峠 (下巻) (新潮文庫)

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著者 : 司馬遼太郎
  • 新潮社 (2003年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152424

峠 (下巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 峠の最終巻。
    あとがきで司馬さんが述べられているように、「カラダを魂が動かす単なる一客体」としてとらえ、人生を情熱を演じる舞台として、生き続けた男。それこそが侍である。
    河合は死ぬ時、おれが死ねば侍はいなくなると語った。
    確かにギリ人情、忠君の思いに生き続けたことは今では考えられない。そして逆優秀すぎる河合がいたからこそ長岡藩は西軍につぶされてしまう。
    一男の人生として憧れを持った。

  • 2017.11.25読了
    「人間の芸術品とまで言えるように思える」サムライの典型を河井継之助の武士道倫理に見出し描いていった模様。激動の時代をリズミカルに丁寧に描写していて引き込まれていく。

  • 17/10/17読了

  • 内戦でこのような惜しい人物をたくさん無くした上での明治政府なんだなあ。河井継之助のことは何にも知らなかったが、ザ ラストサムライという感じはする。
    本の中身とは関係ないが、内戦を経験した人は外国人を殺すのに抵抗なくなるだろうな、と思った。

    亀井俊介さんの解説がなかなかよいです。

  • 継之助、賛否両論あるだろうが、私は好きな人物である。逝去の日は、8/16で今日は8/15だ。少し驚きがあり、何か深い興味をもつ。
    もっと、うまいやり方があったのではないかと思うが、携帯電話やインターネットがない時代。簡単には相手と連絡が取ることができない。継之助の思想と官軍のタイミング残念としか言いようがない。もし、負傷せずに生きてくれていたら、日本の動きも変えれたかもしれないその様に思うことが出来る人物だった。何度も読み返して、この人の思想を読み解き、自分自身を成長させる一助にしたい。

  • 正義に生きた、カッコいいオッサンの物語。こんな器の大きいオッサンに俺もなりたいわ。長岡に行きたい。新潟を知りたい。


     こんなニッチなおっさんをよくまぁこれだけ熱く語れたなと、司馬遼太郎先生には感動させられます。こんな物語を読まされたら、世の中のリーマンに甘んじているおっさん達は血が騒いでしょうがなかったでしょうに。
     
     「覚悟」 これがキーワードになっている。このキーワードが物語の熱の原点である。

    ______
    p43 新潟の藩
     新発田の溝口家十万石、村上の内藤家五万石、村松の堀家三万石、与板の井伊家二万石、椎谷の堀家、黒川の柳沢家、三日市の柳沢家、峰山の牧野分家、清崎の松平家、これらが一万石。
     うちの祖父母の家は今の胎内市なんだけど、黒川藩かな??

    p57 カネなし
     薩長土新政府のネックは金欠なところだった。軍隊の洋式化など金をかけすぎて草鞋すら買えないというほどだった。
     その結果、東進の際に沿道の諸藩に対して「軍勢を出せぃ。あと、金も出せぃ。」と勅命を利用して恐喝して歩いていたのである。

    p71 武士の世の変化
     鎌倉から続く武士の精神は、何があっても主君の命は守り抜く、たとえ敗軍の将になろうとも主君かその子息は生き延びさせてその血をつなぐ。これが正義であった。しかし、幕末にはそうとは考えない者が存在し始めたのである。徳川政権が潰れても日本という国家が外国に食い物にされないように…とか、上様を殺して別の血縁者を立ててでも御家を…とか、価値観が変わっていることに継之助は驚いている。「時代は変わったんだなぁ…」良いオッサン具合。

    p80 玄人の国、日本
     日本は玄人になろうとする。武士道も、ただの道具である刀の使い方を究め、それが精神論にまで突き詰める。しかし、西洋は違う。技術は「全ての素人がすぐ使えるようにする」という汎用性が追及される。
     この差が進歩の差になった。その気は、いまもある。

    p91 孟子曰く
     「いかに威武ある存在から脅されても心を屈せず、いかに貧乏しても志を変えたりせぬ男を得たい男というのだ。」孟子もそういってる。継之助もそれを実践してる。

    p98 余念を持つな
     継之助が妻:おすがに月代を剃る時のコツとして教えたこと。「目と心を一つにしてスーッと剃れば誰にでも剃れる。」余念を持てばどんな器用者でも仕損じる。余念を持つな。

    p120 陽明学派
     陽明学派の考えは、その事を起こす時、それが成功するかしないかは第一義ではない。結果がどうであるかは気にしない。
     陽明学においてもっとも優先すべきはその行為が美しいかどうかである。
     だから、長岡藩は官軍と徳川家で美学に準じる方につくというのが継之助の考えである。

    p131 怒ってはいけない
     議論は怒った方が負け、というよりは怒ることはそれによって自分の敗勢を立て直そうとする行為であり、自ら負けを認めることを告白するようなことである。
     怒ったら、負け!

