峠 (上巻) (新潮文庫)

  • 1870人登録
  • 4.04評価
    • (291)
    • (202)
    • (230)
    • (12)
    • (2)
  • 164レビュー
著者 : 司馬遼太郎
  • 新潮社 (2003年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (511ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152400

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
宮部 みゆき
司馬 遼太郎
有効な右矢印 無効な右矢印

峠 (上巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • 河井継之助の一生を描く。
    「原理」という単語がよく出てくるが、この「原理」を追求すべく生きたのが継之助。
    なんのために勉学をするのか、なんのために遊学するのか、その目的が非常に明確で、惹きつける。

  • 司馬遼太郎の長編作品は、2012年の1月に読んだ「項羽と劉邦」以来。おおよそ4年ぶりの長編作品として手に取った本書は、期待以上の素晴らしい作品でした。上中下の全3巻。

    本書の主人公は、越後長岡藩牧野家の家臣である河合継之助。「北国は、損だ」としみじみ思う継之助は、類い稀な先見性と並外れた器量の持ち主であります。上巻では、人物としての継之助が描かれる場面がチラホラ。こういう人物描写は、司馬遼太郎作品の大きな魅力のひとつかと。気に留めた描写をいくつか抜粋。

    「継之助は、色のあわい、鳶色の瞳を大きくひらいていった。人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ」
    「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
    「志の高さ低さによって、男子の価値がきまる」「男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある」
    「武士とは、精神の美であるという。しかもその美は置物の美ではなく、骨っぷしのたしかな機能美でなければならない」

    そんな継之助ですが、幕末の大きな奔流には勝る術がなく、ついに押し流されてしまいます。これは、彼が拠点とする越後の国が時代の主流である江戸や京から離れているからかもしれません。しかし、時代に飲まれたとはいえ、彼の魅力が落ちるわけではありません。下僕に自らの棺をつくらせ、庭に火を焚かせ、病床から顔をよじって終夜それを見つめ続けた孤高の精神は、物語の最後に至るまで読者を魅了し続けるのでした。

    さて、本書を読み終えて改めて感じるのは、継之助という人物の捉え難さです。物語の前半では、継之助は既存の考えに縛られず自由闊達に思想をめぐらす人物として描かれています。開明論者であり、「士農工商はやがて崩壊する」、「武士の時代は滅びる」といった発言からも、非常な先見性を感じられます。ところが、越後長岡藩の主導者として藩政を任せられる立場になると、継之助の自由人らしい言動はどこか影を潜めます。そして、結果的に幕府側に立つことになった継之助は、官軍と北越戦争を繰り広げ、そして自藩もろとも滅んでしまう。どうも前半の自由人である継之助と、後半の主導者としての継之助は、同じ人物でありながら矛盾を感じてしまうのです。
    本書解説を借りると、「この矛盾に対して、司馬氏が見出した解答は河井の武士道倫理であった」とのことで、「自由人である河井継之助はいろいろなことを思えても、長岡藩士としての彼は、藩士として振舞わなければならない、そういう立場絶対論といったふうの自己規律、または制約が、河井の場合には非常に強烈だったろうと思うんです」と司馬遼太郎の文章を引用しつつ、解説しています。たびたび、継之助は「立場がひとをつくる」といったような発言をしていましたが、継之助の志を保つ自己規律には、もしかしたら「立場」という要素が含まれていたのかもしれません。そして、藩の主導者という立場となった継之助は、武士道倫理、すなわち侍として生きることに決めたのかもしれません。

    侍の終焉を予期した継之助が、侍として世を去る描写は、決して皮肉なものではなく、「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった」との著者あとがきのとおり、「いかに美しく生きるか」という武士道倫理のあらわれなのでしょう。

