- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101156224
作品紹介・あらすじ
てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ…。勘定、人事、組織、ネクタイ、日記、贈り物、小遣い、家具、酒、月給袋など百般にわたって、豊富な人生経験をもつ著者が、時代を超えた"男の常識"を語り、さりげなく"男の生き方"を説く。
感想・レビュー・書評
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尊敬する取引先の社長さんに紹介していただいた本。少し古い?と感じる部分はあったものの、「生き方」の本質的な部分を考えさせられるいい本でした。個人的に池波さんの独特な表現は好きです笑
【なるほど!そうだよな!と思ったフレーズ】
人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人自身の問題です。磨くべき時に、男を磨くか、磨かないか…、結局それが1番肝心ということです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
お恥ずかしい話、普段から服にはあまりこだわりがありません。普段着はもとより、最近ではスーツもあまり新調しておらず、メンテナンスができていなかったりします。そんな中、久々にこちらを読んで、新調等々いろいろと考えないとなぁと思いました。、、自省も込めて。
洋装・和装のどちらとをも問わず、池波さんのブレない“流儀”が感じられて、スルッと入ってきました。自分に似合ってるかどうかは自分で決めないとね、、とは、なるほどと。
私の普段使いのスーツは、ほとんどがセミオーダーであつらえています。背の割に肩幅があり、服を肩で着ているのが理由なんですが、それなりに長持ちするためここ数年は後回し気味になっていました、、ネクタイとかシャツは定期的に買っていたのですが。ちなみに靴は、成人式の時に買ってもらった“リーガル”が妙にフィットしたのに感動して以来一辺倒ですが、こちらもここ1-2年は、、どちらもさぼり気味でしたので、これを機に見直していかないとなぁ、、と、あらためて。
それで思い出したのが、並行して読んでいた『ぼくらの頭脳の鍛え方』の中での「雨宮処凛さんの服装は彼女の鎧なんです」とのくだり。雨宮さんはお名前くらいしか存じ上げないのですが、“外界”と向き合うための、“戦闘服”として位置付けるのであれば、そうそうに手を抜いていいわけもなく、、仕事に対する姿勢ともリンクしていきそうで。
楽しむにせよ、戦うにせよ、まずは自分が納得しないと感じたあたり、意外なつながりが感じられて面白かったです。
ちなみに、クールビズの時でも“ジャケット”は羽織るようにしているのですが、こちらは実は、塩野七生さんのエッセイの影響だったりします、、どのエッセイかは忘れてしまったのですが、自分でも不思議なくらいに“ルール化”しています、、こういうのは“こだわり”とも言えるのでしょうか。
本書では「服装」に限らず、食事の仕方や所作、結婚観、死生観など、非常に幅広い話題がとりあげられています。対談形式でサラッと読めて、“イイ男”ってのはこういうことを言うのかな、とも。成功も失敗も、糧にして磨いていきたいものです、なんて。
なんにせよ、こういった“作法”を身にまとうように精進したいものです、、教養と言う“知の衣”もともに、そんな風に感じた一冊です。 -
「散歩のとき何か食べたくなって」に続いて、池波正太郎を読む。
池波正太郎は、かなり以前、「剣客商売」を読んだが、エッセイを読むのは「散歩のとき何か食べたくなって」が初めてで、この本が2冊目。
前のエッセイと同じく、粋でお洒落、ダンディな人だなと思った。一方で合理的・勤勉な人でもある。そういった生き方・暮らし方が、文章に味わいを出させているのだろう。
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昭和56年のゴマブックス初版で読む。女性を扱ったところでは今なら間違いなく炎上しそうな文面も多いが、逆に寿司やそばの食べ方についてはエセマナーをズバッと斬っていて痛快。今でもバズりそうな感じである。
相手を思いやる、仕事は先回りの段取りが肝心など、基本は今後も色褪せることのなさそうな骨太な作法論である。 -
生まれた瞬間から人間は死に向けてつっぱしっている。だから死ぬことを想定して逆算して、その時、その場所、その状態で今何をするのかが作法なのだ。著者の行き方は「引き算の美学→マイナスの作法」、つまり「死-(マイナス)現在=残りの人生」の式がベース。だから美味しいものはその素材を上手に引き出し美味しく、美しいものは美しく、そして調和を大切にし、シンプルに呼び名など細かいことはかまいはしない。それはものだけにとらわれず、人の付き合い、家族との関係などにも適用される。