    p145 ふりあげた斧
     徳川慶喜が絶対恭順をもって薩長の企画した革命に肩透かしを食らわせたので、官軍はふりあげた斧を振り下ろす先を求めた。それが会津藩であった。
     会津藩は京都に対してひたすら恭順を求めたが、決して受け入れられなかった。江戸時代の終焉に殉死せよと、生贄にされたのである。忘れてはいけない。

    p161 今井信郎
     土州の坂本竜馬を殺したのは俺だ。と維新後に供述したので有名な男。

    p167 金が要る
     長岡藩が旧幕軍の協力を断った後、それらは与板藩に移り、恐喝によって七千両を奪っていった。その際、今井信郎は自分の部下を強盗として処罰して、5人の首を刎ねてその地を去っていった。
     自分で盗んで、それを裁いて正義を全うするとか、気違いの沙汰である。そんな世も末だったのである。

    p188 中立は不可能、どうするか!?
     長岡藩は永世中立を決め込もうと考えていたが、官軍はそれを一切認めず、話し合いも認めず、戦いと流血のみで解決を図ろうとした。早くも継之助の構想は崩れたのである。

    p196 小田原評定
     秀吉の小田原攻めに遭い、降伏するかしないかで喧々諤々いつまでも終わらない評定を小田原城内で続けていたという。それが小田原評定。それと同じことが当時の長岡藩でも起きていた。
     「ギリギリの段階で救いなどない。一つの道を信じぬくしかほかない。たとえその道が地獄に通ずる道だとしても、君臣とともに地獄に墜ちるなら構わないという不退転の覚悟だけが、唯一の救いの道となろう。」的なことを継之助はいった。かっこいい。

    p205 パン
     長岡藩の糧食として食パンを携帯させた。パンを主食として製造した日本初はきっとこの長岡藩。

    p233 軍事と政事
     軍事は政事の要素も含む。継之助は「勝てぬが負けぬ」を目指した。官軍の攻勢に耐え抜き、時間を稼ぐことによって新政府の国際信用を失墜させることで和睦に持ち込む算段であった。

    p252 峠
     河井継之助の構想を峠で例えれば、官軍との談判、これが峠の頂上になる。この峠を乗り越えた先に長岡藩の未来が見える。しかし、官軍はこの談判に聞く耳を持たなかった…。

    p284 官軍の失敗だった
     後年、新政府内部で一致した反省として「河井を去らせた」ことが官軍の北越戦争での大損害を期した大失敗だったと言われている。
     河井継之助が談判した官軍の相手は土佐の若き志士:岩村高俊だったが、理屈好きな気の利かないこの男は河井の意見を受け入れなかった。この男、河井継之助の情報をあまり仕入れておらず、長岡藩と対立することになったらどうなるかを予想できていなかった。さらに、継之助の嘆願書を上層部に届けてほしいとの願いも拒否し、頭でっかちが完全に悪い方に転じた。

    p301 美
     ついに官軍との開戦待ったなしになった長岡藩。その戦に意義はあるのか。やりようはもっとあったのに、もっと早く会津に加担して官軍に大打撃を与えてるとか、官軍に加担して新政府での地位を狙うとか、河井のこだわりのせいで首が回らなくなったのである。
     しあkし、それでも継之助はこの戦には意義があると見た。
     「美」 にはなる。
     だからよし。陽明学の考え方である。

    p326 敵は味方に似る
     長岡城奪還後、官軍の山県狂介と河井継之助は同じような考えをしていた。敵の虚をつけないものか。
     どちらも氾濫する信濃川を超えて、奇襲を仕掛けたかった。結果、官軍が一日早く決行して勝利した。
     戦場において、拮抗した敵も味方も状況は似る。状況を打破するための作戦も似る。だから経験のある武将が重要なのである。

    p347 不幸にも河井継之助
     歴史にifはないというが…
     もし長岡藩に河井継之助が居なければ、長岡藩は敗北をすることはなかったであろう。敗北する前に官軍に恭順して会津攻めの急先鋒をなんとなく務めていただろう。
     しかし、河井継之助という巨大な政治家がいたから、分不相応な大立ち回りをさせられることになり、官軍に敗れたのである。とはいえ、継之助にとっても生まれたのが長岡藩という小さな藩だったというのが不幸である。
     不幸にも河井継之助だったのである。

    p377 アメリカは遅れをとっていた
     アメリカはペリーによって開国をさせたが、その後南北戦争が始まったせいで日本の外交に乗り遅れた。
     結果、英仏が幅を利かせるようになった日本で、アメリカは博打にかけて旧幕側を支援しようとした。

    p392 口語にした人
     「公文書に口語を用いたほうが良い。」と言ったのは前島密だった。しかし受け入れられなかった。
     その後、口語文を使おう運動は明治19年になってから文学界から起った。山田美妙が口語で小説を書き始め、二葉亭四迷がほぼ今日に近い文章で以て『浮雲』を発表した。