  • 幕末の越後長岡藩の藩士・河井継之助の生涯を描いた作品。初、司馬遼太郎!
    おもしろい!!
    幕末の歴史がすごくよく分かる。
    なぜ今まで読まなかったんだろう・・・
    八重の桜、花燃ゆ、篤姫(こちらは小説も)、あさが来たと、幕末〜明治が舞台の作品をいろいろ観て読んで、すっかり幕末ブームで、河井継之助記念館にも行ったのに、なぜ峠を読んでいなかったんだろう!!
    徳川幕府の終焉と明治維新って、日本にとって大きな大きな転機だったということが、今のわたしたちにはよく分かるし、きっと当時の人たちも、渦中にいるときはただただ驚いていたけど数年たって、ああすごいことが起こったんだな・・・と気付いたのだろうけど、事が大きくなる前に、どれだけの人が「こりゃ国の一大事だ」と気付けたのだろうか。自分がどういう立場で何をするべきか。それに気付くことってすごく大切なのだけど・・・それは、勤勉である、正直である、信頼がある、とは全く別の話。
    震災があって、テロがあって、紛争、ミサイル、貧困、さまざまな問題があるいまの日本は、世界は、「渦中」なのかどうか。
    数年後、数十年後、「いま」がどう語られるのか。
    それに気付けているのだろうか。
    私はどうすればいいのだろうか・・・
    とまあ、そこまで大きな問題じゃなくても、
    社会での立場 とか 家庭での立場 とか
    置き換えて考えることは様々できるなあと思った。
    ビジネスや暮らしのハウツー本を読むより歴史の本読んだほうがよっぽど腑に落ちるわー。
    まだ、上ですけど(笑)
    まだ、何も起こってませんけど(笑)
    中も下も楽しみだ・・・

  • 河井継之助のことを全然知らずに読む。
    薩長土側(クーデター側)を痛快に書いた作品群とは異なり、政権側(但し末端)の視点の本作は、大企業に勤める組織人として感情移入しやすく、大変おもしろい。主人公の顛末を知らないだけに中下を読むのが楽しみ。

  • 特に深いものはないかな。紹介程度。これから何かをして行くだろうなーぐらいの感じ。

  • 久しぶりに痛快な、作品を読んだ。幕末だから、活躍できたともいえるが、先を見る力が尋常ではない。最近の売れ筋の本と比べると凄く楽しめる作品。主人公の継之助を私が、全く知らなかったから、余計楽しめたのだろう。

  • 人間の美しさのひとつは、老いるにつれて自分の過去が美しくみえてくる。
    書物に知識を求めるのではなく、判断力を研ぎ、行動のエネルギーをそこに求める。

    人の世は自分を表現する場なのだ。

    世を動かそうとすれば、人に使われねばならず、人に使われるためには、温厚で謙虚であらねばならぬ。

  • ○陽明学とは、人を狂人にする。つねに人を行動へと駆り立てている。この思想にあっては、つねに自分の主題を燃やしつづけていなければならない。この人間の世で、自分のいのちをどう使用するか、それを考えるのが陽明学的思考法であり、考えにたどりつけばそれを燃やしつづけ、つねに行動し、世の危難をみれば断乎として行動しなければならぬという、つねに激しい電磁性を帯びたおそるべき思想であった。

  • 越後長岡七万四千石という小藩の家老、河井継之助が江戸末期に官軍にも幕府にもつかず、独立の姿勢をとろうとする内容です。
    陽明学の考え方を基本とする河井は、行動しない考えは無駄として、考えと行動を直結させています。
    司馬遼太郎の本のなかで一番面白く、考え方としても影響を受けた本です。
    インターネットに情報が氾濫するこのご時世に、私たちは行動に必要な考え、情報を取捨選択できているのか考えさせられる本でした。

  • 知行合一を目指した河合継之介の半生。
    夢を大きく持ち、小さくまとまらない。学問のための学問をしない。
    自らの所属を大切にし、事をなす。

    ともかくかっこいいですが、少し長ったらしいです。司馬さん。

  • ご存知、読んで損なし。

  • 大口をたたく奴がでぇきれえだ。それは単な自慢や鼓舞でただ高飛車な態度をとっているに過ぎないからだ。しかし、この男「河合継之助」は違う。自分の能力を客観的に見た上で、自分が家老になるしかない、ということを平然と言ってのける男である。馬鹿馬鹿しいを通り越して、いっそ清清しいくらいだ。

