砕けたとあればすかさず付け入って一仕事いたしますゆえ、ご安心あれ。」


    p110
    ・長久手の戦いにて
    秀吉軍は、池田勝入斎が悪ねだりをした「中入り」という機動作戦のせいで潰乱した。
    家康は、彼の半生のなかでもほとんど記録的な大勝をおさめた。


    p178
    秀吉のためらいは、かれの失策ではなくその事情によるものであった。
    秀吉の下は、寄合い世帯でしかない。
    もしこの同じ戦術的局面で、上杉謙信や武田信玄が秀吉の立場であったとすれば、一大突撃を敢行したであろう。
    彼らの軍団の中核は家の子・郎党であり、主将が打つ鉦や太鼓の合図に忠実であった。
    が、秀吉にはそれができない。


    p196
    まずい、と家康は新しい局面に立ったときに常に持つ恐怖心をこのときも持った。
    家康は信雄という同盟者を失っただけでなく、信雄が秀吉と和睦した以上、秀吉・信雄軍を敵にせざるを得なくなる。

    「殿も信雄さま同様、羽柴と講和なされますか?」酒井忠次が妙案のようにそう言ったが、
    「おれは、せぬ」と言い切った。

    理由はなかった。
    家康がその前半生において時々見せてきた絶望的な思いきりがこのときにも現れた。
    家康は元来が利害計算のたくましい男であり、その頭脳はつねにその計算で旋回したが、しかし利害計算も及ばぬ絶体絶命の極所に立ち至ったとき、この男は少年のように初々しい自尊心と、果敢な勇気を見せるのである。

    いずれにしても家康という男をこの戦乱の世間につなぎとめている最大の要素は、過去において彼が発揮した賭博とも言い難い、絶望的で自暴自棄に近い行動であった。


    p209
    「愚かなことを言う者があっても、しまいまで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者が遠慮をするからだ。」
    家康は口数の少ない男だったが、ひとの話は全身を耳にするような態度で聴いた。
    どんな愚論でも、辛抱強く聴いた。


    p255
    家康は大坂夏の陣を終えて豊臣家を滅ぼしたあと、その翌年に齢74歳で死ぬ。
    晩年まで健康だったのは、色情を抑えて他の方法で気分を晴れさせていたからである。


    p260
    家康は医師がいかに頼みがたいものであるかを知っていた。
    頼みがたい以上は、家康は自らが医者となって自ら健康を守ろうとし、日本中の医書を取り寄せ、さらには製薬法も学び、衛生や健康法も自ら工夫した。

    梅毒の危険性を早々に見抜いて生涯において一度も遊女を近づけなかったり、スポーツが体を守るということを東洋において最初に知って実行していた。


    p275
    臨終までの数日間、医師がいかに薬をすすめても、一切服用しようとしなかった。
    家康が一個の悟りに達していたというよりも、元来がそういう男であった。
    彼は自分という存在を若い頃から抽象化し、自然人というよりも法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで外界を見、判断し、動いてきた。
    自分の健康についても、まるでそれが客観物であるかのように管理し、与えるべき指示を彼自身が冷静に与えていた。

    どうみても英傑の風姿をもたず、外貌と日常もそしえ才能もごく尋常な人物でしかないこの男が、その深部において際立って尋常人と異なっているところはこの一点であり、この一点でしかなかった。


    p284
    家康は最後の最後まで忠実で世知らずの三河者こために心を砕いて指示を与え、ついには残らず指示をしきった。
    家康は偉業は生前もさることながら、原理と原則を残す事によって死後3世紀ちかくも続かしめたその政権のほうにむしろ重みがある。

  • 「覇王の家 下」 司馬遼太郎(著)

    1973年 初刊 (株)新潮社

    2002 4/20 新潮文庫
    2020 6/20 31刷

    2020 9/12 読了

    ん?ん?
    関ヶ原も大坂の陣も出てきませんでした^^;

    その辺りを題材にしたお話を司馬遼太郎は書いてるから当然なんだろうけど^^;

    この下巻では
    小牧、長久手の戦を中心に家臣との繋がりから三河武士という特殊な集団と

    家康という摩訶不思議な人物像が描きだされています。

    閉鎖的で慎重な気風の一豪族が天下を治めたこの270年続く江戸幕府の功罪については
    あとがきに書かれていて興味深いです。

    もし秀吉の世が続いていたなら
    今の世界地図は大きく変わってただろうなぁ…

    読書部会まで徳川家康について
    もうひと作品読んどくべきだろうな。

  • 主に豊臣政権になるまでを丁寧に描かれており、そこからいきなり晩年になってしまったのでちょっと残念。
    小牧長久手の戦いについてあまり知らなかったので興味深かった。
    あとやっぱり著者の描かれ方にもよるけど魅力的な人物ではない(笑)