    p434 侍という美のために書いた
     司馬先生はあとがきで「わたしはこの「峠」において、侍とは何かということを考えてみたかった。」と言った。
     カッコいい日本人、美学を持った日本人、それを学ぶならこの本を読めって感じにまとまっていました。

    p439 『峠』という道しるべ
     河井継之助の「峠」は、玄人の英雄を扱うようになった契機。

    p443 河井の墓は
     司馬先生は峠を書く前に『英雄児』という短編で河井継之助を扱っている。そこでは、頭脳はあったが、無用な戦に藩のすべてを巻き込んだ人物として描いている。それゆえ、「墓碑ができたとき、墓石に鞭を加える者が絶えなかった」「墓碑はその後、何者かの手で打ち砕かれた」と語った。そしてこの作品の結びでは「英雄というのは時と置き所を天が誤ると、天災のような害をすることがあるらしい」と述べている。
     そういう河井の一面を語っているが、峠とはえらい違いに驚く。

     司馬先生は本当に人物を魅力的に描く力がすごい!

    ______



     解説にいい文言があった。司馬遼太郎が歴史の王道から、ニッチな偉人を描き始めるようになったのは、竜馬の次のこの河井継之助が始発点らしい。
     それほど司馬先生を熱くさせた男だったんだろうな。
     自分は司馬先生が描く大河も好きだが、その支流を溯る物語が大好きである。大村益次郎とかすごい好き。
     司馬先生の人間離れした資料蒐集能力があったからこそ発掘されたこれらの偉人の物語。本当、奇跡の抽出物だと思う。ありがたくいただきました。

  • ものごとの原理を知るために行動できる男こそ河井継之助という人物。この人物がどういう人生を走ってきたのか、紹介文を読んだときから、すぐに知りたい衝動に駆られ思わずこの本をとってしまった。それも、自身が仕事で何のためにするのか、という一点をまさに探していた姿と重なっていたからに他ならない。

    幕末の時代に生きた継之助。他の藩士や明治時代に活躍した将軍と比較して歴史上有名かというとそんなことはない。むしろ知っている人があまりいないのではないか。なぜ、それほど有名にはならなかったのであろうか。
    「日本中が京都か江戸かにわかれて戦争をしようというときに、あいつは長岡藩だけはどっちにも属せずに割拠しようと思っていたのだ。」武装独立をした上で、この信濃川沿いの7万4千石の地に継之助の考える理想国家をつくりあげようとしていた。
    「きわどい夢というのは、日本中が大火事になっているときに、こんな小藩だけが自分勝手な国を作れるかどうか。そのきわどさに継之助は自分の夢をかけていたのだ。」(P.295)

    そう、継之助は長岡藩をいかに強くするか、その一点だけを見つめて走り続けてきた男だったからだ。本文中では、一国の宰相になれる素質を持っていると言われた程。
    私が継之助の最も尊敬しているところは、物事の本質(原理)を出発点として様々なことに思考を巡らせることと「書物に知識をもとめるのではなく、判断力を砥ぎ、行動のエネルギーをそこに求めようとしている」ところ。

    どちらも、百数十年経過している現代に通じていると言える。むしろ、時間が経過しようが将来に渡り人々が大事だと痛感しなければならない要素である。

    個人的には、常に外の世界から自藩の動き・考え方を見つめようとするところ、女遊びに明け暮れながらもなんだかんだ自分の奥さん(おすが)の純粋な心持ちを最も尊敬しているところも魅力的な箇所だと思っている。

  • 武士のイメージそのまま、しかしその思想はその域を超え、長岡という旗本ながらも8万石の藩の老中として藩政改革を断行し、幕末の嵐の中で、薩長にも旧幕府にも付かず、長岡をスイスのような独立国として生かす道を模索する。
    ただ浅い知識を身につけるのではなく、常に「本質」を探し続ける姿勢。その思考に裏付けされた藩政改革と戦の采配。
    長岡藩が生き続けていれば。そんなタラレバを考えずにはいられない、熱く冷淡で一本の軸が通った男、河合継之助。上中下巻を一気読みしまうほど、のめり込んでしまった。

  • 歴史に"if"はない。しかし、もし継之助が新政府に関わっていたら。もし、幕府の重役であったら。歴史は大きく変わっていただろう。決して、歴史の表舞台には立つことがなかった英雄である。小さな長岡、大きな継之助、これが悲劇の始まりだった。

  • 江戸の長岡藩邸を引き払い、スネルの船で自藩に戻るところから始まり、河合継之助が八十里越えを越えた後没するまで。士農工商の封建制度が崩れるという先見の明がありながら、自藩を西軍との戦に突入させる。
    河合の智略に秀でた所、リーダーシップ、徳川や藩主牧野に対する忠義に侍を感じ、この人物について、また北越戦争について知る事ができたことはとても大きな財産になった。
    あとがきを読み気づかされたことは、町民からはなぜ戦をしたのかと恨まれている面もあるということ。寝返った新発田藩を恨みながら読んだが、立場により歴史の見方は変わる。
    司馬遼太郎はこの著書で、武士道について書きたかったとの事だ。

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