  • 吉原の花魁の生き様に惚れる。時代物に求めるのは、その時代に生きる人の心意気なのかもしれない。

  • 越後長岡藩の武士、河井継之助を主人公にした作品です。
    リーダーとしての決断力、実行力はもちろんなのですが、魂の置き所を定めて生きる彼の潔さが非常に魅力的でした。
    自分自身の立場に悩み行き詰まった時、手に取ったこの本で彼の生き様を読み勇気をもらいました。
    人の立場というものを深く考えさせられます。

    作中に登場する山田方谷も印象深い存在でした。

  • 越後長岡、河井継之助、陽明学、おすが。吉原の小稲、京、織部。備中松山藩、方谷山田安五郎。長崎。前半は、何事もなかった。彫るように読む。

  • 風変わりだが大胆かつ論理的な主人公、継之助の生き様は、自分の人生における判断に大いに役立ちそうです。
    作者も文中で語っているが、前半の全国行脚の部分は特に波乱もなく淡々としているが、その後藩の役職に着いてから俄然面白くなります。
    中巻が楽しみです。

  • 2016.01.27
    再読

    2016.5.15
    読了

    2017.9.13

  • 長い前置きの先にある面白さ。負けるとはどういうことかを考えさせられた作品。

  • 150329読了。

    長崎までも辿り着く行動力と
    ひとに流されない芯の強さと
    妥協せずに貫きとおす信念と
    …。
    こんなに思い通りに生きた人がいるなんて。

    いまの時代も
    明治維新以来の激動の時代と言われるから、
    どんな風に行動すればいいか分からないし、
    振り回されたり、不安になったりするけど、
    こんなふうに生きた人が長岡にいたなんて、
    知ることができてワクワクしました。

    続きも頑張って読みます*^^*

  • 幕末の開明家:長岡藩士 河井継之介の物語。行き詰った幕藩体制を終わらせることを選んだ男の物語。ニッチ!!!


     
    _____
    p30 大塩平八郎
     継之介が心入れしたのが大塩平八郎。彼は大塩のように自分の命の使いどころを見つけた人にしびれる、あこがれるぅ!

    p54 知識を熔かす
     継之介にとって、知識とは貯めるものでも、ひけらかすものでも、売り物にする物ではない。
     知識はそれを精神に熔かして生命エネルギーに昇華する。そういう生きる燃料としてみていた。どんなに知識をため込んでも、それを生かさなければ意味がない。実用主義者だった。
     
    p76 志
     男子の人生の苦渋とは、その志をいかに高く守り抜くことができるか、そこにある。という。
     日常茶飯の自己規律を守ることは困難である。あらゆる煩悩が誘惑して志を貶めようとする。男とは、志に生きるものであれ。

    p96 大名の娘
     幕末には貧困殿様がけっこういた。仕事のない御家の娘が売りに出されることも多々あったようだ。お稲もその一人で、だから教養と気品があった。
     それほど、幕府の農本主義が無実化していたのである。

    p236 己という道具
     河井継之介曰く「自分と自分の生命は同じではない。生命は自分の道具にすぎない。」道具なればこそ鍬は土をよく耕す。自分も自分を道具として、この世の中を耕したい。それが本懐である。
     しかし、そこに女というのは道具を鈍にする。だから、女は好きでもいいが、惚れてはいけない。

    p281 西に埋めよ
     家康は死ぬとき「我が屍は西に向かって埋めよ。」と言ったという。西国大名の長州毛利氏と薩摩島津氏、これらが蜂起して関東に攻め込んでもそれを食い止める怨霊になろうと…。
     だから伊豆に大権現として奉納されたのか。

    p287 日本人はH❤
     スイス人ファブルブランドは言う、日本人はヨーロッパ人よりも淫靡であると。しかし、日本人は西洋人はその巨躯から性欲強力と思っている。
     しかし、確かに日本人は公にスケベかもしれない。宴会の場に娼妓を当然置くとしているし、東海道の各駅には女郎小屋が完備されている。