  • 家康が秀吉と対決しなくてはいけなくなってから。

    上巻ほど苦戦せずに読み終わりました。
    おそらくほとんどが小牧・長久手の戦いなので、誰がどこの国の人か、人間関係が分かりやすかった為と思われます。

    江戸270年の歴史を始めた人の割にはどんな人か知らないなぁ、と思って読み始めたのですが、なるほど割と地味でケチな人だったようです。
    でも人の扱いというか、計算が上手い人だったというのはよく分かりました。
    司馬遼太郎さんの解釈ではあるのかもしれないですが、家康の性格やその時代、時期の情勢が分かりやすくて面白かったです。

    家康、秀吉など、やはり何かを極める人というのは、ちょっと変な人なのですかね。。

  • 小牧長久手の戦いをえがいたあと、
    晩年の話に飛び、終結。

    石川数正の話が面白かった。
    秀吉が(―数正なら蕩せる。)と思っていたのにぐっと来た。
    しかし、秀吉の元に奔っても、栄転しなかった数正が悲しい。

    『功名が辻』を読んだ時にも思ったが、
    今回も少しだけ言及されただけだけど、
    司馬遼太郎さんは蒲生氏郷が好きなんだな、と思う。

    家康に上洛せよと促す、秀吉の外交の使者、
    織田長益、滝川雄利、土方雄久が三河から戻り、
    織田信雄とともに秀吉に結果を報告するため夜急ぎ参り、
    起きるともわからない秀吉を待つため、
    寝所のそばで忠誠心を示すがごとく控えている様子が面白かった。
    控えているとき、織田長益だけは退屈しておらず、
    「欄間を見あげては、その透かし彫りについての講釈を
    滝川雄利を相手にやっていた。」という描写があった。

  • 小牧・長久手の戦いにおける家康と秀吉の心理が見事に描写されています。配下ではなく、ただの同盟者である諸侯を束ねつつ戦っていた秀吉のもどかしさがよく理解できました。様々な制限がある中で石川数正や織田信雄に接触して、なんとか状況の打開を試みる秀吉が素晴らしいです。相変わらず魅力的な秀吉を描いてくれます。家康の側近についても細かく描写されており、それぞれに魅力がありました。関ヶ原の戦いについては書かれていませんが、個人個人を深く掘り下げているので、作品の焦点を広げ過ぎなくてちょうど良いと思いました。歴史の切り取り方、読者への伝え方、さすがだなと感じます。

  • ■司馬遼太郎による家康やその家臣、秀吉などの濃密な描写。
    ■関ヶ原や大阪の陣のところなどがない。恐らく、人間的な描写ができる歴史書類が残っているところをつなげているのではないか。
    ■覇王の家というより、覇王の人という題名の方が相応しい、という感じの本。読み応えはあった。

  • 戦国時代の天下取りで争いあった信長、秀吉、家康。これら天下人の元に仕える光秀などの家臣達。
    単に徳川幕府三百年に及ぶまでの争いを描いただけでなく、何故、家康が長きに亘る政治を治めることが出来たのかを、信長や秀吉と違った三河人の忠誠心の強さを表現していて、面白かったです。
    NHK大河(どうする家康)も、そうした家康の人間性を前面に表現したかったと聞きました。
    ドラマも色々話題になっているようですけど、楽しみに見ています。

  • コロナ感染を乗り越え、漸く読了。
    前回のwave以上に、周りでの感染者が増えている気がする。辛かったことは、裂けるような喉の痛みやら熱やらで、夜休めないことだったか。

    しかし帰郷前で良かった。覇王の家 下巻を来年に持ち越すことなく済んだ。

    今年の大河ドラマもあと一回を残すのみとなり、すでにそのことが寂しく感じながらも、来年からの大河ドラマもせっかくならば基盤を作って楽しもうと思い立ち、本書を読み始めた。

    司馬遼太郎の後書にもあるとおり、なるほど3世紀にも渡る幕政の礎を築きながら、タイトルにある「覇王」という要素をこの家康は持っていない。さらに司馬遼太郎の言葉を借りると、日本には所謂英雄と呼べる歴史上の人物はない。

    ただ、それでも乱世を統一し、彼が築いた長期に渡る幕政が、今に至る日本の文化や民族性に影響を及ぼしていることはなんとなく感じるところで、それがどのように成し得たのかを読みたかった。

    歴史の解明は刻々とされている。
    この本が執筆された昭和48年から、新たな発見や説も出て来たかもしれない。それでも、大筋こういうことであったのだろうと妙に思える。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

司馬遼太郎の作品

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