明日死ぬかもしれないという気持ちを常に持ち続けて、明日死ぬとするなら今日何をするか、常に心の隅においておくだけで人生は考えていない人と時間が経った時大きく変わる。また、やりたいことを願うことを求心力とし、思えば自然と行動はそちらにむかうのだから、いつか時間がかかってもその道に進むことが出来るという。一種引き寄せの法則だが妙に説得力がある。
そしてこの引き算の美学の究極は、死が結びつける「繋がり」だ。万人に平等に訪れる死は、生命・物体の概念を超えた共通項だ。そのうっすらと見える死を媒体して、全てのものはエネルギーを伝えるのかもしれない。あなたが今、良くしてもらっているのは昔名前も知らない誰かがしてくれたことの結果かもしれないし、あなたがしたことは関係の無い次の人の幸せになるかもしれない。
著者は古い人なので男尊女卑のところは致し方ないと思うけど(本人は時代が変わったことを認識している)、as is, to be, to do,how to do とか言っている前に、as is, to die, fun to doが大切なんですよ、ということをちょっと乱暴に、人生の先輩として教えてくれる良著。少しずつで良いから「明日死んでも良い覚悟」をもって毎日を過ごすように心を整理し、活動し、寝て、また明日を迎えたい。人生には限りがある。けど人を磨くものはたくさん存在する。たくさん転んで失敗して、起き上がって、また転んでの繰り返しで摩擦が増えれば増えるほどその人の人生は磨きがかかって輝く。棘がなくなるとかではなく、文字通り丸くなる。自分だけの「本当のこと」を知って、求めている人に見返りなく伝えて、あとの人に迷惑を極力かけずひっそりと元気にぽっくり逝く。これこそが男だけでなく女も、つまり人の生きる作法の理想形の一つなんじゃないかと思う。-
2013/01/16
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そうそう、天麩羅は親の敵のように腹をすかして食う、とか面白かったですね。シャリはご飯でよい、とか。そうそう、天麩羅は親の敵のように腹をすかして食う、とか面白かったですね。シャリはご飯でよい、とか。2013/01/17
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2013/01/18
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最近通っている神楽坂の日本酒の店の主人に教わった池波正太郎の
「男のたしなみ集」。こういう本に惹かれる時点で歳食った証拠や。
やっぱり、池波正太郎は「食」。章ごとの頭に、寿司、天ぷら、すき焼き、そば、酒のたしなみ方がのっている。
こういう文章を読んでいると、江戸前の老舗の伝統の重みを実感するし、行きつけの一店を作りたい衝動にかられる。特に天ぷら。
天ぷらは腹をすかして食いにいくべし。油の温度を調整しながら出しているんだから、出されたらすぐに食うべし。やっぱりカウンターなんだねえ。春の食材を求めて船橋屋に行こう。 -
わさびがどうとかめんつゆがどうとか、絶滅危惧種なんだろうなあと。
上司にはしたくないけど、嫌いじゃないよ。関わりたくないけど、納得できる部分もあるし。「時代おくれ」なんて曲がありましたっけ。 -
池波正太郎のダンディズムを説いた本。
男は正直で周りによく気を遣える人が良いと。単純なことだが、発刊から数十年経った今こそ余計にできている人は少ないと、読後に思慮。
男は一度読むべきかもしれない -
作者の人生観。言い切る口調に生き方に対する自信がみなぎる。参考になるというより、自分なりのポリシーと照らし合わせながら読んだ。
作者の作法をまとめるとすれば自分に関わりを持つ人々を徹底的に気遣うことかな。
少々古臭い内容だけど、基本姿勢は見習うべきところがある。
作者のファンなら、作者の人柄が出ている貴重な一遍です。 -
自分が何か指摘されたときの受け止め方がいい人だなぁと思った。卑下せず、でも素直に心で受け止めるというか。
あとは人はいつか死んでしまうのだ。。という話も印象的だったなぁ。
親孝行にもこの人なりの持論がある訳だけれど、私もそれが全部正しいとは思わない箇所があるにせよ、思いやりや気配りというのか、様々な方向に想像力を伸ばしていらっしゃる様が素敵だなと。
知識や能力よりも、そういった人間同士でうまくやっていくような知恵というのは大切なんだなぁ。 -
インターネットが標準となった現代でも、なかなかこういう知識・作法は知ることができない。その意味でも貴重な一冊。
何十年も前の本なのに今読んでも非常に感銘を受けるのは、それだけストレートに本質をついているからであろう。 -