    p304 スパイ藤堂高虎
     藤堂高虎は織田、豊臣、徳川の三大を渡り歩いた強かな戦国武将であった。
     最初は浅井家に仕えたが、織田勢力に鞍替えした。本能寺で織田が討たれると、豊臣秀長に仕えるようになる。そして、高虎は豊臣家の将来を見越して早くから家康に近づいていた。関ヶ原の前夜、西国の大名の内情が家康に筒抜けになっていたのは、高虎の暗躍だった。
     藤堂高虎は城作りもうまかったはず、実に興味深い。

    p312 種痘館
     藤堂藩の斉藤拙堂に遭いに行った。
     藩には種痘館という藩校があった。天保十二年(1841)には種痘法は伝道されていたが、世間では受け入れられていなかった。拙堂はそれを導入し、藩民に予防接種を施した。
     開明的!

    p327 京人のちがい
     京人は本音を言わない。それは長年の京都で育ってきた文化である。回りくどい。
     しかし、継之助は単刀直入、論理的な男である。そんな男が京都では浮いてしまってしょうがない。

    p353 朝廷メシ
     家康の代に宮廷に配分される予算は決められ、それ以降変更はなかった。時代の変遷による物価の向上に変更されることはなく、時代を経るごとに朝廷の財政は困窮した。
     酒は水を入れた酢のようなものを飲んでいたという貧困さよ。

    p371 親鸞の妻は菩薩様
     抑えきれない性欲に悩んだ親鸞は禁欲の修行に臨んだ。その修行の満願の日に親鸞の目の前に観世音菩薩が舞い降りる。「そなたが女人への想いが断てないのなら、いっそ自分が女人になってやろう。」ということで、親... 続きを読む

  •  越後長岡藩の藩士、河井継之助は幕末の時勢をいち早く察知し、幕藩体制崩壊と予言するのだった。もちろん譜代大名である長岡藩家老一同、継之助の戯言などには耳もかさないのだが、いよいよ歴史が動きだそうとしている、そんなとき継之助が藩主の相談役に抜擢される。同じ上士でありながら方や、外様大名藩士、長州の高杉晋作と行動、理念がかさなる。中巻では京都を去り、幕府の家老職を辞した長岡藩主と継之助はいよいよ自藩の生き残りにかける策にでる。

  • 江戸時代後期、大政奉還後の権力争いに巻き込まれた小藩、長岡藩を時代の濁流から守ろうとした老中、河合継之助の生涯を描いた小説です。
    恥ずかしながら、この小説を読むまで、長岡という土地にもなじみが無く、河合継之助という人物がいたことも知りませんでした。
    彼が目指したものは、長岡藩、西軍(薩長による官軍)にも旧幕府軍にも依らない独立した藩を作ることでした。その志の為に彼は命を尽くしました。理想の藩を作るために洋式武装をし、独自にシステムを変えようとしますが、否が応でも時代の流れに巻き込まれてしまいます。
    上巻はゆったりとした流れで、河合が日本各地を遊学した様子が描かれ、笑いを誘う箇所もあります。後半から切迫感が出て、継之助が追い詰められ苦しいです。秀でた能力がありながら、視点がきわめてローカルで、他の優秀な人たちは「国」に目が向いているのに、彼は長岡藩づくりにこだわりました。長岡藩にとっても、継之助にとっても不幸だったと筆者は言います。
    歴史上の有名人ではないですし、他の司馬の小説に比べて派手さはないですが、継之助の無念が心に迫ります。オススメの1冊です。

  • またひとり尊敬する人物を見た。河井継之助。
    学ぶことにより自分の中の原理を磨く、見つけるという。迷わず、原理に従って行動する。
    生きていく上で参考にしたい行動指針が詰まっていると感じた。
    真似できるかどうかは分からないが、こうありたいと感じた。

  • 柄沢社長 リーダーの本棚

全164件中 1 - 25件を表示

峠 (上巻) (新潮文庫)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

峠 (上巻) (新潮文庫)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

峠 (上巻) (新潮文庫)の文庫

峠 (上巻) (新潮文庫)のKindle版

ツイートする