粋な生き方を。
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著者が冒頭に注意書きしているようにこれは過去の男の作法であり、池波正太郎の男の作法である。
参考程度にとどめたい。
天ぷら屋では出されたらすぐに食べるという点については納得した。
料理を目の前にして駄弁ってるのは確かに料理人に対して失礼だ。
クラブやバーでの遊び方とかは江戸っ子ならではで、こういった大人の遊びには憧れがあるけど
田舎暮らしには真似できないんだよな。
人生観や仕事観に関してはやっぱり昭和的な内容で、多少頷ける部分もあったけど時代による価値観は全然違うんだなと思った。
あまり若いうちに読むとまにうけてしまうから、ある程度分別のつく用になってから読むのが良い。 -
内容が良いか悪いかは別にして、自分の意見・こだわりを持っている男は面白い。
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若い頃に読んで、最近浅草に縁があり再読。以前読んだ時には、池波正太郎、かっこいいな、との印象が強かったのですが、再読してびっくり。以前とは感じ方が全然違っている自分に驚きました。
当時50代後半、もちろん大作家。若い人に教えている形式ではあるけれど、今読むとだいぶ偉そう。
そして、女性への表現の仕方も、何となくモヤモヤとして良くも悪くも昭和的であり、時代は変わったんだなぁとしみじみしてしまった。女性蔑視ではない。もちろん。だけど、何かはっきりと男性と女性とでは区切られている感じ。
若い時に読んだ時にはただカッコよさしかなかったのになぁ。年齢と時代が変わって、読んだ感想がガラッと変わったということか。
池波正太郎も男の作法を女性が読むとは思っていなかったかもしれないなぁ。
ただ、お寿司、天ぷら、蕎麦の食べ方をこの本で知り、いつか池波正太郎のように小粋な飲み方をしたいなぁと思う気持ちだけは今も昔も変わらずでした。 -
女ですが、もっと早く読んでおきたかった。
刺身や蕎麦、天ぷらの食べ方、様々な作法など若い頃から誰かしらに教わったり聞いたものの数々。。きっと池波さんの本や何かしらのメディアによって浸透したものも多いのでしょう。
衣食住に関する作法やお考えも、全ては池波さんの生き方に対する哲学、みたいなものに繋がっている。「死ぬこと」を考えながら生きるとは、目からウロコものです。
江戸時代の日本というのは世界一の文化国家、そういうのをちゃんと小学校のうちに歴史で教えないとダメなんだよ、なんて言うのもそうだそうだと一人で同調してみたり。バーからバーテンのくだりもいい。他にも色々書きたいが長くなるだけなのでやめておきますw
多様性、ジェンダーレスを重んじる現代においては問題になりそうな発言が多々あるも、読んでいるうちには著者の中で差別から来ている発言ではない事がわかります。が、今だと賛否両論になりそうとは思いましたが。。
もっと早くに読んでおきたかった、のは率直な感想ですが、今読んで良かった、のも本心。歳を重ねたからこそ響く数々。何年か後に読んだら今度はどのくだりが心に響くだろうと、想像するのも楽しい。
良い本でした。 -
女でございますから読みまして、間違っても男ぶりは出しませぬ。だけど参考になるので。「男をみがく」読んで「女のきばたらき」を磨きたいなと。(ガスレンジを磨くように!)
池波氏が書いたものではなく、語りおろしたもの。「もう書けなくなったからか」と思うなかれ、当時58歳執筆盛りであった。(67歳で亡くなってしまうとはご本人も思っていなかった)その語りが粋なのである。だからわざとこの体裁にしたのだろう。
「鮨、そば、てんぷら、すきやき、うなぎ」とのつきあいかたから始まって、バーの選び方、心づけの渡し方、諸事の心構え、ずらーずらーとこまごました道具にいたるまで目配りして語っている。
私が「剣客商売」の秋山小兵衛、「鬼平犯科長」の長谷川平蔵に親しんで、びっくりするのは太っ腹なこと。心づけを渡すシーン、みみちい私はいつも固唾をのむのである。
いわくチップをはずむがよい。
『そのひとが身銭を切って出したものでしょう。』『気持ちが通じる。そこに意味があるということですよ、たとえ百円であってもね。』
それにはお小遣いがいる、と力説している。なんか、やばいよね。磨くより作戦を練らないと...。
『もののありがた味』というところで、エッセイストの江國滋さんの娘さんの話が出てて、それは江國香織さんのことらしい。気をつけて育てられていると書いてある。だからあんなすてきな本が書けるひとになったのかしら、うーん。 -
昔ながらの男の作法?流儀を説いた感じの本ですが、わたしは好きです。
今となっては…みたいなところもありますが、良きものは残る?もしくは時代は繰り返す?
こういうのが良いなぁって人達と付き合って行きたいと思う本でした。